仕事終わりに乾杯
「「ありがとうございましたー!」」
レティとリコッタが最後の客を見送り、食堂内の客がいなくなる。
あれほど騒がしかったのが嘘のように静かだ。
まだ通りの方では賑やかな声がポツポツと聞こえてはいるが、うちの宿は深夜営業をしていないので適当なところで閉店だ。
「はぁー、疲れたー」
レティが近くの椅子に座り、突っ伏しながらため息のような声を吐いた。
「僕も」
「お兄ちゃん、厨房で料理作ってただけじゃないの?」
イスに腰を下ろすと、レティが失礼なことを言ってくれる。
「レティやリコッタさんのように派手に動き回ったりしないけど、狭い厨房で父さんと連携をとりながら効率的な動きをしないといけないんだよ」
料理を作る順番を間違えると大幅な時間のロスになるし、一度にたくさんのことをしないととてもではないが厨房は回せない。
ああ見えて、厨房も戦場なのだ。
まあ、普段はホールより楽だろうけど、そこは敢えて言ってあげる必要もない。
「まあまあ、どこも大変だよ。海鮮料理を提供したからか、お客の数が尋常じゃなかったからね」
僕たちがそんな言い合いをしていると、リコッタが宥めるように言った。
体力のあるリコッタは厨房周りだけでなくホールまで担当していた。
リコッタが入ってから余裕が出てきたのは明らかである、それは僕たちよりも遥かに効率的な仕事をしてくれた事になる。
リコッタに言われると、誰がどれだけ頑張ったなんて争いはできないな。
しばらく会話もせずにテーブルに突っ伏して休んでいると、突然パンパンと手を打つ音が鳴り響く。
緩慢な動作で視線を上げると、母さんが立っていた。
「はいはい、休憩したいのもわかるけど、もう少しで終わりよ。片付けを終わらせてから存分に休みましょう」
「「は~い」」
本当は少しも動きたくないのであるが、仕事が残った状態で休むというのも少し気持ちが悪い。どうせなら残った仕事を全て片付けてから休みたい。
母さんの言う事も尤もだったので、僕とレティは仕方なく立ち上がって後片付けに取りかかることにした。
◆
「ふう、これで後片付けも終わりね!」
すっかりと綺麗になった食堂を見渡して、母さんが満足そうに告げる。
床には食べかすやシミの一つもなく、磨き上げられた床が広がっている。
「じゃあ、今度こそ……」
「ええ、今日の仕事は終わりね」
僕が期待の視線を向けると、母さんはしっかりと頷いた。
その言葉ほどこの世に嬉しい言葉はない。
一日の疲れを感じていた僕とレティであるが、この瞬間はそれを忘れるほどの高揚感を抱いていた。
「リコッタもありがとう。お陰で途中からかなり楽になったわ。今日は大変だったから、お給金を上乗せしておいたわよ」
「うわぁっ! こんなにいいんですか!? ありがとうございますっ!」
視界の端では母さんがリコッタにお給金を払っている様子が見える。
どのくらいの金額かわからないが、リコッタがあれほど驚いている様子からいい額を払ったようだ。
きちんと頑張った人には頑張った分だけ賃金が支払われるもの。
リコッタはうちの宿屋の大戦力だ。ちゃんとお金は払って、このまま継続して働いてもらいたいものだな。
「よーし、夕食ができたぞー! よかったら、リコッタも食べていくかー?」
「えっ? でも、そんな悪いですよ」
厨房から叫ぶ父さんの声に、リコッタが戸惑ったように言う。
リコッタは基本的に夜まで働いてくれるが、僕たちと一緒にご飯を食べることは少ない。
こういう時は大人である父さんと母さんが誘うよりも、僕とレティが誘った方が気安いだろう。
「今日はミハエルが取り寄せた海鮮食材もあるんだよ? 遠慮したら勿体ないよ?」
「うっ……それは確かに」
「それにルバーニっていう白ワインもあるみたい!」
「こら、レティ! そのことは言わなくていい!」
レティの誘い文句を聞いて、厨房にいる父さんが慌てて人差し指を立てて言う。
「あははははっ! それじゃあ、ご馳走になってもいいですかね?」
やはり、リコッタも海鮮料理が気になっていたのだろう。遠慮がちではあるが嬉しそうに言ってくれた。
「うん、リコッタも一緒に食べよう」
「ええ、食べていってちょうだい」
それを僕たちが断るはずもなく、僕たちは父さんが作ってくれた料理をテーブルに並べた。
いつもなら家族で食べる時は四階のリビングで食べることが多いが、リコッタの分のイスを持って上がることも、たくさんの料理を運び上げるのもしんどかったので食堂で食べることにした。
テーブルの上にはメッバールのムニエル、ソードフィッシュの香草焼き、川エビと小ハゼの素揚げ、貝のスープ、フニール貝のガーリック焼き、骨せんべいなどと今日提供されたメニューのほとんどが並んでいた。
えっ? 売り切れたはずの川エビや小ハゼが何故あるかって? ちゃんと家族で食べる分を残しておいた
に決まっている。
いくら売り上げのためとはいえ、肝心の自分たちが美味しく食べられないのであれば意味がないからね。
「こうして見ると、今日のメニューって本当に豪華だったんですね」
料理をまじまじと見つめながらリコッタが驚きの声を上げる。
テーブルの上を埋め尽くすほどの海鮮料理。
海に面していないこの街では中々できるようなことではない。できたとしても、かなりの出費を覚悟しないといけないだろう。
「普段は手に入れられないものをミハエルが提供してくれたからな」
ルバーニの白ワインに合う料理を作ってほしい。そんな理由でこれほど高額な食材を提供する彼は、まさに道楽貴族と言っていいだろう。
もし、僕がミハエルのような大金持ちになったら、国から優秀な職人を集めて、ダラダラするのに最適な家とか作ってもらいたいな。
「さてさて、お楽しみの時間といくか」
皆がイスに座る中、父さんはミハエルから貰ったルバーニの白ワインを開封。
瓶からコルクが外れて、キュポンと気持ちのいい音が鳴り響く。
母さんがグラスを持ってくると、父さんはそこになみなみと白ワインを注いだ。
透明なグラスに薄い琥珀色の液体が入る。
それはとても澄んでいて、グラスに入ることで一つの芸術品として完成しているようだった。
父さんは母さんの分、リコッタの分と注いでいくと僕に視線を向けた。
「トーリ、お前も少し飲んでみるか?」
「いや、いいよ。僕は子供だし、ちょっと高めのジュースで満足しとく」
「そうか」
僕だけ飲むと、レティだけが仲間外れで疎外感を覚えてしまうかもしれないからな。
母さんが気を利かせて買ってくれたであろうオレンジジュースの瓶を取って、僕は自分とレティのグラスに注いだ。
「よし、それじゃあ存分に食べてくれ。乾杯だ!」
「「乾杯」」
父さんの音頭に合わせて、僕たちはグラスをぶつける。
「おお、これがルバーニの白ワイン。芳醇な味わいをしながらもスッキリとしていて呑みやすい」
「本当ね。酸味と甘みのバランスがちょうどいいわね」
「これならお酒が苦手な人でも呑めそうです!」
余程美味しかったのだろう。白ワインを呑んだ大人たちは開幕からとてもテンションが高い。
普段は変なワインを呑むと、機嫌が悪くなる父さんであるがそのようなことはまったくなかった。
高級白ワインは伊達ではない。
「お兄ちゃん、別に私に気を遣わなくてもいいんだよ? 私だけジュースでも気にしないし」
オレンジジュースを飲みながら感心していると、勘違いさせてしまったのかレティがそんなことを言う。
気にしないと強調して言っている様子が、気にしていることを表しているのだが、そこは突っ込まないでおこう。
「気にし過ぎだよ。僕はお酒にそれほど興味はないから」
「そうなの?」
「だって、お酒を呑み過ぎると眠りが浅くなるし、次の日に頭が痛くなったりするじゃん? そうなるとおちおち二度寝も楽しめないよ」
いくら美味しいものとはいえ、大事な睡眠や翌日に影響を及ぼすものを僕は呑みたくない。
お酒のせいで妙に目が冴えたり、急に眠くなったり……僕はあくまで自分の意思で眠るか眠らないかを決めたいのだ。
「あはは! 相変わらずお兄ちゃんはブレないね!」
僕の答えが納得できるものだったのだろう。レティが吹っ切れたように笑った。
「ね、お兄ちゃん。魚料理はどれがオススメ?」
「んー、メッバールのムニエルかな」
「じゃあ、それ取って!」
「しょうがないな」
今日はミハエルのせいで本当に大変だったけど、滅多に食べられない魚介料理のオンパレードのお陰で疲労と鬱憤は見事に吹き飛んだのであった。
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