満席
今日の夕食は魚介料理がメインとなる。そんな情報が宿泊客や常連客を通じて広まったらしく、食堂の席は早くも満席になっていた。
ヘルミナ、ナタリア、何故か娼婦仲間のリリスまでもいて近くのテーブルでは賑わいを見せている。
奥のテーブルではイベントを引き起こした張本人であるミハエルがおり、ウルガス、最近贔屓にしてくれているエルフと落ち着きのある面子が揃っている。
この世界での情報の拡散は口コミ。それが意外と侮れないもので、新しい情報や面白い噂に人はすぐに食いついてくる。
結果として、本格的な夕食のピークを迎えていないというのにこれである。
いつもならゆるりと入ってくるお客さんと他愛のない会話をしながら、エールやつまみを持っていく感じなのだが、今日はそうはいかない。
日が落ちる前に満席というフルスロットル状態なので、父さんだけじゃなく、僕までも厨房入り。
砂吐きをさせた川エビと小ハゼの素揚げを作りつつ、貝のバター焼きやガーリック焼きを作っていく。いくつもの料理を同時で作っているせいかとても忙しい。
「お兄ちゃん、貝のスープ三つと、フニール貝のガーリック焼き三つ!」
「はいよ」
もはや、受け取り口まできて伝える余裕すらないのだろう。客の笑い声が飛び交う中でもレティのよく通る声が響いてくる。
一応返事はしてみたが、今日の騒がしさからして僕のへにゃれた声が聞こえるはずもないよな。
とりあえず、お椀の中に貝のスープを入れ、今焼き上がったばかりのフニール貝をお皿に盛り付けて、受け取り口に置いてあるトレーの上に。
すると、客の合間をすり抜けるように母さんがやってきてメモを置いていく。
「メッバールのムニエル三つとソードフィッシュの香草焼き二つを優先でお願い!」
「わかった。父さんに伝える」
僕が返事をすると、母さんがトレーを持って料理を運んでいく。
母さんの置いていったメモを見てみると、そこにはズラリと注文されたものが書き込まれていた。
多少、値段は高めにしているのに、滅多に食べられないこともあって注文がやまないな。
言伝で言われた料理は、お客をお待たせしているので最優先で出さなければいけない。
「トーリ、メッバールのムニエル三つと何だって?」
途中までは聞こえていたのだろう。父さんがフライパンで炒め物をしながら尋ねてくる。
「ソードフィッシュの香草焼き二つ」
「わかった!」
父さんは頷くと、メッバールにさっと切れ目を入れて、塩コショウを振り始めた。
それをしり目に、僕もフライパンにバターを垂らして、そこに川で獲れた貝を炒めていく。
あー、バターの香りがとても香しい。簡単な料理だけど貝のバター焼きとか絶対に美味しいよ。
「お兄ちゃん、エイグファングのステーキ二つ!」
「ええ? 今日は魚介料理メインなのに?」
「なんか魚料理食べたら、お肉も食べたくなっちゃったんだって」
「気持ちはわかるけど、なんて贅沢なんだ……」
でも、魚も肉も両方あれば食べたくなるのは僕もわかるので、文句を言いつつも事前に味付けされた肉を冷蔵庫から取り出して、別のフライパンで焼いていく。
そうこうしている間に貝のバター焼きが完成したので、葉野菜を敷いてその上に盛り付ける。こうやってちょっとした緑を加えてやると彩が豊かになるよね。
「席は空いてるか?」
「すいません、今は満席で……」
新しい客がやってきたのだろう。レティが申し訳なさそうに満席を告げる。
「おう、誰か知らんがこっちこい! 詰めたらまだ座れるぞ!」
「本当か! 助かる!」
しかし、お客が席を詰めてくれたお陰で何とか一人が座れるほどのスペースが空いたらしい。
入ってきた客は嬉しそうにしながら、手招きされた冒険者の下に寄っていく。
混んでいても一人でも多く座らせてあげようという、客の優しさは従業員にとっても有難い。
エイグファングのステーキを焼いている間に、受け取り口に置いていた貝のバター焼き五皿は消失していた。どうやら既にテーブルに運ばれてしまったらしい。
作れば作るほどなくなっていくから不思議だ。
注文がきてから調理していては遅いので、ステーキを受け取り口に置くと次の料理に。
お酒で締めた川エビを油の張ってあるフライパンに投入。
すると、ジュワアァと油が弾けるような音が響き渡る。
高温で熱を通されたエビは、見事にその身を赤く染め上げた。
うん、川エビの素揚げはこの音と色がいいよな。目で見て、耳で聞いているだけで美味しさが伝わってくる。
「なんかいい音がするわね?」
「ああっ! トーリが川エビの素揚げ作ってる!」
「真っ赤で美味しそう! ねえ、私たちにそれちょうだい!」
それは近くに座っている客も同じだったのか、ナタリア、ヘルミナ、リリスがこちらを覗き込みながら注文してくる。
「お、お兄ちゃん、川エビの素揚げ五つだって!」
しまった! 忙しくならないように備えていただけなのに、自分から注文を増やすような真似をしてしまった。
この油の音は僕だけでなく、食堂にいる客の食欲すらも増進させてしまったようだ。
「トーリ! ちょっと皿洗ってくれ! 皿が足りねえ!」
厨房では父さんまでもが注文してくる。
「ああー、人手が足りない。リコッタ、早くきてくれないかなぁ」
魚介料理なんてやったから忙しくて仕方がない。
せめて、リコッタが来てくれればこの忙しもマシになるというのに。
「いやー、魚介料理なんて食べるの久し振りだな!」
「川魚はともかく、海の魚はこの街じゃ割高だもんな。いつも肉ばっかり食ってるが、魚もやっぱり美味い!」
だが、食堂で父さんや僕の料理を美味しそうに食べているお客を見ると、少しは頑張れる。
これが毎日だと絶対にごめんだけど、たまにならば悪くはないかな。
エイグファングのステーキを焼き上げ、ニラを切って、川エビの素揚げを監視しながら洗い場に積まれたお皿を洗う。
「うわー、すっごいお客の数。トーリ君、なんか新しい料理でも作ったの?」
無心で皿を洗い続けていると、そこに救世主であるリコッタが現れた。
「違うよ。今日は魚介料理がメインだから」
「ああー、それならこの賑わいも納得だね!」
「それよりもリコッタ。早く手伝ってほしいんだけど」
「任せて! すぐ戻ってくるから!」
リコッタは頼もしく頷くと、奥にある更衣室へと入っていった。
と思ったら、すぐに出てきて髪の毛を纏めて、エプロンを纏っていた。
演劇女優だからか早着替えはお手の物だな。颯爽と現れるリコッタが輝いて見える。
「お皿、私が洗うね!」
「助かるよ」
正直、皿洗いをしながら川エビの素揚げを作るのはかなりキツかった。
だって、川エビの揚がり具合も気になるし、汚れた皿は増えていく一方だったから。
皿洗いをリコッタに任せて、僕は素揚げをしているフライパンに戻る。
投入された川エビからはほとんど泡が出ていない。十分に火が通った証なので、それを一つずつ取り出して、薄紙を敷いた皿の上に乗せていく。
そこにレタスとカットしたレモンを飾っていけば完成。
あまりにも美味しそうだったので、僕は揚げたての川エビを一つだけ口へ。
サクッと手足や殻を噛み砕く音が響き、エビの風味が一気に広がる。
噛めば噛むほど味が強くにじみ出てきてとても美味しい。
刺身のように体の部分だけでなく頭の部分までも食べるので、ミソの濃い旨味と苦みがより美味しさを際立たせていた。
ちょうど夕食時もあってか、もう一匹に手を伸ばそうとしたところでレティが声を上げる。
「あー! お兄ちゃん、つまみ食いしてる! ズルい!」
「つまみ食いなんてしてないよ。これは料理人として味見してるだけ」
「普段は従業員だとか言ってくる癖に、都合のいい時だけ料理人とか言うんだー」
受け取り口から身を乗り出してズルいズルいと連呼してくるレティ。
大好きな川エビを僕だけが食べているのがお気に召さない様子だ。不機嫌そうに頬をふくらましてる姿が可愛らしい。
「ほい、あーん」
「あーん」
身を乗り出すレティの口に川エビの素揚げを近づけてやる。すると、レティは目を瞑って、そのまま口を開けた。
僕はレティの口に川エビを入れず、自分で食べてやった。
「あー、やっぱり揚げたては美味しい」
「…………お兄ちゃん?」
すると、レティから表情がストンと消え落ちて、女の子らしからぬ低い声が漏れる。
「じょ、冗談だよ。ほら、口開けて」
僕の中の第六感が大いに警鐘を鳴らしていたので、慌てて愛想笑いを浮かべて川エビを献上。今度こそレティの口の中に川エビが入る。
離れていても聞こえてくるサクサクとした軽快な音。
「んん~、美味しい!」
大好物とあってか、レティはこれ以上ないほど顔を緩ませて幸せそうだ。
「ちょっとー、私達も早く食べたいんだけどー!」
なんて風につまみ食いをしていたからだろうか。すぐ傍のテーブルに陣取るリリスに催促されてしまった。可愛らしい見た目だけど、相変わらず言いたいことはハッキリ言う感じだ。
まあ、注文して今か今かと待っているのに、目の前でつまみ食いなんてされたら一言いいたくもなるよね。反省だ。
「ごめんごめん、川エビの素揚げでーす」
軽く謝罪をしながら僕はリリスのテーブルに川エビを持っていく。
「あら、いい色してるわねぇ」
「食べよ食べよ!」
真っ赤な見た目に感激したのも束の間、三人は即座にフォークを伸ばして川エビを口に入れた。
「パリパリとしてて美味しい!」
「頭と脚の部分がいいのよねぇ」
「あっ! エールがもうなくなった! お代わり!」
川エビの素揚げとエールはとても合うからな。
リリスだけじゃなく、ヘルミナとナタリアにもエールの追加注文を頼まれる。
あの分だと川エビがなくなってしまうのもすぐだろうな。
僕はジョッキにエールを注いで、リリスのテーブルへ。
そして、すぐに厨房に戻って、川エビや小ハゼをひたすらに揚げていく。