ウルガスと釣り
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「……疲れた」
「お兄ちゃん! まだ十分な数の川エビがとれてないんだけど?」
捕獲した川エビをバケツに入れて、岸に腰を下ろすとレティからそんな非情な言葉が飛んでくる。
「といっても、僕だけの分で十二匹は捕まえたんだけど?」
「食堂で出す分を考えたら全然足りない!」
レティが川エビを捕まえた数は八。二人合わせて二十匹もいることになるが、食堂でも提供することを考える全く足りない。レティの言う通りだ。
しかし、ずっと立って移動しながら獲物を探すのは中々に疲れる。
このままボーっと座っていたらレティに引っ張られて連れ戻されそうな気がする。川エビが特に大好きなレティは、きっと家族でも食べられる分まで確保しないと納得してくれなさそう。
でも、僕は足が疲れたので休みたい。
……発想を変えよう。用は、サボっていなければいいのだ。
「んー、僕は釣りで大物を狙うことにするよ。休憩もするけど、きちんと働く。これなら問題ないでしょ?」
「なんか屁理屈な気がするけど、まあいいや。じゃあ、川魚をいっぱい釣ってね!」
一応、可愛い妹からの許可は貰えたけど、追加でミッションが与えられてしまった。
いっぱいか。一体、どれほどの量を釣り上げれば満足してくれるのだろうか。
なんて思いながら、僕は立ち上がって釣り竿とバケツを持って移動する。
レティやアイラのいる場所は、二人が動き回っているために川魚はあまり近付いてこない。
となると、少し離れた場所に行く必要がある。
川沿いに歩いていくこと少し。水面には鮎やイワナらしい川魚がいるのが見えたので、そこで腰を下ろす。
視界には遠目にレティやアイラが見えているので問題はないな。
釣り竿の糸を結び直して、針の先に川で捕まえて小さなエビをつけて水の中に垂らす。
後は獲物がかかるまでジッと待つだけ。川魚を釣りながら座って休憩をすることもできる。一石二鳥じゃないか。
相変わらず周囲の天気はよく、気持ちのいい風が吹いている。
周囲に生えている草がサーッと音を立て、川の水に波紋が広がった。
「きゃっ!?」
「どうしたのアイラ姉ちゃん!?」
「ビックリしたー。足に水草が絡みついてたわ」
少し離れたところではアイラとレティの楽し気な声が聞こえてくる。
そんな二人の声すら、自然と一体になっているようでとても心地よかった。
しばらく目を瞑ってボーっとしていると、後ろからガッシャガッシャと聞き覚えのある音が聞こえてきた。
思わず振り返ると、そこには大きな猪のようなものを背負った鎧人間、ウルガスがいた。
「あっ、ウルガス。今、仕事の帰り?」
僕がそう尋ねると、ウルガスはこちらに近付きながら頷いた。
こちらに寄ってきたことから、どうやら急いで街に戻ってる感じではないようだ。
「背負ってるのって魔物だよね? すごいね、なんの魔物?」
ウルガスに背負われている魔物。牙が異様に長く、普通のイノシシよりも顔つきがいかめしい。どう見ても普通の動物には見えなかった。
ウルガスは片手をパタパタと動かして、カニのハサミのような動きをする。
ウルガスとは長い付き合いなので、鎧越しでもちょっとした機微は読み取れるようになったが、知識にないものから引き当てるのは難しい。
「うん? ハサミ?」
首を傾げながら言ってみると、ウルガスはブンブンと首を横に振った。
どうやら違ったらしい。
ウルガスは繰り返し同じような動きをするが、僕には全くわからなかった。
すると、ウルガスは思いついたように屈み込んで地面を砂でなぞる。
『エイグファング』
「あー、これがエイグファングなんだ!」
それと同時にウルガスがやってくれたジェスチャーの意味も理解できた気がする。
「もしかして、さっきの手の動きってハンバーガーってこと?」
「……っ!」
そうだとばかりにウルガスは頷いてくれた。
なるほど、ハンバーガーの肉の材料を示していたのか。
魔物に対しての知識が足りなかった故に、理解するのが難しかったな。
それにウルガスも片手だったし。両手だったらピンときたかもしれないが、エイグファングを背負っていたので難しかったのだろう。
「にしても、エイグファングって強そうだね。こんなものを倒せるなんてウルガスはすごいよ」
エイグファングは僕と同じくらいの大きさをしてる上に、長く湾曲した牙がある。
きっと、一般的なイノシシの速度以上でこれが突進してくるのだろう。そう考えると、恐ろしいものだ。
きっと、僕なんかが出くわしたら、一突きでやられる自信がある。
素直に尊敬の念を込めて言うと、ウルガスはどこか照れくさそうにもじもじとしていた。
鎧の中身が男性か女性かでそのイメージは大きく変わるのだが、どちらともいえないために何ともいえないな。
ただ、鎧姿の人がもじもじしている姿はとてもシュールだ。
「…………」
なんて思っていると、ウルガスが傍にあるバケツを覗き込んだ。
「そこにはちょっとした釣り餌が入っているだけで、さっき釣り始めたばかりだから魚は入っていないよ」
そんな僕の言葉を聞いて、釣り竿と川を交互に見やるウルガス。
ウルガスが何を思っているかは大体わかる。
「よかったら、一緒に釣りでもする?」
僕がそう言うと、ウルガスは遠慮がちに首を横に振る。
「他にも釣り竿は持ってきてるから大丈夫だよ?」
「………………」
「一人でやるより、二人でやった方が楽しいしね」
「……」
遠慮するのでもう一声かけると、ウルガスはゆっくりと頷いた。
ウルガスはエイグファングを地面に下ろすと僕の隣に座る。
そして、僕が使っている釣り竿を渡すと、それを受け取った。
「ちょっと釣り竿を取ってくるね」
ウルガスがジーっと水面を眺め始めたところで、一声かけて移動。
川エビをとっているアイラとレティのところへ戻る。
「レティ、ちょっと釣り竿を借りるよー」
「いいけど、自分のはどうしたの?」
「今ちょっとウルガスに貸してるから」
「あー」
不思議そうにするレティにウルガスのいる方をさすと、納得してくれたようだ。
「ねえ、あの鎧の人って、街でも見かけるんだけど鎧を外してるところ見たことないのよね。男なの? 女なの?」
アイラの疑問を聞いて僕とレティは顔を見合わせて、
「「さぁ?」」
「さぁって、どういうことよ?」
「だって、僕らも見たことないから何とも言えないよ」
「ずっと宿に泊まってるんだから顔くらい見たことあるでしょ?」
「それがないんだよねー」
「えー、おかしいわよ」
常に全身鎧を纏っている男か女もわからない謎の傭兵。ルベラでもウルガスの噂は有名であり、それを知りたがる人は多い。
アイラと同じような質問は何度もされる。
しかし、僕とレティだって見たことがないのだ。答えようがない。
ウルガスだってそれを晒されることは望んでいないだろうし、生活をする上でリラックスできる場所も欲しいだろう。
だから、安全な場所を提供する僕達が、それを害するようなことはしてはいけないのだ。
でも、気にならないかと言われれば嘘になるけどね。
なんてことを思いつつ、僕はレティの釣り竿を持ってウルガスの隣に戻る。
そして、糸を結び直して、針に餌をつけると川の中へ。
全身鎧のウルガスと、ただの宿屋の従業員である子供。
この異様とも思える光景を第三者が見たらどう思うであろうな。実際はただの宿泊客と従業員であるが、その関連性は中々推測できるものではないだろう。
それにしても、とても静かだ。
ウルガスは喋ることがないので、僕達の間に会話はない。
だけど、それが苦にならない空気感がここにある。それは言葉がなくても伝わるウルガスの優しさや頼もしさ雰囲気があるからなのだろうな。
そんなことを考えていると、不意に水面を魚が跳ねた。
その瞬間、隣にいるウルガスの手が素早く動いて何かを投げつけた。
思わず視線をやると対岸には枝で縫い付けられた川魚がおり、ピクリと身を震わせていた。
「……まさか、枝を投げて仕留めたの?」
おそるおそる尋ねると、ウルガスは何でもないことのように軽く頷いた。
規則性もない突発的な出来事。川魚が宙を跳ねる一瞬のところを狙ってやったというのか。
一体、どんな反射神経をしているんだろう。
「おっ、引いた」
ぼんやりと突き刺さった川魚を眺めていると、釣り竿に重みがかかった。
釣り竿が大きくしなる中、こちらも立ち上がって応戦。
リールなんて便利なものはないので川魚の体力を消耗させつつ、抵抗が弱ったところで一気に引き上げる。
すると、針先にぶら下がっていたのはふっくらとした体を持ち、背中に黄色みのあるアーユだった。
前世でいう鮎と似たような川魚であり、塩焼きで食べるのがすごく美味しい。
「やった、アーユだ」
僕が獲物を見せると、ウルガス釣り竿を持ちながら小さく拍手をしてくれる。それだけで嬉しさが分かち合えて十分に嬉しい。
「あっ、ウルガスのほうもきてるよ」
アーユを針からとってバケツに入れていると、ウルガスの釣り竿にも魚が食いついた。
ウルガスがジーッと食いつくのを待っていると、やがて獲物は食いついたのか大きく竿がしなった。
「おお、すごい大きいかも」
僕の時よりも竿のしなり具合が段違いだ。これはかなり大きな川魚に違いない。
ウルガスは川魚の様子を窺いつつ、勢いよく釣り竿を振り上げた。
しかし、その勢いが強すぎたのだろう。釣り上げられた獲物が宙を舞って、針先から外れてしまう。
座ったまま片腕を振り上げたウルガスは、それを見て勢いよく立ち上がって飛んでいった獲物を追いかけた。
とはいえ、ここらへんは障害物のない平原。ウルガスは遠くに飛んでいった川魚を回収すると、すぐに戻ってきて川で汚れを落とした。
ウルガスが釣り上げたのは全長二十センチ以上あるウルトリーと呼ばれる川魚。この川に住んでいる獲物の中で一番の大物だ。
その身は大きく脂ものっており淡泊な味わいながらも、しっかりとした甘みがある。
ただ、非常に力が強くて獰猛なので釣り上げるのが難しい。僕が持ってきた釣り竿では折られかねないほど。
「ウルトリーを釣り上げるなんてすごいじゃん」
素直に称賛すると、ウルガスは兜を掻きながらも親指を立ててみせた。
それから釣り上げたウルトリーをバケツの中に入れて、再び僕達は針に餌をつけて釣りを再開。二人して静かに水面を眺める。
たまにはこうやって誰かと釣りをするのも悪くないな。