ルバーニの高級白ワイン
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「見てくれたまえトーリ君、この見事な白ワインを!」
「うん?」
朝食の時間が過ぎて食堂内がまばらになった頃。ミハエルが高らかな声を上げて、厨房の受取り口に白ワインを置いた。
あの食通のミハエルが自慢したがるほどのものということは、よっぽどいい白ワインなのだろう。
気になった僕は皿洗いの手を止めて、置かれた白ワインを眺める。
「白ワイン? ルバーニって書いてあるね」
「ルバーニだと!? それってあの有名な!?」
銘柄を読み上げると食器を片付けていた父さんが驚きの声を上げて、駆け寄ってきた。
「そう、ルバーニ村でしか栽培されていないルバーニブドウを使った高級白ワインさ。友人の伝手を使って、手に入れることができてね」
「それってそんなに美味しいの?」
僕はまだ成人前なので、お酒は確かめる程度にしか呑んだことがない。だから、この世界のお酒の良し悪しについてはほとんどわからない。
「あ、ああ、俺は飲んだことがねえが、口に含んだ瞬間に白桃のようなまろやかな味が広がり、追いかけるような酸味が絶妙らしい。塩辛い料理やバターを効かせたもの、あるいは魚介料理にめっちゃ合うんだとか……」
どこか血走った目で白ワインを見つめながら、丁寧に解説してくれる父さん。
ワインが大好きな父さんからすれば、目の前にあるワインはたまらないものなのだろうな。
「ようは魚介料理と一緒に食べるとすごく美味しい高級ワインなんだね」
「そういうことさ! つまり、僕が何を望んでいるかわかるよね?」
置いてある白ワインをわざと取り上げてみせるミハエル。
ジッと眺めていた父さんは残念そうにしながらも、表情を引き締める。
「今日のメニューを魚介類にしろってことか?」
「端的に言うとね。せっかく最高の白ワインが手に入ったんだ。それに合う最高の料理と一緒に食べたいと思うのは当然のことだろう?」
「その日のメニューは料理長である俺が決める。それがここのルールでありプライドだ。いくらミハエルの頼みでそうポンポンとメニューを変えるなんて――」
「ああ、残念だ。もし、アベルさんが今日のメニューを魚介類に変えてくれれば、ルバーニのワインを一本進呈しようと思っていたんだけどな」
父さんがきっぱりと断った瞬間、ミハエルは足元に置いてあったカバンから白ワインをもう一本取り出してみせた。
「今日の夕食は魚介類にする」
「話が早くて助かるよ!」
「ちょっと料理長としてのプライドは?」
あまりに露骨な手の平返しに僕は突っ込まざるをえなかった。
「厨房では俺がルールだ。俺の決めたことは絶対だ」
受け取った白ワインに頬釣りをしながら暴君のようなセリフを言う父さん。
「ルバーニの高級白ワインの前では、料理長の矜持さえ屈してしまうのか……」
「トーリはまだ子供だからわからねえかもしれねえが、ルバーニのワインは毎年生産数も限られてて手に入らねえんだ!」
「その上、王族や貴族、豪商なんかがこぞって予約をしていてね。一般人が手に入れることはほぼ不可能だよ。値段だって高騰しているし」
思わず呆れると、父さんとミハエルがこの白ワインの稀少価値を力説してくる。
「な、なるほど」
それほどまでに稀少で価値の高いものなのか。
それならワインの大好きな父さんが、ミハエルの頼みでメニューを変更してしまうのも仕方がないな。
「というわけで、今日の夕食は魚介料理を中心とする。俺は市場に魚の買い出しに行くから、トーリはレティを連れて近くの川で小魚や貝、エビなんかをとってきてくれ」
「わかったよ」
ルベラの街の傍には海がないせいで、魚介類の食材は冷凍して運ばれることになる。その手間賃が価格に加えられるために海の魚などは割高になる。
しかし、街の中や外には綺麗な川がいっぱいある。
そこにはたくさんの川魚や貝、エビなどがいるので、そいつらを確保してメニューに加えようということだ。
普段は肉料理や野菜料理が多いだけに、魚介料理を食べられるのは嬉しいことだ。
僕としても悪くないので、父さんの頼みを素直に引き受けることにする。
「うんうん、今日の夕食が楽しみだよ!」
満足そうに笑うミハエルの横を通り過ぎて、僕は二階に上がっていく。
多分、この時間だとレティは宿泊客の洗濯物を集めて回っているはずだ。
階段を上がると、予想通りレティは廊下に出されている洗濯袋を回収していた。
「お兄ちゃん、ちょっとこれ持って! 今日洗濯物が多い!」
「ああ、それなら母さん任せていいよ。僕達は外で食材調達することになったから」
「えっ、本当? なにするの!?」
外で食材調達と聞いて、レティの瞳が輝いた。
レティも落ち着いているとはいえ、元気なお年頃。やはり仕事をしているよりも、外に出る方が好きみたいだ。
「わかった! じゃあ、中庭にいる母さんにこれだけ渡して説明してくるから準備して待ってて!」
レティに事情を伝えると、表情を輝かせて一階に降りていった。
すると、すぐに中庭にいるらしい母さんの不満のような声が上がっていた。洗濯物が多いというのに、自分一人でやらなければいけないことを嘆いているのだろうな。
そして、すぐにレティは階段を駆け上がってきた。
「母さん、文句言ってたでしょ?」
「うん、でもルバーニのワインがあるって言ったら機嫌直したよ」
父さんほどじゃないが、母さんもワインは好きだからな。苦労を乗り越えた先に、ご褒美があるとわかれば人間というのは頑張れる生き物だ。
にしても、文句を言われないようにしっかりとそのことを伝えるとは、レティもしっかりしているな。
「早速、準備しよ!」
「うん」
テンションの上がったレティに急かされるように、僕は四階に上がる。
とはいっても、川魚用の罠、バケツ、餌、手袋、網、釣り竿などの食材集めに必要になりそうな道具を一通り引っ張り出し、靴をサンダルにすれば準備は完了だ。
小さな道具をバケツに突っ込み、釣り竿を肩に乗せればかさばることもない。
「それじゃあ、父さん行ってくるね!」
「おう! 気を付けてな! トーリ、レティが川で流されないように見張ってるんだぞ!」
レティが元気な声を上げると、厨房にいる父さんがにこやかに答えて、僕に厳しい言葉を飛ばしてくる。
そんな大袈裟な。僕達が向かう川は水深が五十センチもないような浅いところだ。流されるなんてあり得ない。
相変わらずの心配性に苦笑いしながら、僕とレティは宿の外に出る。
「あれ? トーリとレティ、これから川に行くの?」
すると、ちょうどうちにやってこようとしたのか幼馴染のアイラが声をかけてきた。
僕達の荷物を見れば、どこに行こうとしているかは丸わかりだからな。
「うん、今日の夕食は魚介類を中心にするつもりだから食材調達にね」
「アイラお姉ちゃんも一緒に行こうよ!」
「いいわね! あたしも準備するから、ちょっと待ってて! すぐに戻ってくるから!」
レティの誘いにアイラは二つ返事で了承。
川で食材調達するための道具を取ってくるために、自らの宿がある方に走っていった。
多分、アイラはちょっとした休憩時間でいつも通り遊びにきたのだと思うが、食材調達という大義名分があれば、それも立派な仕事だ。
アイラの両親からの許可も貰えるだろう。
この行き当たりばったりな感じは子供故の自由さといえる。前世の大人であれば、仕事や家庭がなどと予定を合わせるのも一苦労だからな。
こういうノリが酷く懐かしかった。