城の主よりも歯車
ハンバーガーの仕込みが終わると、僕とレティは宿を出て市へ。
ルベラの街はまだ日の出が上がったばかりで、まだ少し薄暗い。普段は賑わっている大通りでさえ人の姿がまばらだ。
だが、いつもは人で込み合っている道を悠々と歩けるのは気持ちがいいな。
本当はもう少し寝ていたかったけど、こんな風に街を歩けるならたまにはこういうのも悪くない。
「あら? トーリとレティじゃない」
ヒンヤリとした朝の空気を感じながら視線を巡らせていると、聞き覚えのある声をかけられた。
視線を向けてみると、そこにはナタリアがいた。
肩から羽織り物をしているが、その下には胸元を強調するようなドレスが身に纏われている。全身から色気が出ており、目覚めの朝として少し浮いているように感じられた。
そんなナタリアの隣には明るいドレスとピンクの髪色をした女性。こちらはナタリアと違って妖艶という感じではなく、可愛らしい感じの人だ。
傍にはいつもお迎えにくるガタイのいいガードマンがいるので、同僚の人だろう。
「おはよう、ナタリア」
「今日は仕事帰り?」
「ええ、そうよ。ちょうどさっき終わって今から帰るところ」
ナタリアはそう答えると、眠そうに口元を押さえて欠伸をした。
夜の仕事をしている彼女としては、この時間帯が一番眠いのだろうな。
「ねえねえ、この子がナタリアがいつも言ってる宿屋の男の子?」
そんなことを思っていると、ナタリアの隣にいる女性が前に出てきた。
まるで猫のようなクリッとした瞳で興味津々そうに向けてくる。
いつも言ってるってどういう意味だろう? ナタリアが僕について何を話していたのか少しだけ気になる。
「ええ、トーリよ」
「どうも」
ナタリアが一応紹介してくれたので、僕は軽く頭を下げる。
「へー、なんか想像していた子と全然違うかも。ナタリアが可愛がってるくらいだから、もっと美少年なのかと思った」
可愛い顔をして中々にハッキリという女性だな。
「あら、心外ね。私はリリスみたいに顔で男を選んだりしないのよ?」
「……二人共、僕のことをバッサリと言い過ぎ」
どうせ僕は美少年じゃなくて微少年だ。レティに比べると、僕の顔立ちはかなり地味だしな。
顔の部分的にはちゃんと両親の遺伝子を引き継いでいるのだが、どうしてそれが上手くいかなかったのだろうか。
ナイーブになっている僕に気付いたのか、ナタリアが屈みこんで僕の頭を撫でる。
「大丈夫よ。トーリの魅力は顔なんかじゃないから」
「……ナタリア、そんな風に下げてから慰めても僕はコロッと落ちたりしないからね?」
「あら、残念」
「すごーい! この子、そこら辺の大人よりも大人だよ! この方法で大概の男は落ちるのに!」
あっさりとこれを手口だと言ってしまう娼婦二人が怖い。
そりゃ、こんな美人二人にそんな風にされたら大概の男は落ちちゃいますよね。
僕だって、普段からナタリアにいじられたり、前世での経験がなかったらあっさりと落ちていたと思う。
「なんかナタリアが、トーリ君を気に入ってる理由がわかったかも。私もそっちの宿でお世話になっちゃおうかなー」
「いいけど、こっちは堂々と男を連れ込むのは禁止よ?」
「あー、それじゃあダメだねー」
まるで日常会話をするかのように、サラリと話し合う二人。
清々しい朝の時間帯には少し相応しくない会話なので、僕は話しを阻害するように咳払い。
「……えっと、まだ朝だしここにはレティもいるから」
「あー、ごめんね。レティ」
「だ、大丈夫! 私、そんな子供じゃないから!」
よく言うよ、今朝僕にいじられただけで顔を真っ赤にしていたというのに。
そんなレティの強がりは、ナタリアやリリスにも伝わったのか微笑ましそうに笑われている。
「朝から二人で出るってことは、今日は屋台でハンバーガー?」
「うん、ちょっと早いけど今から市に行ってくるんだ」
「ハンバーガーって、ナタリアが言っていたパン料理だよね? 他の子も美味しいって言ってたし、あたしも食べてみたいかも!」
話しを聞いてか、リリスが顔を輝かせて言う。
ナタリアはたまに同僚なんかを連れてきたり、店にお土産として買って行ってくれたりするので娼館の中でも少しずつ認知度が高まっているようだ。とても嬉しいことである。
「えー、今からがいいの? 今度私が持っていくのじゃダメ?」
「あたし、今食べたい!」
同じく夜の仕事をしているリリスも、今が一番眠気のピークであるはずだが、どうしても朝からがいいらしい。
「嬉しいけど、市に行って屋台の準備とかもあるから、すぐにできるってわけじゃないよ?」
「うん、それでもいいよ。適当にナタリアと散歩して向かうから! ほら、ナタリア散歩しよう」
「もう、しょうがないわね~。それじゃあ、トーリ。後で食べに行くから」
リリスに腕を組まれたナタリアは、ため息を吐いてから歩き出す。
「こうして見ていると姉妹みたいだね」
「そうだね」
二人仲良く腕を組んで喋りながら歩く姿は、まるで普通の家族の姉妹みたいだ。
ナタリアってば、お店の中ではお姉ちゃん的な立ち位置なのかもしれないな。
まあ、宿屋の中では、一番手のかかるダメな大人であり、妹みたいな感じになっているけどね。
ナタリアの宿屋では見られない、一面がちょっと見えたようで面白かった。
◆
ナタリアと別れた僕とレティは、そのまま市へ。
いつもよりも時間が早いからだろう、今日は並ぶことなくすんなりと受付にたどり着いた。
そして、今日も不愛想なおじさんと対面して手続き。
「ハンバーガーの出店、お願いしまーす」
「……結構、売れ行きがいいみたいだな」
連日で完売しているだけあって、市を取り仕切っているおじさんも把握しているみたいだ。
「ええ、物珍しさと知り合いが買ってくれるお陰で」
「…………」
そんな風に答えるが、おじさんは特に返事を返さずに手続きを勧める。
ただ単に興味から出た言葉のようだった。
それから場所代と屋台の借り賃である銀貨二枚を払うと、木札を貰って置いてある屋台を借りる。
「私たちどこに行けばいいの?」
「木札の裏に描かれている番号と地図に書かれている番号を照らした場所だね」
屋台を押していきながら近くにある屋台街の地図を見ると、僕らの場所はここから一番近い通りの端だった。
「あっ、すぐそこだね」
「うん、あんまり移動しなくて済むから助かるよ」
材料や器具を乗せながら屋台を転がすのも楽ではないからな。市から近ければすぐに着けるし、返す時も混雑した屋台街を通らなくて住むので楽だ。
市のおじさんもそういう事情を知っていて、近くに配置してくれたのかもしれないな。
屋台を二人で転がすと、すぐに割り当てられた場所へ到着。
木箱から調理道具を取り出して、屋台の上に置いていく。
その中でも今日は新しい物が一つある。
それは鉄板だ。
屋台に埋め込まれた竈に火を点けると、その上に鉄板を乗せてやる。
「わっ、すごい! いつの間にそんなの買ったの?」
「今までの売上金でね。軽くて火が通りやすい、ちょっといい奴にしたよ」
さすがに分厚いと火が通りにくいし、持ち運びが不便だからね。
これも必要経費ということで、ダスティ達も納得してくれた。
まあ、数が作れて売り上げも上がれば、彼らへの分配も上がるので長い目で見れば悪いことではないだろ
う。
普通のフライパンだとパテを焼くのは四つが精々だが、これなら同時に二十個以上焼くことができる。さらには端っこでパンを温め直すことも可能。
家庭用のフライパンで焼くよりも、大きな鉄板で焼いてもらった方が美味しそうに見えるから絶対にこっちの方がいいな。
蒸し焼きにしたい時は蓋を乗せればいいだけだし。
「さて、これで準備は終わりだね」
「もう、準備終わりなの?」
もう少し準備に時間がかかると思っていたのだろう。レティが少し拍子抜けしたように言う。
「手軽にできるのがハンバーガーの良い所だからね。後は客が来るまで待機だよ」
肉や野菜はカルロとハルトから貰って持ってきているし、ダスティに貰ったパンも今朝から宿の竈で焼き上げているのでホカホカだ。
後は客がくるのを見計らって、パテを焼くのみだ。
「お客さん、早くこないかな」
「さすがに気が早いよ。周りを見ても僕達しかいないし」
やはり早くに着き過ぎたせいだろうか、通りを見渡しても屋台はない。かなり時間が余っている。
しかし、レティはこんな状況ですら頼んでいるようだった。どこかワクワクとした面持ちでジーっと待っている。
「……何でそんなに楽しみなの?」
「だって、この小さな屋台は私達だけの店で好きにしていいんだよ? そう思うと楽しくならない?」
なるほど、いつもは宿屋という店を通して働いている僕達であるが、ここでは自分達だけの縄張り。
どのように物を売ろうが、振舞おうが自由。まさに自分だけの店を持っているような感覚。
そう言われると、レティがいつもより楽しそうにしている理由がわかった気がした。
「まあ、僕は自由に店を仕切って回すよりも、歯車の一つになってのんびりとしていたいけどね」
「またお兄ちゃんは、そんなこと言う。サボっちゃダメだからね」
屋台では少人数で働くために一人の労働力をフルに発揮しなければいけない時がある。そう考えると、屋台で働くのは僕の理想の働き方とはちょっと違うかな。