朝のミンチ
ぬるっと2章始まります
「お兄ちゃん、起きて!」
「ん、んん? レティ?」
身体を揺さぶられたことで僕は目を覚ます。
目を開けるとそこには妹であるレティの姿が。
宿屋の息子の朝は早い。宿屋内の清掃や準備、朝食の準備などとやることは多岐に渡るので、宿泊客よりも早くに起きる必要が――
「ちょっと待って。さすがに早くない? まだ空が暗いよ?」
身体を起こして窓から外の景色を見ると、ルベラの街はまだ暗闇に染まっていた。
さすがに宿屋の朝が早いと言っても、空が白じまないほどに早く起きる必要はない。
太陽が昇ってきて明るくなってきた頃に起きれば十分だ。
「今日は私と屋台に行く日でしょ。昨日の夜に、パテの準備をするから早く起きてねって言ったじゃん」
ああ、そうだった。今日は前々から参加できなかったレティを屋台の営業に連れていく日であった。
「……昼からじゃダメ?」
別に屋台を出店するのはご飯時であればいつでもいい。
今日はレティを連れての出店だから、夕方とかにすると過保護な父さんが怒るだろうが昼でもいいだろう。
僕が魅力的な提案をしたが、レティは険しい表情で否定した。
「ダメ! 朝からリコッタにウエイトレス頼んでるんだから! というか、眠いから後伸ばしにしようって魂胆が見えすぎ」
ジトッとした視線を向けてくるレティ。
完全に今眠いから後にしてほしいという気持ちが見抜かれている。さすがは僕の妹、やるじゃないか。
「ほら、ボーっとしてないで早く起きて!」
どうやって今の状況を回避しようかと考えていると、レティにベッドから引っ張り出されてしまった。
むむむ、僕の身体を引っ張り上げるとは、宿屋で働いているだけあって力持ちだな。その華奢な身体のどこにそのようなエネルギーがあるのやら。
にしても、レティは僕に対して結構ぞんざいなところがあるが、今日に限っては妙に強引だ。
「朝から元気だね」
「だって、屋台の出店とか初めてだもん」
僕が尋ねると、無邪気な表情を浮かべながら答えるレティ。
どうやら今日の屋台を相当楽しみにしていたようだ。
はぁ、レティのこんなワクワクした顔を目にしてしまったら、これ以上ごねる訳にはいかないな。
「……面倒くさいけど、準備に入ろうか」
「うん!」
「着替えて顔を洗ってくるから、先に厨房に行ってて」
僕がそう言うも、レティはどこか怪しむような視線を向けてくる。
「……二度寝したらダメだからね?」
「しないから」
僕はそれほどまでに信用がないというのか。
着替えるのでレティを追い払って、タンスからいつもの服を取り出す。
寝間着を脱いで着替えようとすると、ふと背中に視線を感じた。
チラリと後ろを見ると、四階に至る梯子口からレティが顔を出しているのが見えた。
「……レティ、異性に興味のある年頃なのはわかるけど、そういう覗きとかはよくないと思うよ? ましては僕は兄なんだし」
「ち、違うから! お兄ちゃんがちゃんと着替えてるか確かめたかっただけだから!」
僕が冗談めかして言うと、レティはそれを真に受けて顔を真っ赤にしながら早口でまくし立てるなり去っていった。
年齢の割に大人びているとは思っていたが、こういう方面の知識は少ないのか意外と初心だな。
そんな反応で、カップルの泊まった部屋の掃除とかできるのだろうか。できればレティにも手伝って欲しいとは思うけど、そのまま純朴でいて欲しい兄の気持ちもあるので少し複雑だった。
◆
いつもの服に着替えて顔を洗いに向かおうと階段を降りると、一階の食堂では既に母さんがテーブルの掃除を始めていた。
「母さん、おはよう」
「おはよう、トーリ。早速レティに起こされたみたいね」
僕の顔を見ながら苦笑する母さん。
「屋台の準備をするにしろ、ちょっと早いと思うんだけどね」
「仕方がないわよ、昨日からずっと楽しみにしていたんだから。お兄ちゃんとして付き合ってあげなさい。寝癖が酷いから顔だけじゃなくて、髪の毛もきちんと直すのよ」
母さんにそう言われて、髪を触ってみると爆発していた。
道理で朝一番に母さんが僕を見て苦笑するわけだよ。
母さんと挨拶を済ませると、僕はそのまま庭に出て井戸で顔を洗う。
冷たい水をすくって、顔にかけるとボーっとしていた脳がシャキッと覚醒するような感じがした。心なしか視界もハッキリする。
とはいっても、それは僕の主観であって、そのまま人前に出たらちゃんと顔を新たのか? とか言われるだろうけどね。
顔を洗った後は、寝癖がついている部分に入念に水をつけて整える。
うん、これで渇いた頃には寝癖も直っていることだろう。
厨房の中に入ると、予想通り父さんが朝食の仕込みをしており、レティはパテを作っていた。
父さんがリズム良く食材を刻み、レティが豪快に包丁を振るってミンチにしている。
「あ、お兄ちゃん。ミンチ作るの疲れたから代わってー」
僕としては混ぜるだけの方が良いのだが仕方がない。疲れたレティに代わって僕が包丁を振るうことにする。
レティが作っていたミンチ肉をそのまま叩く、叩く。ひたすらに叩く。
「父さん、みじん切りにしたタマネギもらうね」
「おう!」
隣では父さんがついでにみじん切りにしてくれたタマネギをレティが貰って、フライパンで炒めていた。
ヘラでタマネギを混ぜるだけのそっちの方が断然楽だな。
「レティ、疲れたから代わって」
「ダメ、早すぎる」
ダメ元とはわかっていたものの無慈悲に却下されてしまった。
「ああ、ハンバーガーは作ること自体は簡単だけど、パテを作るのが面倒なのがいけないな」
数人分の肉をミンチにするくらいであればいいが、これを五十食分となると手作りではしんどい。僕の手首が先に壊れてしまいそう。
「そうだね。毎回肉をミンチにするのはしんどいかも」
「パテはやめて、ステーキとかベーコンとかにしようか」
「それも美味しそう! でも、カルロに怒られるよ」
僕の提案に顔を輝かせたレティであるが、思い出したように苦笑した。
それもそうだ。あれほど苦労して作ってもらったのに、すぐにパテをやめたりしたら怒られるしな。
まあ、まずは間にあるおかずを変えるにしろ、まずはハンバーガーの知名度を上げてからの方がいいだろうな。
「間にあるおかずを変えられるのがハンバーガーの強みだけど仕方がないね。鍛冶の得意な人に頼んで、ミンチを楽にできる道具ができないか相談しようかな」
前世であったようなハンドル式のミートチョッパーの再現なら難しくない気がする。
「できるなら作って。確かドワーフのお客さんが鍛冶師だったと思うよ」
「ああ、いつも朝からエールを呑むドワーフの人ね」
今、うちで泊っているドワーフは彼だけなので、すぐにピンときた。
鍛冶師であれば、ミートチョッパーを作ってくれるかもしれない。
「今度、エールをサービスしながら、それとなく頼んでみるよ」
「うん、でも今は包丁だから頑張ってね、お兄ちゃん」
僕はこの辛さを肉に叩きつけるように、包丁を振るった。