食道楽貴族
父さんと朝食の用意が終わり、自分の朝食を食べ終わった頃。
二階から客の誰かが下りてくる音がした。
そうか、もう客が下りてくる時間か。
「トーリ、こっちはもういいから客の相手をしてくれ」
「わかった」
メインメニューであるロールキャベツのトマト煮の入った鍋をゆっくりとお玉で混ぜながら父さんが言う。
他のメニューも後は簡単に炒めたり、温めたりするだけだ。僕がここにいてやれる事はごくわずかだろう。
僕は大人しくそれに従って、厨房を抜けて食堂の方へと向かう。
食堂へと入ると、ちょうど階段から男性が下りてきた。
金色の髪に翡翠色の瞳。彫りが深く整った顔立ちである姿はまるで王子様のよう。
華奢な体格をカッチリとした白いカッターシャツと黒の長ズボンで包んでいる。その衣服は僕の着ているような服とはまるで素材が違う。
その男性は澄ました表情で歩くと、こちらに気付いたのか白い歯を浮かべる。
「やあ、トーリ君! 今日も素敵な朝だね!」
「そうだねミハエル。朝の仕事がなくて惰眠を貪れたらもっと最高な朝だったよ」
「ははは、相変わらずトーリ君は寝るのが大好きだね」
そう、この王子様のような外見を持つ男性、ミハエルは僕とは違う服装からわかる通り貴族だ。
何故、高貴な貴族が庶民的なこの宿屋に泊まっているのかというと、僕がたまに出す前世の料理を気に入ってくれたから。
最初は気まぐれに入ってみた宿屋だと思うのだが、それ以降は僕の料理だけでなく父さんの料理も気に入り、長くここに居ついている。
「ミハエルさん、おはよう」
「おはようございます」
食堂の掃除とチェックを終えたのか、レティと母さんがミハエルに挨拶をする。
すると、ミハエルは僕の前から忽然と姿を消して妹達の前にいた。
「おお! これはレティ嬢にシエラ嬢! 今日もハッとするような美しさだ! 思わず僕の眠気も覚めてしまったよ!」
「どうもありがとう!」
自分のズボンに埃がつくのも厭わず、ミハエルは膝をついてレティの手を振って甲にキスをするフリをする。
余りに大袈裟で気障な台詞であるが、ミハエルのような男がやると意外と様になるものだ。
レティも母さんも褒めの言葉をかけられるのは嬉しいのか、いつも満更でもない様子だ。
ちなみにミハエルは母さんの手の甲にはキスをするフリをしない。それをすると父さんが嫉妬をするからだ。
母さんはどこかお姫様扱いされないのが残念そうだが、父さんからヤキモチを受けのが嬉しいので相殺という状況になっている。夫婦の仲がいいようで何よりだ。
「ん? このどこか酸味のある香りはトマトかな?」
「そうだよ。新鮮なトマトとキャベツが入ったからね。今朝のメインメニューはロールキャベツのトマト煮だよ」
「それは素晴らしい! 朝食はそれを頼むよ。ああ、付け合わせにはパンといつもの赤ワインをよろしく」
ミハエルはそうカッコつけるように言うと、食堂にある奥に座る。
それから胸ポケットから取り出したナプキンをつけて、ズボンから取り出した白い布を広げてテーブルに被せる。
それからどこにしまっていたのか銀色に光るマイナイフとマイフォーク装備しだした。
ただのテーブルが、高級レストランののテーブルのようになったな。
この人、本当に自由だ。
ここは庶民の宿屋であるというのに随分と勝手な事をするお客である。
まあ、彼は混んでいても相席をしてくれるし、問題も起こさないのである程度の自由行動は放置している。
ちょっと食への拘りが強い気障なお兄さん。例え貴族であろうとうちではそんな感じのイメージだ。
目を瞑ってじーっと料理を待つミハエルに呆れながらも、僕は厨房へと近付く。
「父さん、ミハエルにロールキャベツのトマト煮一つ。パンといつもの赤ワインをセットで」
「わかった」
受け取り口で注文を伝えると、厨房にいる父さんがテキパキと動いて用意してくれる。
そしてお盆の上には、メインであるロールキャベツのトマト煮がでかでかとした皿に盛りつけられ、付け合わせのパンとサラダが乗せられた。
そして追加とばかりに赤ワインのボトルとワイングラスが乗せられる。
これはミハエルがどこかから買い付けてきた高級赤ワインだ。
一口だけ飲ませてもらったが、とても角がとれたまろやかな赤ワインだった。前世で呑んでいた赤ワインは何だったのだろうと、疑問に思ってしまうくらいの美味しさ。
値段は恐ろしくて聞けていないが、きっと金貨何十枚もするくらいなのだろうな。
メインである料理よりも赤ワインの瓶を落としてしまわないように気を付けて、僕はミハエルの元へと向かう。
高級ワインのせいか緊張感して、それほど大きくないはずの食堂がとても広く思えてしまう。
僕は震えそうになる手を必死に堪えながら、何とかミハエルの元までたどり着いた。
「はい、お待たせー」
「うーん、トマトの香りがとてもいい!」
一皿ずつ料理を置いてから、ワイングラスを置いていく。
それから高級赤ワインを片手に持って、その場で注いでいく。
ワイングラスの口部分につけないように、少し浮かしながらグラスの四分の一くらいまで。
適量注ぎ終えると、ワインを上に向かせて手首で捻じり、雫が垂れ落ちないように布で拭う。
「トーリ君も大分ワインを注ぐのが様になってきたね。きちんとラベルだって僕に見えるようにしているし雫の溢しもないよ」
「誰かさんが注ぐ時は美しくとか言うからね」
ミハエルが逐一指摘してきたりするので、僕はその通りにやっていただけだ。
お陰で僕もそれなりに綺麗にワインを注げるようになったと思う。
宿屋の息子にはまったく必要のない技能だと思うけど。
実際役に立っているのは、ミハエルに注ぐ時とふざけて女性にそれらしい演出をしてあげることくらい。まあ、綺麗な所作ができて損はないし、楽しいからいいんだけどね。
「これなら高級レストランのウェイターになっても大丈夫だね!」
「僕は宿屋を継ぐから必要ないよ。そんなマナーや気品を求められる職場は気疲れして疲れそうだし。僕はこうやってお客さんと話しながらのんびりできる方がいいや」
「そうかい。でも、もし何かあったら言ってくれよ? ウェイターでよければ紹介してあげるから」
「ありがとうね」
冗談半分本気半分というところか? とにかくミハエルが好意で言ってくれているのは確かなので礼を言っておく。
「さあ、それでは頂こうか!」
話は終わりだとばかりにミハエルがフォークとナイフを構える。
それから真っ先にメインであるロールキャベツを切り崩しにかかった。
白銀に輝くナイフがキャベツへと埋もれていく。煮込まれて柔らかくなったキャベツはナイフをあっさりと通し、いともたやすく中にある肉を露出させた。
ミハエルはその光景に目を輝かせながら巧みにナイフとフォークを操って、食べやすいように切り分けていく。
それから一口サイズの物をフォークで刺して、パクリと口に咥えた。
「んー! 柔らかいキャベツにトマトの酸味、そして溢れ出る肉の旨味が堪らない!」
恍惚とした表情で感想を漏らすと、ミハエルはパクリパクリとロールキャベツを胃袋へ納めていく。
どうやら気に入ってくれたようだ。
ミハエルが満足する様子を伺っていたのか、父さんが厨房口でニシシと笑っていた。
やっぱり料理人としては美味しそうに食べてくれる人は嬉しいからね。