大衆浴場
「トーリ、風呂に行くか」
「おっ、いいねえ。それじゃあ準備して行こうか」
夕食の仕込みを終えて、一息つくと父さんが言ってきたので俺は即座に頷いた。
そう、僕は父さんのことが大好きでお風呂の時はいつも一緒――などという気持ちの悪いやり状態ではない。
家に風呂がないから、大衆浴場に行こうと言っているのだ。
この世界では、前世のように各家庭に風呂がついてはいない。そんなものは貴族か大商人くらいのもので、平民はたまに濡れタオルで拭ったり、死ぬほど頑張って大量のお湯を作って浴びるくらい。
だから、こうしてお風呂に入りたい時は、大衆浴場に向かうのだ。
勿論、値段は大衆向けなので銅貨三枚と安い。しかし、これは平均的な一食の値段にもなりえるために、ただお湯に入るだけで高いと思う者もいる。
そういう者はよっぽど汚れでもしない限り利用しないだろうな。
僕と父さんは四階に上がって、自分のタオル、バスタオル、石鹸、着替えなどを用意してリュックに詰める。浴場なので準備は大していらない。これだけで十分だ。
二つのリュックに分けると荷物が増えてかさばるので、父さんの分と僕の分を一緒に入れてしまう。
「よし、忘れ物はないな?」
「うん」
「それじゃあ、行くか!」
僕が頷くと父さんがリュックを軽々しく持ち上げて笑う。
父さんを先頭に階段を降りて、一階へと降りる。
すると、母さんが受付をしており、レティが食堂スペースの掃除をしていた。
「んじゃあ、俺とトーリは風呂に行ってくる」
「あら、また? もう四回目じゃないの?」
父さんがそう言うと、母さんがちょっと呆れ気味の声を上げる。
七日ある週のうち、僕と父さんが風呂に入るのは四回目だろうか。風呂が家にある前世ならともかく、身近ではこの世界の人の価値観からすれば綺麗好き過ぎるくらいだろう。
だが、風呂好きの元日本人として、呆れられようがそこは譲れない。
「料理人は食材を扱うからね。常に清潔でいることが大事なんだ。そうすることによって、お客にも安全に料理を出す事ができるんだよ?」
「あんた、いつも自分は料理人じゃなくて従業員だとか言ってるじゃないの」
「……従業員も料理を配って接客する訳だから、清潔でいるに越したことはないよ」
食材を扱う職業である以上、従業員が清潔でいうのは当然だ。何も悪いことではない。
「お風呂に入ると身体がほぐれて健康にもいいんだよ。父さんも、お風呂に通い始めたお陰で腰の調子とか良くなったよね?」
「ああ、そうだな。お風呂に行くと身体の疲れが取れて調子がいいんだ」
僕と父さんがそのような利点を述べるも、母さんの視線は何故か白けたものであった。
まあ、お風呂の効能を知らず、ここでの価値観を照らし合わせれば簡単に理解できるものでもないだろうな。僕と父さんは一週間の半分以上通ってる訳だし。
さすがに今日は自重して、明日にしておこうか。
そんな気まずい空気感が流れる中、床掃除をしていたレティがぼやく。
「いいなー。私も掃除終わったらお風呂に行きたい」
「……そうね。私とレティもそろそろお風呂に入りましょうか。アベルとトーリの方が清潔だとか言われたくないし」
「おう、それじゃあ早めに戻ってくる」
「ええ、わかったわ。行ってらっしゃい」
レティの一声のお陰で和やかになり、父さんと僕は無事に宿屋を出発できることになった。
母さんとレティに軽く手を振って、僕と父さんは大通りを歩く。
「それにしても、父さんも風呂好きになったよねー」
「ああ、トーリの言う通り風呂に入った方が身体の調子もいいしな。それに風呂上がりの一杯はやめられねえ」
最初は父さんもお湯で身体を拭って、五日に一回行けばいい方だったくらい。しかし、何度も僕と通うようになってお風呂の素晴らしさ、その爽快感の虜になってしまったようだ。
今では僕にも勝るとも劣らない風呂好きだな。
しばらく街の中心に向かうように大通りを歩き、そこから横道を通って進むと大きな大衆浴場が見えてきた。
他の建物よりも一風変わった石造りの建築物。全体的に四角い形をしており、支柱には立派な装飾が施されている。まるで前世にあったパルテノン神殿を彷彿とさせるような荘厳な雰囲気だ。
そこに何人もの老若男女が入っていき、父さんと僕もその一人として入っていく。
中に入ると受付の人がおり、そこで銅貨三枚を渡すと木札と鍵を交換してくれる。番号は八十二だ。
これだけの鍵とロッカーを用意できるのは、結構儲けている証拠だな。
いや、これだけ万全を期しているからこそ、人々は気軽に訪れることができるのだろう。
受付が終わると今度は男女別に分かれる。残念ながら。
通路には男性、女性と両方の警護人が槍を持っており、下心を持って紛れ込もうなどと考えればどうなるか明白だった。
こうやって警備がしっかりしていることは女性にとって、凄く安心できるポイントだろうな。おっと、あまり女性側の方を見ていると、警護人に邪推されてしまう。
僕はあまり視線をやらないようにしながら男性側の通路を歩いた。
廊下を進むと先にあるのは脱衣場だ。すぐ前には浴場があり、何人もの人が出入りしているためのこの部屋も少し湿気に溢れている。
木札に書かれた番号のロッカーを見つけると、父さんと僕は早速服を脱いでいく。
ここでは誰もが生まれたままの姿。何も恥じることはない。
そしてタオルと石鹸などの必要な道具を持って、鍵をかければ準備完了。
「よし、入るか」
「うん」
裸になって妙に勇ましい気分になりながら僕を返事。
そして、タオルを持ちながら堂々と浴場へ入っていく。
浴場内も石造りで、少し薄暗い室内の中魔道具のランプがぼんやりとした光を灯している。
中央には大きな浴場があり、人が三十人入ったくらいでは埋まらないくらいの広々としたもの。さらにそこだけでなく、奥にも区切られた浴場がいくつもある。
まさに大衆浴場と呼ぶに相応しい大きくて立派な浴場だ。
浴場内には湿気を含んだ空気で満ちており、あちこちで人々の楽しそうな声が聞こえてくる。ここには街の人々が多く来るために、やってこれば大抵誰か知り合いがいる。
「じゃあ、後は適当なタイミングで合流だな」
「おっけー」
ここから僕と父さんは別行動。子供でもあるまいし、父さんにべったりとくっ付いて行動する必要もない。
父さんが少し歩くと、早速知り合いがいたのか「おーい、アベル!」と呼ばれる声が響いていた。
多分今の声は肉屋のカルロスさんだな。もしかしたら、息子のカルロがいるかもしれない。
「あ、トーリだ」
「トーリだな」
何となく視線を彷徨わせて歩いていると、早速見覚えのある顔が。
肉屋の息子のカルロと、八百屋の息子のハルトだ。
ハルトはいつも眼鏡をしているが、今日はお風呂に入っているのでかけていない。
「おー、二人もいるんだ。もしかしたら、ダスティもいる?」
「いや、あいつは見てない」
「うむ、ダスティは風呂に入るのが苦手だからな。よほど汚れたりしない限りは、布で拭うので済ませるだろう」
ダスティというのは、パン屋を営んでいる息子で僕達の友達だ。
二人がいるので、もしかしたらいるのかと思ったが、あいつは相変わらずの風呂嫌いのせいか来ていないようだ。勿体ない。
「僕は今から身体洗うけど、もう上がっちゃう?」
「……そろそろ上がろうと思っていたが、せっかく会ったのだ。少し待とう」
「俺も待つよ。前に会った時は、忙しくて大して喋れなかったし」
「わかった。ありがとう。早めに済ませてくるよ」
僕はハルトとカルロと別れて、左側にある洗い場へと向かう。
積んである木製の桶を手に取って、置かれている風呂椅子に座り込む。
目の前には細長い蛇口のような魔道具があり、そこにあるボタンを押せばお湯が出てくる。
ナタリアの魔道具と同じ仕組みだ。勿論、お湯の温度は適切に設定されている。
桶にお湯を注ぐと、それは一気に被る。
温かなお湯が肌を伝い、汗や埃といったものを一緒に流してくれる。その爽快感が心地よく、僕は全身の汗を流すように何度もお湯を被った。
身体が少しすっきりしたところで、石鹸をタオルに泡立てて全身を洗っていく。
そして石鹸を使って髪も洗い終わると、また同じように桶でお湯を被る。
全身の汚れを泡と共に洗い流した時の爽快感は凄まじい。これだからお風呂はやめられないな。
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