朝の仕込み
寝癖のついている頭を撫でながら、僕はタンスに入っている服を取り出す。
少し灰色っぽい色をした白の半袖シャツ、半ズボン。
前世の服に比べれば材質もかなりごわごわしているのだが、この質素で紐が入っているデザインが如何にもファンタジーの村人らしい服なので気に入っていたりする。
元々ファンタジーのアニメやライトノベルを嗜んでいた自分からすれば、この世界のあらゆる物は珍しいから見ていても飽きないな。
パジャマから普段着に着替えた僕は、朝の仕事を手伝うために梯子を降りていく。
梯子を降りると、家族が住む大きな部屋といくつかの小さな部屋が四階にあるが、僕の仕事場は主に一階、二階、三階なのでスルーだ。四階の部屋を通って扉をくぐり、階段を下って一階へと向かう。
一階は主に厨房と食堂で埋まっている。ここで簡単な受付を済ませて、お客を二階三階の部屋へと案内するというシステムだ。
厨房の方では父さんが朝の仕込みに入っているのか、芳しい匂いが漂っている。
「トーリ、起きたのなら厨房の方を手伝ってあげて! ――って、あんた酷い顔してるわね。寝癖もついているし、先に顔を洗ってきなさい」
厨房から漂う匂いを嗅いでいると、長い金髪をアップに纏めた僕の母さんにグイグイと背中を押されて庭へと出されてしまう。
母さんは僕を庭へと追いやるなり、食堂にある椅子をテーブルから下ろし始めた。
妹がせっかちなのは、きっと母さんに似てしまったのだろうな。そう思いつつ、僕は庭にある井戸に顔を洗いに向かう。
勿論、家に水道とかいう便利なものはない。
いちいち井戸から自分で水を汲み上げて使わなければいけないのだ。
井戸からタライを落として、えっちらおっちらロープで引き上げる。
タライ一杯の水を引き上げるだけで一苦労だ。
ここでよくあるファンタジー主人公のように、前世の知識を利用してポンプなどが開発できれば楽になるのだが、僕にそんな知識はない。
ただのサラリーマンにそんな知識があるわけないじゃないか。
この世界には魔法や魔道具があるので、それらを使えば随分と楽になるらしいのだが生憎とそんなものにも縁はない。
転生したというのにないない尽くしの僕であるが、これでも結構楽しくやれている。
人間、それが不便であっても慣れてしまえばどうという事はないものだ。
そんな事を思いながら、僕は水を入れたタライで顔を洗う。
水面には金色の髪をしており、ハッとするような美少年が……映っているわけもなく、茶色の髪に癖毛をした、どこか眠たそうな顔をした少年の顔があった。
顔立ちが整っているわけでもなく、可愛らしい顔をしているわけもない。
母さんと妹はハッとするような美女、美少女であるのに対して、僕はパッとしない顔立ちだ。
茶色の髪は父さん譲りなのであるが、父さんは僕に比べて野性味があるがナイスガイだ。一体、どのような遺伝子の変化があって、こんなパッとしない子供が生まれてしまったのか。
疑問に感じながらも僕は顔を洗い、寝癖を直していく。
水面で顔を確認して問題ないことを確認したら、母さんに言われた通りに厨房へと向かう。
厨房へと入ると、茶色の髪をしたごつい男性がトントンとリズム良く野菜を切っていた。
彫りの深い野性味のある顔立ちに、百八十センチはありそうな巨体。エプロンをつけていても盛り上がっているのがわかる筋肉。
この男性、アベルこそが僕の主な遺伝子源になっている父である。
タイプが違うとはいえ、父さんも一応はイケメンだ。どうしてそれを上手く引き継ぐことができなかったのだろうか。
猜疑の視線を向けていると厨房に入ってきた僕に気付いたのか、父さんが包丁の動きを止めて顔を向けてくる。
「トーリ、ちゃんと顔を洗ってきたのか?」
「さっき洗ってきたばかりだよ。ほら、前髪とか濡れてるし」
「そうか? 眠いのもわかるが、もうちょっとしゃきっとした顔しろよ?」
きちんと顔を洗ってきたというのに何という言われようか。
何故か僕はどこに行っても同じような事を言われてしまう。
やれ眠そうだの、やる気が感じられないだの。僕は至って普通の顔をしているというのにとんだ誤解だ。
「まあ、いいか。そこにある野菜をいつものように切ってくれ」
「はいよー」
父さんに言われて、台所に置いてある包丁を握る。
台の上には今日使う野菜がずらりと並べられている。キャベツやレタス、トマト、ニンジンなどと前世も見たことがある食材に加え、この世界ならではの食材も並んでいる。
この世界には魔物という生き物が存在し、様々な不思議食材で溢れているからな。食材の数でいえば、前世の世界ではとても敵わないだろう。
「今日はトマトとキャベツが多いね」
「ああ、今日は農家が新鮮なトマトとキャベツを持ってきてくれたからな。今日はシンプルにロールキャベツのトマト煮にしょうと思う」
「おお、いいね」
新鮮な素材をそのまま活かして頂く。ロールキャベツのトマト煮はとてもいいと思う。
今朝のメインメニューはそれで決まりだろう。
とはいっても、朝のメニューがそれだけだとお客も嫌がるからな。量はそれほどないが、他の簡単なメニューも揃えておく必要がある。
僕がこうやって野菜を切っているのも、他のメニューとなる野菜スープのためだ。
具材をひたすら切って皮を剥いてという単調な作業を繰り返す。
昔からこういった単調な作業は好きなので大して苦ではない。
なにせ作業をしている間は何も考えずに済むからな。働いていて嫌な事があった時や、ささくれている時はこうやって料理に没頭してよく現実逃避をしていたものだ。