ナタリアの憂鬱
昼間の喧騒が終わり、落ち着いた午後の一時。
テーブルで気怠そうに頬杖を突いたナタリアが、突然そんな一言を漏らした。
「何か飽きたのよねー」
今、レティと母さんは買い出しに行っている。厨房には父さんで、食堂にいる従業員は僕だけだ。
僕が傍を通った瞬間に呟いたという事は、雰囲気的に僕に構ってほしいということだろう。
「何が飽きたの?」
「自分の部屋よ」
僕が尋ねると、ナタリアはきっぱりと答えた。
「ナタリアはたくさん私物を持ち込んでいるから、普通の部屋よりかは退屈していないとは思うけど?」
うちの宿屋は私物を持ち込むのも勿論問題ない。
うちが用意した椅子やテーブルを使わずに、自分の気に入った家具やらを買い込んで設置するのも構わない。勿論退去する時は持って帰るなり、売るなりしてもらわなければならないし、掃除できるように家具を置きすぎないようになどとしたルールはあるが、基本的に家具の持ち込みは自由だ。
「確かに物は揃ってるけど、それでも退屈なのよ。代り映えしないというか……」
どこか物憂げな表情でテーブルの木目をなぞるナタリア。
そんな気だるげな表情でさえも、綺麗に思えてしまうのだから美女というのは危険だ。
「私は夜の仕事をしているから、他の人と生活のサイクルも違うし、宿では寝ていることも多い。だからこそ、帰ってきた時も私にも他の人と同じような生活感や安心感が欲しいのよねぇ」
なるほど、確かにナタリアは他の人と生活サイクルも違う。日中も疲れて部屋で眠っていることも多いのだろう。
そんなどこか日常から離れた彼女になると、どこか日常が恋しくなるのは当然。
家に帰った時にいつもと同じではなく、小さな喜びを与えることも精神的に大事なのだろう。
ナタリアの部屋は一人部屋にしては広めの部屋だ。
当然、他の部屋よりもそれなりにお金がかかるのだがナタリアは一度も延滞することもなく払い続けている。
ふむ、他の部屋よりも広いナタリアの部屋なら家具の配置とかを変えれば何とかなるように思える。
「それなら僕が部屋の内装を変えてみようか? ちょっと家具の位置を変えて、新しく小物を置くだけですごく印象が変わると思うよ」
よくある模様替えみたいなものだ。壁の色まで代えるなどの大規模な事はしないが、ちょっとしたものくらいはできるはずだ。
「……なるほど、確かにそうすれば印象が変わるかも。じゃあ、ちょっと頼んでいい?」
「いいけど、僕にやらせるの? 同じ女性のレティや母さんに頼んだ方がいいと思うけど」
「いいえ、トーリにやってもらった方が面白くなりそうだからトーリにお願いするわ」
困惑する僕をよそに、ナタリアは気にした風もなく頼んでくる。
まあ、ナタリアみたいな大人の女性からすれば、僕も子供だしな。
そんな事は気にしないのだろう。
「トーリ的に報酬は私の下着の方が嬉しいのかしら?」
「……下着も含めて私物は纏めておいて。母さんとレティの部屋に置いておくから」
やっぱりこの人は僕をからかって面白がっているな。
僕がきっぱりと否定して片付けるように言うと、ナタリアは気まずそうに頬を掻いて、
「えーと、私片付けっていうのが苦手なんだけど?」
そうきたか。
◆
ナタリアが片付けをできないということなので、部屋の模様替えよりも先に片付けをすることになった。
本当ならば同じ女性である母さんやレティがやる方がいいのだが、二人は買い物に出たばかり。女性二人が外に出ると、ついでに気分転換も兼ねて服や雑貨なども見て回るので帰ってくるのは遅くなるからな。
そんな訳でナタリアと一緒に僕は部屋に入る。
ナタリアの部屋は昨日の夜にレティが掃除したところだ。帰ってきて眠って、それほど使っていないはずなので部屋は散らかっていないだろう。
そう思っていたのだが、扉を開くと中はたくさんの衣服類が散らばっていた。
昨夜に着ていたドレスだろうか? ハンガーにかけられることもなく床に脱ぎ捨てられている。ドレスだけでなく、色の違うヒールや下着、化粧品、香水などのケースも辺りに散乱。
まさにくたびれた一人暮らし女性の室内だ。
「……昨日の夜にレティが掃除したはずだよね? どうしてこんなに散らかっているの?」
仕事から帰ってきて寝て、朝食と昼食を食べただけのはず。
それがどうしてこのような状態になるというのだろう?
「今日の平服選びとかドレス選びとかしていたらこうなったのよ」
「ちゃんと引き出したら仕舞っておこうよ。高級そうなドレスとかしわになっちゃうよ?」
「たくさんあるのにいちいち仕舞うのも面倒なのよ。それにドレスとか娼館が買ってくれるから、すぐに新しくなるわ」
なるほど、その片付けない精神でいられるのは娼館からの充実した保証があるからか。
娼館も厳しく言わないのは察しているのか、そういうものだと認識しているのか。
しわになっても、娼館が新しく買ってくれるのであれば放り出してしまうのも納得だな。
「はぁ、とりあえずドレスの類はハンガーにかけてクローゼットに仕舞おう。下着の類も畳んで棚にね」
「はーい」
どこかやる気がなさそうに返事するナタリア。
片付けというものが苦手らしい。
ナタリアはのっそのっそと動き始めると、ドレスをハンガーにかけていく。
しかし、ドレスをきちんと伸ばしてからかけていないために、かえってしわくちゃになってしまいそうだ。
「ちょっと、貸して。もうちょっと伸ばしてからハンガーにかけないと返ってしわがつくよ」
「そうなのね。じゃあ、ドレスはトーリに任せるわ」
きちんとハンガーにドレスをかけた僕は、クローゼットを開けてしわにならないようにクローゼットへと収納。
その中にも乱雑にかけられているものがあったので、いくつか外してかけ直しておく。
それが終わると、僕は床に落ちている衣服を手に取る。
ヒール、アクセサリーはさすがにどこに収納すればいいかわからないので端に寄せておく。
しわくちゃになったレギンスはしっかりとしわを伸ばしてから畳んで端に置く。
次なる衣服へと手を伸ばすと、やたらと薄い布切れが出てきた。
「これはハンカチかな?」
そう思ったけど、はらりと広がると薄い紫色のネグリジェであることがわかった。上品なフリルがあしらわれており、とても扇情的だ。
これをナタリアが着ればと、想像するだけで破壊力が凄かった。
「あら、トーリはスケスケのネグリジェが好きなの?」
「べ、別にそんなことはないよ」
「何なら今ここで着てあげましょうか?」
「片付けが進まないからいいよ」
「残念」
くっ、僕がただのエロオヤジであれば即返事で頼んだと言うのに。
僕はそんな心を表情にはまったく出さずに、速やかにハンガーにかけてクローゼットへと放り込む。
その後もやたらとデカい下着や、布面積の極端に薄い下着をナタリアに渡して、片付けを進めていく。
すると今度は鞄から飛び出た、ポットのような物が目についた。
どこかの店で見たことがあるような代物だ。そう思って手を伸ばす、
「えっ! これお湯を作る魔道具だよね?」
間違いない。市場の近くにあった魔道具店で見たもの。
僕達のような少ししか魔力を持たない一般人でも、すぐにお湯が作れるという便利な代物だ。
「この間お客さんに貰ったのよ。うちの商品だからあげるって言われてね。なんでも魔道具店のお偉いさんらしいのよ」
僕が驚くよそに何てことのない様子で呟くナタリア。
それって社長とか支部長とか偉い人なのでは?
金貨何十枚もするものをポンと渡せるなんて、お金持ちだよ。
というかナタリアの娼館は高級店だから、やっぱりそういう人がお客なんだ。
何気ない日常の片付けで、改めて凄さを実感してしまう僕である。
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