肉屋の息子
ハンモックがお客に占拠されていたので、仕方なく諦めて自分の部屋で寝転がっていると梯子の下から父さんの声が聞こえてきた。
「おーい、トーリ! 夕食の買い出しに市場に行くから付いてきてくれ」
「えー? もうそんな時間?」
「もうそんな時間だ。今日は買う物がたくさんあるし、トーリも手伝ってくれ」
「はーい」
もう少し休憩していたかったのだが、仕方がないな。
外を歩くのもいい気分転換になるし、ここで掃除をやらされたりするよりもずっと楽だろう。
そう思い、僕はのっそりとベッドから這い出て四階へと降りる。
せっかちな父さんはもう一階へと降りて行っているようで、僕も慌てて一階へと降りた。
「よし、行くか」
「あれ? トーリとアベルさん、どこか行くの?」
父さんがそう声を発したところに、アイラが尋ねてくる。
「夕食のための買い出しだよ」
「あっ、じゃあ私も行く! いくつかおつかい頼まれていたから!」
アイラも市場に用があったのか、椅子から立ち上がって玄関の方へやってくる。
「じゃあ、私も!」
同じくレティが立ち上がろうとするが、その腕は母さんに掴まれた。
「ダメよ。私とレティは受付と洗濯よ。家の洗濯物が溜まっているのよ」
「えー、さっきお客さんの服とか洗濯したばっかりなのにー」
母さんに却下されて、テーブルの上でぐでっとするレティ。
頑張ってくれ。お客の分の仕事は終わっても、家族の分の仕事もあるのだ。
「レティの好きな果物買ってきてやるから頑張れ」
「本当? ありがとう父さん!」
レティがにっこりと笑って礼を言うと、父さんがだらしなく笑う。
「まったくレティには甘いんだから」
「レティは可愛いんだから仕方ない」
「僕は?」
「…………」
うむうむと頷く父さんに視線をやると、父さんはさっと視線を逸らした。酷いな。
「さあ、市場に向かうぞ!」
それから父さんは何事もなかったかのように元気な声を出して歩き出した。
「元気出してトーリ」
アイラのその同情的な言葉が、僕とレティの可愛らしさの差を如実に語っていた。
◆
父さん、僕、アイラは宿屋を出て、ルベラの街にある市場を目指して歩く。
地面は石畳が敷き詰められており、大通りのお陰か道幅は広い。石やレンガのようなものでできた建物が多く、その次が木製のもの。それらが大通りに沿うようにズラリと奥まで並んでいる。
大通りの道路に沿って並ぶ建物はほとんどが店だ。
衣服や野菜屋、靴屋といった身近なものから、ファンタジーのような世界でしかお目にかかれない鍛冶屋、武具屋といったものまである。
それらが雑多に入り混じった大通りはいつも賑やかで、値段を交渉する声や客を呼び込む声などでいつも溢れ返っている。
時折道を走る馬車や、大勢の人の波ではぐれないようにしながら僕達は、大通りから少し外れた道へと入る。
大通りから外れると道幅が狭くなる。
しかし、そこには多くの簡易的な店が並んでおり、木箱に詰められて多くの果実や果物が並べられたり、牛や豚、鳥といった肉が陳列したりしている。大通りよりも雑多な印象だ。
ここがルベラの街で多くの食材が集まる市場だ。
ルベラの街は、決して大きな街ではないが周りには大小様々な村や集落に囲まれている。
村人が畑で育てた野菜を売りにきたりするので新鮮な野菜などが簡単に手に入るのだ。
それを目当てに行商人や商人が多く集まるので、さらに人や食材が集まるという訳だ。
「今日も色々なものが売ってるわね」
「そうだね。何年もここに通っているけど未だに見たことがない食材もあるよね」
この世界は魔物や動物、魚、植物といったものが桁違いに多い。そうなると当然食べられる食材も桁違いに多くなるわけだ。
しかも、この世界にいる冒険者や研究者、料理人が日々研究を重ねているお陰か、食べられないと思っていた食材が、とある調理法であれば食べられるってことも珍しくもない。
この世界に転生して十二年生きている僕だが、未だに食材を十分に覚えているとは言えないな。それくらい種類が多いのだ。
「父さん、今日の夕食のメニューは何にするの?」
「スープはクリームシチューとカブとキノコのスープにして、夜だしメインは肉系にしようと思う」
ルベラの街は海から少し距離がある。
魔法という便利な物があるお陰か冷凍して輸送してもらえるのだが、そのせいで費用がかかり魚は割高だ。
そんな事もあってか、ここ住む人は魚よりも肉派の人が多い。
それに一日働いてお腹を空かせているので、夜にはガツンと肉を食べたいと思う人がほとんどだ。
「何の肉にするの?」
「それはこれから見て決めようと思う」
ああ、これ結構な長くなるパターンだ。
父さんは食材の事になると、結構悩むからね。
「アイラは何を買うの?」
「私は店のためにちょっとした調味料と果物や野菜を細々と買うだけよ。私はすぐに終わるからトーリとアベルさんに付いていくわ」
「わかった。じゃあ、まずは肉屋を見て行こう」
そんなわけで僕達は、夕食のメインを決めるために肉屋さんへと向かう。
肉屋へとたどり着くと、そこには綺麗に処理をされた様々な肉が吊るされている。
牛や豚とわかるものや、ぱっと見よくわからない肉まである。
地面には生きている鶏までもが檻に入れられおり、時折鳴き声が聞こえてくる。
肉を切り分けて売っているせいか、少し血生臭いがここで生活しているとそれくらいは慣れるので誰も気にしない。鮮度は抜群だな。
「カルネス、今日は何の肉がオススメだ?」
「バカ野郎。俺が持ってくる肉は全部オススメだっての」
スキンヘッドの頭にちょび髭をしたガタイのいい男が、眉間にしわを寄せながら言う。ここの店主のカルネスさんだ。
見た目がかなりいかついので、そのようなきつめの言葉と視線を向けられるとビビるのだが、長い付き合いなので冗談ということはわかっている。
「まあ強いて美味いのを挙げるなら、ブラックバッファローとエイグファングの魔物肉がいいと思うぜ」
「おお、魔物肉か!」
肉屋のかルネスがデカい肉の塊を指さす。
このデカい肉は何だと思っていたがどうやら魔物の肉だったらしい。
ブラックバッファローは牛系の魔物だ。
普通の牛よりも強靭な肉体をしているお陰か、とても身が引き締まっていて弾力がある。
噛むとたくさんの肉汁が溢れ出て、普通の肉より少し割高だが、とても人気のある魔物肉だ。
それに対するエイグファングは知らないな。多分イノシシ系の魔物だと思うが食べたことはない。
「うーん、ブラックバッファローとエイグファングの肉。どっちにするべきか……」
二つの肉の塊を交互に見ながら唸り声を上げる父さん。
「僕はエイグファングの肉がいいな。こっちは食べた事がないし」
「おお、そうか? トーリはエイグファングの肉を食べたことがなかったか?」
「うん、食べたことないよ」
普通のイノシシの肉なら何度も食べたことあるけどね。
「ちなみに私のところの宿屋は、ブラックバッファローの肉を使うよ」
「そっちはブラックバッファローの肉か! なら、こっちは被らないようにエイグファングの肉にするか!」
うちとアイラの宿屋は割と近くだからな。こうして夕食のメニューを被らないように相談したりもしている。
近所にある宿屋がどちらも同じメニューだったら、客も嫌だからな。
「じゃあ、エイグファングの肉に決まりだな!」
僕達の会話を聞いて、カルネスさんがパンと手を叩いた。
「おい、カルロ。お前が切れ」
「わかった」
カルネスさんが店の方に声をかけると、奥の方からぽっちゃりとした茶髪の少年が出てきた。柔らかそうな顔立ちに翡翠色の瞳、頬にあるそばかすが特徴的な少年。
「おー、カルロ。いたんだ」
「あっ、トーリとアイラ来てたんだ」
俺が声をかけるとカルロは目を丸くして驚く。
カルロはカルネスさんの息子であり、僕とアイラと同年代、友達だ。
肉を買う時は、カルネスさんの肉屋を利用することが多かったので、同年代の僕達は自然と仲良くなった。
「今日はエイグファングの肉を使うの?」
「うん、シチューに入れたり、ステーキに使ったりすると思う」
「ああー、いいよね。エイグファングの肉は食べ応えあるからね。どっちも美味しくなるよ」
「おい、カルロ。雑談もいいが、そろそろ切ってくれ」
どうやら父さんがどの部位を、どれくらい買うか決めたようだ。
「ごめんね、仕事やんないといけないから、また今度ゆっくり時間とれた時にね」
「ああ、邪魔してごめんね」
カルロは今店で働いているし、僕達だって肉を買ったら次に行かないといけない。
名残惜しいがゆっくりと喋るのはまた今度にしよう。
僕とアイラはカルロの邪魔をしないように話しかけずに端から見守る。
父親であるカルネスさんが指示して、カルロが大きな包丁を使って肉を削いでいく。
「あいつって肉を切る時は結構引き締まった顔するよな」
「そうね。トーリも働く時はあれくらいシャキッとした方がいいんじゃない?」
「……僕は緩くのんびり働くのがもっとーだから」
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