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海が見える部屋  作者: 岸田龍庵
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2−4

 スケッチブックに描かれていた絵は、上半身から上の、マッチョな男だった。

が、しかし、顔は「へのへのもへじ」。それもかなりリアルな「へのへのもへじ」

「これサイコー」嵐山京子はスケッチブックを見て寝転がってゲラゲラ笑った。沖田広海も笑い出した。



 あの日の、ギャラリーが笑っていた理由がこれか。へのへのもへじとはガックリだ。



「さて、へのへのもへじはこれくらいにして」沖田広海は、嵐山京子からスケッチブックを取り上げると「何の海、描こうか」と僕に言った。

 何の海の絵か。

 考えた事もなかった。海の絵なんてどれも同じだと思っていたし、描いてもらいたいものも正直言うと見つからない。もともと、絵なんて疎いし、どういうわけか知らないけど、こういう状況になってしまっただけだから。



「リクエストはないの、リクエスト」沖田広海はスケッチブックを抱えて僕の正面にいる。彼女の目が僕を見ている。見透かされそうな目が僕を見ている。オレは、あの夕焼けの海の絵が、ちょっと気になっただけなんだが・・・。

 そうか。そういうことか。

「あの絵・・・」僕は、あの夕焼けの、海の絵を指さした。

「絶対に売らない絵、あれを描いてくれ。お金じゃ買えないものだったら、あれと同じ絵を描いてくれ」

 沖田広海の顔から情が消えた。そして沈黙。

「あの絵」沖田広海は小さな声で言った。「好きなの?」

 沖田広海の目が鋭い。ドキっとした。何か見透かされているような。酔いが醒めるような目で。

「オッケー。わかった」沖田広海はスケッチブックを開いた。「今日は下描きでいいよね。今、余分なカンバスないのよ。あっても張ってたら時間かかるし」

「任せるよ」

「夕陽の海の絵ね。まかせて」




 沖田広海はあぐらを描くと、ペンを取り出して、近藤の顔をじっと見た。沖田広海の視線が近藤を捕らえていた。近藤は体をこわばらせた。顔の筋肉が硬直していく。

「近藤さん、もっとリラックスしてよ、リラックス。それじゃ証明写真取ってるみたい」

 原宿でも思ったけど、どうしてこう見据(みす)えられると構えてしまうのだろう。そういえば、ふだんは誰かに見据(みす)えられるなんてこと、ないもんなあ。

 近藤はネクタイを緩めて上着を脱いで足を崩した。そして部屋を見回す。海の絵がある奇妙な部屋を。



「絵が描けたら、いくら出す?この前は二億だったから、今度場五億くらいかな・・」

「う~ん。今日の飲み代くらいかな」

「ハハ、上等上等」沖田広海は絵を描きながら笑った。



 奇妙な気分だった。僕は絵のモデルをしている。

 でも、絵描きが描くのは僕じゃない。どこだか知らない夕陽の海だ。それでも僕はこの奇妙な状況が楽しかった。だから僕はじっと待っていた。絵が出来るまで。絵が描き上がるまで。

「喋ってもいいかな」

「もちろん」

「どうして、海が好きなの?」素朴(そぼく)な質問だった。




 沖田広海の絵を描く手が止まった。頬杖(ほほづえ)をついて僕の顔をまじまじと見た。聞かなきゃよかったかな?どうもこの沖田広海の視線は人を射抜くというのか、何か見透かしてしまうような感じがして、こう見つめられると困ってしまう。なんでこんなつまらない質問をしたのだろう。

「海だとおかしい?」ボソリとした言葉だった。

「ヘンとかじゃなくて。だって海ってどこ見ても海じゃない。のっぺりしてて、山みたいに形があるわけでもないし、別に紅葉するわけでもないし、人がいないと殺風景だし」僕はつまらない質問を取り繕うのに必死だった。




「なんて言うのかな、原風景って聞いたことない?」絵を描く手を休めることなく、沖田広海は聞いてきた。

「原風景・・・?」僕はその言葉を繰り返すしかなかった。

「そう、原風景。その人が生まれる前からその人の周りにある景色っていうのかな。生まれて初めて見る景色なのになぜか懐かしく思う風景。そこに行くとホッとするような場所。必ずあると思うの。別にそこに強烈な思い出がなくても、行ってみたくなる場所って人にはあると思うの。多分、私にとってそれが海なのかな、だから描きたくなるのかな」沖田広海は自分の事を喋り始めた。




「絵描きってね、当たり前だけど画面を切って色載せて、そうやって絵、仕上げるんだけど。私の描く海はどこの海なのか私も良くわからない。大昔は海に向かって下描きしたけど、今はほとんどしないもの。する必要がないの。見なくても見えてくるから、海の景色が」

「見なくても見えてくる?」近藤はおうむ返しにいった。

「海の景色が私の中にあるってこと。(まぶ)しい太陽も、どこまでも青い海も、真っ赤な夕陽も、キラキラ光る波も、みんな私の中にある景色なんだろうね。だから何も見なくても描けるんだろうね。海の絵を」

 沖田広海の中にある景色。それが海なのか。だから何も見なくても海を描けるのか。

「だから、大抵は海の絵描くときは部屋の中なの。落ち着くのよ。ほかに余分な景色はないし。静かにも、音楽かけて賑やかにもできるし、私好みの部屋で私好みの海の絵を描けるから。いつも部屋で海の絵描くの。私、千葉なんだけどね生まれも育ちも。特に周りに海があったってわけじゃないの。でもね、なぜか海に行きたくなるの、泳ぎに行くとか遊びに行くとかじゃなくてね」




「家の周りに海があるような所に住みたい?」僕は、沸き上がってくる質問を単純に聞いた。

「そうは思わない」沖田広海は言った。

「どうして?」

「だって海に行く楽しみがなくなるから。おかしな話だけど、いつでも近くにあると、それが日常になっちゃうのよね。だから海と離れて暮らすのがいいかなって。それに、原風景って近くになくても良いと思う」

「へえ、なんで、そんなに海が好きだったら近くにいた方がいいと思うけどな」少なくとも僕はそう思う

「原風景って、前世みたいなものだと思ってるから。前世が身近にあっても困るでしょ」




 つくづく不思議な事を言う女の子だ。人にそれぞれの景色があるなんて考えたこともなかった。僕にもそれはあるのかな。あるとすればそれはどんな風景なんだろう。

「近藤さんにもあると思うよ」沖田広海は言った。

「へえ、どんなんだろう」

「それはその内、見つかるよ」沖田広海はそれっきり喋らずに絵を描き続けた。

 嵐山京子は眠ってしまった。近藤春人はモデルだった。沖田広海は絵を描き続けていた。

 しかし、モデルとはヒマだ。動けないってことはこんなにヒマなことなのか。時間が経つのがとても遅い。

「ゴメン」突然、沖田広海は立ち上がり、大きく頭を下げた。

「今日は描けない。こんなに楽しいのに、今日は描けない。今日は許して」沖田広海は頭を下げたまま、近藤春人に謝った。

読了ありがとうございました。

まだ続きます

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