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「これ・・」盗まれた絵が持ち主の手元に戻った。
盗まれた夕陽の絵を持ったまま、沖田広海はなかなか言葉が出てこない。
「取り返してきたよ」
沖田広海は戻ってきた夕陽の絵を見つめていた。しばらくの間、夕陽の絵を見つめていた。
「この絵ね」ポツリと沖田広海は口を開いた。「コピーなんだよ」 沖田広海が喋り始めた。タブーを喋り始めた。沖田広海は戻ってきた自分の絵に手を伸ばした。
「小学校の時にね、この絵の最初の絵を描いたの。そしたら賞なんか取っちゃって。自分でもびっくりした。周りは大騒ぎするし、大変だった。
もともと、絵描くのは嫌いじゃなかったし、好きなもの描けるんだったら、それもいいかなって思ってた。でも、一番最初に描いた絵は超えられなかった。何回描いてもダメだった。うまく描こうとすればするほどダメだった。何枚も描いて、何枚も捨てて。嫌だった。最悪って思ったけど、でもやめられなかった」盛り上がった絵の具で固くなったデコボコの表面を指でなぞっていた。
「超えられなかった。どうしても超えられなかった。どうしてかわからないけど超えられなかった。でも、超えたかった。超えなきゃって思えば、思うほど超えられなかった。一番大好き絵なのに、憎かった。すごく憎かった。自分で描いた海なのに、一番好きな絵なのに、何で超えられないんだろう、どうして先に進めないんだろうって」沖田広海は早口だった。
「超えたかった」そして小声で言った。
「それで、みんなの前から消えたの?」今まで話を聞いていた嵐山京子の言葉に、沖田広海は首を横に振った。
「おかしい、って思ったの」沖田広海は言った。
「大した絵も描けないのに、三百万なんて値段が付いたり、留学の話があったり。信じられなかった。何か違うって思ったの。みんなは大騒ぎしてるけど、私は何もしてない、ただ海の絵を描いてるだけなのに。ただ、海の絵を描きたいだけなのに」沖田広海は海を見つめていた。太陽が雲に隠れて、海は暗く重々しかった。
「そしたらね」沖田広海は続けた。「楽しくなくなっちゃったんだ」その声は寂しそうだった。
楽しくない?絵を描くのが好きな沖田広海が、絵描くのが楽しくない。その楽しくない結果が部屋に置きっ放しの描きかけの絵なのか。それとも送ってきた絵はがきのことなのか?どちらなのだろう。
「絵が盗まれた時にね・・」告白は続いた。
「正直、せいせいした。もうこの絵のことを考えなくていいんだ。もうどっか行っちゃったんだ。最初からあの絵はなかったんだ。これから自分の好きな絵ばっかりかけるって思ったの。最初はね。最初はそうだって思ってたの。『良かった、やっと解放されたんだ』ってね」沖田広海は絵を砂浜に置くと、両手を広げて伸びをした。
「解放された、良かったって、思ったら・・・・空っぽになっちゃったんだ.カラッポに」海を見ていた。沖田広海は海を見ていた。
「カラッポに・・・」僕は海を見ていた。
沈黙があった。波の音があるだけだった。
「目標がなくなったのかな。カラッポに、なっちゃたんだ。・・・今まで、追っかけてたものが、なくなっちゃって」言葉をとぎれとぎれに沖田広海は言った。
「多分ね、絵がなくなっちゃったのは、お告げみたいなものだって思ったの。
『もっとほかの絵を描きなさい、もっと違う絵を描きなさい。もっと現実を見た絵を描きなさい』って。自分の好きな景色ばかりじゃなくて、もっと違った絵も描きなさいって。そうじゃないと超えられないよって。だからこの絵が盗まれたんじゃないかって思ったの。一番大切にしていたものが消えちゃうって悲しかったけど・・」
沖田広海は言葉に詰まった。沈黙があった。僕は沖田広海のほうを見た。横顔が海を見ていた。
「でも、いつかこういう日が来るって思ってた。自分の大切な何かから離れないといけない日が来るような気がしていた。うまく言えないけど・・。
ここに来たのは、何か見つかるかなって思って。だから、ここに来たの。京子と一緒に見つけたここに。すごく懐かしい匂いがした。でも、ここで絵描いてても何も見つからなかった。描いても描いても納得いかなかった。全然楽しくなかった」
沖田広海は海しか見ていなかった。敵対するような鋭い視線、恨めしいものを見ているような眼差し、もうどうしようもできないものを見るような絶望の目が海を見つめていた。
沖田広海の、初めて見る険しい顔だった。目からみんな焼き尽くしてしまいそうなレーザー光線でも出そうな鋭い目線で海を見つめていた。沖田広海の鋭い目線の先には、海があった。もうすぐ夕陽に染まる海があった。
どうして、沖田広海はこんなに好きだと言っていた、海を、こんなに鋭い目線で見なきゃならないんだろう。
いったい何が沖田広海を駆り立てているのだろう。
目の前にある海なのか、それとも彼女自身なのか。
それは沖田広海にもわからないのだろう。
多分わからないからもがいて、悩んで、苦しくなるのだろう。
読了ありがとうございました。
まだ続きます。




