6−3
喫茶店は「灯台入口」の真横にあった。
白塗の壁に錨や青と黄色の縞模様のうきわが飾ってある。海の近くにありがちな建物だった。
店の中は静かだった。インテリアに映画のポスター、オードリー・ヘップバーンやジェームス・ディーンが張ってある喫茶店だった。
店には客が二人いた。店の一番奥の席に女と男が向かい合って座っていた。
二人の前のテーブルには、皿が6枚並んでいた。二人とも朝から何も食べていなかった。二人ともたくさん食べた。食べずにはいらなかった。
二人は注文を頼む時以外、喋らなかった。食べる時も無言だった。食べ終わったら食べ終わったで、食べるのに疲れて口を利く気にもならなかった。お腹に全てのエネルギーが集中して、頭がぼんやりしている。二人ともすっかり無口になっていた。
時計はもうすぐ三時になろうとしていた。
「ねえ、前から聞こうと思っていたんだけど」嵐山京子は言った。「大屋さんって、絵に興味があるの?例えば、昔、絵かきだったとか?」
「いいや」僕は答えた。「全然」
「じゃあ、大屋さんは本当に、広海の絵が好きで好きでたまらなかったわけね」嵐山京子は言った。僕は答えに詰まった。
嵐山京子の問いに、僕はすぐに答えが出せなかった。
本当に、沖田広海の絵にほれたからだけなのか。ただのそれだけ理由で、僕はここまで来ているのだろうか。わざわざ会社を休んでまで。
僕は答えが出せなかった。
「広海って時々・・そう時々よ、何がなんだかわからない時があるよ」話題が変わった。
「絵を描いている時とか、海に遊びに行ったときとか。大屋さんは知らないんだっけ。急にいなくなっちゃう時とか。はっきり言って解らないことだらけなのよね。随分、付き合い長いんだけど
でもね。そういうところって羨ましい。何かに打ち込んだり、周りのことなんか気にしないで自分のやりたいことにのめり込んだり。謎の行動を取ったり。状況にもよるんだろうけど、そういう事って平気で出来る人間と、そうじゃない人間っているじゃない?」
わかる。言っていることは良くわかる。
世の中とは全く違う空気を吸っていても平気な人間。沖田広海はそういう世の中とは関係のない世界で生きている人間なのかもしれない。
「なんて言うのかな、情熱なのかな。そういうのって、だんだんなくなっちゃうじゃない。大人になっちゃうって言うのかなあ。だから広海が羨ましいよ」嵐山京子は急に喋り出した。親友の事をしゃべるその顔は楽しげだった。
「広海がね、絵なんか描いてると、たまにコントに出てくるハカセ実験大失敗!みたいな爆発ヘアーになっていたりするのよ。それでも格好いいのよ広海って。なんていうのかな。自信あり、みたいな。そういう広海ってすごく羨ましい」
ここまで言って嵐山京子はハっとして
「今、言ったこと、広海に言っちゃダメだからね」念を押した。
「言わないよ、言わない」言うどころか、沖田広海に会えるかどうかも今の時点ではわからない。
「人を引き付ける魅力っていうのは、不思議な人間にあるものですねえ」
しみじみと、とてもしみじみと嵐山京子は言った。人を引き付ける魅力。
確かに、広海にはあるんだろう。それは彼女自身なのか、それとも彼女の絵にあるのか。
「まったく、広海、どこにいるんだろうねぇ」一人言のように、嵐山京子は悪態をついた。本当にどこにいるんだろう。この島か、それとも別の場所なのか。
「こういう所って、良く来るの?」僕は聞いた。
「こういう所って、どういう所?」
「観光地、っていうのかな。ほら、結構、ここって賑やかじゃん」
「ああ、そういう事」嵐山京子の質問に僕は頷いて応えた。
「来ないよ」紅茶を飲みながら嵐山京子は言った。「みんなで泳ぎに行くときは、こういう場所にも来るけど、大抵私と二人の時はだーれもいない、さびしい所ね」
「寂しい所・・・」
「昔っからそうよ。広海は、誰もいない砂浜でたそがれるのが好きなの。広海はどうしてか、寂しい海辺を良く知ってるのよ、どうしてか知らないけど」
「それ、絵に関係あるのかな」
嵐山京子は首を傾げた。
「どういうこと?」
「前から思ってたことなんだけど」僕は切り出した。「広海の絵は、どうして誰もいないんだ。海とか、夕陽とか、あんなにキレイなのに、どうして誰もいないんだろう」
「そうねえ」嵐山京子は考え込んだ。「それってあまり気づかなかった。話したこともないし、聞いたこともないし。でも」嵐山京子は近藤春人の方を見た。
「全然気がつかなかった。そういうモンだって思ってたから。やっぱ大屋さん見る目あるじゃん」
「うん、ちょっと気になってはいたんだ」近藤春人はコーヒーを飲んだ。
「なんでなんだろう。彼女の絵はキレイなんだけど、ちょっと寂しいような、うそ寒いような。そんな気がしてたんだ」
なぜだろう?なぜ彼女は沖田広海は寂しい絵を描くんだろう。寂しい絵が好きなのかな。寂しい場所が好きなのかな。寂しい海辺が好きなのかな。それとも他に理由があるのかな。そういえば、僕が好きな夕陽の海の絵にも人はいない。見せてもらった絵のどれも人の姿はない。なぜだ。
「大屋さん」
「え?なに」
「どうしたの、黙って?」
「ちょっと考え事をね」
「前にねえ、広海、こんなこと言ってたよ」思い出したように嵐山京子は言った。「人はいらないって」
「人はいらない?」どういうことだ。
「うん。自然の景色の前に人はいなくていいっていうのが広海の哲学みたい。人はいくらやっても自然には勝てないって。だから海の前には人はいなくていいって」
人はいらない、か。だから、絵にもどんな人物の姿も描かないのか。だから人気のない場所を選ぶのか。
だとしたら、もっと寂しい場所を探さなくては。ここは賑やかすぎる。海だけを見るには賑やか過ぎる。
「じゃあ、ここにはもういないかも知れないね」僕の言葉に嵐山京子は首を傾げた。「人が多いよ。観光客でいっぱい。賑やかだよね、ここって」僕は言った。
「人が多すぎる・・」嵐山京子は近藤の言葉をくり返した。
なぜこの場所で沖田広海が絵を描いたのかはわからない。だが、嵐山京子がいう「人がいない海が好き」だというのなら、沖田拾いはこの観光客だらけの海にはいない。そんな気がした。
読了ありがとうございました。
まだ続きます




