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「いつも、こうして絵を売ってるの」
「いつもじゃないけど、たまにね」
「売れるの?」
「売れればいいんだけどね」
「さっきみたいに売らないじゃなくて?」
「ま、それもあるけど・・・」
客の男は女の店先で、立ち話をしていた。とりとめのない話をしていた。
「ねえ、その絵」僕は、女の子の足もとにある、夕焼けの絵を指さした。
「これ?」
「見てもいい」僕は言った。
「ええ、どうそ」そういって女の子は絵を僕に渡した。
女の子、と思うけど一体いくつなんだろう?目深に被ったキャップが良く似合っている。若いと思う、多分。でも先ほどの堂々とした態度や自信はどこからくるのだろう?
男は改めて海の絵を見た。
絵は強烈な光を放っていた。太陽が放つ光、落日の光、海が放つ光、それらが一つになって強烈な光を放っていた。
白く輝く太陽と、赤すぎる夕陽、赤く染まりすぎている青い海がある景色は日本ではなく外国の風景を思わせる。
あるのは赤く染まった海と、白い太陽、夕映えの空。それしかなかった。
絵としてはそれ以上のものも必要としていなかった。
細かく描かれている雲や、泡立つような白い波、空を映す海の色はあまり重要ではなかった。それらは絵の中に完全に溶け込んでいた。
絵から見えるのは赤い海と白い太陽、それに夕焼けの空だけだった。
すごく眩しい絵だけど、すごくきれいな絵だけど、ちょっとそれしかないと寂しいな。きれいな絵だけに、殺風景じゃないんだけど、暖かみに欠けるっていうのか。それにしても眩しい絵だ。自分が二億以上の値段をお遊びでも付けたって思うと、偉く高級な絵を手にしているような気がする。
「これって、どうやって描いたの?」男は聞いた。
「どうって、ペンと筆とヘラと絵の具とカンバス」
「いや、そうじゃなくて。ほら、写生に行ったとか、スケッチしたとか」
「ああ、そういうことね」女の子は言った。「部屋で描いたの。自分の部屋でね」そうあっさり言った。
「部屋?」僕は女の子の言葉をくり返した。「部屋から見えるんだ海が」
「そう。海が見える、の部屋からね」女の子の言葉はそっけなかった。
海が見える部屋なんて、いい所に住んでいる。この辺で海が見える所っていうと、千葉か神奈川、それとも静岡か、北関東。
新しい通行人が店の前で立ち止まった。が、すぐに立ち去ってしまった。見ると、立ち止まる人間がお客になることは少なかった。
なんか邪魔しているみたいだな。
「ねえ、お客さん」今のところ居座っているお客に、店の女はいった。「お願いがあるんだけど」女は手招きした。
「耳かして耳」
僕は耳だけ、近づけた。
「ねえ、サクラやってよ、サクラ」吐息と一緒にそんな言葉が聞こえた。
「サクラ?」
「そう、だって店先に立っててもらっちゃ邪魔だもの。ヒマだったらサクラやってよサクラ」
ヒマ。その言葉は人に改まって言われるとムっとする。
「ヒマじゃない?忙しい?」
「う~ん。忙しくはない」が、ヒマでもない。
「じゃあ、いいじゃん。ね、サクラやってよ」と、言って女は椅子にしている大きな木の箱を立ち上がった。
「ここに座ってよ、ここに」
その木の箱に座れってことか。結構強引だな。でも、何をするんだ。
「絵、描いてあげる。あなたの絵」
「俺の絵?」
「そ。モデルはあなたで、描くのはわたし」
モデル。オレが。こんな街のド真ん中で。外国じゃねーんだから恥ずかしいよ。
「客の役じゃダメなの?」
「モデルもお客さんの内よ」
「だって、ここは絵を売る店じゃないの」
「たまには絵も描くの」
「オレ、営業の途中なんだけど」
「外回りでしょ、暇つぶしでしょ。さ、座った座った」
モデル・・・。まいったな。引っ込みがつかなくなったような。なんだか奇妙な事になってきた。
男は大きな木の箱に座っていた。ひざの上に両手を置く。
「えーと、どうすればいいのかな?」
「どうすればって?」店の女はスケッチブックを用意していた。
「絵のモデルなんてしたことないからさ」
「余り硬くならない。それじゃ証明写真撮ってるみたいじゃない。そうね、自分が一番好きな食べ物が運ばれてくるのを待っている時を思い浮かべてみてよ。それか寒い寒い外から帰ってきて、暖かいおフロに入る前、今は服を脱いでいる途中。それとも待ちに待ったミュージシャンのCDを買いにレコード屋さんへ出かける時。靴の紐をキチンと結んでいる時みたいに・・・」
それはとっても難しいと思うよ。言うのは簡単だけど。自分では、自分がどんな顔になっているのかさっぱりわからない。
「私は広海。沖田広海。広い海って書くの。お客さんは」
「オレは、近藤」
「いらっしゃい。近藤さん。沖田広海の店へようこそ」
読了ありがとうございました。
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