第一の物語・The night of Cinnamon roll.
私はいつから私になのだろうか、などと考えるのは時間の無駄である。
なぜ、顔を洗うのか、ものを食べるのか、毛づくろいをするのか、生きるのか。
そんなことを考えていると、いつの間にか道端の肉塊になってしまう。
我々の人生は短い。
車にひかれ、
病に倒れ、
えさに困り、
喧嘩で傷つき、
寒さに震え、
毒を誤食し、
生まれて間もなく倒れ、
水溜に落ち、
そして人間に殺される。
我々は人生を九回繰り返す。
しかし、それも刹那。
気が付くと終わりを迎えている。
こんなはずではなかった、と思った時には次の生を受けている。
私は死んだ。九回死んだ。
最後の死はあの人間、時に我々を養い、時に我々を無慈悲に殺す。あの人間だ。
奴らは我々のことを道具のようにしか思っていない。
私は人間の子に嬲られ死んだ。
丸い粒を驚くほど速く放つ黒い塊、それを装備した人間の子は私を取り囲み、私がただの肉塊となるまで丸い粒を撃ち続けた。
意識が薄れていくなか、白い光が見えた。
一度死んだ者ならわかるだろう。あの白い光だ。
九回目も同じなのか、と少しがっかりした。
もうずっと前に九回死んだ、友猫のトムと話したことがあった。
「死んだとき、白い光が見えるだろ?」
「ああ、見えるんだよ。そっか、まだ一回目だったな。」
「死ぬと見えるんだよ白い光が。一瞬だけどな。」
「それがどうしたってわけじゃないんだけど、もし俺がもう一回死んだら。九回死んだら、またあの光が見えるのかなって思ってな。それだけだよ。」
トムはその一週間後に死んだ。
人間に殺された。
トムもこの光を見たんだろうか。
人間は死んだ後にも世界があると信じているらしい。
なんてバカらしいことか。
死んだら肉塊になるだけだ。
私はこの世界から消えるだけ。ただ、それだけだ。
これで私の人生も終わり。つまらない人生だった。
叶うことならあの人間どもに悲惨な最期を。私のような無残な死を。
私はいつから私なのだろうか。どこからきて、どこへ行くのか。そう考えていたのは私が十四歳の時までだった。
私が十四歳を迎えたとき、私が私であることを思い出した。
あの白い光を見た、九回見た後、私は人間の信仰する死後の世界ではなく、この世界に十度目の生を受けた。
あの憎き、人間の一人として。
十五歳を迎えて、猫の言葉を再び理解できるようになった。
十六歳を迎えて、猫と再び会話ができるようになった。
十七歳を迎えて、猫の一員として認めてもらえた。
十八歳を迎えた今、私は十回目の猫として猫たちの相談屋となった。
「どうだい、最近の人間は」
真っ黒の猫が膝の上でひなたぼっこをしながら聞いてくる。
「別にどうってことないさ、時間を精一杯無駄にしているよ。」
「ところでそれ、面白いのかい?」
「別に、ただの暇つぶしさ。ひなたぼっこや昼寝と同じもんだよ。」
真っ黒の猫との他愛のない会話に意識を向けることなく、図書館から借りてきた小説のページをめくり続けていると真っ黒の猫の声のトーンが変わる。
「ところで聞いたかい、ロウフのとこの茶色いやつ、リンが殺されたらしい。」
小説に栞を挟み、眼鏡をはずす。
ロウフは近所のパン屋で、あそこのシナモンロールは絶品だ。
あそこで小さいころから飼われているのがリン。四回目だ。今頃五回目を迎えている頃だろう。
「いつ、どこで、だれに?」
「昨日の夕暮れに河川敷で、誰にやられたか調べてほしい。」
「わかった。君たちは河川敷に近づかないようにしたまえ。」
眼鏡を掛け直し、真っ黒の猫は膝から飛び降りる。
「それじゃあな。また明日。」
この事件は事件と呼べるほどのものでもない。
「あのー、昨日ここら辺に茶色い猫来ませんでしたか? 私のブローチ取られてしまって。ここらへんで見たと聞いたもので。」
この河川敷には一人のホームレスが住んでいる。
食べれるものなら何でも食べる。食べれないものも食べようとする。割と有名なホームレスだ。
昔は有名な作家だったらしいとか、画家だったとか、ミュージシャンだったとか、噂は数あれど真偽は確かならない。
「あー、猫? 猫ならしょっちゅう喧嘩してんのはみるけどなぁ。…そういや昨日、そこで死んでたな。食おうと思ったが、警察様に止められてな、ブローチはなかったぞ。ほ、ほんとだからな?」
存在しないブローチが落ちているはずはないが、この男が食っていないというなら少し面倒くさそうだ。
殺されたリンに聞ければ楽なのだが、そう簡単にはいかない。
猫が死んで新たな生を受けると、最初の一年は前生の記憶がない。そのため、私が解決できなければこの事件が解決されるのは一年後ということになる。
事件の解決が一年後になってしまえば、それだけ殺される猫の数が増えてしまう。
猫を殺す人間を危険人物としてリストアップするのが私の仕事だ。
どの街にも、いつの時代も猫を殺す人間はいる。しかし、人間を殺せばその街の猫はすべて殺されてしまう。
そのため、私の仕事は極めて重要で若い猫にはできない仕事だ。この街の猫は平均して若く、私がこの仕事を請け負っている。
人間に猫の言葉がわからないように、猫も人間の言葉を理解することができない。
恐らく私は唯一、猫と人間どちらの言葉も理解することのできるものだろう。
私が猫であったとき、ほとんどの事件の解決は事件から一年後、記憶を取り戻した猫によるもので解決する。
だから、危険人物のリストは常に一年前のものであり、そのためリスト外の危険人物に殺される猫があとをたたなかった。
時刻は十三時三十分、私は河川敷から少し離れたパン屋にたどりついた。
パン屋の周りは生垣に囲まれており、すき間から差し込む光は日差しの強い夏にはちょうどいい昼寝場になる。
「いらっしゃいませ。あらあら、今日はもうシナモンロール売り切れちゃったわよ。」
ロウフの女店員は私に悲しい現実を突きつける。
だが、今日の私の目的はシナモンロールではない。
「いえ、今日はシナモンロールのことではなくて、リンのことを聞いたので。」
女店員の顔が、先程の私のように顔から笑顔が零れ落ちた。
別にシナモンロールがリンと同等の価値とは言わない。
毎週日曜日の楽しみであるシナモンロール。毎日十三時に焼きあがる限定十二個の特製シナモンロールは遅くとも焼き上がりから三十分すれば売り切れてしまう。地元紙やテレビに紹介されることもあり、その度に行列ができてしまうので、私としてはうれしくない。私は学生である。そのため平日はもちろん、定休日の土曜日も食べることができない。だから毎週日曜日、必ずこの店を訪れるようにしている。今日はもう少し早く来る予定だった。しかし、あのホームレスの話が長かった。昔、ゴキブリを食べたことがあるだの、あそこの川の水が上手いだの、こいつの噂のほとんどはこいつ自身が生み出しているのではないかと思うほど胡散臭い話であった。
リンの死は確かに悲しい。あいつはいいやつだった。毎週日曜日、昼頃になるとあいつは私の元へやってきてシナモンロールの残り数を教えてくれた。
まあ、そんなことはどうでもいい。とにかく、飼い主に話を聞くことができるのは私が人間である利点であるともいえる。多くの事件はこうして人間に話を聞くことで解決できる。
すると、女店員が奥の部屋へと案内してくれた。
「ごめんなさい、うちのリンのためにありがとうねぇ、これよかったら。」
そうして出されたのは特製シナモンロール。
ありがとうリン、君のことは忘れないよ。
一年後、記憶を取り戻して私の元へやってきたあかつきには、君の大好物であったシーチキンをプレゼントしよう。
君はあれを鶏肉だと思っていたようだが、私もあれをマグロだと知ったのは五回目の頃だったよ。
リンとの思い出を振り替えながらシナモンロールをほおばっていると、女店員がリンについて話してくれた。
そのほとんどは私の知るところであったが、ひとつだけ私の知らないことがあった。
「そういえばあの子、最近三毛の子と一緒にいるのをよくみたわ。最近やってきたのかしらね。ここら辺に三毛はいなかったはずだけど。」
シナモンロールを完食し、指についたアイシングをどうしようかとしていた私にはどうでもいいような話ではあったが、確かにこのあたりに三毛猫はいない。
日が暮れるころまで三毛猫を探したが見つからなかった。人だけではなく猫にも聞いたが少なくともここ数年、三毛猫がこの街を訪れたことはないようだ。
では女店員が見たのは何だったのか。一度なら見間違いと断言できるのだが、何度も見ているとなればまた面倒くさい。
日を改めようと家へ帰ると、待ち構えていたかのように真っ黒の猫が塀の上を歩いてきた。
「どうだった」
と一言。
「全然だめだね、もしかしたら毒か病気かもしれないね」
「それはない、あいつは飼い猫で拾い食いもしないし、病院にも行ってる。」
諦めたい私に、諦めるなと言わんばかりに食いついてくる。
「じゃあ、明日だ。月曜日だけど夕方から探してみるよ。」
「早めに頼むな。また明日。」
月曜日、学校が終わるとすぐにロウフに向かった。
しかし、今日は店内に入ることはせず、庭を観察していた。
すると一匹の白猫がトコトコと庭を横切ってやってきた。
「やあ、君は最近やってきたのかい?」
私が声をかけるとびっくりしたのか、警戒した様子で物置の陰に隠れてしまった。
「な、なんなんだお前、どうして俺達と話せるんだ!」
自己紹介を終えると、白猫は少しずつ私の質問に答えてくれるようになった。
白猫は最近こちらに越してきたらしい。
「リンっていう茶色い猫か三毛猫を見たことはないかい?」
「三毛猫は見たことある。」
「その三毛猫はどこからきて、どこに行ったのかわかるかい?」
「どこから来たかは知らない。だけど、そこのパン屋の中にいるのを見た。」
これは嘘じゃない。
「君は何回目だい?」
「まだ死んだことはない。だけど、前いたところではナワバリをもっていたし、それなりに強かったんだぜ。」
これも嘘じゃない。
「どうしてここへ越してきたんだい?」
「別に、理由なんて何だっていいだろ? ただ、旅をしたくなっただけだ。猫なんてそんなものだろ。」
これは、嘘だ。私はいつしか嘘を見抜けるようになった。これは私が十回目のせいか、それとも人間であるためなのかは知らないが、私の知る限り私のようにすべての嘘を見抜くことはできないようだ。
「もう、いいよ。ありがとうね。ところで君、名前は?」
「俺の名前は…」
「やあ、今日はどうだった。」
真っ黒の猫は昨日と同じように塀で私を待ち構えていた。
「ああ、解決したよ。ただ、少し面倒そうだ。できるだけ強い奴を集めてくれ。明日、河川敷に。」
「我々が人を傷つけられないのは知っているだろ? 掟に背く気か?」
真っ黒の猫がごちゃごちゃと言っているが、私は一言。
「じゃあ、頼んだよ。またあした。」
そう言って、家に帰った。
火曜日、学校が終わるとすぐに河川敷に向かった。
そこには真っ黒の猫と数匹の手練れ。そして…
「よう、今日は何の集まりなんだ? 歓迎会と聞いたが…」
「今日はよく来てくれたね。」
最近やってきた白猫。ロウフの近くをうろついているのにリンを知らない。唯一、三毛猫を見た猫。
「さて、みんなに今回の事件、リンの四回目の最期について、新人君にとっては少し退屈だろうが語らせてもらおう。」
そうして私は眼鏡を外して語り始めた。
その日は日差しの強い日だった。秋であるにもかかわらず、その週はずっと太陽の光が途絶えることはなかった。
リンはその日もまた、パン屋の垣根で昼寝をしていた。
しかし、その一週間はいつものように安眠とまでは行かなかった。
パン屋の近くに最近、見知らぬ猫がやってきた。
その猫は、毎日リンにここを立ち退くよう喧嘩を吹っ掛けていた。
その度に、リンは河川敷でその猫と喧嘩をし、日に日に消耗していった。
そのあとは、語るまでもなく。
リンは死んだ。
どうして死んだのか、そんなことはどうでもいいだろう?
ただ単に喧嘩に負け、倒れたのか。
喧嘩の最中の傷口から病気になったのか。
だが、どのような最期であれ、その原因は一つ。
君はきっと前の地域でも同じように猫を殺したんだろう?
そして、追放されてこっちに来たんだろう。
それは運がよかったね。
そういえば君はまだ一回目だったんだっけ?
君は知らないかもしれないけど、同族殺しは重罪だ。
同族を殺した猫は永遠に同じ地に縛られ続ける。
君の場合は何匹殺したかは知らないけど、殺した数だけ魂は引き裂かされ、殺された猫のいる地に再び生を受ける。
違う土地で複数の猫を同じ生のうちに殺すと、それぞれの地に同じ魂を持ったもう一匹の自分が生を受ける。
そして、九回死ぬまでそれぞれの地で、リンと他の殺された猫たちの下僕として働いてもらう。
まあ、それはそれとして、この地で同族を殺したのは間違いだったな。
ここで同族を殺したら、その猫には死んでもらう。
そういう決まりなんだよ。
それじゃあ、さよなら。また一年後に会おう。リン殺しの白い猫、ヨル。
シナモンの香りが私の鼻腔を駆け抜け、目の前のシナモンロールを獣のようにむさぼりついた。
「それ、いつも食ってるが美味いのか?」
膝の上の真っ黒の猫がなんか言っている。
あっという間に今週の御褒美を食べ終え、指についたアイシングを舐めとる。
「あっ、そういえば三毛猫は結局いなかったのか?」
真っ黒の猫は、ふと思い出したかのように私を見つめてきた。
「ああ、あれね。別に大したことじゃないよ。ヨルも女店員さんも見間違えただけさ。」
「ヨルはともかく、あの店員は何度も見かけたんだろ? ヨルは白い猫だろ。」
真っ黒の猫は、あくびをしながら追及をしてくる。
「ヨルは白い猫でもあり、三毛猫でもあったんだよ。」
「は?」
真っ黒の猫は、他人の膝の上にいるくせに爪を立てた。痛い。
「つまりね、あの生垣だよ。あの生垣から差し込む光が真っ白の猫を三毛猫に仕立て上げたんだ。それを見た女店員が勘違いをしてヨルを三毛猫だって思ったのさ。ヨルも店のガラスに映った自分を自分じゃなくて店の中にいる三毛猫だと思ったんだろう。一回目の猫は自分の姿を見ても自分だと認識できないことが多いからね。」
「なるほど、そういうことか。そういやリンのやつ、二つ先の街で生を受けたらしい。しばらくしたら、戻ってくるだろう。それまでに、あの店に新しい猫を飼わせるのはやめとくようにいってやれ。リンはあの店を気に入ってたからな。また他の猫がいても気の毒だろう。俺も他のやつらに行っておく。」
真っ黒の猫は爪をもとに戻し、再び寝に入った。
「気が向いたらな。」
指を舐め終えた私も眼鏡を外し、ひなたぼっこと昼寝に勤しむことにした。
膝の上で眠る真っ黒の猫、我が友であるトムのように。
およみいただきありがとうございます。
ぞくへんは、きがむいたらかきます。