〔6〕
時刻表から、十五分ほど遅れてバスが着いた。
待つ間に雪混じりの風は激しく横殴りに吹き付け、傘を持つ手はかじかみ、既に感覚が無い。
足下から背筋に這い上がる冷気は遼の身体を、すっかり凍え切らせていた。
バスから降りた優樹は、意外な出迎えに顔をしかめた。
何でおまえがいるんだ、といった表情だ。
皆が心配したとおりの軽装で、防寒用のものと言えばバイクに乗るときの革手袋くらいしか身につけていない。かといって寒そうな様子は、かけらもないのだが。
「杏子に傘を持たせると言うから、断ったのに……」
「僕が行くと言ったんだ。雪が結構、降ってきたからね」
遼が渡した傘を、優樹は開こうとはしない。
「この風だ、傘なんか役にたたねぇよ」
優樹の言うとおり、傘をさしていたはずなのにコートは雪で真っ白だ。
「じゃあ、せめてこれを使って欲しいんだけど」
杏子から預かった紙袋から、海のような、鮮やかな青色の編み込み模様が入った白いマフラーを取りだし、優樹の首に掛ける。
「これは?」
「杏子ちゃんからの、クリスマスプレゼントだよ」
「杏子から? ふうん……」
しげしげとマフラーを手にとって見ていた優樹は、遼が同じ物をしていることに気が付いた。
「おまえと、お揃いなんだな」
「そう、みたいだね」
「ちぇっ、多分、俺の分はついでだな」
そう言って優樹は明るく笑う。
しかし、やはりいつもと違って少し無理があるように思えた。
「それにしても、この天気は普通じゃないよ。早く帰ろう、寒くてかなわないや」
優樹に習い、傘を畳んで遼は手を擦りあわせる。青白く冷え切ったその手に気付き、優樹が自分の革手袋を脱いで差しだした。
「手袋、貸してやるよ。悪かったな、迎えに来てもらって」
顔を見上げて、遼は微笑んだ。
「ありがとう、でもいいよ」
だが優樹は、黙ったまま動きそうにない。仕方なく遼は手袋を受け取り右手にはめると、左手の分を返した。
「片方ずつだ」
眉をひそめて不満そうな顔をしたが、優樹も片方の手に手袋をはめ、傘を持つ。
「僕には少し、大きいな」
「文句、言うなよ」
手袋から伝わる優樹の温もりに、気持ちまで暖かくなるようだった。
傘は閉じたまま、二人は並んで雪化粧を始めた松林の遊歩道を歩きだした。濡れた石畳に水雪が撥ねる。
手袋をしていない手をポケットに入れて足場のいいところを歩こうとすると、どうしても肩が触れ合った。
「今日、千葉の病院に行って来たんだ」
それまで黙っていた優樹が、突然立ち止まり小さく呟いた。
遼は、うん、と返事をする。
今まで一度も、優樹の口から母親の話を聞いたことはなかった。話したくないのか、話せないのか、わからない。
しかし優樹が病院から帰った日はいつも、彼を取り巻く空気が冷え冷えとしているのを感じていた。
深い絶望のようでもあり、冷たい怒りのようでもあるその空気の正体を、すぐに確かめようとは思わなかった。
少しずつ、きっと、わかる日が来ると思っていたからだ。
もしかして今日の天気も……と、浮かんだ考えを振り払い、遼は優樹の言葉を待った。
「田村のおじさんから聞いてるかもしれないけど、母さんは俺が小学校に入学した時から意識がなくて寝たきりなんだ。ガキの頃、俺が毎年サンタに母さんを起こしてくれるように頼むもんだから、目が覚めたときに真っ先に目にはいるようにって親父は母さんの好きなシクラメンの花を必ずクリスマスに送ってた。今それは、俺の役目なんだ。」
優樹の父親は、五年前に亡くなっている。父方の親族は横浜にいるのだが、諸事情から母親の弟である『ゆりあらす』オーナーの田村が後継人となっていた。
「君は、僕なんかよりずっと辛いはずなのに、どうしてそんなに強くて優しいんだろう……」
優樹の抱える状況の、複雑な背景は詳しくわからない。だが何かに耐え、何かをこらえながら生きていると知っていた。
優しく、強く、そして脆さを併せ持って。
「背中が痒くなるようなこと、言うなよ。俺は強くもないし、優しくもない。それに、辛いなんて思ったことも一度もない」
えっ、と、遼は目を見開いた。
「母さんは、必ず目を覚ます。その時、自信を持って会うために、俺は自分に出来ることを精一杯やるしかないと思っているんだ。辛いことなんか、何もない」
それが強さなんだと、遼は口にしなかった。
自分には無い、どこまでも真っ直ぐで、子供のように素直な決意。だから惹かれずにいられないのだ。
「あっ、でも古文・漢文、物理の授業は辛いものがあるな。こいつばかりは、おまえに助けてもらわないと」
「しょうがないな、それくらいなら協力してあげるよ」
遼が笑うと、優樹が顔を近付けて、目を覗き込んだ。
「もし弱気になったら、そん時も頼むよ」
驚いて、誤魔化すように顔をそむける。
「身勝手だな、相変わらず。君が弱気になんか、なるものか!」
「ひでぇな、これでもナイーブなんだぜ?」
優樹が、笑った。
すると、今まで刺すように冷たく纏い付いていた風が止む。
「なんだ、雪、止んだのか。房総でホワイトクリスマスなんて聞いたことないから、あたりまえかな? 急ごうぜ、みんなが待ってる」
白くなった遊歩道が街灯に浮かび上がり、走り出した優樹が真っ直ぐな道に足跡を付けていく。
遼は、その足跡を追いかけた。
「なあ、遼。おまえサンタっていくつまで信じてた?」
「覚えてない。だけど……」
遠い昔、一番願っていたものを今になってもらうことが出来たと、遼は空を見上げる。
雲の切れた夜空には、冴え冴えと星が煌めいていた。
【おわり】
遼と優樹の、少し甘い乙女向きクリスマス短編です。お楽しみいただけたら嬉しいです。
このあと、おまけで神崎くんのクリスマスSS。