その5 それぞれの夜
「まったく、貴様は全然変わっておらん!」
第4試合終了後、ある酒場で会合を持つことにした古川と沢井、そして謎の老人。しかし、その会合は老人の怒鳴り声から始まった。もう70近い容姿にもかかわらず、眼光は鋭く、怒るその姿はまるで修羅のようだった。
その後も老人は怒鳴り続け、ようやく落ち着いたのは1時間も経った後だった。
「ふう。一通り言ったらすっきりしたわい。ところで……古川、あの9回のピッチングはどう見た?」
「やはり、そう思いましたか。まだ目は衰えてませんね」
やれやれといった表情をした古川の思いを知ってか知らずか、笑顔を見せる老人。と、そこへ沢井が口を挟む。
「で、結局この方はどういう……」
「おうおう。まだ自己紹介してなかったのう。わしの名は小林靖男じゃ。詳しくは古川から聞け。これでも昔はすごかったんじゃ」
「そうなんですか? 古川さん」
「ああ……」
小林靖男。かつて伝説のスポーツ記者として名を知られ、甲子園の名勝負には必ず彼の姿があったとさえ言われている。そして、彼が最後に鍛えた人物こそ、古川巧その人であった。
夜は誰にも訪れる。そしてその使い方は各人次第である。
北龍高宿舎。押本は1人自室にこもっていた。
(9回表、宮本の投球は明らかに精彩を欠いていた。もし、奴の腕に異変があったとしたら……)
そこまで考えて彼は立ち上がる。そして、不吉な予感を振り払うかのように、カーテンを開け、窓も開ける。空には月が輝いていた。
「散るなよ……」
かすかに聞こえたそれは、大会最速の豪腕から、大会最強の技巧派へ送られたエールだった。
「鈴木先輩、まだ部屋から出ないのか?」
「ああ。よっぽど悔しいんだろうな」
昇竜国際宿舎、鈴木の部屋の外で交わされる会話。しかし、雑音を無視するかのごとく、鈴木はバットを振っていた。
(もう次のステージは始まっている。出遅れは許されない)
敗北の記憶を打ち消すように振られるバットは、早くも木製のそれになっていた。
宿舎の部屋の中、宮本は己の右腕を見ていた。医者に見せてはみたものの、どうも状況は芳しくないようだ。
(今日はとりあえずもってくれた。でも……、次の保証はないし、1点取られるようじゃどうにもならない。どうする?)
彼の心は、迷いの中に沈んでいた。
夜も更けた春堂高合宿所、監督と吉沢は、なおも勝利を求めて動いていた。
「とりあえず、今日はしのげましたね」
「ええ。ですが、今回の件で、チームにわずかですが、わだかまりが……」
「そうですか。今は大会中ですし、私が皆を説得しましょう。いいですね」
「分かりました」
わずかな不安を押し殺し、2人はチームの為に動き続けていた。
闇の中、その声は確かに響いていた。
「フンッ! フンッ!」
宮沢はもう3時間もシャドウピッチングを続けていた。額からは汗が流れ落ち、シャツはもう汗まみれになっている。しかし、彼は気にも留めずに動作を続ける。
(春堂は俺がきっちりと潰してやる。そして俺は押本を止める!)
確かな決意の元に、彼は動き出していた。
そしてまた、夜が明ける。