エントランス(掌編)
気が付くとそこは降り積もった雪のように真っ白だった。
カウンターから顔を覗かせている女性と自分以外の物質は全て白で構成されており、ほかの色は一切存在することすら許さない、といった雰囲気を覚えた。
どうしてそう感じるのかはわからないが、ただ一つの答えのヒントは、私の頭がそれらの原因を考えることを拒絶することぐらいだ。何のヒントだかわかりゃしない。
真に不思議なことではあるけれども、考えていたって答えは出ない。気が付くとここにいて、服装は明るい色を基調としたワンピース、荷物は小さい手提げバッグ一つ。さらに意識を失う前私が何をして、あるいは何をしようとしていたのか覚えていないし、ここにいることに違和感を覚えないわけにはいかなかった。
ひとまず今いるであろう建物の一室に位置する場所はどうやら入り口らしい。
らしい、と言うのは、一見したところ自動ドアやエレベーターの開閉扉といったものが見当たらないからだ。窓もないからここが地上から何階なのかもわからない。ただ一人の女性が立っているカウンターとその後ろにある絵のない額縁が目に入ったから、入り口みたいな場所だ、と思っただけ。
カウンターで眠そうに目を半分開けてうつらうつらと、首をこっくり人形のように適当で単調なリズムを繰り返している女性のもとまで歩いて話しかけてみる。
女性の髪はこの空間と同じように、銀髪ではなく白髪でいるのだけれど、眼の色は黒く、肌の色は濃くもなく薄くもないベージュ色だ。服装はいかにも受付、といったきちんとした格好で、顔立ちもまた整っているけれども、今の寝ぼけた表情はだらしなく。それでも色の統一性が失われている容姿は簡単に言ってしまえば、風変りとしか言いようがない。
「あの」
「……」
幾ばくかこちらの声は聞こえている、と目をこちらの方へと向けてはいるのだけれど、それがはっきりとは確認出来ていないように思える。
もう少し声を大きくする必要があるのか。
「あの!」
「……あ、はい」
なんとも言えない間の抜けた声で返事をする。仕事はどうやってやっているのだろう、と要らない心配と奇妙な場所にいることに対する不安がせめぎ合う。
「あ、ああ。久しぶりにお客様が来た……」
そしてこの発言だ。ますます胸がざわついた。
「ええと、マニュアルには……お客様はどのようなご用件で」
そして胸焼けしそうで吐き気がしてきた。
「ここってどこなんでしょうか」
「美術館です」
受付はきっぱりとだがまだ寝ぼけた声でそう言い放った。
「……美術館」
とても内側の外見だけではそう見えない。この空間にはカウンター以外に木製の引き戸が二つあるだけだ。もちろんその外見は真っ白だ。普通はパンフレットとかが置いてあるし、美術館関連のもの売り場も存在する。そして美術館の入り口としては狭い。マンションのリビング二つ分の広さだ。開放感もある。
ただこの部屋にはほかの空間を見通せる窓がなく、妙に息がつまりそうになる。
「なぜ私はここにいるのでしょう」
「さあ」
両肩を少し上げて、知らない、というジェスチャーをする。妙にフランクで普段人見知りしてしまう私の頭はぐるぐると回り始める。どうしてこんな場所に来てしまったのだろう。
「……じゃあパンフレットをください」
「ないです」
さらに頭の中がぐるぐると回る。パンフレットがない? それではこの美術館はどうやって経営をしているのだろう。そもそも本当に美術館かどうかは置いといて。
どうしようか。
ここにいても目の前の受付の人は何もやってくれないだろう。現に今も欠伸を手で押さえながらしているし。
扉は二つ。
カウンターの右隣にある扉は虎も怯んでしまうような台風の風圧に似た威圧感を放っていた。単なる扉のはずなのに。扉に表記が無いからどういった部屋につながっているのか、わからない。けれども、私の身体すべてがそこへ行こうとするのを拒む。
カウンターの左隣にある扉は右隣の扉のような威圧感はない。むしろ卵を掴むかのような優しい光が溢れているような気がする。目には見えないけれど。
「こちらの扉はどこへ繋がっているのですか」
右隣の扉に指差す。
「ええと……ギャラリーになります」
「こちらは」
左隣の扉に指差す。
「休憩室になります」
「では出口は」
「お答えできません」
お答えできません。
そう頭の中で反復する。
「出口がないのですか」
「そうとも言えますし、そうとも言えません」
なんとも視界を深い霧で包まれてしまったような発言をする。
でも出口が無いとはどういうことだろう。当たり前のことを当たり前に言うけれど、どの建物にも土砂崩れとか積雪で閉じ込められてしまう以外ならば外へと通じる扉は建物内に少なくとも一つはあるはずだ。それなのに、出口が無い?
そもそもここが何階にあるのかもわからない。窓が無いおかげで外の様子は一切わからないし。一刻も早くこの奇妙な空間から出たくてしょうがない。
「ひとまずギャラリーを見てはどうですか。そこまで長くないでしょうし」
初めて受付の女性が能動的に口を開いた。
考えている最中の私は多少驚いたが、どうしても引っかかる部分があった。そこまで長くないでしょうし。
でも確かにここで立ち止まっても、何も変わらないのは確かだろうから、ひとまずギャラリーの方へ行こう。
私が右隣の扉へ進むと、「行ってらっしゃいませ」と女性は軽くお辞儀をした。先ほどの頼りない姿があったとは到底思えなかった。
そして、扉のドアノブに手をかける。
先ほど感じた威圧感は気が付くと無くなっていた。それでも体がこちらへ行くことを拒む。あちら側には何もないぞ、と嘘を交えた警告のようだ。でも出口がこっちにあるのかもしれないから、その要求には答えることができない。
なんだか、自分が二人、いるような気がした。




