猫萬堂の黒猫(箱物語3)
その日の夕暮れどき。
ボクは土手に腰をおろして川面をながめていた。
タッタッタ……。
ふいに背後で足音がして、小脇に箱をかかえた男の人が土手をかけおりていく。
その人は河川敷を横切るとなにをするでもなく、箱を川岸に残してもどってきた。それからふたたび土手を越え、道路わきにとめてあったワゴン車に乗りこんだ。
車のボディーには猫の絵がある。
ケーキ屋、猫萬堂のワゴン車で、今の人は猫萬堂の従業員のようだ。
箱の置かれた川岸に行ってみた。
するとそこにはケーキの箱があって、中から子猫のものらしい鳴き声が聞こえた。
それも何匹かの声だ。
――でも、どうして?
店の名前に猫という文字を入れるほど、猫萬堂の主人は猫好きで知られている。
それだけじゃない。
猫用のプレハブ小屋を建て、いつも二十匹ぐらい飼っている。捨て猫や、もらい手のない子猫を引き取ったりもしていたのだ。
――主人は知ってるのかな?
どちらにしても、このままほうっておいたら子猫が死んでしまう。
子猫の入った箱を持って、ボクは猫萬堂の店の中に入った。
「いらっしゃい」
主人が笑顔をボクに向ける。
「これって、おたくのでしょ」
それだけ言って、主人の鼻っつらに箱をつきつけてやった。
主人がおどろいた顔をする。
でも、中身がすぐにわかったらしい。箱を受け取るやいなや顔色を変え、店の奥にそそくさとひっこんでしまった。
店の奥でだれかを叱る主人の声がして、すぐに奥さんが出てきた。
「ボク、ちょっと待っててね」
ガラスケースの棚からショートケーキを二つ取り出すと、奥さんは小さな箱につめた。
「このこと、だれにも黙っててね」
そう言って、ボクにケーキを渡そうとする。
たぶん口止め料だろう。
そんなもの、だれが受け取るものか。クルリと背を向け、ボクはそのまま店を飛び出した。
猫萬堂では、もうケーキを買わない。
猫萬堂で飼われていた猫が、ひと晩のうちに一匹残らず死んだそうだ。
「深夜に毒の入ったエサをまかれちまってね」
主人はそう話しているらしい。
それからすぐ。
ボクは奇妙な話を耳にした。
猫萬堂で買ったケーキの箱の中から猫の鳴き声がする。それは殺された猫のタタリだという。
そのウワサはまたたくまに広まった。学校でも近所でも、人が集まればその話をしている。
猫が二十匹も毒殺されたのだから、これが事件にならないはずがない。
警察も捜査を始めていた。
猫萬堂が店を閉めた。
お客がまったく寄りつかなくなったらしい。
ボクは気になって猫萬堂に行ってみた。
閉店休業の札が店先にかかったままだ。
裏庭には猫のいない小屋があるだけで、人影は一度も見かけなかった。ボクが河川敷で見た、あの従業員も店をやめたらしい。
猫萬堂が閉まって一週間。
警察の捜査で、猫のエサに入っていた毒薬が見つかった。
店の倉庫の奥にかくされていたそうだ。
犯人は店の主人らしい。
猫萬堂がつぶれた。
殺された猫のタタリでつぶれてしまった。
お母さんがケーキを買ってきた。
もちろん猫萬堂のものではない。猫萬堂とは通りをはさんだ、はす向かいにあるケーキ屋のもの。
このケーキ屋。
最近になってかなり繁盛している。
そもそもおいしくなかったわけではない。猫萬堂の人気に押されていただけなのだ。
ケーキの箱からおいしそうなにおい。
と、次の瞬間。
――うわっ!
ボクはおもわずのけぞっていた。いきなり箱から黒猫が飛び出したのだ。
黒猫は一瞬にして消えた。
一週間後。
もうひとつのケーキ屋も店を閉めた。
ケーキの箱から黒猫が飛び出すという、そんな奇妙なウワサが流れたからだ。
ケーキを買って帰った人が、あの日のボクと同じ目にあったという。
あの黒猫は幻じゃなかったのだ。
猫萬堂が猫のタタリにあうのはわかる。でも、もうひとつのケーキ屋までが、なぜ……。
猫を毒殺した真犯人が捕まった。
犯人はあの従業員だった。向かいのケーキ屋に金を渡され、猫萬堂の人気を落すためにやったらしい。
ケーキの箱から猫の鳴き声がする。
そのウワサを流したのもこの従業員だった。
鳴き声のタタリ。
それはただのウワサにすぎなかったのだ。
だけど……。
箱から飛び出す黒猫のタタリ。
これは本物だ。
ほんの一瞬だったけど、ボクは自分の目で黒猫を見たのだから。
久しぶりに猫萬堂に行ってみると、店はシャッターがおりて完全に閉まっていた。
ボクは裏庭にまわってみた。
プレハブ小屋が取りこわされ、庭のすみずみまですっかり見とおせた。
主人と奥さんがいる。
奥の縁側で、二人は寄りそうように座っていた。
そして……。
あの黒猫がいた。
二人の間で丸くなっていた。