6. 俺と鉄砲と弟
天文15年春、俺たちは元服して史実に知られる名前となった。
烏帽子親と呼ばれる元服時の世話役には、織田家でも影響力を持つ重鎮たちが名を連ねる。結婚式の仲買人や名付け親と同じ理由で、俺たちには頭の上がらない相手になったわけだ。
吉法師改め、織田三郎信長。
通称が分かりやすい名前で安堵したのは、ここだけの話である。
これで素行を改めるだろうという周囲の思惑は見え見えで、もちろん最初のうちは大人しく振る舞ってやった。いつの間にか元服の儀を終えていた信行が、やけにツンケンした態度をとるのが気になる。
弟は真面目な性格だから、遊びまくっている兄が納得いかないのだろう。
「放蕩がすぎると、政秀が嘆いていましたよ。少しは嫡男らしくなさってはいかがですか」
わざわざ的場まで追いかけてきての小言だ。
訴えている内容がそのまま取り巻きの受け売りなのは自覚、していないな。弟の立場なら、多少は効果があると見込んでのことだろう。俺が弟妹を可愛がっているのは周知の事実だ。
お市はともかく、信行と離れていた時間を埋めるのはなかなか難しい。
「兄上! 聞いておられますかっ」
「聞こえているとも。なあ、信行」
は、と返事しかけた声が発砲の音にかき消された。
鉄砲はいい。
確実に命中させなくても、大きな音で人馬を怯えさせることができる。弓のように鍛え続けた筋力を必要とせず、女子供でも扱える。
そして命中すれば、ひとたまりもない。
急所なら死ぬ。それ以外でも苦しみのたうち、掠めただけで火傷をする。種子島銃はまだまだ発展途上だ。火縄も銃身も、更なる工夫が不可欠になる。
一発撃って、代わりを預かる。
既に火薬を仕込まれた火縄銃はじりじりと音を立てる。
狙いを定め、引き金を引く。
ばぁんと爆ぜて、信行が飛び上がらんばかりに反応した。耳栓をしていないのに近くにいたから、頭の芯まで響いただろう。完全にびびっている。それでも目が合えば、虚勢で取り繕って怒った顔を向けてきた。
「城にお戻りください。遊びはここまでです」
「遊び?」
「そうですっ」
「俺が遊んでいるように見えると、そうか。なるほど、なるほど」
くつくつと笑う。
片膝をついて控えていた小姓が顔を引きつらせていた。
親父に似ない地味顔では恐怖伝説なんて無理だろうと思いきや、どうにも血は争えないらしい。悪役になりきって振る舞えば、十分に周りが勘違いしてくれる。将来、俺や俺の大事な奴を殺す運命を呪うだけで簡単に憎悪がわいてくる。
「おい、これら三つとも修理に出せ。一つ目は縦の歪みがある。二つ目は銃口を真円に。三つめは先の二つの長所を見習った上で、再調節。仕上がり次第、俺のところへ届けるように」
「かしこまりました」
「ああ、藁で包むなよ。木綿もダメだ。燃えるぞ」
「は、ははっ」
青ざめた顔で、裏返った声を出す小姓。
犬千代改め、前田又左衛門利家は正式な小姓ではなかったらしい。じゃあ、ただの舎弟か。とにかく俺の元服と同時に、別の少年が傍仕えとして控えるようになった。
貧乏くじを引かされた、などと陰でぼやいていたのは知っているぞ。
一応はまだ嫡男だから、とも言っていた。
「兄上……?」
さすがに何か気付いた信行が、怪訝そうに首を傾げている。
真面目な努力家だけあって頭がいい、俺と違って。
優男風の細身でありながら剣術の腕がいい、俺と違って。
ざっくりと未来予想はしているものの、とりあえずは史実通りに振る舞った方がいいだろうと「大うつけ」を演じている俺と違って、物腰柔らかく丁寧な応対に家臣たちの評判もいい。
舎弟の数は、俺のが上だがな!
年寄りどもの策でバラバラにしたつもりだろうが、俺たちの連帯力を侮っては困る。一緒に行動する時間が減った分、奴らには奴らの子飼い衆を集めるように命じていた。
次の集会が楽しみだ。
もちろん信行は何も知らない。ただでもダメ兄貴のイメージしかないのに、陰でコソコソ活動していることまでバレたら見限られてしまう。
せめて一緒にいる時くらいは、カッコイイ兄貴を見せたい。
「安心しろ、これも仕事だ。どこぞの誰かから貰った鉄砲が、本当に道具として扱えるのかどうか確認せよとな。親父殿に言いつけられた」
「そんな、馬鹿な……! 父上は兄上を殺す気ですか」
「いや、死んでない。ぴんぴんしてる、この通り」
「素直に受ける兄上も兄上です。鉄砲など、武士の持つべきものではありません。戦場で刀や槍でなく、鉄砲を持ってゆけば良い笑い者になりましょう。これ以上、織田家を貶めるのはお止めくださいませ!」
だから依頼したのは親父殿だっつの。
事故死に見せかけた暗殺をほのめかした時、こっそり喜色が浮かんだのは気のせいだよな。気のせいだと言ってくれ。そんなに兄ちゃんが鬱陶しいか? 織田信長っていったら、天下に武を布いちゃう男だぞ。中身はダメ人間だが。
あるいは秀才の嗅覚で、兄の体を乗っ取ったダメ人間臭に気付いたとか?
「そんなことより、信行」
小姓が戻ってきたのを視界の端で捉えながら、袖を戻す。
弓を放つ時の真似をして片腕を抜いてみたんだが、普通に寒かった。ぽかぽか陽気だからって甘くみちゃいけない。この時代の医学はあやしさ一杯、冷暖房設備だってないのだ。体調を崩したら、沢彦の煎じたクソ苦い薬を飲まされる。
毒かと疑いたくなる味だ。良薬は口に苦し、なんていうレベルじゃねえぞ。
我が弟は文句ひとつ言わずに飲むのだろう。俺のように口直しに甘い果実を用意してくれなきゃ絶対飲まない。死んでも飲まないと駄々をこねたりはしない。一度はお市に援護射撃させるという策も出たんだが、その後に苦さで悶絶する俺を見て軽くトラウマになったらしい。
意図しなかったとはいえ、幼児虐待だろ。
分家でも当主の娘になんてことをするんだ。
「何ですか、兄上」
「鉄砲、撃ってみたくないか?」
人殺しの道具だがな。
的は半里先の案山子だ。遠く離れているためによく分からないかもしれないが、残念ながら無傷である。いくつか掠っただけで、命中していない。
わ、わざと外したに決まっているだろ。
早々に案山子を穴だらけにしちまったら、また作り直す手間が増えてしまう。俺は舎弟にも臣下にも優しいので、気を遣ってやったのだ。はっはっは……、むなしい。
信行? すごい目で睨んで、どこか行った。
「やっぱ、嫌われてんのかなあ」
「そのようなことはありません! 三郎様は素晴らしいお方です」
「あ、うん」
どうした、お前。
大うつけ様の小姓とか真っ平御免でござる、って言ってたよな。
陰口叩かれていても、俺は全く気にならない。織田家のために働いてくれたら十分なんだが。顔を真っ赤にして、媚びを売られても俺が困る。前世でダメ人間だったし、今の人生でも馬鹿にされまくっているし、おべっかを使われると戸惑ってしまう。
あるいは親から嫡男矯正命令でも出ているんだろうか。
褒めて伸ばすってやつだな。こうかはばつぐんだ。
「おい、飴やるよ」
「よ、よろしいのですか!?」
「他の奴には内緒な。一個しかないから」
「ありがとうございます!」
腰の巾着から、大粒の飴を取り出して投げる。
慌てて両手に受ける小姓の必死さに、思わず笑みが浮かんだ。この時代の甘味は果物がほとんどで、砂糖は貴重品だ。蘭丸に褒美として金平糖を与えたというから、どれだけ信長が森蘭丸という小姓を気に入っていたかが分かる。
俺は金色の菓子が好きだがね、ふへへ。
的場:おもに弓などの練習に使う場所(野外)
主人公・書き手ともども鉄砲の知識はほとんどないので、なんとなーくで表現しています。
クレーム付けときゃ、プロ(職人)が何とかしてくれるだろ精神。
他人任せ、っていい言葉ですよね!