68. 懺悔
恒例のイチャイチャ回。
読み飛ばしても大丈夫です
幸の見つけた薬草が効いて、帰蝶は徐々に回復していった。
一時は危ぶまれたものの、母子ともに安定した生活を送っている。とはいえ、体に負担をかけるのは絶対にダメだ。今日も今日とて嫁の様子を見に、奥へ渡る。
床に臥すこともなくなったので、華やかな小袖姿が目に眩しい。
緩めた帯は大きなカーブを描き、座っているだけでも辛そうに見えた。俺はいつものように肩へ手を回しながら、子を宿す腹を撫でる。
「でかくなったなあ」
「……毎日朝晩来なくてもいいのに」
「一日中くっついていたいのを我慢しているんだ。褒めてくれてもいいぞ?」
「嫌」
ぷいっとそむける頬に口づける。
「あなた!」
「いちゃつくのは、私が消えてからにしてくださいませんかねえ」
「いたのか」
「いましたよ、最初から!!」
べしべしと床を叩いて、由宇が激おこアピールをする。
懐妊が分かってから侍女を二人ほど増やしたが、乳兄弟でもある彼女は何かと世話を焼きたがった。帰蝶が初産というだけでなく、一度体調を崩したのも過保護になる理由の一つだ。
「時間になったら呼ぶから、恒興とでも遊んどけ」
「遊びません。二人っきりにしてさしあげるのも、姫様のためですからね! けっして、殿様のためではありませんからね。そこのところをよーくご理解あそばせっ」
「口が過ぎますよ、由宇」
「申し訳ございません。それでは御前を失礼いたします」
ぶっすー、とむくれたまま出ていく。
淑女らしからぬ足音が聞こえてきて、思わず噴き出した。
老獪な蝮と、その娘であり愛弟子でもある帰蝶の傍仕えにしては、随分と顔に色々出やすい娘だ。年下の主人の方が、よほど落ち着いている。
「くっくっく」
「仕方のない人」
「いやあ、悪い。からかうと面白いから、つい……な」
「…………本当に、何もないのよね」
問いかけというよりも、自分に言い聞かせるような呟きに笑みをひっこめた。
妊婦がかかる精神的な病、マタニティブルーだろうか。胎児の発育を促すためにも、あまり部屋の中でこもりっきりというのもよろしくないらしい。とはいえ、年が明けるまで寝込んでいた帰蝶に外は勧められない。
なにせ、今は雪のちらつく冬なのだ。
「どうやったら、お濃は俺の気持ちを疑わなくなるんだろうなあ」
わざと軽い調子で呟いて、首筋に頭をすりつけた。
寒い季節なので、後ろからすっぽり抱き込んでも怒られない。帰蝶は平均体温が低いタイプのようで、一緒に寝る時は積極的にくっついてくるのだ。ただし、本人が寝ぼけている時に限る。完全に覚醒すると逃げを打つので、すかさず捕まえるという定番のやり取り――…も、今はお預けだ。
高確率でその気になってしまうため、今は寂しい一人寝が続いている。
彼女に元気な子を産んでもらうためだ。俺はできる子、我慢の子。
「あなた」
「お濃、ごめんな」
「…………」
「噂だけじゃなく、俺自身の行動が不安にさせているのは分かっているんだ。この間、那古野村へ行ってきた時……九郎を危険に晒しちまった」
「でも、二人とも生きて帰ってきたわ。賭けに勝った、ということでしょう?」
「ああ」
やっぱり知っていたのか。
ぬくもりを深く抱きこんだまま、溜息を吐く。
あそこで死ぬつもりだったのかと問われたら、否と答える。死ぬのは怖い。痛いのは嫌だ。ましてや、自分で腹を切り裂くなんていうスプラッタ体験なんかしたくない。
あの場にいた全員に口止めはした。
帰蝶も、他言はしないはずだ。尾張を蝮の餌にするつもりなら、もっと早い段階にいくらでも方法があった。この愛しい存在は、俺だけのものだと断言できる。
生まれてくる子には悪いが、こればかりは譲れない。
「あなたは勝てない戦をしない。勝てる自信が持てない賭けには乗らない。丹羽殿がそう言っていたわ」
「それを信じてくれるなら、なんで浮気を疑うんだよ……」
「だって、女の人が好きなのよね?」
悲しいかな、即座に否定できなかった。
俺だって健全な男である。ハーレムに興味がないわけじゃない。
それに前世では「リア充爆発しろ」の呪文を唱え続ける魔法使いだった。今だってモテているわけじゃない。政略結婚の相手に一目惚れして、帰蝶も俺のことを好きになってくれたから、幸せな今がある。
「お濃以外はどうでもいい」
「また、そんなことを」
「だから、なんでそっち方面に限って俺を信用してくれないんだよ」
「それ以外なら、全面的に信用しているわ」
「全部がいい。お濃、ちゅーしよう。ちゅー!」
「きゃっ」
「煩悩滅殺!! てんちゅうううっ」
違う、そっちのちゅーじゃない。
脳天を強打されて仰向けに転がりながら、俺は嫁を決して離さなかった。
「ああっ、姫様!」
「俺の心配もしてくれよっ」
「ケダモノの心配はいたしません。さっさと離れてくださいませ」
「俺、この城で一番偉い人だぞ!? そんでもって、お濃は俺の嫁!」
嫌だ、絶対離さないぞと抱きしめる。
ついでに足も絡めちゃおうかなという邪念が通じてしまったのか、腹からゲシゲシと我が子が蹴ってきた。元気なのはいいが、父親の敵に回るとはいい度胸だ。生まれてきたら覚悟しろよ。ビシビシ鍛えて、マッチョメンにしてやる。
娘なら絶対甘やかすな。世界一のお姫様にするんだ。
「あなた、離れて」
「ハイ」
すぐさま離れる俺を、呆れ顔の由宇が睨んだ。
「どうして、姫様の言うことだけは素直に聞くんでしょうね」
「俺の嫁だから」
「殿様には聞いておりません」
「由宇。軽々しい口を止められないのなら、本当に側室へ召し上げてもらいなさい」
「嫌です!!」
「ここまで強く拒絶されると、いっそ清々しいなあ」
「不敬行為を咎められて手打ちにされた者もいるの。皆に示しがつかないわ。側室が嫌なら、美濃へ帰し――」
「申し訳ございません。二度と、二度としませんから、お傍に置いてください」
「今日はもう休みます。床の用意を」
「はい……」
しょぼりと項垂れた彼女の背は、哀愁が漂っている。
性格はあれでも、仕事はきっちりできているのだ。きゃんきゃん噛みついてくるのも、子犬が吠えているようにしか感じない。それに「不敬行為」も奥の間だけだ。
部屋の外では、きちんと礼節をわきまえた行動をとっている。
「なあ、あまり怒ってやるなよ」
「他の侍女に対する示しがつかないから、言っているの。今まではよかったけれど、これからは由宇だけが傍仕えじゃなくなるのだから」
「なるほどな」
あまり分かっていないが、とりあえず頷いておく。
女の世界は魑魅魍魎が跋扈する魔窟だと聞いたことがある。帰蝶は彼女の為に、あえて厳しい言い方をしたのだ。もしかしたら影で苛められているのかもしれない。
平手の爺の一件から、帰蝶は独自の調査網を持つようになった。
那古野城のことも、そのツテで報告を受けたのだろう。
俺は俺で、本当にヤバくなったら一益が助けてくれるという期待もあった。だが一益は土壇場で俺しか助けない。九郎が治らない傷を負うか、最悪死ぬ可能性は認めたくなかった。
とまあ、後からなら何とでも言える。
確かなのは俺が嘘を吐かなかったことで、美作守に隙ができた。
本当に諦めてしまったなら、俺は迷わず切腹する。諦めていないから、俺はフリだけで相手を欺いた。肝心な部分を言わなかっただけで、あれは俺の本心本音だ。
信長ならそうしただろう、という推測でもある。
「あなた」
揺れる瞳が、こちらを見つめた。
「たとえ絶対に負けない賭けだとしても、あなたの命を賭けるのだけは……やめて」
「お濃」
「わたくしに信じてほしいなら、約束して」
白い手に絡めとられて、俺たちは体を寄せ合う。
少しの間離れただけなのにもう冷えていて、寒いなと思いながら手を回した。彼女はその手を膨らんだ腹へと導いていく。
「この子と、わたくしに誓って」
「誓う。俺は死なない、お濃と一緒に楽隠居する野望があるからな!」
「わたくしは真面目に話しているのに」
「俺だって真面目だぞ」
心外だと返せば、知らないわと拗ねられた。
その晩は久しぶりに二人一緒に布団へもぐりこむ。邪な念がわく度に腹からツッコミが入るため、俺は般若心境を唱えることなく眠りについた。
信玄に会いたくて、こっそり甲州梅買い付けに行こうと思いましたが止めました。




