51. 新婚旅行
※一部、大人向けっぽい表現が含まれます
はい、どうもどうも。俺たち、近江国なう。
堂々とそびえ立つ城は観音寺城と呼ばれている。南近江を支配下に治める六角氏の主城だ。現当主は義賢という。俺と同じで家督を継いだばかりだそうだ。支配圏は比べものにならないし、城下町の賑やかさからして相当な経済力がある。
京の都と隣接しているため、幕府関係者とも親しいようだ。
観光客を装って話しかけたら、商人風の男が気前よく色々語ってくれた。俺としては、そんなことよりも宝蔵院流の道場を聞きたかったんだが。この時代はまだ槍術が一般的でなく、刀を含めた武術の一環として覚えることになっている。
要するに一通り扱えるのが常識、っていうわけだ。
弓も刀もイマイチだし、槍なら突くだけでいいかなって甘いことを考えた俺を笑えばいい。本気で槍術を習いたい人間から見れば、門前払いもいいとこだ。
というわけで、普通に城下町見物をしている。イマココ。
尾張国内がやべー時に何やってんの! と怒られそうだが、これにはちゃんとした理由がある。留守中の手配も万全だから、もーまんたい。一月くらい、のんびり観光してくる余裕もありそうだ。
イッツジョーク。そんな博打はしない。
「だから、睨むなよ。お蝶」
「気のせいではないかしら」
今日も今日とてクールな嫁、お忍び中なので名前も変えている。
供連れのいない二人旅、念には念を入れないとな。
なにせ生粋のお姫様である帰蝶姫は、庶民風の装いになっても気品が溢れている。ここ数日ですっかり変装が板についた俺は、さながら姫に従う下男だ。そんなわけで誰も夫婦だと気付いてくれない。
旦那って呼べよ。これでも尾張の一部を治める領主様だぞ。
「あなた」
「痛い痛い痛い」
「顔に出やすいのだから、少しは自重してくださらない?」
「分かったから、耳を引っ張るの止めてクダサイ」
完全に尻に敷かれていると笑ったのは利家(留守番中)。
てめえも将来、従妹の尻に敷かれるんだ。今のうちに笑っていろ。次に指差して笑うのは俺だ。と考えて、藤吉郎の嫁も大概に伝説級のかあちゃんだったことを思い出す。
ちらっと帰蝶を盗み見た。
もしかしなくても、彼女の影響だろうか。
利家と藤吉郎はもはや、俺の側近といってもいい。まだ藤吉郎の身分は低いままだが、歴史通りなら大出世する。どいつもこいつも結婚を渋っているのは、どうやら俺に子が生まれないかららしい。
四年経っても懐妊の兆しがない。
帰蝶も平然としている裏で、すごく気にしていたらしい。
沢彦に指摘されるまで全く気付いていなかった俺は夫失格だ。思い立ったが吉日とばかりに家老衆へ代理を任せ、帰蝶を連れて城を飛び出した。子宝祈願に熱田神社へ参拝ついでに、近江国まで足を延ばしてしまった。帰りも美濃国を通るので、舅殿に挨拶していくのもいいな。
いや、ちゃんと敵情視察も兼ねているのだよ。
本当は京まで行くつもりだった。衰退の一途をたどる室町幕府と、応仁の乱で焼け野原になった京の町がどうなっているか気になったからだ。
「まずは宿をとるか。歩き続けて疲れただろ?」
「……あなたはどうして、そう平然としているの。納得いかないわ」
「男だから」
「答える気はないのね。別にいいけれど」
本当のことしか言っていないのに、拗ねられた。
どうにも嫁には、俺が相当な嘘吐きであると誤解されているようだ。
悪い噂の大半が嘘であり、わざと流布させていたのを知ったせいもある。いい噂は尾鰭がついて、俺自身がびっくりするような内容に変わっている。これも俺の仕業だと思われているため、何を言っても信じてもらえないのだ。悲しい。
それでも帰蝶は、俺を慕ってくれている。
感性が一般のそれとズレまくっているんじゃないかと思わなくもないが、ズレているおかげでイチャイチャできるのだから何も問題はない。
「子は天からの授かりものっていうしなあ」
「……わたくしは、欲しいわ」
よーし、俺頑張っちゃうぞ。
**********
結論、頑張りすぎいくない。
俺のせいで帰蝶の動けない日が続いて、京見物は断念せざるを得なくなった。真っ直ぐに帰路を目指してもいいのだが、何年も顔を見ていない父娘の再会は絶対実現させたい。
『環境が変われば気分も変わり、御子を授かりやすくなるかもしれませぬ』
沢彦の何か企んでいそうな顔が浮かぶ。
なんだろうな。どういうわけか、嫌な予感がする。
首の後ろがざわざわ、ちりちりと不快だ。帰蝶が訝しそうに見てくるのを、笑って誤魔化す。上手く言葉にできる自信がない。
「ねえ、あなた。心配なら――」
「会っておけ」
彼女の目が丸くなるのを見ても、俺は言いたいことも言えなかった。
この先、ますます情勢が厳しくなる。こんな風に尾張国の外へ出る機会も失われるだろう。出ることがあるとしたら、それは支配地が広がった時だ。
その頃にはもう、舅殿は死んでいる。
いや、ダメだ。
歴史は変えたくない。だが、俺は本能寺で死にたくない。同じように舅殿も、なんとか殺される前に脱出させられないものだろうか。最終的に俺が美濃国を支配下に治めればいい。
戦国の三悪党、蝮の道三と呼ばれた男だ。
いずれは魔王を自称するかもしれない俺の参謀として、役に立ってもらおう。
「急ぐぞ。足元に気をつけてな」
「え、ええ」
戸惑う帰蝶の手を取り、俺は足早に歩きだした。
確かに稲葉山城に向かえば、かなりの遠回りになる。それでも今後のことを考えれば、けっして寄り道にはならない。俺は軍師がほしい。舅殿に死んでほしくない。帰蝶と二人なら、何とかなるかもしれない。
焦りと不安と期待がないまぜになって俺は先を急ぐ。
そこへ突然、騎馬集団が現れた。
「止まれ。そこの二人、用がある!」
「げっ」
先頭で声を上げた奴に見覚えがあった。
髭面の山賊風の男、蜂須賀小六だ。あちらもすぐ、俺に気付いた。馬を降りるなり、ずんずんと大股で近づいてくる。とっさに帰蝶を背に庇ったが、彼女にとっても見知った面々だろう。
「ほう? 今度は小者に変装しておられるか。姫をたぶらかす、卑しい山賊と間違えて、斬りかかりそうになったわ」
「小者じゃねえよ! 新婚旅行の途中なんだ、邪魔するな」
「そうもいかぬ。御屋形様より、お二人の護衛を仰せつかった。草庵にご案内いたす」
「草庵? 父が考え事をするときに使っている庵のことね」
「御意にございます」
「おい、ハチスカこの野郎。俺への態度と随分違うじゃねえか」
「あなた、後にして。急ぎたいのでしょう?」
「し、仕方ねえな! ハチスカ、馬を寄越せ。お濃は長旅で疲れている」
「では某が」
「嫌よ」
プイッと横を向く帰蝶。なんだそれ可愛いな。
俺は馬で相乗りする予定だったのだが、蜂須賀は帰蝶だけを乗せるつもりだったらしい。鋭く察した彼女が拒否したため、しばらく押し問答が続く。俺に喧嘩するなと言っておきながら、意外におとなげない部分もあるようだ。
もしかして蜂須賀とは旧知の仲なのか。
子供時代から知っている間柄だと、態度が気安くなるという。生まれ変わって初めての嫉妬らしき感情に、俺は釈然としない気持ちになる。身分も違うし、俺の嫁だし、そもそも関係を疑うこと自体が帰蝶に失礼だ。
分かっている。分かっているのだが、面白くない。
「ま、待って……あなた、止めて。今日は――」
「知らん」
舅殿との会見も早々に切り上げた俺は宿に着くなり、帰蝶を押し倒した。
襲われたのは最初だけだったな、と何やら懐かしく思い出す。あの時は彼女の勘違いからなる嫉妬で、強引な行動に出たのだろう。内に暴れる感情に比べれば、可愛らしいものだ。
舅殿――隠居し、斎藤道三と改めた――には、義龍への警戒を促した。
帰蝶も薄々気づいているくらいには、以前から態度があからさまだったようだ。乱世に生まれて、蝮の血を引いていて、野心を抱くなという方が無理である。しかし親子で殺し合う理屈はどうしても理解できない、したくない。
覚悟を決めているようだった舅殿、道三に俺は感情をぶちまけた。
蜂須賀に対する嫉妬も含まれていたのは否定しない。
結果的にはそれでよかったのかもしれない。子供の癇癪を起こしたようになった俺を笑って宥め、あっさりと死を受け入れたりしないと誓ってくれた。もしも不穏な動きあらば、すぐに知らせるとも言ってくれた。
そこで蜂須賀が苦虫を大量に噛み潰した顔になったので、伝令役は奴だ。
俺にとっての一益みたいな仕事をしているのだろう。
「またお前か」
「俺とて、貴様と頻繁に顔を合わせたくないわ」
宿に来客があると出てみれば、朝っぱらから山賊顔とご対面である。
寛大な俺の気分も悪くなろうというものだ。
「お濃は寝ているからな。顔を見たいと言っても無駄だぞ」
「……貴様が好色に耽る暇などあるものか」
「んだと?」
「家老の一人が死んだぞ。大変な時期に国を飛び出す主へ、命を以って諫めると」
「そんな馬鹿な……!」
思わず蜂須賀の襟首を掴んでしまったが、苦し気な声など聞こえない。
名前を聞かなくても分かる。
そんなことをしそうな人間は一人しかいない。回避できたはずだった。そう思っていた。歴史の大筋が変わらなければ、小さな出来事は変えても大丈夫だろう。
どこまでも、俺は甘かった。
何もかもが足元から崩れていく――。
何気に出番のある蜂須賀サン。藤吉郎との出会いはまだです




