50. 三間槍と三段鉄砲
織田本家の軍、清州勢を追い払った。
この事実は、家臣一同の士気を大いに上げた。
いつも定例評議会のたびに俺の顔色を窺っている者も、やけに生き生きしている。
親父殿ですら成しえなかったことを、家督を継いだばかりの俺がやろうというのだ。今川軍の脅威から、目をそらしたい気持ちもあったかもしれない。清州の兵たちが這う這うの体で逃げていった様子を語り、このまま追い込むべきという意見が出る。
後方の憂いがなくなれば、今川軍と存分に戦えるという思惑もあった。
不安要素は他にもあることを、意図的に忘れている。
「今こそ好機。迅速に追撃し、清州城を奪い取ってしまいましょうぞ!」
そうだそうだ、と多くの声が唱和した。
「大和守討つべし」
「殿、ご決断を」
「殿!」
「……この話は保留だ。他に議題がないなら、これにて終了とする」
不満げな声は聞き流して、広間を後にする。
利家たちが足早についてくるのは、もう定番になってきた。俺がいなくなった後は、家老たちがなんとか宥めてくれるだろう。彼らには言いたい放題言わせておけばいい。
赤塚の戦いは、裏切り者を仕置きするだけだった。
萱津の戦いは奇襲を仕掛けたも同然だ。城を落としても、すぐに守備へ転じるのは難しい。落ち着いて迎撃準備が整う前に攻め込んだから、何とかなったのだ。
「兵は神速を貴ぶ、か」
「あれ? 信長様は追撃に反対なんすよね」
「当たり前だ。戦の規模が違う。だが、いずれは戦うことになる。そのためにできるだけ準備をしておきたい。俺たちには足りないものが多すぎる」
「それは何でしょうか」
「力だ」
我ながら漠然とした答えである。
利家と橋介も、分かったような分からないような顔になった。
力不足なのはなんとなく理解できても、現状ではどうしようもない。金がわいてくる泉もなければ、金色に輝く大樹もない。全てを黄金に変える魔法があっても、それらを換金しなけば意味がない。今ある資金、軍備力で勝負するしかないのだ。
「このまま戦えば負ける」
なんとなくだが、そう思う。
戦に勝つための何かが足りない。それが何か分からないからイライラする。
足音も荒く縁側を歩いていると、どこからか威勢のいい声が聞こえた。興味が引かれて、声がする方向へ進路を変える。それなりの人数が大きな声を揃えているようだ。
「えい、えい、えいっ」
「あれは」
「雑兵の訓練ですね。槍隊が何故、このような場所で…………注意してきます」
「まあ待て」
彼らはひたすら突く、突く、突く。
槍の扱いとしては基本中の基本だ。大きく振り回したりすればカッコイイだろうに、隊列を組んで練習するには互いが近すぎた。振り回した途端に傷つけ合うことになる。
なんだ? 違和感があるぞ。
雑兵の訓練は今までも見かけたことがある。馬廻り衆は平時に農作業している者が多いが、今の足軽隊は常備兵がほとんどだ。出陣がないときはこうして、鍛錬を積んでいる。
他にやることがないんだから仕方ない。
「槍、短くないか?」
「二間半はありますよ。普通だと思いますが」
「ああやって突くだけなら、長い方がいいに決まっている。振り回すなら長くない方がいいかもしれんが、槍衾には長い槍だろ」
「早速作らせます!」
「一間足してな」
「はいっ」
橋介が駆けていくのを、利家と並んで見送る。
「吉兵衛に怒られるかな」
「さあ? 戦の準備ということで、必要経費に入れてもらえるんじゃないっすかね」
「必要ついでに、鉄砲も何か考えるか」
「アレを使うんすか?」
「使わん手はないだろ。親父殿はとっくに実戦投入しているんだぞ」
「あんまり役に立たなかったとか聞いてるっす」
「……は?」
それはおかしい。
歩き始めようとした足が止まる。
振り返れば、利家は真面目な顔をしていた。こいつは馬鹿犬だが、嘘や冗談が好きなタイプではない。小姓を務めるようになってからは、専ら俺の情報ソースとして活躍中だ。
話を戻そう。
鉄砲は戦国時代の象徴ともいえる。大砲で城壁を粉砕し、鉄砲で人馬もろとも無力化する。矢が刺さっても戦えるが、鉄砲が当たったら衝撃で倒れる。必ずだ。
「俺もおかしいなと思って、話を聞いてみたんすよ。そうしたら、鉄砲で火傷したり、いきなりはじけ飛んだり、弾を込めている間に攻め込まれたりして」
「敵の目前で弾込めさせたのかよ!?」
そりゃダメだ。
鉄砲で火傷をするのは、使用法を徹底させていないからだ。
はじけ飛んだのは銃身を暴発させたのだろう。弾込めに失敗すると、そういうことがあると聞いた。弾込めにどうしても時間がかかるのは、火縄銃の最大の弱点である。そんなことも親父殿は気付かなかったのか。
いや、最新鋭の武器を使ってみたかっただけかもしれない。
そういうお茶目な部分があったらいいな、っていう単なる願望である。使ってみたかった、だけで死んでいった兵士はたまったものじゃないだろうが。
戦をする上で、死者は当然の犠牲だ。
現代の感覚では到底納得できないことだが、無理矢理飲み込むしかない。
戦に勝つのは大前提として、なるべく死者が出ないようにする。犠牲を最小限に抑えるのは軍を指揮する者の務めだと思う。
軍師、どこかに転がっていないか。今のままだと長秀の負担が大きすぎる。
「分かった」
「え、分かったんすか!? さすが信長様っすあだっ」
評定にハリセンは持ち込めないので、扇子の一撃を与える。
「鉄砲隊を招集しろ。今日から隊列の練習をするぞ」
「え、打ち方の練習じゃなく……っすか?」
「説明している手間が惜しい。さっさと行け」
「合点承知っ」
びしっと敬礼をして、利家が走っていく。
俺が以前うっかり帰蝶の前でやらかした警官の敬礼ポーズである。どういうわけか犬松コンビに激しくウケて、俺に命令されると敬礼するようになってしまった。
歴史通りにと心がけているのに、うっかりやらかす俺。
敬礼の起源なんて知らないし、細かいことを気にしていたらキリがない。こういうアバウトな人間なのだ、と自分に言い訳している。
もっと信長史について事細かく知っていたら、これほど不安にならなかったのか。
いや、考えても詮無いことだ。
俺、ノブナガ。アイアム信長。いずれ天下に武を布く男である。
この日からしばらくの間、鉄砲隊の指導に専念した。
俺が指導したのは初日だけで、あとは足軽頭に指導を任せる。こういったことは当主自らやるのも士気向上にいいのだが、部隊長クラスの人間は不満を抱く場合もあるそうだ。人間心理って難しい。
練習なので縄は詰めるが、火はつけない。
大事なのは迅速に、確実に弾を込めることだ。
弾込め、火縄を設置、火をつけ(るフリをし)てから、構える。撃ったことにして、すぐさま後退させる。代わりに出てくるのは後方で「火をつける」をしていた二列目だ。三列目は「火縄」段階で、戻った一列目に「弾込め」をさせる。
本当は押し込む役を専門職として用意したいんだがな。
バタバタ、ワタワタと走り回る鉄砲兵を見つめる。
言われるままに動いているだけで、自分が何をしているのか理解できていない感じだ。考えるよりも号令された反射で動いているため、何人かは必ず遅れる。その度に指導官の怒号が飛び、ひっくり返った兵士のせいでまた遅れる。
「モノになるのか、これ」
「時間はかかるでしょうが、現状でも十分すぎるかと」
「うん、まあ……五郎左がそう言うなら」
「主君たる者、堂々とあるべきです。殿には我らがついておりますれば」
「頼りにしている」
長秀がふっと笑みを浮かべる。
何か言いかけたようだが、再びの怒号でうやむやになってしまった。
一間=1.819m




