【閑話】 投石衆と馬廻衆
信長との話が終わり、二人の青年が部屋を辞する。
織田家へ正式に仕官してから短いというが、あの気安さは年季の入ったものだ。信広には分かる。ただの主従関係にはない信頼という名の絆が、彼らをしっかり繋いでいた。
「おい、前田の」
「へ? 俺のことっすか」
「そうだ。何故、貴様は三郎の小姓などしている」
「な、なんでと言われても……、なんでだ?」
「俺に聞くな。ちったあ、てめえで考えろ」
馬鹿犬、と佐々家の三男坊・成政がぼやく。
彼らの親は信長にいい感情を持っていない。特に前田家は、佐渡守秀貞の与力だ。佐々家ともども春日井郡を本拠とする土豪の一族である。信秀の死で袂を分かったと思われた秀貞は、いまだに筆頭家老の座を維持していた。
弾正忠家における影響力も強い。
(あいつは甘ちゃんだからな。私がしっかり見てやらねば)
適当な罪状で処罰すればいいものを。
裏でこそこそしているのを知りながら、放っておく信長の気が知れない。
信行に関してもそうだ。教育係の沢彦から諦めるよう進言されても、希望を捨てきれないらしい。というのは美濃国から来た正室・帰蝶姫から聞いた話だ。
ふと気が付けば、四つの視線に睨まれていた。
「……俺たち、信長様のためなら命を賭けられるんすよ」
「ただし、勝てる見込みのある賭けに限るがな」
「負ける賭けはしねえ、ってのが信長様の流儀だもんなあ。くうっ、カッコイイぜ!」
「あー、こいつは大抵こんな感じなんで」
「敵ではない、か。いいだろう。証拠を見せよ」
「ショウコ?」
きょとんとしている前田の次男坊・利家は、頭が悪いのだろうか。
そのあとに「インメツ」と呟いていたが不穏すぎる。すかさず成政に頭を叩かれ、取っ組み合いの喧嘩が始まりそうになった。血の気が多すぎるのも考えものだ。
「貴様ら、もう少し落ち着くべきであろう。この私のように!」
「……ええ~」
「そんなことより、証拠って何を見せればいいんですかね?」
「決まっている。私と戦え!!」
「いやいやいや、ダメに決まってるじゃないですか。何考えてるんですか、あんたは」
ぽかんと口が開いている利家、大いに慌てている成政。
どちらも礼儀がなっていないが、それは今度会った時にでも信長へ注意しておく。信長が信広に対して敬意を払わないから、家臣まで上に倣ってしまうのだ。一族の者としてだけでなく、兄として敬う心があるなら表に出すべきである。
信長は少し照れ屋さんなのだ。
「馬はどうだ? 先程、そのような話をしていただろう」
「馬廻衆のことっすね」
「馬が間に合わなかったら、俺も投石兵率いることになんのかなあ。さこ……一益のやつが、何人か引き抜いていったから再編しなきゃならねえし」
「投石兵だと?」
成政が「しまった」と言わんばかりに口を押さえる。
「えっと、石を投げるのを専門にする小隊っす。石合戦で好成績を収めたやつを優先的に召し上げて、残りは希望者をいってえ!」
「馬鹿犬!! ぺらぺら喋んなっ」
「殴るこたねえだろ。殴るこたあ!」
「そうしねえと、止まらねえんだよ。てめえはっ」
また喧嘩が始まった。
さすがに毎回仲裁するのは面倒なので放置する。嫡男ではない気楽な身分だから、こうして自由に生き方を決められるのだろう。信広も昔は、そうだった。
嫡男ではないが、弾正忠家の血を引く者としての誇りがあった。
信長が生まれ、信行が生まれ、弟たちが成長していくにしたがって周囲の声が不穏な響きを混ぜるようになってきた。嫡男でありながら期待されない弟、嫡男ではないのに期待される弟。どちらの味方もしたくない信広は、ただ父の命令だけに執着した。
「投石兵、か」
戦に関しては、それなりに心得がある。
大事な城を失い、縄をかけられる辱めに屈した。慢心していた己ごと折れた心は、信長が救ってくれた。信広は戦場に舞い戻り、いずれは今川家に雪辱を果たす。
なりふりはかまっていられないが、鉄砲は好かない。
「よし、その投石兵とやらを見せてみろ。私が使えるかどうかを判断してやろう」
「いいっすよ」
「おい!」
「あいつらを従わせられたら、の話っすけど」
「は?」
意味が分からない信広と違って、成政はしたりと頷いた。
「いいな、それ」
「だろ」
この時に兄貴分である丹羽長秀がいたら、話は違っていたかもしれない。
だが喪に服している一年の猶予は無駄にできず、信長の側近たちは昼夜も明けない忙しさに駆け回っていたのだ。本当なら、利家たちもここで雑談している暇はなかった。
猫の手も借りたい状況である。
彼らは信広も巻き込んでしまおうと考えたのだ。
一か月後の野外鍛錬場。
信広はずらりと並んだそれに、あんぐりと口を開いていた。
ようやく数が揃った、と信長が嬉しそうに持ってきたのだ。荷車を連れてきたことから量があるのは分かっていたが、並べきることができずに小山になった。
「こ、これは何だ」
「ん? 投石器」
「布と紐ではないか!」
「ちなみにこっちの石がくっついている方も、立派な投擲用の道具なんだぞ。三つ又になっているのがポイント」
信長が自慢げに見せてくれるが、丸い石のついた紐にしか見えない。
「三郎、我らは貴様の遊びに付き合っている暇はないのだ」
「素手で石投げまくっても、飛距離が伸びるわけねえだろっ」
「人間、できぬことはない」
「この脳筋兄貴!!」
大いに貶されていると分かっていても、兄貴の一言で嬉しくなる。
絹でも麻でもない白っぽい布は、なかなか丈夫そうだ。両端に紐がついているだけで特に何かあるようには見えない。石を固定した紐の方が余程まともな武器に見える。
信長は布に石を置き、紐の両端をまとめて握りしめた。
おもむろに、ぐるんぐるんと振り回し始める。
「そこ、ちゃんと逃げろよ? 当たると怪我じゃすまないからな」
「逃げるのは私が許さん。当たらなければよいのだろう?」
「え」
織田兄弟の言葉に、前方にいた兵が青ざめる。
石の大きさは大したことがなくとも、彼らは今の今まで投石練習をしていたのだ。勢いのついた石が、十分な殺傷能力を持つことは身に染みている。
「俺がノーコンだと言ってんのか、クソ兄貴」
「大事な兵を傷つける気か、当主殿」
「ああ?」
「そうやって、すぐ睨めばいいというものではない。まだまだ青いな、三郎よ」
「うるっせー……あ、すっぽ抜けた」
怒鳴ろうとして身をひねった時、注意も逸れてしまったらしい。
信長曰く投擲具とやらが空高く飛んでいく。
「うわああああっ」
「逃げろおーっ」
兵士たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
鍛錬場が林に近いのがまずかった。あっという間に木々の向こうに消えて、行方が分からなくなる。ほとんどの兵士が、信長たちの方へ逃げてきたので事なきを得た。
ホッと息吐く間もなく、木々が大きく揺れ始める。
「拾った」
「おっ、一益。戻ってきていたのか」
「鍛錬」
「邪魔しちまったか? 悪いな」
野獣かと身構えた一同を気にすることなく、一益は投石器を信長に渡す。
「威力抜群。一撃必殺」
「殺してないよな!?」
「熊鍋」
「熊かー、最近食べてないな。おい、今夜は飯いらないって城へ通達してくれ」
「はっ」
信長が連れてきた兵の一人が、駆けていく。
何の気なしにその背を見送っていたが、一益がおもむろに石のついた紐を拾い上げていた。まさか、あの兵士にぶつけたりはしないだろうが。
「ちなみに、こっちの石ついた奴は」
信長が説明するのに合わせ、一益が紐を振り回し始める。
ガツガツと石同士がぶつかり合う音が、実に嫌な感じだ。いつになく信長が悪い顔になっているせいもある。さっきのおそろしい光景が浮かんだ投石兵たちが、じりじりと後ずさりを始めた。
「こうする」
「ぎゃあ!?」
紐が消えたかと思えば、悲鳴が上がる。
投石兵の一人が紐に絡めとられて転倒していた。
反射的に助けに行こうとした信広を、信長が手で制する。足にかかった紐は複雑に絡み、起き上がれないようだ。石そのものは小さくとも、目の荒い紐はほどくのに苦労する。
「てめえ、どこのモンだ?」
「三郎、いったい何を――」
「投石兵の顔は大体把握している。運が悪かったなあ? 他の部隊に紛れ込んだ奴は上手くやっているだろうに、てめえだけは貧乏くじだ」
下顎を掴んでいるので、兵士に偽装した男は話せない。
それでも信長のことを憎悪に満ちた目で睨む。そして信長も奇妙なくらいに、歪んだ笑みを浮かべていた。こんなのは慣れていると言わんばかりだ。
「連れていけ」
「御意」
素早く猿轡を噛ませ、一益がひょいと肩に担いだ。
まるで荷物扱いだ。信広たちが呆気に取られている間に、さっさと歩き去ってしまう。大の男を担いでいるとは思えない身軽さだ。
ふと思いついて、布と紐の組み合わせたものを一つ取ってみた。
「兄貴?」
信長がやっていたように石を入れ、紐の両端を握って振り回す。
振り回す、振り回す。ひたすら振り回すが何も起きない。
「何故だ!!」
「キレるついでに、道具ごと投げんなよっ」
「う、うわ! 木が……っ」
今度は空高く飛ばずに、まっすぐ飛んだ。
木肌にめりこんだ投石器はしばらくして落下したが、大人が二人で抱えられそうな樹木がメキメキと音を立て始めたのだ。周りを巻き込んで倒れるまで、そうかからなかった。
「ほう、確かに一撃必殺だな。見事な威力だ」
「もうやだ、この脳筋兄貴」
「貴様らも今日から、この投石器で練習するぞ! 鉄砲に負けぬ威力を敵に見せつけてやるのだ」
「おおーっ」
「投石器ごと投げるんじゃないからな!! それだけは絶対違うからなっ」
信長が悲鳴のような声をあげていたが、何も心配はいらない。
布と紐など、すぐに揃う。そう思っていた時期もあった。道具は腰に結わえておくだけで、装備は足軽と同じにできる。石は現地調達すればいい。投石器がなくなれば、素手で投げるだけだ。
そう思っていた時期もあった。
だが信広は一年後に真実を知る。
投石器は少し手を緩めるだけで石が飛ぶ。多大なる出費でキレた貞勝によって、信広は問答無用で小型算盤の鍛錬を叩きこまれた。そして久しぶりに見た投石兵たちは、道具を使い捨てない投擲術を習得していた。
これが、のちの投石衆である。
ちなみに彼らの初陣は村木砦なので、まだまだ先です。ボーラに関する情報もいただいたので、曲者捕縛に使ってみました




