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ノブナガ奇伝  作者: 天野眞亜
雌伏編(天文13年~)
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3. 修羅の国の人

「戻ったか、吉法師(うつけ)

 もじゃ髭をたくわえた不機嫌そうな親父が織田信秀。

 信長の実父にして、俺の父親だ。

 といっても、あんまり実感がないんだよな。

 前の人生――以降、前世――の俺と面識がなかったという以前に、家族交流しない家庭らしい(犬千代情報)。それからヤンゴトナキ事情もあった。二つやそこらの幼児を城主に据えたと思ったら、今川家の人質に差し出してしまったのだ。

 一族が生き延びるために犠牲となれ、である。

 うっかり死んでも、次男いるから問題ないってか。大ありだ!

 尾張守護代である織田本家から見て、分家筋にあたるのが俺たちの一族だ。いくつかの城を預かっているとはいえ、国主なんて名乗れない弱小武家。かたや海道一の弓取りと名高い名門今川家である。戦う前に負けが確定している相手だ。

 よくもまあ、そんなのに喧嘩売る気になったよな織田信長。

 今は俺だけど。

 もしかしなくても歴史通りに事が運んだら、桶狭間で大博打するはめになるのか? おいおい、冗談じゃないぞ。死亡フラグ立ってんじゃないか、既に。49年生きるどころじゃない。

「聞いておるのか!!」

「あ、聞いてませんでした」

 ゴッと何かが当たった。

 正直者は硯に当たる、ってか。なんか痛いよりも先にぬるぬるしたモノが落ちてきたんだが、これってヤバくないか。目が、目が……目がああぁっ。

「聞け、吉法師」

 それどころじゃないです。目の前が真っ赤です、親父。

 ここは当主の間だ。

 正式になんて呼ぶのかは知らないし、どうでもいい。

 万千代は本当に俺を呼びに来たらしく、屋敷どころか古渡城――この頃、清州城は織田本家の居城だった――へ直行便だった。導かれるままに歩いていけば、たった今人を殺してきました的な顔をした修羅がいた。

 機嫌の悪いところへ、空気を読めない嫡男の素直な(すっとぼけた)返事。

 硯の一つも投げたくなる…………わけあるか!

 誰かが言っていたな。人生とは重き荷を背負いて、長き坂を歩くが如し。

 割れた額がじんじんする。

 これで地味顔がちょっとは凄みを増すようになるんだろうか。あんまり嬉しくないな。織田家って美形一族だとか聞いたことあるんだが、なんで信長だけ地味なんだよ。おかしいだろ。

 あれか、前世が俺だからか。

「……分かったな? 分かったら、さっさと去ね」

「はっ」

 全然これっぽっちも分かっていないが、出て行けと言われたのは理解した。

 前傾姿勢になると床に血が落ちそうだ。血痕は拭き取るのが大変だと聞いたことがあるし、掃除を命じられた誰かが刃傷沙汰でもあったのかと勘違いするかもしれない。

 だが礼をとらねば不敬にあたる。

 父とも思っていない相手だが、信秀は織田家(の分家)の現当主だ。

 とりあえず患部を手に添えれば、血止めになる。だらだら流れている分は着物が吸い取ってくれているはずだ。もうこれは着れないかもしれない。勿体ないが仕方ない。

 手で触れる。

 ぬる、と滑った。なんだこれ、きもちわるい。

「吉法師! ええい、何をしておるかっ」

 うるせえ、声が大きい。頭に響くんじゃ。

 文句を言う間もなく、ぐるりと視界が回った。

 礼をとるために前傾姿勢となったはずが、何故か天井が見えている。ゆらゆら、ゆらゆらと赤いものが見える。なんだあれは、炎か。

 燃えているのか、ここが。

 いや違う、燃えているのは本能寺だ。

 比叡山だ、多聞山城だ、どこだ。

 真っ赤なもので覆われていく。相変わらず周りが喧しく、頭に響く。そういえば馬から落ちた時も大いに騒がれた。そうだよな、信長だもんな。当然だ。

 ニタリと笑って、意識が飛んだ。




「ということが、あったのだ」

「それですよ絶対」

 間違いありませんFA、と言わんばかりに万千代が頷く。

「信秀様だぞ?」

「それがしとしましては、何故に若様が大殿のことをそう呼んでおられるのかが理解できませぬ。遅い反抗期ですか?」

「いやあ、それだと二歳の頃から反抗期続いていることになるぞ」

「すげえな、吉法師様! さすがだぜっ」

 松と犬は俺の鉄拳制裁を受け、揃って蹲る。

 本当にこいつらが将来の(以下略)というのは考えないでおこう。若気の至りともいう。やんちゃ者だったのが、年を取って落ち着くというのはよくある話だ。あってほしい。

 信秀様こと、親父殿みたいな大人になってくれるなよ。

 その親父殿も最近は妙に、静かで不気味だ。

 先日はわざわざ見舞いに来て、熟れた柿をくれた。渋柿だった。

「修羅の国の人が普通になると、こんなにおっかないものなんだな」

「尾張国ですよ、若様」

「言葉の綾だ。流せ」

「はあ」

 そして犬がこそこそと、隣に向かって「修羅の国」について聞いている。

 当然ながら存在すら知らない松が適当なことを言って納得させた。小声のやり取りをしているのは、また俺に殴られるからだ。それにしたって、こいつら仲良いよな。

 羨ましくなんかない。舎弟と臣下はいるけど、ダチがいない現実に泣いていない。

 今日も今日とて、のんびり散歩日和だ。

 怒る人間もいないので遊び放題である。いや、一人いるか。平手の爺が懇々切々と説教を垂れてくるのには弱い。まあ、爺も硯事件から妙に静かなんだが。

 そんなことよりも馬だ。

 馬も慣れると、なかなか気分がいい。景色を楽しむ余裕が出てくるし、何よりも馬との一体感が最高だ。馬は友達、とはよく言ったものである。

 ああ、人間の友達がほしい。

「信秀様の気まぐれかもしれんから、お前もよく気を付けてくれ。硯は痛い」

「治ってよかったですねえ、本当に」

 しみじみと万千代が呟く。

 知らせを受け、真っ先に駆けつけたのは彼だったそうだ。

 安静にできる場所(俺の自室だ)まで運んで、血を拭い、薬を塗って、包帯を巻くまで一人でこなしたと聞いた日には頭が下がる思いだった。万千代に足を向けて寝られない。ウザい、鬱陶しいと思ってすまんかった。

「血だらけで気を失っている若様を見つけた日には、心の臓が止まったかと思いましたよ」

「俺の?」

「それがしのです!」

「硯で死ぬとか笑えないっすよー」

「てめえ、この馬鹿犬! いい話を台無しにするんじゃねえ」

「んだと松ぼっくり」

 また始まった。本当に懲りない奴らだ。

 喧嘩の発端はだいたい片方が口を滑らせるか、過ぎた物言いをすると相場が決まっている。くだらない理由だから、わざわざ仲裁する者もいない。ぎゃあぎゃあと馬上で言い合っているのを、またかと言いたげな農民たちが眺めている。

 ちょうど田植えの時期だ。

 誰も彼もが泥水に足を浸し、幼い苗を手で植えている。

 そこにあるのは水田で間違いないのだが、不揃いの水溜まりが隣り合っているようにしか見えなかった。機械が存在しない時代だから、きちんと区切られていなくても大丈夫なのだろう。

 ちまちまと植えていく後も、列が揃っていない。

 物足りない感じがどこぞの禿頭を思い出させて、つい笑ってしまった。

「若様?」

「いや、何でもない」

 笑顔の農民たちに手を振り返し、俺は苦い気持ちになる。

 一向宗といえども、農民だ。国は違えど、田畑と共に生きている民だ。彼らがいなかったら、俺たちは生活すらできない。それなのに刃向かったからという理由で殺す。

 武士がそんなに偉いのか。

 いつか来るであろう日々を思い浮かべ、とりとめもなく考えを巡らせる。戦略も内政もダメな俺が、どうにかして一揆を止めたいと思うのは間違っているかもしれない。できもしないことをやろうとしても、どこかで無理が祟る。

 だが「それでいいのか」と誰かの声がする。

 若様と呼ばれ、思考から戻った。

「最近、考えにふける回数が増えましたな」

「そうか?」

「悩んでいることがおありなら、我らにお聞かせください。三人寄れば何とやらと申します」

「……サンキュ」

「はあ」

「ありがとう、って言ったんだよ。万千代、駆けるぞ。犬、松もついてこい!」

「おうっ」

 鞭の代わりに腹を蹴る。

 心得たとばかりに馬が駆け出し、あっという間に景色が流れていく。ゆっくり進むのも、こうして疾走するのも、どちらも楽しい。この時代には車道がないため、馬を走らせ放題だ。

 前方に林が見えてきた。

 こんな風に緑が多いのも、この時代ならではだ。砦や城を作るために木材を切り出しても、まだ森は健在。空をゆく鳥に向かって、駆けながら松千代が弓を構えた。

「はーずれー」

 矢の行方を追っていた犬千代が笑う。

 目がいいので、細い矢でも見失わないらしい。

 歯を剥き出して激おこのポーズをしている松千代から、万千代に弓が渡った。馬は相変わらず疾駆しているというのに器用な奴らだ。

「おっ」

 犬千代の声に、思わず意識が逸れる。

 そして俺は、落馬した。

「わ、若さばあああぁ!!」

「うわあああ、吉法師様が馬から落ちて死んだああぁっ」

「バッカ、誰が死ぬか! お助けするに決まってんだろ!!」

 うるさい、喧しい。頭に響く。

 そういえば硯で額が割れて、その後一回転したのに記憶が飛ばなかった。今回もゴロゴロと激しく転がった割に意識がハッキリしている。新説・信長は石頭だった。

 うん、笑える。

 後になって聞いたことだが、この時の笑みが怖すぎて万千代が気絶したらしい。血まみれの俺を見ても平気だったのに、何がダメだったのか。松犬コンビに仔細を問えば「吉法師様サスガっす」の一言しか引き出せなかったので諦めた。


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