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ノブナガ奇伝  作者: 天野眞亜
雌伏編(天文13年~)
37/284

29. 正徳寺会見

 同年4月、那古野城は上へ下への大騒ぎだった。

 ガチャガチャと音を立てて、出陣さながらの真剣さで兵士諸君が並ぶ。

 馬廻り衆に平手の息子、鉄砲小隊は信盛が指揮する。そして恒興が先導役を務め、影にいることが多い一益も今回ばかりは馬上の人だ。ちなみに犬松万トリオも変装した上で、行列に加わっている。

 これらの物々しい出で立ちに、領民たちはひそひそと囁き合う。

 まあ、普通は驚くよなあ。

 俺も単なる思い付きが、こうして実現するとは考えてもみなかった。ぽろっと呟いただけなのだ。聞いていたのが平手の爺だったのが、原因の一つかもしれない。

 ちなみに竹千代は留守番だ。

 かなりゴネられたが、連れていけるわけがない。目にいっぱいの涙を溜めてウルウル目のチワワみたいな顔をされたって、ダメなものはダメだ。そんな風に言い捨てて逃げてきた。いや、逃げたんじゃない。これは戦略的撤退である。

「あー、だる」

「信長様はどんな格好をしても変わりませんなあ」

「猿は黙って、馬を引け」

「へーい」

 ひょいと肩を竦めた藤吉郎が、肩をそびやかして歩く。

 それっぽい振る舞いをしているつもりなのだろうが、どう考えても猿真似である。あまり猿、猿言い続けてきたせいで人語を解する猿にしか見えなくなってきた。あ、冗談だから信じないように。

「後で謝らないとなあ」

「ええ、まだ謝っとらんのですか」

「うるせえ。侍女――名前は何だったか――が門前払いするんだから仕方ねえだろ」

「そんなの信長様の威光でビシッとやれば」

「これ以上印象を悪くしてどうするんだ。少しは猿知恵働かせろ!」

「ひぇっ」

 ハリセンを抜く構えを見せれば、藤吉郎も合わせてくれる。

 そんな風にじゃれ合いながら、道中はのんびり事もなく進んでいった。


**********


 木曽川沿いに位置する正徳寺、その界隈にある町屋にて――。

「さて、此度はどう出るかのう」

「楽しそうですね、利政様」

「楽しめるわけがなかろう。可愛い娘を断腸の思いで嫁にやったというのに、よりによって婚儀をすっぽかすとは。直接会って詫びたいと言うが、相手を間違えておるとしか思えぬわ」

 利政は、確かに信秀あてに抗議の文を送った。

 しかし返事には信長の署名があったのだ。同盟相手であり、舅でもある利政に対して誠意を示さんとする心意気は分からないでもないが、一度会っているだけにその真意を疑ってしまう。

 怒った帰蝶は遅れてやってきた信長に二度、盃をくれてやったそうだ。

 一回目は空、二回目は酒入りである。それも顔に命中させた。かなり変則的ではあるが、これで夫婦の契りを成したことにはなるだろう。一般的に認められるかは別として。

「と、殿」

「来たか」

 いそいそと窓に寄る。

 若干の期待があったのは否定しない。

 兎にも角にも信長は型破りな人間だ。およそ常道というものを憎んでいるのではないかと思うこともある。それでいて礼儀作法を全く知らないわけでもない。茶を嗜む仕草は、実に堂に入ったものであった。

「なんと……これは、一体」

 御家来衆としてついてきた者の一人が呻く。

 現れた『信長』の姿はかなり異様だった。

 とても男物とは思えない派手な着物の片袖を脱いで肌を露出しているばかりか、腰には荒縄を幾重にも巻く。ぶら下げた火打石と瓢箪がぶつかって、騒々しい音を立てる。しかも馬に横乗りして、うつらうつらと居眠りしていたのである。

 皆が絶句するのも無理はなかった。

 利政が一人、堪えきれぬとばかりに笑っている。

「くくっ、そうきたか」

「笑い事ではありませぬぞ! あ、あのような姿、殿を愚弄しているとしか思えませぬ」

「声が大きい。あれらに聞こえたら、潜んでいる意味がなかろう」

「しかしっ」

「文句は後で聞いてやるわ。急ぎ寺へ参るぞ。万が一にも遅れては、婿殿の詫びを詫びで返さねばなくなるからのう」

 そう言われては慌てずにはいられない。

 我先にと町屋から出ていく背を見送り、利政は行列の見えていた窓を振り返った。家臣たちは異様な姿ばかり目を奪われていたようだが、気付くべきは別のところだ。いつの間に揃えたか黒光りする鉄砲を一個小隊分、加えて槍隊に弓隊も実に立派なものだった。

 数を揃えるだけでも相当な出費である。

 信長には、あれだけの兵士全てに十分な装備を与えるだけの経済力があるということだ。居眠りできるほどの信頼を寄せる部隊は、すなわち織田の精鋭である。

 乱れきった『信長』とは対照的に、一糸乱れぬ隊列。

「わしの目に狂いはなかった」

 しみじみと呟く。

 今は怒り心頭の娘も、冷静になれば気付くはずだ。夫となった人間がどれだけ荒唐無稽で、空恐ろしさすら覚える才能を秘めていることを――。


**********


 さて、会見場所である正徳寺へ到着である。

 今回は婿舅として、正々堂々立ち会うからには正装で臨むべし。と平手の爺が言うので、急遽同行を頼み込んだ幸に髪結いなどを頼むことになった。着付けは小姓たちが手分けして行い、恒興が先触れのために席を立つ。

「織田上総介信長様、おなりでございます」

 どよめきがここまで聞こえてくる。

 ほら、結婚もしたからさ。ちょっと箔をつけようかな、っていう魂胆がある。上総国は織田家支配下にないので、勝手に名乗っちゃったわけだ。だが史実でそうなっている精神で貫くことにした。

 実際にはもっと先の時期だとかいうツッコミはなしでお願いします。

 爺も皆も止めなかったし、恒興が喋っちゃったし、もう後には引けなくなった。女装した時よりも動きづらい正装に身を包んで、ずるずると足を引きずりながら歩く。

 骨折は治った。正装は、こういう歩き方しないとコケるのだ。

 久々に帯びた大小が重い。

 烏帽子が窮屈だし、腰回りが動くたびに擦れて、本当にどうにかならんかコレ。甲冑を着込むよりは数倍楽だと爺は笑っているが、こんなもんを着て殿中でござるーは……いや、違う時代の話だった。

 まずは縁の外で、礼をとる。

「利政殿、お久しぶりでございます」

「うむ。よう参られたのう、婿殿。さあ、中へ入られよ」

「はい」

 視線が刺さる、刺さる。

 愛想笑い(ポーカーフェイス)に固定して、殊更ゆっくりと円座へ向かった。美濃の家臣たちは私語を謹んでいるものの、ものすごーく何か言いたげな顔をしている。

 この格好、おかしいかな。

 作法には厳しい平手の爺が太鼓判を押したのだから、間違った着方はしていないはずだ。座るまでの動きも、それはそれは厳しく指導された。一度教えたのに忘れていると嘆かれたが、落馬する以前の記憶がすっ飛んでいるから仕方ない。

 そんなことよりも今は、美濃の蝮だ。

「申し訳ございません!!」

「婿殿、もうよい」

 がばっと伏せた俺に、利政は苦笑交じりの声をかけてくれる。

 もしかして、全然怒っていないのか。いやいや、美濃の蝮を甘く見たら痛い目を見る。笑っている時でも、腹の中はどうなっているか分からない。

「大事な姫を嫁にいただく喜びに浮かれていたとはいえ、肝心の婚儀に遅参するとは武士のみならず人として恥ずべきことです。帰蝶姫にも直接お詫びしたいと思っているのですが、未だ叶わず。されど文だけは受け取ってもらえたようで、今は怒りが静まるのを待って」

「よいと言っておる。のう、婿殿」

「はっ」

「蝮の娘をもらって、そんなに嬉しかったのか?」

「天にも昇る心地でございます! 一度しか顔を見られませんでしたが、噂以上の美しさに心奪われました。このうつけには、もったいない宝だと思っています」

「その宝に、盃をぶつけられたのであろう。腹は立たぬのか」

「無礼者に無礼な仕打ちで、お相子というやつです」

「ふうむ、成程。婿殿は相変わらず変わっておられるのう」

 俺は必死だった。

 結婚してから、娘さんをくださいとやっている気分である。利政が泰然と構えているのが逆に怖い。ぬるい汗がだらだらと背中を流れていく。顔が引きつっていないか心配だ。

 嘘は言っていない。

 小手先の世辞で、どうにかなる相手ではない。そもそも俺は世辞が苦手だし、こういう交渉事は全て周囲にお任せしたいくらいなのだ。利政だけは俺にとって舅なので、こうして覚悟を決めて対面している。

 硯でも茶碗でも、何でも来い!

「婿殿」

「は!!」

「娘をよろしく頼む」

「当然! あ、ですハイ。絶対、幸せにします」

 力いっぱい口が滑ったので、新しい汗がぶわっと出る。

 ハンカチ、ハンカチはどこだ。間違えた、この時代だったら手拭だった。わたわたと探す脳内俺はさておき、表向きは渾身の笑顔でにっかり笑っている。

 明日は顔面筋肉痛待ったなし。

「幸せに、してくれるか。そうか……そう、か」

「利政殿?」

「あれにはわしの全てを叩きこんである。女だてらに知恵も立つ。賢しい女は疎ましがられるが、帰蝶は気性も強い。婿殿には苦労をかけるかもしれぬ」

「殿っ」

 思わず膝を進めたのはなんと、蜂須賀だ。

 今回の会見で利政の同行を申し出ていたらしい。髭はそのままだったが、髪と服装をきちんと整えている。じろりと睨んでくる目は、うん。俺に恨みがありそうだ。

 まんまと罠にハマったくせに。

 ニヤリと笑いかけて、すぐ利政へ意識を戻す。どうせ野盗関連の顛末も、美濃の蝮は把握していることだろう。わざわざ蒸し返す必要はない。

 べつに、女装について問われたくないからじゃないからな!

「さて、本題に入ろうかの」

「え」

「詫びは受け入れた。次は今後の話をするがよかろうて」

 今後、という響きに何やら不穏なものを感じた。

 息子の名前は斎藤義龍だったか。実の父を殺し、信長に倒される運命にある。そう遠くない未来の話だ。もしかしたら予兆はもう現れているのかもしれない。

 俺は、嫌だ。

 平手の爺とは別の意味で、利政のことを慕ってしまっている。恐ろしくも、尊敬できる人だ。親父殿が好きになれないから、外に代わりを求めているのだとしても。

「はい。未来の話をしましょう、舅殿」

 俺はこの人を失いたくない。

 それから少しして、正徳寺会見は終わった。両家の名義で、いくつかの取引を約束できたのは大きな収穫だ。俺の連れてきた部隊の素晴らしさを褒められ、鉄砲500丁の購入を決める。

 国友銃は、種子島銃の発展形だ。

 親父殿もさぞ喜ぶことだろう。

 俺に試し打ちさせておいて、追加注文した分を実戦投入しているくらいだ。これからの時代には鉄砲が大きな影響を与えることになる。

 戦の作法が、変わる。

濃姫の嫁入りに続いて、書きたかったシーンが書けて満足。

会見に向かう信長たちの様子は『信長公記』の記述を参考にしています。少しいじっているので、全く同じではありません。


※活動報告にて小話追加しています

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