22. 囮作戦
ノブナガ改め、おノブである。
素で「これがあたし!?」を呟くはめになるとは思わなかったが、舎弟たちの驚きようも実に面白かった。恒興は泡を吹いて倒れたので、家の隅に放置している。できたての青畳だ。心行くまで堪能していることだろう。
「すげえ美人っすよ! オレ、三郎様に惚れそうっす! いや、出会った瞬間に惚れました。一生ついていきますっ」
「……あ、うん。一生、友達でいような」
「っす!!」
色々ギリギリな利家はさておき、成政は赤入道のようになっている。
綺麗だ美人だすごいすごいと、ひたすら褒め称える猿も放置。それはもう村の奴らにひとしきりやってもらったから、腹一杯である。夕餉がまだだという舎弟たちのために、残っていた握り飯を振る舞った。
明日の食事が遅くなるが、舎弟たちには今から仕事をしてもらう。
腹が減ってはナントヤラだ。
「しかし、おノブ様。見た目だけでなく、立ち振る舞いもおなごらしくなさっては如何か。その方が色々と楽し……変装の甲斐があるというものでござる」
「できなくはないが、面倒だから温存している」
「左様でござったか」
信盛め、ちょっと本音がぽろりしたな。
それはそうと、いい加減に食事も終わった頃だろう。村の女に頼んで、茶を用意してもらう。あくまでも咽喉をしめらせる程度だ。たくさん飲んで、作戦中に用を足したくなっても困る。
いつもの円陣には、偵察から戻ってきた長秀と一益もいた。
この二人は俺の姿を見て絶句してから、一言も喋っていない。だが俺の視線を感じてか、長秀が観念した様子で空になった汁椀を置いた。
「囮作戦ですね」
ぎょっとしたのは信盛だけで、他は納得顔で頷く。
「恒興に侍従をやってもらう予定だったが、あれだからなー。一益、奴らは今夜も動きそうか?」
「動く」
「できれば根城を抑えたい。夜に活動するなら、近くに巣があるはずだ。猿、供を許す。残りは万の指示に従え。一益、フォローを頼むぞ」
「御意」
「合点承知の助ってなあ! ……おい、松。ほろおって何だ」
「俺が知るかよ、この馬鹿犬っ。一益、おいテメ一益! ほろおってなんだ」
「知らぬ」
「は、ぶへ!?」
「やかましい」
叫ぼうとした成政に狙いを定め、ハリセンの一撃。
こいつらのノリは緊張をほぐしてくれるが、ちょっとした脱力感のオプションまでついてくる。そして制裁を受けた成政を指差して笑っている利家も、ついでにぶっ叩いた。
世話の焼ける奴らである。
「おノブ様」
「却下」
「なにゆえに」
「今日、城が騒がしかった」
お市が騒いでいただけにしては、妙に浮足立った感じだったのだ。
黙して語らない信盛に、舎弟たちの視線が集まる。大事な作戦前に仲間割れなんか止めてほしい。種を撒いたのは俺であり、油を注いでいるのも俺かもしれない。
味方は多い方がいい。
今後のことを考えれば考えるほど、手が足りないと思う。だからといって、味方宣言する奴を片っ端から受け入れるつもりはない。俺なりに考え、俺なりに感じた上で、判断を下す。
「知らぬ、とは言わないんだな」
「今更見苦しく足掻くつもりはござらぬ」
「てめえ!」
「止めろ、利家」
一応、わざと呼んでみた。効果があったようで何よりだ。
「佐久間の一族か」
「如何にも」
「分かった。そっちは好きにしろ」
「はっ」
佐久間信盛は伏せる姿もサマになる、いっぱしの武士だ。
この場の全員が敵意に満ちた視線を送っているのに、ちっとも動じた風を見せない。むしろ堂々と、ふてぶてしいくらいの面構えだ。俺に隠し事を見抜かれたため、開き直っているのかもしれない。
なーんてね。全然何一つ分からないんだな、これが。
内心でぺろりと舌を出しつつ、俺は立ち上がる。慌てて猿がついてきて、一緒に山林へ踏み込んだ。さながら我儘娘と小姓の図だ。
「信長様は」
「ノブ」
「あー、おノブ様は佐久間様をどうなさるおつもりで?」
「どうするんだろうな」
「へ?」
ぽかんとした猿が置いていかれそうになって、また早足でついてくる。
山歩きをする前提で裾をやや短くしたおかげで、歩くのには支障がない。ここは女らしく、しゃなりしゃなりと歩く必要はないだろう。林道は気を付けないとすっ転ぶ。
「半介次第だ」
「……おっかねえのう」
「さすがに毒殺未遂で関係ない奴が死ぬとな。俺も慎重になる。美濃との縁談が持ち上がった直後で、廃嫡寸前まで追い込まれた長男に味方する奴の気持ちは、俺には分からねえよ。少なくとも敵対するつもりはなさそうだ」
「そ、そうなんですかい? じゃあ、隠し事ってのは」
「知らん。たまたまお市の乳母に用があって、城へ行ったら賑やかだった。こりゃあ何かあるなとは思ったが、一益も恒興もいないしな。この格好をするために、平手の爺を探す時間もなくなった。仕方なく、真っすぐ村へ戻ってきたわけだ」
「じゃあ、佐久間様が何も企んどらんかったら……」
「あんな態度はしなかっただろうな」
「はあぁ、さすが信長様じゃのう」
一種の賭けだった。
信盛が刀を抜いても、こっちには舎弟が揃っている。村の民を俺の後方に固めていたので、確実に守れる自信もあった。自暴自棄になるような奴だと思わなかったし、高確率で開き直るだろうなと踏んでいた。
ぶっちゃけ、何を企んでいたかは興味がない。
俺を殺すか、俺を試すかのどちらかだ。
まだ死ぬつもりはない。試験結果は気になるが、人手が増える方がありがたいかな。土着の豪族なら、今後の灌漑事業も進めやすくなるかもしれない。
だが農作業をする人間に新たな仕事を与えると、収穫に影響が出る。
だったら、やることがなくてあぶれている奴らを使う。戦専門の兵士もいいよな。明確な制度があったか、後で調べておこう。
仕事がないから野盗になるのだ。
「おノブ様」
袖を引かれて、ハッとした。
こんな時でも思考に沈んでしまうのは悪い癖だ。
足を止めて見回すと、随分深くまで入り込んだらしい。闇が息を潜めているような森に、俺たちは立っている。
「きたか」
「分かりません。じゃが、何か妙な感じが」
その時だった。
がさっと音がする。どこだ、後ろか。
咄嗟に腰へ手をやろうとして、大小を帯びていないことに気付いた。
村へ向かう時は基本的に一本差しである。二本は重いからだ。せめて己の身は己で守らないと、村の民まで手が回らない。
くそっ、女装ついでに何か仕込んでおくんだった。
裾を跳ね上げて、足に巻き付けた短刀を抜いたりするとか。胸の詰め物に、野盗対策の何かを仕込んでおくとか。とにかく着替えることしか考えなかった俺は馬鹿だ。
「猿! おい、返事を――」
「寝てな」
臭い。そしてしゃがれた低い声。
ぎゅうぎゅうに締めた腹に、拳の衝撃はきつかった。気絶するほどではないが、ここは言われた通りに寝ておく。大丈夫だ、舎弟たちがいる。一益が近くに潜んでいる。
信盛のことも、実はあまり気にしていない。
「へへっ、上玉だぜ。どこの家出娘か知らねえが、運が悪かったな」
運が悪いのはそっちだ、馬鹿め。
借り物の着物が土で汚れる心配は杞憂に終わり、俵担ぎに運ばれていくのを感じる。できれば猿の奴も一緒に運んでほしいが、さっきから声が聞こえない。まさか殺されたのか。いや、将来の豊臣秀吉がこんなところで死ぬはずない。
不安と恐怖と、期待。
ここから先が正念場だ。ぐらぐら揺れる頭の中で、頼もしい舎弟たちのことを考えていた。
時代劇では帯の辺りをドスッとやられて気絶するシーンがありますが、あれで本当に気絶できるのかなと思った次第です。
下手すりゃ刃物も通さない防刃機能付き腰帯。




