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ノブナガ奇伝  作者: 天野眞亜
天下統一編(元亀4年~)
248/284

208. 奥様戦隊の出番です

 そろそろお藤に顔を忘れられそうなので、俺は岐阜城へ帰ることにした。

 真新しい街道の出来栄えをチェックがてら、のんびりと道程をゆく。関所がないおかげでスムーズに進めるようになった代わりに、峠茶屋をちょくちょく見かける。そこで足を休める旅人が俺たちを見て、椅子から転げ落ちる勢いで平伏するのは……まあ仕方ない。

(さすがの俺も、四十を越えて貫禄がでててきたか? はっはっは)

 馬の上で胡坐をかき、上機嫌で扇子をひらめかせた。

 軍事演習とは名ばかりの、本格的な戦支度をしていることは少しずつ噂として広めている。俺としてはあくまで「軍事演習」だが、結果的に倒幕へと至る計画だ。周りの奴らには好きなように解釈させておけばいい。

 今回の件で重要なのは二つ。

 朝廷との適切な距離を作ること、そして光秀を完全に織田家臣とすることだ。歴史の大河を変えられないことは、もう嫌になるほど理解している。だから奴が将来、謀反人になるのは確定しているが、どういう経緯でそうなったかは定かでなかったはずだ。

「なんか色々と定説やら憶測やら飛び交ってたんだよな」

 信長のパワハラが原因だとするなら、謀反回避は可能だといえる。

 家臣は気持ちよくコキ使うものであって、イジメる対象にはなりえない。そもそも光秀ほど頭のいいやつが、信長を殺そうと思い詰めるのが不思議でならない。そこまで酷いパワハラを受けていたのだろうか。信長、おそろしい子。

「……いや、今は俺がノブナガ、か」

 何十年も戦国武将をやっていれば、さすがに気付くこともある。

 五百年前も立派なストレス社会だった。前世はダメ人間だった俺は、愛しい家族のために今まで頑張ってこられたのだ。織田家が美形一族すぎて、そっち方面に麻痺してきた気もするが公家相手には有効だ。奴ら、白い瓜か大根にしか見えない。

 泰然自若とした態度が、ふてぶてしい面構えの自信家という印象を与えてしまった。

 実はチキンハートなのはバレなくていので、結果オーライである。

「えーと幕府は家康に任せるとして、その前に関白職は秀吉がやるから…………俺は全国制覇までの下準備をするだけでいいな! あー、奇妙丸にはそれなりの地位をやらんと後々面倒だな」

 織田の直系が健在なのに、秀吉が天下人になれるかどうか。

 少なくとも俺の知る秀吉には無理だ。そんな大それた野望を持っていないし、側近たちが許さない。取っ組み合いの喧嘩どころか、軍勢を率いる戦に発展――。

「もしかして勝家とのそれって、アレか」

 馬鹿犬がダチと恩人の板挟みになったという意味で、なかなか思い出深い戦だ。

 前世では単なる戦略シミュレーションゲームだったが、今の俺は実際に勝家の人柄を知っているだけに全く笑えない。利家もギリギリまで迷いまくって、おまつたちに迷惑をかけるのが目に見えている。

「おねねなんか、実子が一人もいないのに亭主が女狂いの美女好きで、そりゃもう苦労しっぱなしの人生だったろうしなあ。そんな戦、起こさないようにするのが一番だが」

 正確な年号は忘れたが、お市が勝家と再婚した後だ。

 本能寺の変で信長が死に、謀反人の光秀を秀吉が討った。その功績で、織田家中の発言力を増していった。覚えているのはだいたい、そんな感じだ。

「まだ未来の話なのに、随分遠い昔みたいに感じる。不思議なもんだな」

 前世の記憶は、繰り返し読んだ絵物語に似ている。

 現代人の感覚がどこまで薄れていったのかは確かめようもないが、戦のことを普通に受け入れている時点で俺は、どこまでもノブナガだった。本来の織田信長がビビリだったとは思えないから、そういう意味でのメンタル面はナンタラ海溝並みの差があるだろう。

「……ん?」

 コテン、と俺は首を傾げた。

 何かが引っかかった。おねねには石松丸という実子がいる。俺の四男・於次丸と同じ時期に生まれたのもあって、双子みたいにいつも一緒だ。乳兄弟はそのまま側近として仕えるのが普通だから、石松丸もそんな風に育てられるのだろう。

「そういや、他に秀吉サルの子供がいるとか聞いたことないな」

 女好きを通り越して女狂いとまで言われているのに。

 そこで「信長様にはかないません」なんていう言葉が続くのだが、親父殿と祖父がそうだったというだけである。俺は違うと言っているのに誰も信じてくれない。帰蝶すらもそうだ。

 最近、またぞろ側室を勧めてくる。

 子供たちの仲がいいのでお家騒動の心配はない代わりに、織田の血を欲しがる輩がたくさんいるらしい。なんでそんなハイエナどもに、可愛い娘たちをやらねばならんのか。

(まあ、ずっと大事にしてくれるんなら……)

 親より先に死ぬ親不孝はない。

 信治が死んで、その意味を知った俺は親不孝者だろうか。前世での親の顔も完全に忘れてしまったのに、戦国時代のことは何度でも思い出す。俺が子供たちを愛するように、前世の親も俺を愛してくれていたのかどうか。

 少なくとも親父殿のぶひではともかく、土田御前からは嫌われていた。

 俺が家族愛強めで子煩悩と呼ばれるのは、歴史通りなのだろうか。織田信長のプライベートな話をもっとよく知っていたら、それを真似ていただろうから知らなくて良かったかもしれない。

「ひどい顔ね」

「お濃」

 気が付けば、愛する妻に膝枕されていた。

 頭を撫でるでもなく、ただそうしているだけで癒される。於次丸やお藤に会いたいと思っていたのに、今はまだこうしていたい。色々と考えるのも、疲れた。

「本当に、疲れた」

「一人で背負いすぎなのよ」

「うん」

「わたくしに何か、できることはないのかしら。相棒、なのでしょう?」

 さっさと吐けと促されて、俺は顔を歪める。

 道中でずっと考えていたことだ。帰蝶は何でもお見通しである。俺が小部屋での待機を命じる前から、情報収集には力を入れていたらしい。彼女は、俺の前世のことすら薄っすらと知っているような気がする。勘がいい女なのだ、帰蝶は。

「戦の犠牲を減らしたい」

 軍事演習と言っておきながら、幕府側には直接の申し入れをしていない。

 細川様のように、将軍を追放する戦であると言わなければ納得しない輩が多すぎるからだ。俺は幕府側の人間をよく知らないし、親しくしすぎると朝廷が警戒すると釘を刺された。

 今思えば義輝は、新しい体制に改革しようとしたから暗殺されたのだろう。

 デキる将軍などいらないのだ。動きづらくなるから。結果として畿内が荒れ放題になろうとも、自分たちが安寧をむさぼることができればよかったのだろう。緩やかな衰退ルートに乗っかっていることも知らずに。

「人は城、人は掘、人は石垣」

「情けは味方、仇は敵なり。武田徳栄軒様の言葉ね」

「お濃は何でも知ってるなあ」

 後半は知らなかったので、覚えておこう。

「人材は貴重だ。そこで医療班を新設したいんだが、上手い案が浮かばなくてさ」

「いりょうはん?」

「後方支援部隊の中でも衛生兵、怪我の治療や不調を訴える者に対応できる人員を用意したい。一定数に専任させれば、交戦中でも機能させられるしな」

 今までは仏僧の医者が一人、手伝いに駆り出されるのは戦争経験の浅い足軽が何人か。それも軽傷者や、軽い不調を訴える者ときた。むしろ足手まといになりがちで、次々と担ぎ込まれる患者の対応もおざなりになってしまう。

 その結果、致命傷じゃなくても死に至る。

 破傷風などの原因は知らなくても、不衛生な環境では治るものも治らないことくらいは分かる。そして細やかな対応を期待するなら、女たちの方が適任だということも。

 しかし戦場に女を連れていけば、興奮した兵士に襲われるかもしれない。

 織田軍において略奪・強姦は昔から、厳しく禁じている。大将である俺が我慢しているのに、兵士たちに我慢するなとは言えない。だが商売女を相手にするのは見逃していた。もちろん花街で悪さをすれば、たちまち俺の所へ注進がくる。

 今回は遠征軍で、兵たちは俺と義昭のせいで殺し合う。

 軍事演習だから殺すな、という命令が末端まで徹底されると信じられるほど俺も甘くない。だから周りが解釈したいように解釈させ、好き放題に噂を流させている。これは避けられるかもしれない戦だ。見せつけともいう。

 だから犠牲を減らしたかった。俺のせいで、死ぬ奴らを減らしたかった。

 そのための衛生兵だ。医療班だ。迅速かつ細やかな対応が可能で、興奮した兵士たちを黙らせることのできる者たち、それは――。

「お濃! 奥様戦隊だ!!」

「え?」

 がばっと起き上がって肩を掴めば、帰蝶は面食らって瞬きをする。

 そんな顔も可愛いなあ、キスしたいなあなんて思っている場合ではなかった。いや、うっかり二度ほど味見してしまったが男の本能なので仕方ない。帰蝶が可愛すぎるのが悪い。

 押し倒さなかったのだから、よく我慢したと言ってほしいくらいだ。


**********


 戦場に降り立つ白衣の天使といえば、ナイチンゲール。

 美濃国滞在中の宣教師に聞いたら知らないということだったので、彼女はまだ生まれていないらしい。となれば、慎重にやらないと大変なことになる。ローマ法王は俺に興味津々ということなので、新しいことをやるにも神経を使う。

 やりすぎると痛い目に遭うのだ。ヨーロッパ諸国とは良き隣人でありたい。

 アスパラガスをはじめとする各種苗の注文や、活字出版のノウハウで興味を引いてしまったとはいえ、南蛮船が往復するだけで一年以上はかかる。いつかは日本からもヨーロッパへ出航させたい。

 九鬼水軍の鉄甲船なら長期航海も夢じゃない。

 信興がこっそりと南蛮船の構造を調べて、改造に改造を重ねていると聞いた。七つの海とまでいかなくても、荒波に耐えうる丈夫な船は今後の課題だ。

 あくまで平和的利用、交易目的だと念を押しておく。

 いつの間にか四台の砲門がリニューアルされていても、あくまで防衛機能の一環だ。命中精度はお察しなので、威嚇射撃である。もし当たったら運が悪かったということで。

 そんな風に考えてしまってから、思わず苦笑いになった。

「なんだかんだで馴染んだなあ」

 戦で、人が死ぬのは当たり前。

 この時代の命はあまりにも軽い。目の前にあることだけで精一杯で、がむしゃらに生きてきた頃は現代人の倫理観は一時的に忘れるしかなかった。この手で人を殺すことも、殺せと指示することも慣れた。

 だからといって理不尽に失われる命に、何も感じないわけじゃない。

「……んとに、なんで今まで気付かなかったんだ」

 皆に死ぬなと、命を惜しめと命ずるならば。

 俺は「死なない」ための努力をした奴らに報いるべきだったのだ。

「というわけで、奥様戦隊の出番です」

「美人局」

「お冬、その単語は忘れろと言っただろう。人命救助が目的の健全な支援部隊だぞ。くれぐれも誤解を招くような発言は控えるように」

「……うん」

 微妙な間が気になるが、ツッコミはしない。藪をつついて蛇が出たら大変だ。

 ちなみに今の奥様戦隊には松姫(信忠正室)とおまつ(利家正室)がいるので、ちょっと紛らわしい。長島からは、長益たちも来てくれるらしい。更に森蘭丸以下、小姓見習いも加わることになった。

 ふつうに美女(美少年)集団になってしまったが仕方ない。

 側近連中や織田家の縁の人間に手を出す馬鹿は、死よりも恐ろしい罰が待っている。その辺りのことはキッチリ通達することにして、今日から彼女たちは猛特訓だ。

 主な仕事は炊き出し、運び込まれてきた怪我人の応急手当の二つ。

 食事関係は男たちでもできるのだが、美人に配膳してもらった方がヤル気が出るに決まっている。といっても余裕がある時に限られるので、基本は部隊ごとの炊事になる。

 出立時、兵たちには握り飯と柑橘水が配られる。

 もともと日持ちしないものだから、早めに一回目の休憩をとることになるだろう。それでも女たちには辛い旅になるはずだ。全員が輿で移動するわけにはいかない。牛馬が引く台車に乗るか、自分で馬に乗るかの二択になる。

 専用の天幕も必要だし、色々と気を遣うことになるが仕方ない。

 念のために、彼女たちの護衛として慶次の子分たちを使うことにした。リーダーである慶次ごと、おねねが胃袋を完全掌握しているから安全だ。松姫もコワモテは見慣れているらしく、野郎どもの方が恐縮していた。

 そして俺は何故か、医療部隊の指導を担当することになった。

「応急手当で重要なのは、止血と化膿止めだ。具体的には布を巻く、薬を塗るの二つだな。傷口はもちろん、体を清潔にしておかないと薬を塗っても無駄になる。問答無用で裸に剥けとは言わんが、嫌がる奴には遠慮するな! 刀傷一つで、貴重な命が失われる。そのことを忘れないでほしい」

「命あっての物種」

「その通りだ」

「えへへ」

 褒められたとと喜ぶお冬を、羨ましそうに見ている小姓見習いたち。

 そんなわけで何となく、彼らも順番に撫でることになってしまった。うん、以前もこんなことをしたような気がするぞ。

 彼女たちが覚えるべきは、手早い処置だ。

 戦の規模が規模なので、怪我人も相当数が予想される。一人ずつ専門家に見てもらっている暇などないだろうから、清拭と止血だけで手一杯になるかもしれない。大量の布を仕入れて各種包帯、使い捨てできる手拭いも作らせた。

 水の心配はいらない。

 汲み出して煮沸する手間はあるが、水場が近いのはいいことだ。こっちも男手を用いることになるな。指示をして、見ているだけなのも申し訳ないので、彼女たち専用の手桶を注文した。様々な用途で水が必要になるのだから、使いやすい方がいいに決まっている。

 塗り薬は信包が用意してくれた。

 小さめの印籠に、可愛らしい鈴と色違いの房がついている。何種類かの痛み止めの丸薬もあるというので、それについても説明しなければならなくなった。うっかり間違えて処方したら大変だ。

 なんというか、兵たちの訓練よりも疲れた。

 帰蝶とお冬がサポートしてくれなかったら、医療部隊の実現はなかったかもしれない。


次話くらいから、公方様と喧嘩しにいきます

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