203. 室町幕府最後の将軍
花の御所とはよく言ったものだ。
京の町はそこかしこに春めいた雰囲気が漂い、どこか浮かれた様子が見受けられる。平和っていいなー、なんて目を細めたくなった。息子たちを供連れに、細川様と荒木村重を引き連れて御所へと向かう。
道中で松永弾正の話が出た。
どうやら俺に会うため、尾張国へ発ったばかりだという。どうして美濃じゃないのかと訊けば、そろそろ桜が見頃になるからと返ってきた。小牧山城の桜見物は吉乃の弔いでもある。お藤を連れていく話をしていたのに、花の盛りには間に合いそうもない。
「そりゃあ、悪いことをしたな」
「霜台にしては珍しいことです。信長様のご予定が変更されたことを知らなかったとは思えないのですが、余程のことがあったのかもしれません」
「その『余程のこと』をてめえが把握してないとは、俺にも思えないんだがなあ。藤孝」
すると細川様はにこりと微笑んだ。
無言の圧力に、俺の頬がひくりと動いた。
なりゆきで畿内の情勢へ関わるようになって以来の付き合いだ。振り返れば色々ありすぎて、胡乱な目で二条城を見上げてしまう。将軍家に関わる気なんてサラサラなかったのに、歴史の強制力はつくづく侮りがたい。指先に天へと続く操り糸が見えるようだ。
(細川様の様子から察するに「聞く必要のない、終わった話」という感じか)
ならば爆弾正の目的も、俺じゃない。
尾張国にいる誰かのところへ行ったのだ。表向きは「行き違い」ということにするためか、他の事情を隠すためかは分からない。幸いにして京の町には織田塾の門下生がいる。こっそり調べさせることもできるが、そのせいで「女遊びが過ぎる」と怒られる。
娘みたいな相手に手を出せるかよ。
そもそも俺は、今も昔も嫁一筋だっつの。と何度言っても信用してもらえないのは、織田の血のせいだ。顔も知らない爺さんや親父殿が女好きだったからだ。女はいい。それは認める。だが若けりゃいいってもんでもないし、死ぬまでソッチ系の現役を貫きたいとも思っていない。
最近は信忠の乳母に、俺のお手付き疑惑が出ている。
(ヤッてないっつーの。そんな暇あるか!)
ちなみに、昔はお市の乳母やお艶も疑惑対象だったらしい。
どんだけ節操無しだよ、俺は。知り合う女を片っ端から食ったことなんかない。どちらかといえば襲われる側だ。政務で疲れているのに、嫁たちが寝床でスタンバイしているのだ。心を込めたマッサージを受けて、気持ちよくならないわけがない。
ああ、お濃に会いたい。
「久しいな、織田尾張守。息災で何よりだ」
コレジャナイ。
いつの間にか謁見の儀が始まっていたようだ。嬉しさを隠さない将軍様はどこかツヤツヤとしていて腹立たしい。昨日もかわいい嫁と仲良くしてたんだろうなあ爆発しろ。
「一臣下にすぎぬ私に過分なお言葉をいただき、感謝の意に堪えません。此度は謁見の機会を設けていただき、恐悦至極に存じ上げます。公方様におかれましては――…」
憮然とした顔になるのを何とか堪え、型通りの挨拶を済ませる。
平伏する背に、息子たちの視線を感じた。もうすっかり慣れたやり取りだから間違えていないはずだが、驚いているように感じるのは何故だ。やっぱり何かしくじったのか。この正装はとにかく窮屈で、夏の貴族生活はどうなっているんだと空恐ろしくなる。
謁見が終わったら風呂に入ろう。
京屋敷の風呂は手が込んでいるから、これを楽しみに上洛してきていると言ってもいい。旅の疲れを癒すにはあっつい風呂だ。温泉もいいが、宿場町の開発が待たれる。
「して、そこにいるのが其方の息子らか」
「左様にございます。勘九郎、忠三郎、公方様に挨拶せよ」
「…………」
「…………」
「……おい、勘九郎」
「おっ、織田勘九郎信忠にございます! 公方様におかれましてはますますご壮健のこと、お慶び申し上げます。公方様が健在である限り、幕府も安泰でございましょう」
「余が健在である限り、か。確かにな」
「蒲生左兵衛大夫が一子、忠三郎賦秀にござる。此度は拝謁のお許しをいただきましたこと、深く感謝申し上げる」
「こら、忠三っ」
二人で小突き合うのは仲良くて何よりだが、後にしろ後に。
とりあえず挨拶してしまえば極度の緊張も抜けてしまうらしい。義昭は微笑ましそうにしているが、学級委員長あけちくんが俺を睨んでいる。
うつけの子はうつけだ。悪かったな!
発言の許可を得てから挨拶しているのだ。別におかしなことじゃない。謁見の場に連れてきたのは、俺の息子はこっちだからという意思表示だ。信雄と信孝は婿入りしたので、実質的に織田直系は信忠と賦秀になる。お冬は嫁にやったんじゃない、賦秀が婿入りしたのだ。
「尾張守」
「はっ」
「余が将軍位を退くと言ったら、どうする」
「義昭様! それは先日も申し上げました通り……っ」
「控えよ、日向守」
隣の公家にやんわりと諫められ、光秀が浮かせかけた腰を下ろす。
なんだか見覚えのある爺だなと思ったら山科卿だった。数年前に権大納言へ昇進したと聞いているが、また朝廷絡みで何かあったのだろうか。山科卿自身の人柄はともかく、天皇や朝廷には良い印象がない。かといって、無視できない存在なのは確かだ。
天皇の弟がいる寺を潰した過去を持つ信忠は特に。
「次代の将軍はご嫡男ですか?」
俺が問えば、義昭は首を振る。
「いや、その予定はない。余が最後の将軍となる」
「冗句でも笑えませんよ! よりによって、この男の前でそのようなことを仰るなど、……とても正気の沙汰とは思えませぬ」
「無礼者め!!」
「ぐあっ」
義昭の飛ばした扇子が、光秀の額を直撃した。
思わず蹲る姿は哀れと思うが、それ以上の感情はない。しかし今まで献身的に仕えてきた忠臣に対する仕打ちとしては、さすがにいかがなものだろう。なんか茶番臭い。
幕府を潰す話は義昭と風呂に入っている時に、俺が言い出したことだ。
もう何年も経つし、すっかり忘れたものだと思っていた。将軍として尊敬できるとは言い難いものの、何かしら信念を持って室町幕府の将軍であろうとしたことも知っている。言いがかりをつけて武具を没収したり、新規採用した人員が偏っていたり、将軍家への苦言に不平不満を全部俺に丸投げしたりしたが、義昭自身は権力にしがみつくタイプでもない。
壊滅的に、将軍としての才能がないだけだ。
おそらく、自分でやろうとしたことは裏目に出るタイプだ。それを光秀が今まで何とかしてきたのだろう。細川様たちが俺を頼ったのも、親父殿の人脈だけじゃない。義昭のサポート役に適していると、白羽の矢が立ったのだ。
自慢じゃないが、今の畿内は織田の家臣たちが頑張った成果である。
「もうよい。十兵衛、其方の言動にはうんざりした。真の忠臣とは何たるかを、尾張守の下で学び直すがいい」
「……っそれが、義昭様のご命令ならば」
絞り出すような声に芝居がかった印象はない。
ぎゃんぎゃん騒ぐ奴は俺の傍にもいるから、鬱陶しくなる気持ちもわかる。だが敢えて問いたい。何故に「今」なのか。全ては謁見中の出来事であり、人払いもしていない。朝廷の使者である山科卿も同席している。
まるで俺たちに見せつけるような、寸劇だ。
光秀が膝をつき、たまらなくなったらしい信忠が傍に駆け寄った。邪険に跳ねのけられたが、何か囁いてから二人で退室していく。確かに、これ以上残っていても仕方ない。
「それで? 茶番は終わったのか」
「このド阿呆!」
思わず素手で叩いてしまった。ふつうに痛い。
将軍である義昭と山科卿の視線を感じる。言いたいことは分かっているから、こっち見んな。雨墨が影から出てきているので、人払いもしたらしい。その上での発言だと分かっていても、ツッコミせずにはいられなかった。
「織田の父、何をする」
「何をするだはてめえの方だっつの」
ふてぶてしい顔しやがって。
俺が言わずに我慢したことを、コイツはわざと言ってのけたのだ。若さゆえの過ちだと、周りの者に判断させようという狙いが透けて見える。確かに他の奴らになら通じただろう。蒲生家は代々腹芸が得意らしい。状況を上手く操作して、この時代を生き抜いてきた。
「尾張守」
「あー何だですよ、公方様」
「また共に湯に浸からぬか?」
「だが断る」
義昭の眉が下がるも、喋ったのは俺じゃない。
全員が座している中で、堂々と突っ立っている自称護衛の雨墨だ。その正体は死んだはずの13代将軍足利義輝であり、義昭の同母兄にあたる。色違いの頭巾をいくつも持っていて、気分によって変えているらしい。三日月をつけた頭巾は今のところ見ていない。
「戦わずして去るとは笑止千万! それでも武家の長か」
「しかし兄上」
「其方の兄は死んだ」
「二条城にいても、世の中を変えられぬ。余は……私も、兄上たちと共にあちこち見て回りたい。市井の暮らしを、この目で見たい」
義昭が切々と語るそれらは、まぎれもない本音だった。
余計にたちが悪い。
「だから遊びじゃねえって言ってんだろ!! 仕事! 全部お仕事!」
「仕事という名の遊びではないのか?」
「ちっげーよ! そもそも馬鹿野郎様が丸投げしてきた案件を片付けるのに、俺がどんだけ苦労したと思ってんだ。その件は尾張守に一任しておる……じゃねえんだよ。将軍が御所にいなくてどーすんだ馬鹿野郎! 謁見に来た奴とか、陳情とか、報告とか、そういうのに目を通すのもトップの仕事だ。長ってのは、皆の雑用係なんだよ。分かったかクソボケ!!」
「そういうのは将軍の仕事ではないと、皆が」
「あ?」
「す、すまぬ」
「お話になんねえな。おい、忠三郎。帰るぞ。山科卿、見苦しいものを見せた。帝には適当に繕って報告しといてくれ」
「うむ、そうさせてもらおうか。織田尾張守との不仲はまことであった、とな」
含み笑いをする公家の顔を睨み、俺は舌打ちをする。
仲良くしたいわけじゃないが、喧嘩したいわけでもない。わざわざ火に油を注ぐような真似をして朝廷が得するのだろうか。爆弾正が尾張国へ駆けたのも、このことに絡んでいるのか。さっさと終わらせようと思ったのに、余計なものがくっついてきた。
改元の話も勝手にしやがれ、だ。
何でも俺にぶつけりゃいいと思っているのが腹立つ。
「織田の父」
ずかずか歩いていく後ろを、賦秀がついてくる。
「出陣はいつになる?」
「口を慎め、クソガキ。もとはといえば、てめえらのせいで話がおかしくなったんだぞ」
「我らは利用された。それが気に食わない。何故、あの程度で許した? 織田の父よ、天下に武を布くのではないのか」
「あれは――…っ」
沢彦が勝手に書いて寄越しただけだ。
俺は「織田信長」の旗印だと知っていたから使った。それを目の当たりにするまで、天下布武が持つ意味すら知らなかった。考えもしなかった。俺と義昭は似ているから、義昭なりに頑張っているんだと思っていた。
(昔の信行と同じだ。なまじ頭がいいから、周囲の言葉を無視できない)
雨墨が羨ましくて仕方ないのだろう。
将軍の座を捨てて、自由な生を満喫している。そう見えるのだろう。義昭は無理矢理に将軍職へ祀り上げられたが、義輝は無理矢理に下ろされた。そうしなければならないと思い詰めさせるほどに、将軍として仕事しまくった。
信忠と同じだ。
同じ血が流れているから、期待してしまう。似たことができるのではないかと思ってしまう。義昭には義昭の、信忠には信忠の生き方しかできないというのに。
「織田の父よ、権力に怯えて理想を諦めるのか」
「俺は権力が大嫌いなんだよ!」
「クソッタレなこの世を変えるのではないのか」
「……誰に聞いた、その話」
「織田塾の講義を受けた者なら、誰でも知っている。織田の父は有言実行の士だ。宣言通りに尾張を統一し、国を豊かに育てた。織田の統治下にある国は皆、知っている。織田の父ならば、この世を変えられると」
信じているのではない。世の中を変えられる人だと知っているのだ、と。
賦秀は揺るぎない瞳で言ってのけた。
若き日の誓いが、重すぎる荷となって両肩にのしかかる。俺は違うと言ったところで、何になるのだろう。俺は、本当は織田信長なんかじゃないと言っても信じるわけがない。それどころか、深く落胆させるだけだ。
期待を裏切られることほど、つらいものはない。
敬意や憧憬の念を抱いている相手ほど、信じていたものが崩れる瞬間は言葉にしがたい。俺は俺が味わった痛みと苦しみをくれてやるほど、織田信長にはなりきれなかった。
それでも俺が、ノブナガだ




