202. 子として、次代として
お久しぶりです!
※息子たちの呼び方を修正しました
慶次は東へ、俺は西へ。
示し合わせたわけでもないのに、同日の出立となった。
それなりに格好つけた行列と違い、慶次と神保何某はいたって軽装だ。織田の使者としての風格がどーたらと恒興が文句をつけていたが、越後国内の詳細な情報もどこまで信用できるか。奇しくも馬鹿息子が甲斐・信濃でやらかしたように、農地改革の手助けまでしろとは言わない。
軍神とまで謳われた謙信は、領主としてはどうなんだろう。
「前世が毘沙門天とか凄すぎだろ。俺なんか平凡な一般人だぞ」
比較対象がとんでもなさすぎて僻む気も起きない。
それはさておき、越後の現状は今後の織田家にも関わってくる。
ウロ覚えの前世知識について、俺はどんな些細なことでも確認を怠らないようにしている。単なる記憶違いならいい。後世に伝わる内容が、実際とチョット違っていてもいい。特に俺、ノブナガに関する様々なエピソードは有志による創作だ。
この物語はフィクションです。
「っていうか、本当に死因は梅毒なのか? 女好きには見えなかったし、先日会った時は殺しても死なん感じだったぞ」
気に入った相手にはすぐ手を出す信玄に激怒していた辺り、そっち系は純なのではないかと疑っている。女に興味はなくても、美少年に一途っていう可能性もなくはない。
急性アルコール中毒という線もあやしい。
依存症かもしれないが、強い酒を水のごとく飲み干す奴が酒で死ぬとかありえない。
暗殺説の方が現実味も帯びてくる反面、織田家が黒幕として疑われたら面倒だ。謙信没後の上杉家は改易されたりして、ぱっとしなかったはず。優れた人材がいたことは確かだ。旨い地酒があるなら、米作りはしっかりできている。
(まあ、そこまで詳しく探ってこいとは言わんが)
今回の標的は「直江状の人」である。
まだケツの青いガキだろうが、なんだろうが知ったことか。俺の知る慶次も、秀吉に負けず劣らずの人誑しだからな。上手くやってくれるに違いない、と思っている。ダメなら仕方ない。そのまま慶次と神保が上杉家に残っても、こっちには優秀な人材が揃っている。
一筋縄ではいかなさそうな元坊主も手に入ったことだし。
「父上、入ってもよろしいですか」
「おう」
部屋の向こうで息子の影が差し、俺は思考を中断した。
あれから何事もなく、翌日には京入りを果たせそうかという晩のこと。月が雲隠れをしてしまったので、蝋燭の灯で聖書を読んでいた。英語版じゃなくて、ポルトガル語の方だ。
とはいっても別のことを考えていたのだから、読んでいたというのもおかしいか。
「……また聖書を読んでおられたのですね」
「フロイスに嫉妬か?」
ポルトガル語が分からない信忠は、フロイスのことが苦手だ。
俺が何を喋っているのか分からないのと、印刷技術について尼子衆も交えて談義を繰り返しているのが気に食わないらしい。次期当主として執務を丸投げ、もとい勉強させているのに欲張りなことだ。
「宣教師と親しくしすぎるのは、いかがなものかと商人たちから苦情が出ています。そういう声は以前からあったそうですが、どうして聞き流しているのですか。父上らしくもない」
「聞き流してるわけじゃねえよ。悪い宣教師と良い宣教師がいて、悪い宣教師が商人の邪魔をするから嫌がっているだけだ。その辺りのことは、利休たちとも話してある」
「私は聞いていません」
「言ってねえし」
「父上!」
幼い頃みたいな甲高い声が、きーんと頭に響く。
元服が遅かったとはいえ、現代感覚ではまだ未成年だ。異母弟たちに揉まれ、出来すぎた息子に育ったと思っていたのに幼い一面も残っている。聖書を閉じながら横目で見やれば、泣くのを我慢しているような赤ら顔があった。
「……ぶさいくだな」
母親似の美形が台無しである。
苦い笑いを吐き出すように言ってやれば、ますます膨れっ面になった。
「そんなに私は、頼りになりませんか」
「似た台詞を、随分昔に聞いたような気がする。あれは、誰だったか」
「父上、私は信忠です」
「そうだな。親の言うことをちっとも聞かない、クソガキだ」
「ならば、忠三郎にでも家督を譲るおつもりですか!?」
「あん?」
なんでそうなる。
意味が分からなくて首を傾げる俺に、信忠は日頃の不満をぶつけるように山ほどの文句を垂れた。曰く、執務とは名ばかりの雑事一色でつまらない。曰く、量ばかり多くて視察に行く暇がない。曰く、忙しすぎて松姫との時間が作れない。曰く、開発・育成に関する事柄が全て事後報告なのはいかがなものか。また曰く――。
「だああぁ!! やかましいっ」
「父上が分かってくださらないから、ご説明申し上げているのです!」
「どこがご説明だ。不平不満のオンパレードじゃねえか!! そもそも日々の積み重ねが一番重要なんだよ。時間の使い方も分かってねえ殻付きヒヨコが、もらった仕事にケチつけてんじゃねえ。ああ、そうだな。そんなに嫌ならやらなくていいぞ」
「本当ですかっ」
「当主の仕事が嫌なんだろ? お望み通り、廃嫡してやる」
「え……!?」
嬉しそうにしたり、真っ青になったり忙しい奴だな。
義弟に家督を譲るつもりかと邪推していたくせに、俺から直接言われると衝撃が違うらしい。俺だって、まさか亡き親父殿と似た台詞を吐くことになるとは思わなかった。才ある者と認めた息子に対する失望は、筆舌に尽くしがたい。
親の心子知らず、とはよく言ったものだ。
「わ、わたしは」
掠れた声が、零れそうな涙が、哀れだと思う。
冗談だと笑ってやるのは簡単だ。家族を大事にしたいと、子供らを慈しみたいと思うようになったのは生まれ変わった俺だ。そして、この時代では愛おしい者たちを懐に包んで守るだけではダメなのだと知った。
ましてや信忠は次期当主。
何もしなければ、俺と一緒に死ぬ定めだ。信雄に信孝、徳川家に嫁いだお五徳は何とかなるかもしれない。お冬は蒲生家が守るだろう。お藤は今度こそ、俺が守ってやらねば。
「当主は管理職だ。てめえの大好きな三国志の英雄たちも、戦やる時以外は内務にかかりきりだったんだぞ。研究がしたいなら三十郎のところへ行け。あちこち行きたいなら、又十郎か彦七郎。坊主になりたいなら」
「待って、待ってください。父上、私は当主になるべく育てられたのではないのですか。だから兄弟の中で一番厳しく接するんじゃないんですか」
「ハァ? 寝惚けたこと言ってんじゃねえぞ。大好きな叔母が嫁いでいったのが寂しくて、自分の女になるかもしれない奴の顔を拝みに行ったくせに。一体、誰がそんなことを許した? お濃が何も言わなかったのは許したんじゃねえ。甲斐国偵察任務のアテに困ってたからだ」
国内のゴタゴタから逃がしたかった、というのは言わないでおく。
こいつは魔王の息子のくせに、性根が真っ直ぐすぎるのだ。半兵衛たちに仕込まれただけあって戦略戦術にも通じ、武術もそれなりの腕前になった。平均的に能力が高く、抜きん出たところがない。織田家嫡男としての自覚があるくせに、次代を担うだけの自信が伴っていない。
ただ俺の真似をしようとしても、誰が褒めてくれるものか。
「もう寝ろ。明日も早い」
「父上、わたしは…………っいえ、おやすみなさいませ」
続くはずの言葉を飲み込んで、信忠が退室する。
俺も聖書を読む気が失せてしまった。キリストは裏切り者のせいで、十字架にかけられたんだったか。今のところ、光秀がイスカリオテのユダになる可能性は低い。
このまま将軍家に残ってくれればいいんだがなあ。
**********
予定通りに京屋敷へ入ったので、方々へ挨拶の使者を出す。
着いたよ、と逐一報告しなければならないのは面倒で仕方ない。それなりに交流がある相手はもちろん、滞在中に会う予定がある公家衆にも手土産やら何やらと煩わしい作法がある。こちとら第六天魔王様じゃとオールスルーを決め込んでもいいのだが、各方面の情報収集も兼ねているので手が抜けない。もちろん、俺自身が全てに応対するわけじゃないんだが。
当日から、お返しとばかりに色々な人や物が届くのも慣れた。
「織田の父よ」
「あのな、忠三郎」
「何か」
「再三言っているが、その呼び方はどうにかなんねえのか!」
「お冬が怒るのでな」
嬉しそうに言うんじゃねえよ、抜刀したくなるだろ。
剣術の腕前はもちろん、賦秀の方が上だ。たった数年で、あっという間に上達した。こいつと切磋琢磨する相手がお冬と信忠、というのも微妙な話だ。このご時世、武家の女が武芸を嗜むこと自体は寛容である。ただし織田家の女は嗜むどころじゃない。実戦に対応できる方向で日々鍛えている。
お五徳は弓、お冬は短刀の二刀流を習得した。
鷹狩に興じる夫を助けるために弓を覚えたらしいので、徳川家には定期的に良質な鰻を送るように依頼した。まだ鰻以外で特産品にできるもんが育っていないというが、豆でも綿花でもいいんだぞ。美味い飯は心を豊かにするし、清潔な衣類は見目好くする。
「それはそうと、織田の父よ。勘九郎が腑抜けになっている」
「じゃあ、置いてくか」
「良いのか?」
嫡男なのにと軽く目を瞠るので、俺は肩を竦めた。
「うつけの息子が腑抜けです、なんて笑えねえ。このまま立ち直れないなら、その程度の器ってことだろ。……ったく、思い込みの激しいところは誰に似たんだか」
「織田の血であろうな、間違いなく」
「その織田の婿になる自覚あんのかよ」
「無論。腑抜けであろうとも、勘九郎を次期当主として仰ぐ決意はできている。それに織田の父が案ずることではない。今頃は玄以にネチネチと嫌味を……もとい、説教を受けている」
だから腑抜けになった理由を聞きたかっただけだ、と賦秀は言った。
その瞳に友を傷つけられた怒りを見つけ、つい嬉しくなって口元が綻ぶ。大事なお役目を前にして、信忠を虐めるなと文句を言いに来たらしい。あるいは親子喧嘩が羨ましいのだろうか。
「あー、玄以がいるなら大丈夫だろ」
「新参者に随分と期待しているようだ」
「慶次の紹介ってのもあるが、昔馴染みの言葉はなんだかんだで無視できない。今孔明チェックも通過したらしいしなあ。今回の同行は勘九郎の目付というより、京の知り合いを紹介してもらう方が理由としてはでかいな」
「なるほど、人脈は宝か」
「そういうこった」
技術を開発するのも、伝えるのも良質な人脈があってこそである。
何やら考える顔になった賦秀を見やり、随分大きくなったなんていう今更な感想を抱いた。初めて会った時はちんまいガキンチョだったのに、縦にも横にもでかくなりやがって。
(そういえば、奇妙丸は兄弟の中で一番背が低いな。全体的に線が細いし)
次男・具豊はがっしり体型、三男・信孝はひょろりと背が高い。
次女・お冬は最近とみに女らしくなり、母・奈江とよく似たむっちり体型になりつつある。俺が育てた娘であって、賦秀が育てたわけじゃない。そこんとこは間違えないように。いや、誰に言ってんだかな。
ぽりぽりと顎を掻いていたら、半眼の金柑頭と目が合った。
「よう、おひさ」
「まともに挨拶もできないのですか、貴方は」
「お前に言われたくねえよ。いつから、そこに突っ立ってたんだ」
「勘九郎の話をしていた辺りだな」
「気付いてたんなら言えよ、忠三郎!」
頭一つ分はでかい娘婿に怒鳴っても、どこ吹く風だ。
光秀との付き合いも長くなってきたから、顔パスでここまでやってきたのだろう。織田屋敷まで来た用件は分かっている。将軍様との謁見が決まったから、日程を報せに来たのだ。
「公方様の伝言役なんか、他の奴にやらせろよ……」
「貴方を師父と慕う義昭様のご意向です」
「あー」
冗談だと思ったらマジだった件。
何かを察したらしい賦秀が、生温い視線を向けてくる。やめろ、こっち見んな。俺は何もやっていないったらやっていない。勝手に懐かれたんだ。細川&松永が裏で糸を引いていて、外堀埋める感じで親交を深めることになっただけ。俺は奴のことなんか、何とも思っていない。
(足利兄弟で距離詰めてくんなよ、権力なんか大嫌いだー!!)
と、吠えたところで事態は何も変わらない。
「んで? アポ取れたんなら、俺たちはいつ行けばいいんだ」
「また分からない言葉を……! 佳き日に、とのことです」
「じゃあ、今から行くわ。おい、支度しろ」
「承知仕った」
「し、正気ですか!? いきなり、そのようなことを言われても」
「いつでもいいって言ってたんだろ。なら本日拝謁賜りたく存じ上げ候。ほれ、とっとと帰って伝えろ。挨拶がてら年号の件を確認するだけだ。そう時間はかからねえよ」
「っ、失礼します!」
ブレイモノーって暴れるかと思いきや、競歩で去っていった。
廊下は走らないを地で行く光秀は、相変わらず融通利かない優等生だ。顔を真っ赤にして山ほど文句を言いたかっただろうに、職務に忠実な辺りはどんな教育の賜物か。とりあえず喧しいのがいなくなって、一番頭が痛い案件も早く片付きそうで何よりだ。
「父上っ」
「お、奇妙丸か。どうした、もう復活したのか」
「公方様のところへ向かわれると聞きました。もちろん私もついていきます。父上の息子として、織田家の次代を担う者として立派に務めを果たしてみせますから!」
「お、おう。頑張れ」
務めと言っても、定番のやり取りだけなんだがなあ。
賦秀と信忠は顔見せ自体が目的だ。うちの息子だヨロシク、っていうの。元服前なら非公式で何度か会っているものの、正式な対面はこれが初めてになる。
緊張するなっていう方が無理か。
それはそうと、泣きそうな顔よりはヤル気に満ちた赤ら顔の方がいい。思わず頭を撫でてやったら、子ども扱いするなと怒られた。さてはこやつ、反抗期か。
賦秀「また落ち込んでいるのか、勘十郎」
信忠「……忠三郎か。私はいつまで幼名で呼ばれるのだろうかと」
賦秀「人はそれを、親馬鹿というらしいぞ」
信忠「父上を馬鹿呼ばわりするか!!」
賦秀「ああ、すまぬ。馬鹿は貴様だ」
この後、取っ組み合いの喧嘩になる




