15. 腹が減ってはナントヤラ
炊き出しが始まった。
いくつかの家から白い煙が立っている。そしてふんわりと飯の匂いが漂ってきて、俺の腹がぐうと鳴った。この時代の一日二食は、育ち盛りの年頃に少々厳しい。
ちなみに俺は、総合監督として村が一望できる広場に立っている。
身分の高い奴は手を出すなということだ。
けっして猿が連れてきた女衆と乳母に追い出されたからじゃない。男児たるもの、やすやすと厨房に踏み込まぬものなのだ。あそこは女の聖域である。
「予想以上に、手間取りましたな」
「言うな、五郎左。それだけヤバかった、ってことなんだろ」
「そうですね」
長秀は特に言い返すことなく、苦笑いしている。
この状況に至るまでの顛末を思い返しているのかもしれない。
いや、マジで大変だった。
初日からコレでは先が思いやられる。炊き出しがその場しのぎでしかないことは、俺だって理解していた。
まず、成政と猿に繋ぎをつけさせた商人たちから食材などを買い付ける。
そこまでは何とかなった。
彼らが非常に怯えているか、同情的かの二つに分かれていたのも別にいい。村を救うために在庫を放出することに渋る者がいれば、たちまち成政が仁王像になったので交渉はスムーズに進んだ。
なにせ村のほとんどが飢餓状態である。
沢彦にも相談しようと話を持ち掛けたら、すごく怒られた。脅して物資を奪うなど言語道断、村を救うために別の村が貧困に陥ったらどうするのかと諭され、俺は恥ずかしさで穴を掘りたくなったものだ。
なんとか救援物資を運んだ途端、村人に襲われた。
絶対手を出すなと厳命したため、舎弟たちは着物をむしられた挙句に傷だらけになった。生米を食べて腹を壊したら、待っているのは「死」だ。沢彦の一喝で村人たちが大人しくなり、初めて沢彦が和尚なのだと思った。いや、寺の住職なのは知っていたが。
拝み伏す民は奴に任せ、炊き出しの準備を始める。
前世で見たことあるから大丈夫、と思っていたのが間違いだった。沢彦のアドバイスで、消化のいい粥を作る。そのための大鍋は調達できたが、コンロはもちろんガスもない。
村の家には窯があったが、火の熾し方が分からない。
日吉の母君とその一団が現れた時、俺も拝みそうになった。
それだけじゃない。恒興から一通りのことを聞いたと、完全武装のおちよが来たのだ。戦う気満々だったので、その意欲を炊き出しに回してもらった。
そして今に至る。
食べ物の匂いにつられ、あちこちの家に人々が集まっている。
入口まであふれている人たちに、粥は行き渡っているのだろうか。ものすごく様子を見に行きたいのだが、お目付け役がいるので動けない。
ちなみに手伝おうとした俺を叱ったのはおちよだ。
乳母として世話になった記憶はなくても、この人にだけは逆らっちゃダメだと本能が囁く。ちょっとふっくらした体型の肝っ玉母ちゃんである。日吉の母君とは、あっという間に意気投合していた。
「暇だ」
「そうですね」
「暇すぎる!」
「はいはい」
「ひーまーだー。はらへったー」
「ですから一度城に戻られては、と申し上げたではないですか」
あの粥が食べたいんだよとは言わないでおく。
恒興と長秀のどちらが口煩いかと言ったら、恒興の方が数倍勝る。長秀の嫌味なところは、いちいち言っていることが真っ当な点だ。おかげで俺が完全に、駄々をこねる我儘若様である。
かといって、ヒネリの利いた台詞が浮かんでくるでもない。
「気になって飯どころじゃないだろ。却下」
「あ……」
「ん?」
何かを抱えた子供が一人。
大事そうに両手で包んでいるのは、おそらく食べ物だろうと察せられた。何故なら、深刻な飢饉にあえいでいる村にはほとんど何も残っていなかったのだ。とりあえず今日の食事はなんとかなったが、明日からどうしようと頭を抱えている。
ともあれ、今は目の前の子供である。
「ノブナガ」
隣の長秀を気にしながら、おずおずと名を呼んでくる。
馬鹿犬こと、利家が見つけた子供だ。身なりが少し変わっているのは、誰かに手伝ってもらったのだろう。枯れ井戸しかないということだが、近くに川や湖があるかもしれない。
どうにも意識が明後日へ飛びがちな俺に、子供は抱えていたものを突き出した。
「それは何だ」
「おい、五郎左」
「よもや若様に献上するつもりではなかろうな?」
「止めろ。威圧するのは仁義にもとる行いだって、沢彦……和尚に怒られたの忘れたのかよ」
「それはそれ、これはこれでござる」
ダメだこりゃ。
長秀は本当に頑固で、こうと決めたら絶対曲げない。今からそんなんじゃあ、年を取ったら大変なことになるだろうと思うが、主である俺が止めても聞かないので仕方ない。
美濃の蝮みたいに、臣下をきっちりシメる貫禄がほしい。
怯えて一歩下がる子供に申し訳ないと思いながら、次の言葉を待った。
「それがしが味見をする。問題なければ、若様に献じることも吝かではない」
「へ?」
「え、いいの」
「いいや、よくはない。それはお前の取り分ではないのか」
ぎくりと肩を揺らす子供、ぎょっとする俺。
「ち、ちがうもんっ」
俺が何か言う前に、彼女は踵を返してしまった。
腹が減っていたので握り飯らしきアレをもらいそこねたのは、ちょっと惜しい。かなり惜しいが、あの子供の方が飢えていたはずなのだ。それなのに、握り飯を俺に渡そうとしてくれたのか。
「若様、お分かりですか」
「あ、うん」
「軽々しくも『はらへった』などと仰ったがために、あの子供は行動を起こしたのです。それがし以外の者が傍におれば、処罰は免れなかったでしょう」
「犬松のどっちかなら、今頃は俺の腹の中だな……」
「若様」
「分かっている。上に立つ者として、発言する内容も気を付けろって言いたいんだろ」
炊事の煙はまだ消えない。
握り飯があるのなら、粥以外のものも作ってくれているのか。炊き出しが必要だと思っただけで、俺は何が必要なのかをよく分かっていなかった。米と大鍋だけじゃダメだった。
「おやおや、若様。情けないお顔をして、だらしのない!」
「ほ、ほっとけ。…………いや、おちよもご苦労だった。その、助かった」
彼女に応援を頼んだのは俺じゃない。
だから礼を言うのも筋違いのような気がして、妙な後ろめたさを感じてしまう。そんな俺に目を丸くしていた彼女は、あっけらかんと笑ってみせた。
「大したことじゃありませんよ。もう、炊事なんて何年ぶりでしょうねえ。殿様に雇われて、お城に住まわせていただいてから、ずーっと何でも人任せにして」
「大御ち様」
長くなりそうな口上を、長秀が遮る。
「あら! まあまあ、万千代殿もいらっしゃったのね。いやだわ、恥ずかしい」
「わざとらしいぞ、おちよ」
「何を仰るのですか。疎遠になっているはずの方々がこちらに大集合しているのが見つかったら、お叱りだけじゃ済みませんよ?」
思わず顎をさする。
親父殿のアッパーカットで空を飛んだのは記憶に新しい。
俺を煙たく思っている者、かなり本気で廃嫡を狙っている者、あるいは存在の消滅を願っている者の顔が次々と浮かんだ。彼らに口実を与えないため、表向きは舎弟である長秀たちと疎遠になったことにしている。
俺が命を狙われることに関してはもう、なんだか慣れてきた。
たびたび痛い目に遭っているのと、明確に命の危険に晒されたことがないからだろう。ぶっちゃけ現実味がない。前世の俺がゲーム感覚で生きているような気がする。
だが舎弟と呼んでいても、大事な仲間だ。
俺のせいで長秀たちが厳しい立場になるのは避けたい。
「しっかりなさいまし!」
「ごふっ」
すごい勢いで背中を叩かれた。ジンジンする。
「この村を救いたいのでしょう? 若様の名で商人たちを動かした以上、中途半端に投げ出せば信用そのものが地に落ちてしまいます。さあ! 胸を張るのです、三郎様。次期当主として尾張国を統治する練習だとお考えなさいませ」
「お、おう」
そういえばそうだった。
内政は完全に人任せにする気だったが、将来的に織田信長の統治下に入る国は尾張一国に留まらない。俺たちが毎日食べている米も野菜も、領民が作っているものだ。魚や肉、着物や建築物だって金を払って得たものにすぎない。
人の上に立つ者として、俺は――。
ぐきゅるるるるる……
腹が減った。
二人分の呆れた眼差しにも、何か言い返す気力さえない。
へなへなとその場に座り込んだ俺に、さっきの握り飯が現れた。逃げていったはずの子供が戻ってきて、今度は無言で口に押し付けようとしてくる。ちょ、ちょっと待て。大きさともかく、まだ口を開けていないから入らない。
「うぶ、うぶぶ」
「あらあら、早くも人心を掴んでしまわれて」
「我が主ならば当然のことです」
おい、助けろ。
さっきは偉そうに道理を説いていたくせに、今度は放置か。
文句を言おうとした開いた口に、握り飯が突っ込まれる。入ったことを確認した子供が、何かを期待するような目でじーっと見つめてきた。
まさか感想を求められているのか?
今口を開けば、米粒マシンガンになるぞ。七人の神様が大挙して夢枕に立つかもしれないから、それは遠慮させてもらっていいかなっ。
結局、俺が握り飯を飲み込むまで子供は無言で凝視し続けた。
プレッシャーに弱い俺は、味も分からないまま「ウマイ」とだけ呟いたのだった。
信長の乳母「大御ち様」の名前を「ちよ(千代?)」にしました。
木下家の一族をどうするかは、まだ考え中




