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ノブナガ奇伝  作者: 天野眞亜
信長包囲網編(永禄12年~)
204/284

170. 揺れ動く心

少しだけですが、嫁といちゃいちゃ

 夜明け前の寝所には、事後の濃密な匂いが漂っていた。

 さっきまで大いに盛っていたので当然といえば、当然である。久しぶりに抱き潰してしまったという罪悪感から、隣に眠る愛しい女の髪を梳く。

 汗でしっとりと濡れて、肌がやや冷たい。

 燃え上がるような熱はすっかり引いてしまい、俺自身もぶるりと震えた。まだ夏には早く、日が昇る前の時間は涼しい。頭まで布団を被ろうとして、ふと思いとどまった。端を掴んだことで、一糸まとわぬ肢体が丸見えだ。

「うん、まあ……そうだよな」

 何が「そう」なのかは横に置いておくとして。

 ぐっすり熟睡している帰蝶の体を丁寧に拭いていく。布団を動かす度に、寒がって動くのが可愛くて仕方ない。俺という熱を見つけ、全身で縋りついてきた時にはどうしようかと思った。さすがにこれ以上はダメだ。

 吉乃は小牧山に、奈江は長島に向かった。

 この時代に里帰りの概念がないのは知っていたが、彼女たちが自分で望んだことだ。もちろん離縁なんかじゃなく、それぞれに用事があるから向かった。一個小隊の護衛をつけたから、よほどのことがない限りは大丈夫だろう。

 ちなみに吉乃は、兄へ商売の話をしに行った。

 奈江は一向宗の件を、証意に問い質したいらしい。俺が顕如と会ったのはとっくに知られている。文のやり取りでは納得できない、というのが理由だ。十郎が反信長勢力に関わっていることも、少なからず責任を感じている。

 気にするなと言っても、聞き入れない頑固な女だ。

 いっそ好きなようにさせるべきか、と秀吉から川並衆を借りた。蜂須賀は畿内の灌漑事業と川の整備で忙しくしている。尼子衆が性能のいい小早を持ってきたおかげで、川を使った運搬作業が捗っているようだ。

 俺の知らないところで、とは言わないが。

 一つずつ指示するまでもなく、あちこちで俺の考案した技術が使われていく。今後のことを考えて、改良策はなるべく却下した。もっと便利に、もっと効率良くしようという考えは正しい。

 だが、ダメだ。

 今は何とかなっても、百年後は分からない。

 歴史を大きく変えたくない、という考え方も矛盾を色濃くしているのは自覚していた。それでも俺は、失われていった硝子製造技術の二の舞は避けたいのだ。

「……そういや、忘れてたな」

 今の俺なら正倉院の宝物庫に入ることもできる。

 もちろん勝手に入るなんてことはしないし、レシピの内容を写せればいい。それから密かに特使団の育成も考えていた。信純が聖書に興味を示したように、他にも外国への好奇心を抱くものはいるかもしれない。

 尾張国から堺へ移動するだけで、何日もかかる。

 もっと早く動ける船の技術も必要だ。宣教師たちの乗ってきた船を分解、もとい動力部の視察ができたらいいんだがなあ。フロイスに頼んで何とかならないだろうか。俺の後ろ盾があるおかげで布教も順調らしいし、恩返しとか何とか言って――。

 ダメだ、罪悪感がハンパない。

「ん……」

「よしよし、お濃は可愛いなあ」

 額に、旋毛に、うなじに口づけてはニヤニヤする。

 帰蝶がこんなに大人しく俺に抱かれたのは、最近ではかなり珍しいことだ。切実に子供が欲しいらしい。実は織田領にて、何度目かのベビーブームが到来していたのである。

 お市が女児を生んだ、と長政から文が届いていた。

 弟たちからも出産報告が次々舞い込んできて、祝いの品を選ぶのに苦労したものだ。ついでに家康や義昭からも報告されたが、小一郎に任せておいた。その小一郎にも待望の男児が生まれていたと聞いて、思わず秀吉の頭を殴ってしまった。

 きっと表向きの事情が落ち着いたからだろう。

「だからって乳飲み子置いていくか、普通」

 もちろん、奈江のことだ。

 於次丸をおねねに預けてまで、長島行きを決めた真意までは分からない。今しかないと断言されたら、俺は何も言えなかった。惚れた女の頼みには弱いんだ、ほっとけ。

 川並衆と一緒に、お冬と鶴千代もついていった。

 フットワークの軽さは誰に似たんだか。何故か小姓姿になった二人に具盛まで同伴していた。意味が分からない。三七はまだ子供だから、夫婦水入らずは早すぎるだろ。

「相変わらず、独り言が多い人」

「起きてたのか」

「ええ」

 くぐもった声なのは、俺が抱き込んでいるからだ。

 髪を避けてやりながら顔を上げさせると、頬が湿っている。全身を拭う時に顔だけ忘れていたのかと思ったが、触れようとする手がやんわりと止められてしまった。

「お濃、泣くなよ」

「幸せすぎて」

「俺としては、子供が欲しい時以外でも熱烈に求めてほしい」

「体がもたないわ。奈江も、吉乃もいるのに」

「健全な男ですから」

 愛する女を前にして勃たなかったら男じゃない。

 きりっと断言したら、小さく「ばか」と言われた。なにそれ萌える。もう一回と頼み込んで、結局二回いたしてしまったのは帰蝶が可愛いせいだ。俺は悪くない。


**********


 永禄12年(1569年)7月、毛利元就から書状が届いた。

 因幡国内の戦乱に介入してほしい、という要望だ。尼子衆が去ったことで毛利領として安定したかと思いきや、もともと尼子氏と仲が良かった山名氏が出張ってきたという。尼子氏の敵討ちのつもりか、領土拡大が目的なのか。

 どちらにしろ、わざわざ援軍を頼むほどのことでもない。

「あのう、信長様。わしが行ってきましょうか」

 書状を手に悩む俺に、おずおずと秀吉が進み出る。

 遠山氏の件でぎくしゃくしている信純が不在にしている代わりに、尚清が傍に控えていた。ちらりと視線を向ければ、確かな首肯を返してくる。利家以下、他の側近たちはまだ畿内にいる。今度は人材発掘にも手を出して、ますます離れられなくなっているようだ。

 松永弾正からは筒井順慶の再教育について相談があった。

 いちいち聞いてくんなよ、好きにしたらいいだろ。そう返したら、今度は島清興から猛抗議の文が届いたり、順慶の詫びが追いかけてきたりと大和国も楽しいことになっている。面倒なので松永弾正の弟である、丹波の内藤宗勝へ丸投げした。

 そしたら宗勝から軽く諫める文も届いた。

 お手紙将軍ならぬお手紙大名な俺、ノブナガ。

 元就直筆の巻物(書状)を横へ置いた。

 回数はともかく、文章の長さで元就に勝てる気がしない。そもそも競うようなものでもないが。季節の挨拶に始まり、近況からの雑談、ふと気になった細やかなことをウンチク混ぜて語り倒し、本題はかなり後半に入ってからという有様である。

 ややウンザリした気分になっても仕方ない。

「毛利家とは同盟結んでないし、放っておくってのは」

「ダメですね」

「ダメじゃ」

 尚清と同意見らしい秀吉を見る。

「おねねとガッ……石松が心配だろ。無理しなくてもいいんだぞ」

「やっぱり、わしは力不足ってことですかのう」

 初期で一気に昇進した後は、奉行職のまま据え置きだ。

 長秀が家老職に就いたり、母衣衆の利家・成政に比べると地位は低い。佐久間家や池田家は織田家に代々仕える家柄だが、秀吉のことを元農民だと侮る者はいなくなった。

 そろそろ城の一つも与えてやるべきか。

 仕事量だけなら側近たちで一、二を争う激務なのだ。働きには相応に報いるがモットーなのに、近すぎて考えもしなかった。かといって何もないのに、いきなり城を与えるのは不自然だ。

「信長様は美濃攻めのことを覚えていらっしゃるかのう」

「随分前の話を持ち出してきたな?」

 秀吉は面映ゆそうに頬を掻く。

「あの時の賭け、わしが勝ったら何でも聞いてくださるっちゅう話ですわ。龍興はとっくに長島へ逃げてしもうて、稲葉山にもどこにもおらんかったでしょう。ここぞっちゅう時に使わなと思うて、今まで我慢しとったんです」

「だがな、秀吉」

「わしゃあ……父親として、石松にカッコイイところを見せてやりたいんです。信長様、お願いします。何でも願いを聞いてくださるんですよね」

「その猿知恵で上手くやれるか?」

「もちろんです!」

「ならば、任せる。但馬国へ向かえ」

「ははあっ」

 どうしろ、ああしろとは言わない。

 秀吉のことを信頼しているからだ。歴史に名を残す戦国大名だというのもあるが、裏方仕事をさせれば文句なしの結果を出す。地味な仕事だから目立たないだけだ。今回も大っぴらに戦をするわけじゃなく、毛利家の要請に応えることができればいい。

「…………じーさん、何歳まで生きるつもりなんだ」

「例の酒が効いたのでは?」

「あー」

 桶狭間の戦いで盛次を救った酒だ。

 封印したままダメにするよりは、と蔵から持ち出した。

 滋養強壮に効くものをというリクエストに、造酒丞信房が考案した酒というよりも飲み薬である。普通の酒とは違い、少量が適量である。どうせ盛次のことだから、一気に煽ったのだろう。これだから脳筋武士はと思わなくもないが、元就は適量摂取を心掛けているとみえる。薬効の覚書も添えたし、毒見をした奴も元気になったりして。

「長生きしてほしかったのは長男の方なんだがなあ」

「数年前に亡くなられたと聞きました」

「うむ」

 老いた虎は、領土拡大に余念がない。

 既に何度か徳川軍と衝突し、両国間の友好関係は地に落ちた。今川氏真は相模国へ逃げ延びて、旧今川領は武田・徳川の奪い合いになっている。信玄は東へ、南へと何度も軍を出しては戦を繰り返す。

 上杉軍とやり合っていないのは、義昭を通じて和睦させたからだ。

 西へ来ないのは、幸いと言っていいものか。信純の言葉を信じるなら、とっくに領土侵犯すれすれのことは起きている。奇妙丸からの文が途絶えているのも心配だった。

 かといって、俺は動けない。

「長政からの知らせは、まだか」

「出産祝いのお礼でしたら、先日届きましたが」

「違う。そっちじゃねえ」

 胸の奥がざわざわする。

 親父殿の時代に生きた戦国の雄は老いて、死を待つばかり。

 謙信はともかく信玄、元就に氏康も病を得ているらしい。九州はいよいよ混迷を極めつつある。人狩りなんぞに手を出すから、戦闘民族を目覚めさせてしまうのだ。俺もできるなら、島津一族とは戦いたくない。風神雷神と呼ばれる方々とも会いたくない。

 いくつになっても、怖いもんは怖い。笑うなら笑え。

「但馬攻めを勧めたのは具盛と、藤孝だったな。頭いい奴らの読み通りになるのは腹立たしいが、これで虎の目を逸らすことになれば――」

「殿、岩村城から急使ですっ」

 最近、よく松千代がこうして飛び込んでくる。

 しかし抱えているのは書状じゃなく、少年だった。しかもボロボロで、一人では立ち上がれないようだ。尚清が近づいていって、すぐさま俺を振り返った。

「殿、朗報です。若様が戻られました!」

「奇妙丸が?!」

 俺も思わず立ち上がる。

 少年の肩を掴んでみると泥まみれだが、出血はみられない。疲労の色が濃く、かなり無理をして城まで来たのだと分かった。線の細さからして、体力もそんなにないのかもしれない。

「岩村城には叔母上がいたな」

「はい。平八は、そこから馬を飛ばしてきたそうです」

 小さくボソボソ呟くのを聞き取り、松千代が報告してくれた。

 追いかけてきたのは山県軍ということで、尚清と顔を見合わせる。いつぞやの話に出てきた武田武将の片割れじゃないか。

「信純殿は、このことまで予測していたのでしょうか」

「奇妙丸には半兵衛もついていったからな。天才様同士で何か企んでいてもおかしくない。だが俺はノータッチでいくぞ。武田の軍を刺激するような真似をしておいて、尻拭いを親に任せるような子供に育てた覚えはない」

「厳しいことを。ご嫡男ではございませぬか」

「嫡男だからだ」

 茶筅丸や三七も頑張っている。

 徳川軍が武田軍と交戦しているのなら、お五徳も不安な日々を過ごしているはずだ。夫・信康は岡崎城を任されたということで、奥様戦隊岡崎支部の野望について語る文が届いていた。少なくとも夫婦関係は良好のようで何よりだ。

「……松姫には悪いことをしたな」

 親の事情で振り回された哀れな姫を想う。

 奇妙丸には新しい嫁を用意しなければならないが、一年ほどの謹慎で元服は更に延びる。茶筅丸たちを先に元服させる案も出ていた。厄介なことばかりで頭が痛い。

「甲斐の虎、か」

 義信事件がなければ、少し違った未来があったのだろうか。

やっと奇妙丸が帰ってきました。


但馬攻めを調べていて、本編では秀吉の「はじめてのおつかい(進軍)」だという現実に愕然としたのはここだけのお話です。武功以外はすごい頑張ってるんですよ、秀吉なくして城下町のクリーン作戦は成り立ちませんから!(あとリサイクルとか環境改善事業はほとんど木下一族の仕業)

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