165. 贅沢は敵でござる
堺港には例の商人たちが待ち構えていた。
大事そうに抱えている小型算盤は相当使い込まれているのか、ツヤの出方が俺の知っている算盤と違う。小洒落た衣装はいつもながらに、少しずつ形の違う頭巾が目を引いた。
「頭巾のせいか……老けたな、お前ら」
「おかげさんで」
彦右衛門は不機嫌そうな声音の割に、目が輝いている。
勝久たちから漂う金の匂いを嗅ぎ取ったのだろう。確かに織田軍へ正式に組み込むなら、具足を新調するくらいはしてやった方がいい。先行投資は大事である。
船の改造は嘉隆に相談するとしても、総額でいくらかかるか。
なんとなく視線が合った与四郎がにこりと笑った。
「堺の町もずいぶん変わりましたから、今後は茶人として生きていこうと思いましてね」
「は?」
「千宗易と名乗ることにいたしました」
「うちは今井宗久や」
「津田宗及」
「仲良しさんか」
思わずぼやけば、ニヤリと笑みが返る。
後に天下三宗匠と呼ばれる彼らは、いつの間にか織田家御用達の茶頭として地位を確立していた。ついでに堺は直轄地として独立都市を維持することになり、新将軍の擁立やら畿内の動乱やらで不安がっていた商人たちは大いに安堵したようだ。
「ほんでな、手ぶらなんもアレやし。適当に名物集めといたわ」
「聞いてねえぞ」
「信長様、おらんかったから仕方あらへんがな」
「村井様には通達した」
「あー、それなら大丈夫か」
「それとヤ~な噂も聞いたで。後で時間とってくれへんか」
「分かった」
ぽかんとしている勝久たちをどうにかするのが先だ。
名物収集なんか興味ないのに、そこで金を使うと決めた貞勝の思惑も知っておきたい。尾張国の内津茶や伊勢茶を全国発信していくために、茶人の存在はとても大事だ。金のかかることばかりで嫌になるが、嫌な噂というのも情報収集力の賜物だろう。
俺が思うに、茶室は内緒話をするのに適している。
宴や観劇のように大袈裟な準備をしなくていいし、こっそり集まるのに見咎められない。新しい茶碗を買い付けたとか言いつつ、箱書きにメモ紙を仕込んでおくこともできる。
金色の餅みたいなものだな。
「嘉隆、船のことで考えがある。ちょっと予算組んでおいてくれ」
「はァ? 俺の船をこれ以上どうするつもりだ」
「心配するな。悪いようにはしない、たぶん」
すかさず笑顔の宗易が割って入る。
「とりあえずは資材の追加発注でよろしいですか? 船の部品をお探しでしたら、南蛮から取り寄せた不思議な歯車などもございますよ」
「面白そうだな。見せてくれ」
「勝久、天王寺屋……じゃねえや、宗及に武具の買い付けを頼め。織田仕様だと言えば通じる」
「委細承知」
「は、はい。分かりました」
それぞれが商談に入る中、俺は宗久と一緒に歩き始めた。
最近の密談は茶室でこそ行われるものだが、俺たちの噂話は堂々をやるのが定番だ。以前来た時よりも食べ物屋が増えているようで、なんだか顔も緩む。問屋で買い付けるだけが買い物じゃない。ウィンドウショッピングは女たちが喜ぶものだが、そぞろ歩きも悪くない。
「信長様、宣教師のお知り合いがいはるんやて?」
「フロイスのことか」
「あのお人やのうて、もう一人の」
「ドロステン」
それや、と宗久が頷く。
悪い話に出てきてほしい名前じゃなかった。
「今は九州にいるらしいってことは聞いている」
「その九州で、人攫いが出とります」
「何?」
「天狗の仕業っちゅう話にされとりますが、南蛮人が連れていくんですわ。子供が中心で、年若い男女も何人か」
初耳だった。
義輝の暗殺未遂後、京から宣教師を追い出した理由の一つでもあったらしい。誘拐事件を知っていたら俺も、三好三人衆と同じように追放を命じただろう。明貿易では仏教を学びたいと願う人々を、明側の役人が突っぱねていた。
南蛮人が日本人を攫う理由、それは奴隷だ。
大航海時代に新大陸を発見したコロンブスは奴隷商人で、航海の果てに求めたのは対等な貿易じゃなかった。戦国時代の日本も「黄金の国」と呼ばれていたのだから、南蛮貿易が本当に対等かどうかはあやしい。
だから相手国の言葉を知る必要が出てくるんだが。
「大友氏が何か対策を打ってるんじゃないのか?」
「下々の民のために、南蛮人を怒らせるような真似するとは思えまへんわ。積極的に人身売買で儲けようと考えてもおかしくありまへんな」
「おかしいだろ、どう考えても!」
「せやから、信長様にお伝えしようと思て…………そう思うて、京の屋敷まで行ったのに何日経っても不在やて!? 何度家出しはったら気が済むねんっ」
「家出じゃねえし、常習犯みたいに言うな!」
「何回ですのん?」
宗久にじとーっと見つめられて、俺はゆるーりと顔を逸らした。
すると仲睦まじげな二人組を見つける。露店の品物を見ているらしく、男が何か言うたびにころころと笑う女が幸せそうで――。
「お市!?」
「お兄様!」
きょろきょろと周囲を見回し、俺に気付いた途端に駆けてくる。
そのまま胸に飛び込んでくる可愛い妹を受け止めつつ、苦笑している長政を睨んだ。周囲に供衆の姿が見えないのも、二人が堺に来ているのも大問題だ。俺だって帰蝶たちを堺へ連れてきたいのに何をやらかしているのだ、羨ましすぎる。
「お久しぶりです、義兄上」
「何しに来た」
「お買い物ですわ! お兄様が堺を手に入れたと聞いたので、早速来てみたのです。もしかしたら会えるかもと思っていたけど、本当に会えるなんて夢みたいっ」
「本当ですよ」
「それだけじゃねえだろ、長政」
「義兄上にはかないませんね……。少し、ご相談したいことが」
「子供のことか」
「もう、お兄様ったら! でも生まれてくる子供はお兄様か、長政様によく似た男児がいいと思いますわ。奇妙丸みたいに悪戯っ子になるのは困るけど」
「市に似た子でも、とても可愛いよ」
「まあ」
さりげなく肩を引き寄せるとか、いい度胸だ。
往来で美男美女の熱愛を見せつけられて、行き交う人々の顔がほんのり赤い。刀や短筒を抜くわけにはいかないのが、歯ぎしりするほど悔しかった。ああ、お五徳はどうしているだろう。文通相手としては問題なくても、実際に会ったら違ったということもある。
託した短刀でブッスリやっても問題ないと思っている。
未遂でも効果はばっちりだ!
「宗久、お市に子供用の品物と甘味を見繕ってくれ。いくらかかっても構わん」
「まいどおおきに」
途端にお市の顔が輝いた。
「はちみつあめ!」
「……それは三十郎に頼め」
「どうしてですの?」
「織田家秘蔵の品だからだ」
希少価値が高すぎて、市場に出せないのである。
生産数を増やすのは現状かなり難しい、と信包が言っていた。お市は分かったような分からないような顔をしていたが、長政に撫でられて顔を綻ばせている。非常に腹立たしい。
京を素通りして美濃へ帰りたくなるので、さっさと長政の相談を聞くことにした。
堺の宿を借りていたというので、京の屋敷へ連れていく。
浅井の家臣たち? 書置きをしたから、そのうち追いかけてくるだろ。
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俺が不在にしていたのは二か月ほどである。
「嘘だろ、織田屋敷がある……」
「中はもっとすごいですよ!」
風にはためく織田木瓜が目に眩しい。
褒めてもらいたそうな塙直政を先導役に、俺は真新しい屋敷へ踏み込んだ。上京武者小路という所には徳大寺公維邸があったのだが、義昭の命令で織田家の京屋敷を建てさせたらしい。
うん、おかしいよな。
二か月で屋敷が完成しますか? しません。
「直政」
「はい!」
「これに関わった奴らに全員、臨時休暇を与えてやれ」
「よろしいのですか?」
「過労死されるよりマシだ」
こめかみを揉みつつ、貞勝にも連絡を頼む。
尾張国も大概にファンタジーな国だったが、オカシイのは織田軍だった奇跡。聞けば、とんでもない人数が動員された事実が判明した。尾張・美濃・伊勢だけでなく、畿内からも改築に駆り出され、夢いっぱい詰め込んだ小牧山城の京屋敷バージョンが完成したのである。
いや、門とか内装とかがソックリだからさ。
俺の好みに合わせようとしたら、そうなったんだろうな。資金は織田家から出たんだろうが、襖や欄間の出来は二か月で仕上げたとは思えない素晴らしさだ。素晴らしいしか出てこないボキャブラリが悲しい。俺が不在の時に大砲やら何やら出来ていたこともあったが、捜索隊を出されるよりも恥ずかしいわコレ。
しかも天皇がおわす御所に近い。
「俺、緊張して眠れないかもしれない」
「宿所としている妙覚寺や相国寺も近いですよね」
「寺を借りるのと、京屋敷があるのとは大違いだっつの」
「義昭様が義兄上を深く信頼なさっている証拠だと思います」
「まあ、公方様も分かっておいでですわ」
「長政……、お市」
敬称をつけているだけで、全然敬っていない二人に頭痛が増す。
「小牧山城は知らないのですけど、こんな感じのお城なら行ってみたいです。長政様、今度一緒に行きましょう?」
「ああ、そうだな」
長政の笑顔が少し強張った。
相談事とはそこかと気付いた俺は、小姓を呼び寄せて屋敷の案内役をさせることにした。嫁いでいった身で実家に戻ることは、離縁するということだ。それが分からないお市でもないだろうに、ちょっと浮かれすぎている気がする。
「では長政様の分も見てまいりますね!」
「好きなだけ見てこい」
「お市の方、こちらでございます」
顔を赤くした松千代がぎこちない動きで歩いていった。
美形が多い織田家だが、お市の美しさは群を抜いている。おそらく彼にとって、間近で見たのはこれが初めてだろう。少年の心にどんな影響を与えるのか気にならないと言えば嘘になるが、お市が織田家に戻ってくるならば――。
「義兄上」
「相談したいことがあるんだったな」
「……情けない限りなのですが、父のことです」
俺は思わず座り直した。
「久政は生きて、いるのか?」
「え、ええ。家督を譲る際に竹生島へ隠棲したはずだったのですが、一乗谷城に滞在していると報せが届きました。祖父の代より懇意にしている朝倉家を頼ったのではないかと」
「ふむ」
「義兄上は越前に手出ししないと約束してくださいました。口約束にすぎぬ、と家臣の中では疑問視する声が上がってきています。それも扇動しているのが他でもない、我が父なのです」
「メリットがないのに攻めるわけないだろ」
そう答えつつ、顕如のことが思い浮かぶ。
腹心を預けてきた本音までは分からないが、真宗王国をどうにかしたいと思っているのは疑いようもない。ただ、自分の力ではどうしようもないから他人の力を借りたい。織田家のことは随分前から見定めに入っていたと思われる。
ある意味、領民を人質に取られているようなものだ。
顕如の願いを聞き届けない選択肢は、俺の中になかった。ただし、戦をせずに穏便な方法で和解できるかどうかは難しい。腐った坊主どもを粛清する前に、門徒が出てくるのは明らかだ。史実通りの大虐殺だけは、どうあっても避けたかった。
そういう意味でも、越前の地はなるべく触れたくない。
「まあ、仕方ないだろ。浅井家臣は俺のことが気に食わんらしい」
「義兄上の器に嫉妬しているだけです! 先だって義昭様にも謁見が叶いましたが、義兄弟であることを随分羨ましがられました。冬姫を養女にもらいたいくらいだとも」
「誰がくれてやるか」
「そう仰ると思いまして、やんわりとご忠告申し上げておきました」
よくやった、とは言いたくない。
目の前の男こそ、俺の大事な珠玉を奪った張本人である。しかも長政の言葉が正しければ、どうあっても朝倉・浅井VS織田・徳川の構図を作りたいとみえる。なんだかんだで徳川軍の出番がないまま、いつの間にか畿内統一してしまった。
今後の行動は「なんとなく」じゃあダメだ。
「信長様、村井様がお戻りになりました」
「通せ」
利之は長政をちらりと見やったが、すぐに貞勝を連れてきた。
しばらく見ないうちに眼鏡が本体みたいな馴染みっぷりだが、やつれて見えるのは気のせいじゃないだろう。申し訳なさに頭が下がる。
「すまん」
「いきなり何を仰るかと思えば」
「さすがに反省している。後悔はしていない」
「そうですか。ならば、問題ありませんね。今年に入ってから何かと金の動きが激しく、この吉兵衛を呼んでくださったご英断に感謝しているのですよ」
「皮肉はいい。名物もかなり買い込んだと聞いたが」
「ああ、それは表向きのことです。織田家の財力を周知させるには一番分かりやすく効果が見込めると判断しました。実際には、この眼鏡ほどに出費しておりません。殿が堺商人と誼を通じていたおかげですね」
「うっ」
眼鏡の値段、バレたのか。
茶道具ばかり大量に買い込んでもと思っていたが、実際は違うのだと聞いて安心した。畿内での降伏フィーバーは、お市の花嫁行列用に色々買い込んだのと巨大な鉄の船が影響していると聞いて驚いた。ついでに淡路島周辺の海域も九鬼水軍がパトロールをしているので、堺の好感度は上がる一方なのだとか。
海賊の被害は存外、深刻だったということだ。
「お戻りになられてようございました。色々と話したき儀がございます」
「私は外した方がいいか?」
「いいえ、浅井殿にも関係あるお話です」
ものすごく悪い予感がした。
誰かが死ぬ嫌な予感とは違うが、こういうのは的中する。
人狩り(奴隷取引)に堺商人が関わっていた可能性も十分にあるのですが、宗久なりの思惑があってノブナガに注進しています。織田家がポルトガル人と個人的に貿易できるようになるのは困るわけですよ、色々と。
この時代、人身売買そのものは普通にあったんですよね…。
塙直政...後に原田姓を名乗る。通称は九郎左衛門、備中守。
春日井の土地開発中、成政によって見出されて馬廻衆へ加わった。仲が良かった福平左こと福富貞次が赤母衣衆へ抜擢されたので、黒母衣衆の座を狙っている