163. 山中にて、鹿を助ける(前)
作中で「もうすぐ秋」と叫んでいますが、まだ7月です
俺たちは開き直って、月山富田城を目指していた。
毛利元就が陸奥守を名乗っているのは、今上帝の即位に際して多大なる献金をしたからだという。その資金源はもちろん、石見銀山だ。といっても本来の所有者は大内氏で、尼子家に移って、現在は毛利家が管理している。
権利譲渡が穏便な手段じゃなかったのは言うまでもない。
戦で多くの人が死に、銀山で働く鉱夫も若くして死ぬ者が多いという。有害な粉塵を吸い込むことで体を壊すのだ。理屈は分かっていても、対処法は思いつかない。鍛冶師だって短命の職業だ。知識チートしたいなあなんて思う反面、できなくていいのだとも思う。
産業が潤って、一番喜ぶのは時の権力者なのだから。
「って、俺のことか?」
「何がだ」
「なんでもねえ」
どうにも感覚がズレてきている。
桶狭間の戦いまでは何とか気持ちの整理もできていた。美濃攻略中は色々と考える暇があるくらいには時間を使うことができた。だが半兵衛の奴が稲葉山城を一時占拠してから、展開がおかしくなってきた気がする。
やっぱり義輝を助けるべきじゃなかったか?
チラリと白頭巾を見やり、ハアと溜息を吐いた。転生憑依があるなら、過去をやり直す奇跡だって起きるかもしれない。だが俺は何度でも義輝を助けようとする。間に合わなければ、それはそれで「仕方ない」と諦めたかもしれない。
タラレバの話はすっきりしないから嫌いだ。
「あっ」
「今度は何だ」
「もうすぐ秋じゃねえか! 主だった奴らはみんな畿内入りしちまっているのに、尾張と美濃の納税担当が大変なことになっているかもしれない」
「伊勢のことは心配しないのか?」
「信包がいるから大丈夫だろ」
「なるほど」
近江や三河、甲斐国も心配だ。
偵察隊の報告書と、送られてくる手紙でしか状況把握できないのがもどかしい。お五徳は小さいからともかく、お市があんなことやこんなことをされているかと思うだけで頭が沸騰しそうだ。長政め、羨ましい! 俺だって嫁たちとイチャイチャしたい!!
とっくに琵琶湖を越えているはずが、山陰道をそぞろ歩きなう。
「雨墨サン、雨墨サン」
「何だ?」
「毛利家とやり合っていたのはどちらさんだっけ」
「もう忘れたのか、尼子家だと言って――」
義輝の台詞が途中で消える。
俺たちはきっと同じ風景を見て、同じことを考えていた。
ここが出雲国で、最も近い城が月山富田城だとして、果たして攻め手はどちらだろうか。収穫期には早い夏の最中、甲冑に身を包んだ武装集団が歩いていく。足軽が多いようだが、部隊編成が分からないから何とも言えない。
旗印は二つ、四ツ目結と橘だ。
毛利家は一文字に三ツ星である。
「戻るぞ」
「良いのか?」
「何を言ってる」
踵を返そうとした俺の腕を、義輝が掴んでいた。
「今、ここで戦が始まろうとしているのだ。放ってはおけぬ」
「一応聞いてやる。どっちの味方をする気だ、雨墨」
「…………」
「将軍義輝は死んだんだ。朱印状も御内書もないのに、どうやって調停役の名乗りを上げる? まさか織田家の者として割り込むつもりじゃないだろうな。俺が西国の諍いに首を突っ込んだと知れたら、毛利家から猛抗議が来るぞ。三好の残党も片付いていないのに、新しい敵を増やすつもりか?」
「だが織田の者が出雲入りしたことは、とうに知られておる」
「だから何だよ!」
「三郎が調停人になればよい」
「はあ?!」
「義昭の勅命を受け、出雲の動乱を鎮めに来たと言えばよい。当然、事実確認のために二条城へ問い合わせるであろう。弟ならば、其方の行動に否やは言わぬ。安心せよ」
「安心できるか、ド阿呆が!!」
「誰だっ」
俺は舌打ちをして馬の背に飛び乗った。
斥候に見つかったらしい。こんな見晴らしのいい路上でギャアギャア騒いでいるからだ。尼子軍から遠ざかるつもりが、義輝が同乗してきたことでパニックに陥った駄馬が猛然と駆ける。ぎょっとして逃げ惑う足軽たちを尻目に、隊列の横っ腹を貫いた。
「いいぞ、そのまま城へ向かえ!」
「ああああ、帰りたい帰りたい」
真逆の心情を抱える二人を乗せ、その馬は飛ぶように駆ける。
当然ながら城門で一悶着あったのだが、何とか城内へ入れてもらえた。それというのも毛利元秋という男が、義輝の顔を知っていたからだ。元秋は元就の五男で、まだ元服して間もない頃に謁見を許されたことがあるらしい。
義輝が生存し、織田家にいることも元就は知っていた。
結局、ここでも通行手形としての役割を果たしてしまったのである。怒るに怒れない俺はむっすりと黙り込んで、名乗ることさえしなかった。義輝のお供Aでいいよ、もう。
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毛利家といえば、三本の矢が有名だ。
「だからって、三人兄弟じゃないとダメっていうことはないわなあ」
「何の話ですかな?」
「コチラの話です」
櫓の中は満員御礼だ。
もともと狭いところに見張り番の二人と俺、毛利家臣の天野隆重が加わった。兵士が窮屈そうにしているのは、城代を預かっている隆重がいるからだろう。元就の従妹の婿ということで、元就の信頼は厚い。元秋も個人的に慕っている様子から、デキる武将だと思われる。
とっさに津田市郎と名乗ったのに、正体バレている気がするんだ。
無文字の印籠を義輝に預けておくべきだった。
織田の者かと騒ぎになって、とにかく義輝が話したいようにお任せモードでいた俺である。どうやら関所でのやり取りがここに伝わっていない。それは何故か? 関所間で情報共有する伝達力はあるのに、上へ報告しない理由は一つしか考えられない。
奴らは毛利家に従っていない別勢力だということ。
泡の原理で作った疑似レンズが割れたので、諦めて竹筒を下ろす。
「敵影ナシ。今のところは問題なさそうだな。つーか、視認できる時点でアウ…………かなりヤバ、危ない感じなのは言うまでもないが」
「そうですね」
「天野殿、敬語はいらんと言っているでしょう」
「私は誰にでもこんな感じです。津田殿もお気になさらず」
朗らかな笑顔に騙されてやるものか。
口髭が短く整えられているのは、よほどマメな性格じゃないと無理だ。粗野でいかめしい顔の方がよっぽど武士らしくて分かりやすい。戦国武将というのは温和な見た目の方が、内面はおっかないと学習した。
いつまでも邪魔をするわけにもいかないので、櫓を降りる。
天守閣がないのは不便だなあなんて思うが、設計するのも建てるのも大変な代物だ。見張り台や櫓の進化形態として考えられていたせいで、小牧山城の天守閣にも居住区がない。あそこに住みたいんだよと訴えたら、家族間の不和を疑われた。解せぬ。
城で生まれ、城で育ち、城をいくつも持っている。
それなのに城に住んでいる感が足りない。二階より上は物置か、見張り番や護衛が潜むエリアという考え方が納得いかない。五層の天守閣だってあるんだから、居住区作ろうぜ!
山城は山に埋もれ、木々の間から見える程度。
平城はでっかい屋敷でしかない。
あんなに立派に見えた清州城だって、見慣れたら大したことない。もう全部、御館って呼べよ。天守閣がない御城なんて、城じゃねえ!! 美濃に帰ったら岐阜城も改築したいな。
「安土城ってどこにあったんだっけ。安土山か?」
琵琶湖の東にそんな山があった気もする。
佐和山城が近い。そして当然ながら、近江国内である。
「何を百面相しているのだ、三郎」
「市郎って呼べ! ください」
義輝の「こいつ無茶しやがって」という視線が痛い。
いつの間にか隆重がいなくなっていて、白頭巾の義輝が隣に来ていた。相変わらず、供連れはない。将軍時代はどうだったか知らないが、一人での行動が身についてしまったようだ。
「雨墨の嘘つき」
「む? 突然どうした」
「攻めてくるのは尼子軍って話じゃねえか。旗印からして、間違いないっていうしよ」
「正確には尼子再興軍だな。毛利家との争いで尼子義久は元就に敗れ、隠棲することになった。戦後に毛利家へ降った家臣もいれば、反旗を翻した家臣もいるということだ。その筆頭が山中鹿之助というらしい。尼子家の庶流から勝久なるものを担ぎ出し、出雲国で同志を募っていると聞いた」
「尼子十勇士か!?」
「なんだそれは」
怪訝そうな顔をされて、俺はたちまちテンションを下げる。
そういえば、真田十勇士も尼子十勇士も創作によるものだという説が有力だ。かくいう俺も戦国知識のほとんどが漫画やドラマによるもので、歴史の授業なんか覚えていない。転生してから得た知識の方が格段に多かった。
尼子十勇士だって、山中鹿之助しか知らないしなあ。
真田十勇士も三人上げられればいい方だ。その真田家は武田家臣だったはずで、運が良ければ真田幸村とも会えるかもしれないなんていう期待もある。いや、幸村という名前も創作だったか? 諱は何だっけ。
「その尼子だが、こうも早く動くとは思わなかったらしい」
義輝の顔は苦々しい。
出雲北にある隠岐の島に逃れた鹿之助たちは既に上陸し、真山城を落としている。ざっと六千の将兵が集まったとされ、各地で武力蜂起が起きていた。月山富田城が落とされたら、毛利家は出雲国を失うことになる。
「毛利の主力は伊予国にいるんだろ? 手薄になった隙を狙うのは常套手段じゃねえか。担ぐ輿があるなら、軍をまとめやすいってもんだ」
「其方の弟のように、か?」
「嫌なことを思い出させんじゃねえ」
「……それはそうと、尼子再興軍への対応だ。どうする、三郎? 何か手立てをひねり出せ」
わざとか、わざとなのか。
最初から津田三郎と名乗ればよかった。津田姓は織田の庶流でよく使われていて、従兄弟たちはいつの間にか織田姓を名乗らなくなっていた。俺程度のおつむで、信成の名を借りようと思ったのが失敗だったようだ。
「和平には応じない、だろうな」
「無理か?」
「義久を生かしたのは、出雲国人衆と尼子家臣の反発を防ぐ意図があったと思う。ボンクラ当主なら斬首しちまえば、むしろ元就の株が上がる。謀将と呼ばれた男なら、それくらいの計算は余裕だろ」
「だが山中は勝久を担ぎ出した」
「義久は毛利家に媚びたと吹聴したか、尼子家の中で火種があったかのどちらかだ。でなけりゃ、この短期間で兵を集められるわけがない」
山中鹿之助がとんでもないカリスマ武将だったら話は別だ。
後世に伝わるくらいだから、スゲー奴なのは間違いないだろう。尼子家もそこそこ強かったはずなのだが、大友氏同様に元就人気で影薄くなった可能性はある。
個人的にはここで、毛利家三男・小早川隆景に会っておきたかった。
歴史通りに進むなら、いずれ織田軍は中国地方にも手を伸ばす。天下泰平の最終目標は日本全土の武力平定なのだから当然だ。本音を言えば、ものすごくやりたくない。俺が嫌だと叫んで、どうにかなるのならどうにかしたい。
いや、違う。今はソレ関係ない。
考えまいとした部分が浮上して、俺はまた押し込んだ。
「引っこ抜くか」
「三郎?」
「尼子家の再興が目的なら、その願いを叶えてやりゃあいいんだよ。いずれ新五に斎藤姓名乗らせるつもりだったし、勝久だっけか? 織田家臣の尼子勝久にしちまおう」
「陸奥守が黙っておらぬぞ!?」
「何言ってんだ、これは奴の采配ミスだろ。天下獲る気ねー、とか言っておきながら瀬戸内渡って伊予国へ手ぇ出すのが悪い」
四国は長曾我部のものだ。
出雲は神の国だから、戦乱のままにしておきたくないという気持ちもある。伊予は蜜柑が美味い。毛利家はともかく、元親とは仲良くしたいのだ。貿易的な意味で。阿波国の三好残党もそうだし、瀬戸内の水軍も魅力的だ。
「よし、城を出よう。厩はどこだ?」
「させませんよ」
いつからそこにいたのか。
にっこりと微笑む男を見つめ、義輝が呟いた。
「……天野中務」
「ようやく本性を出しましたね、津田市郎殿。いいえ、織田弾正忠殿」
見張っていた甲斐がありました、と隆重は笑う。
その後ろには愕然とする元秋の姿もあった。義輝が何か言おうとして動いた瞬間、周囲から槍を持った兵士が集まってくる。なんだろうな、前にもこういうことあった気がする。
「申し訳ありませんね、こちらも余裕がないもので。うっかり不幸な出来事が起きないうちに、その腹の内を全て話していただけることを期待します」
「何も企んでねえよ」
「そうですか、残念です」
白刃が閃いて、白頭巾が空を舞った。
今更、城への文句かよと言わないでください。グレたい年頃なんです。
鹿之助ゲットだぜ!にならないのがノブナガ流。
戦の概要を見るだけだと天野隆重なる人物がハイスペックすぎて泣きたくなるんですが、本当はここで隆景くんと駄弁って帰る予定でした。元公方とノブナガが出くわした足軽隊は、隠岐から南下する山中隊ではなく、出雲国内で迎合した残党勢力になります。
尼子十旗はあるんだから、十勇士が実在していてもいいと思うの(面白ネームなのは名付けた奴のせい)