14. 飢饉の村(後)
子供は眉をぎゅっと寄せ、首を振った。
「うそだ」
「信じないならそれでもいい。お前らは全滅するだけだ。さすがに心は痛むが、俺たちは生きているからな。そのうち、この村があったことも忘れていく」
「ひとごろしっ」
「お前らが全滅すれば、そうなるな。生きるか、死ぬか。今、決めろ」
あえて冷たく突き放しているように、淡々と告げた。
本当は見捨てたくない。どうにかして救いたい。
具体的な策はこれから考えるし、とにかく炊き出しの準備を早く始めたい。この子供のように食べ物があると分かれば、生きている奴は活力を取り戻す。
衛生面も最悪だ。
水の問題も早く解決しなければならないし、冗談抜きで今度こそ流行り病にかかってしまうかもしれない。冗談じゃない。来年には嫁をもらう予定なのに、相手の顔も見ずに死ぬとかありえない。お市もきっと泣いて寂しがる。
だから俺は絶対に、生きて帰る。
この村を救って、堂々と城へ戻る。
「し……にたくない…………っ、死にたくないよう」
飴の効果か、意外にきれいな声で嗚咽をもらす。
「分かった」
「若様!」
「子供、空き家はあるか。一つあればいい」
「あるけど」
「そこに住む」
「若様!? 正気ですかっ」
「ああ、お前らは日が暮れたら戻れ。今日は俺の強引な呼び出しで集まっただけにすぎない。そのまま帰らなかったら、どんなことを言われるか分からんぞ」
「いいえ、それは若様も同じでございます。若様こそ城に戻られませんと、今度はどんなお叱りを受けるか」
「……面倒くせえな」
長秀の言葉はいつだって正論だ。
俺のことを考えて、俺のために発言している。従順に命令を遂行する一益や犬松コンビとは違う。何でも反対し、ぎゃんぎゃん騒ぎ立てる恒興とも違う。
利家と子供は状況が理解できないのだろう。
困惑気味の顔を揃えて、言い合いをする俺たちを見ている。
「犬!」
「わんっ」
「今より親父殿に文をしたためる。これを今日中に届けろ」
「っす!!」
「五郎左は、勝三郎を送り届けてやれ。目が覚めた時、宥める役が必要だ。このまま残れば、気が狂うかもしれん。……俺の家臣を守れ」
「承知、しました」
腹の底から絞り出すような返答だった。
不本意極まりない、と長秀の顔に書いてある。廃嫡寸前とはいえ、織田(分)家の次期当主を一人で置いていくことになるのだ。城下周辺の村と違い、ここの民は俺のことを知らない。
体のしっかりした青年たちが消えた後で、どうなるか。
うん、ゾッとしないな。
「そう心配するな。炊き出しやら何やら終わってからだ。腹が満たされれば、悪い想像もしなくなる。ぐうぐう寝て、起きたら朝日が昇っている。どうせ、早朝には出て来るんだろう?」
「当然です」
「早起きには自信あるっすよ」
「ほんとうに、たすけてくれるの?」
おずおずと子供が割って入った。
俺の袖を指の先で握っている。それがお市の癖を思い出させて、胸が詰まった。おもむろにしゃがんで、子供と視線を合わせる。慌てて下がろうとするのを止めず、へらっと笑った。
「俺には夢がある。そのための第一歩が、この村だ」
「よくわかんない」
「今日は腹いっぱい食べて、たくさん寝ろ。働くのは明日からだ。頑張ったら、また食わせてやる。働かざるもの食うべからず、ってな」
「むずかしい」
子供は不満げに口をとがらせる。
「わかさまって、おしょうさまなの?」
「いや、違う。俺は信長。織田三郎信長だ」
「ながい。ノブナガでいい?」
「おう」
ノブナガ、ノブナガと口の中で繰り返す子供の頭を撫でる。
前世では子供に触れようなんて思わなかった。子供を可愛いと思ったことはない。喧しくて鬱陶しくて、この世の中から消えてなくなればいいとすら思っていた。
俺も昔は子供だった。今も子供だ。
途中から始まった人生だが、今度こそ俺は幸せな老後を送りたい。
美人の嫁さんがいて、可愛い妹や家族がいて、子供も生まれたら絶対楽しい。その子供が結婚して孫が生まれたら、めちゃくちゃに可愛がる。俺の孫が可愛くないはずない。
親父殿やおふくろみたいな親になりたくない。
「お、オレ頑張るっすよ! 炊き出しとかすげー頑張るしっ」
「又左衛門、やり方を知っているのか?」
「べんきょーする」
「ねえ。べんきょー、ってなに?」
「賢くなることだ!」
「かしこくなったら、ごはんをたべられる?」
「え、えーっと……三郎様」
なんだよ、その目。
二人して期待する子供のような顔するんじゃない。いや、まだ子供か。利家は元服しているが、俺の感覚では二十歳前は未成年なんだよなあ。
「若様」
長秀はなんつーか、余計なことを言って墓穴掘るなよって言いたそうだ。
泣きべそ恒興を背負ったままなので、兄貴っぽい雰囲気がいつもより三割増しである。一年かそこら早く生まれただけで、年長者扱いされるものかね。俺は一人っ子だったから、よくわからん。
今の人生では弟に小言をちくちく言われるし、お市は超絶可愛いし――。
「あっ」
やばい、忘れるところだった。
「城へ戻るぞ。今すぐ」
「やっぱり、うそなんだ」
「違う」
「三郎様は嘘吐きなんかじゃねえ!」
怒った利家が腕を振り上げた瞬間、頭の中が真っ白になった。
日々の鍛錬を怠らないおかげで立派な体躯に成長した男が、がりがりに痩せて骨と皮しかない子供を殴ったらどうなるか。考えなくても分かる。考える暇なんかない。
がつっ、と熱い岩の衝撃が脳天を突き抜ける。
「さ、三郎様!?」
「てめえ、なんてことをしやがるっ」
「あ、あ……おれ、おれ…………そんな、三郎さま、を、オレが」
倒れない。俺の後ろには、あの子供がいる。
親父殿の一撃に比べれば軽いもんだ。口に溜まった苦いものをペッと吐く。地面に赤がついた。利家はそれを凝視して、ふらふらと後退ったかと思えば尻もちをつく。
目だけは血痕に釘付けだ。
「三郎様あああぁっ」
「いや、その血は俺が吐いたからって俺自身じゃないんだが」
「うわあああっ」
「五郎左、頼む」
「はっ」
容赦ない一撃で、利家が沈む。
拳に血管浮いているように見えたんだが、長秀もかなり怒っているのか。唇を引き結んで、仏像のように立ち尽くしている。俺の命令がない限りは、自主的に動かないつもりだな。
とはいえ、荷物がもう一つ増えてしまった。
現代日本なら、スマフォで呼び出せるのに不便極まりない。それなりに舎弟が増えてきたと思ったが、圧倒的に手が足りないのは同じだ。
この村のこともある。
「ふぐっ」
いきなり背後から襲撃された。刺客か!?
「ノブナガ」
一瞬にして張り詰めた空気は、小さな声で霧散する。
俺の腰を攻撃したのは、村の子供だった。どこにそんな力が残っていたのか、ぎりぎりと細腕で締め付けてくる。そんなに頑張ったら折れるぞ、お前の腕が。
「ノブナガ……」
「ああもう!!」
小さな妹とは似ても似つかない。
だが必死にしがみついてくる姿が、お市に重なって見えた。脇に手を入れて抱き上げれば、勢い余って放り投げてしまいそうに軽い。軽すぎた。人間の重さじゃない。
ぼろ布がはらりと落ちた。
自然に、そっちへと目線が向かう。
あれ、おかしいな? ついていない。男児にあるべき、俺たちに標準装備されているアレがない。要するに、この子供は――。
「ほ、ほみゃあああああああ!?」
「若様、気をしっかりなされよっ」
「……ノブナガ、うるさい」
女の子だった。