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ノブナガ奇伝  作者: 天野眞亜
天下布武編(永禄8年~)
188/284

156. お山のボスがやってきた

 寝ている間に池田城が落ちて、城主の勝正が伊丹親興いたみちかおきと共に投降した。

 勝正と勝家の激戦はちょっとした見物だったらしい。

 もう本当に面倒なので、和田・池田・伊丹の三名を摂津守護に据える。一人だけ出自は異なるが、山城国に接する摂津国だからこそパイプ役は必要だ。青を通り越して真っ白になっていた惟政に同情してか、早速上手くやっているという。

 三好三人衆が阿波国まで退き、大和国内も落ち着きを取り戻した。

 だが、問題はそこじゃない。

「ふざけんなよ! 細川様も爆弾正も何考えてんだ。織田傘下に入れた覚えはねえし、お願いされた記憶もねえ。図々しいと厚顔無恥を百回書いて、出直して来いっ」

 そう叫んだら、本当に百回書いて送ってきた。

 二人とも掛け軸にしたくなる達筆で、文字の残念さに家臣のうきんどもが嘆いていた。せめて他のにしてくれたら皆で分け合ったのにと言われても、俺だって本気にすると思わなかったのだ。しかも言質を取ったとばかりに織田家臣を名乗りやがって、織田信長は名実ともに戦国大名の仲間入りですよ。

 どんだけハイスピードなんだ!?

「雑念」

「うぐっ」

 ビシィッと警策が振り下ろされて、体が揺れる。

 そこ、青痣があるところだからヤメテ。

 暴れた時にはそこを打たれて気絶したらしい。どんだけやねん。

 滲んだ涙を拭くことも許されない座禅は自分から言い出したことなので、文句も言えない。とはいっても体に馴染んだ習慣は恐ろしい。半日ほどの瞑想を終え、俺はすっかり落ち着きを取り戻していた。

 池田城の縁側に野郎二人で日向ぼっこ、今此処。

「茶が飲みたい。にっがいやつ」

「草の湯であるな」

「あー、それそれ。って何で知ってるんだよ、顕如」

「尾張国にて同胞がおるゆえ」

 宗吉みたいな口調で、宗吉を彷彿とさせる巨躯の男が本願寺顕如。

 ここから南にある大坂本願寺(石山本願寺のこと)の住職にして、一向宗こと真宗教団のボスだ。どう鍛えたら、巨大なマッチョボディを手に入れられるのだろう。もはやムキムキマンとは呼べない。僧衣でも十分に分かる筋肉量。

 容積が俺の二倍、といえばいいか。

 長政の姉ちゃんも巨人らしいが、戦国時代にも巨人がいたんだなあと思う。うちの側近たちもそこそこデカいが、全員が胴長短足という悲しい現実だけは伝えないでおこう。

 この時代の常識でも、現代の常識じゃないからな。

「それと草の湯じゃなくて、ハーブティーって言うんだぞ」

「はあぶちい」

 突然ですが、笑ってはいけない池田城。

 つるりと見事な剃髪頭の巨人(仁王風フェイス)が、神妙な様子で一言一句間違えないよう慎重に舌へ乗せる。笑うなという方が無茶だが、もう警策はいい。

 それはそうと、日本にもハーブは結構ある。

 紫蘇や山椒に三つ葉辺りが有名か。韮と茗荷は中国原産らしいが、すっかり日本で自生している。俺が言っているのはハーブティーというよりは、ドクダミ茶のことだ。煎じ方が悪いのか、非常に苦い。どれも薬として伝えられ、民間では食用として珍しくない。

 さて、どうして本願寺住職が池田城にいるかっていうと――。

「歩いてきたのである」

「いや、そうだろうよ」

 この時代に車や飛行機がないんだから当然だ。

 供の者はどうしたと聞いたら、置いてきたらしい。正しくは、街道を爆走する住職の速さについていけずに脱落していった。行き先は分かっているので、そのうち追いつくであろうと真顔で言われて何を返せばいいんだ。

「脳筋か、脳筋なのか本願寺!?」

「のうきん、とは」

「脳味噌まで筋肉……いや、御坊(の鍛えぬいた筋肉)に失礼だったな。俺が言えた義理じゃないが、あんまり皆に心配かけるもんじゃないぞ」

「心配、心配か。拙僧の身を真に案じる者は、ごく少数よ」

 思わず意味を訊ねそうになり、咄嗟に飲み込んだ。

 そもそも俺たちが二人きりで話していること自体、稀有なことであると思い出した。うっかり畿内統一してしまったが、義輝なんぞを助けてしまった因果でここまで来ただけだ。織田信長が天下統一の一歩手前まで行っていたのだから、当然と言えば当然の流れだとは思う。

 だが俺個人として、意識的にやったことじゃない。

 それが居心地の悪さに繋がっていた。最近やけにキレやすくなっているのも、状況の変化についていけなくなっているせいだ。そもそも尾張一国まとめるのにも、美濃国を平定するまでにも数年単位を要している。

 畿内勢力の大半が織田へ従う意向を見せた今、もう後に引けない。

 義昭様と一蓮托生である。幕府を潰すまでが俺の人生になるのだろう。将軍家・朝廷との繋がりを利用しても大丈夫、と俺自身に許可を与えられる。南蛮貿易なら九州、四国や中国地方の情勢も気になる。挨拶の文くらいはいける、はずだ。阿波に逃げた奴らの妄言を信じて攻めてこないでね?

 もちろん本願寺のことを忘れていたわけじゃない。

 それこそ長島へ流れ着いた時から、因果は始まっていた。

「薄々思っていたんだが……、もしかして一向宗は一枚岩じゃないのか?」

「左様。情けないことに、管理しきれておらぬ」

「浄土真宗の教えが分かりやすい、ってのもあるんだろうな。庶民層で爆発的に広まって、門徒を統括するのに真宗の寺と坊主が必要で」

 そこまで言いかけて、俺は顔をしかめた。

「おい、顕如」

「己の不徳の致すところよ。宗祖様に顔向けできぬ」

「ド阿呆、反省するのは猿でもできるぞ。勝手に広まっていったのは仕方ないとしても、本山から信頼できる奴を派遣することはできただろ?」

「派遣したとも」

「そして腐った、か」

 全ての真宗教徒がそうだ、とは言わない。

 過激派と呼ばれる集団は大抵の場合で、組織のごく一部に生まれる。真宗教団で厄介なのは、担ぎ上げる御輿がここにいるということだった。畿内の動乱が続けば続くほど、その渦中にある本願寺の辛さを思って門徒衆が団結する。

 この世は地獄だ、統治者は信じられないと考える。

 そんな風に導いている輩もいるかもしれないし、そうじゃないかもしれない。仏教宗派の多くが厳しく肉食妻帯を禁じているのに、宗祖の親鸞は31歳でそれを解禁したという。

 そこから先は宗教問題だから横に置くとして。

「政教分離は急務だな」

「意味は分かるが、容易ではないぞ?」

「金や権力ほど欲に染まりやすいもんはない。欲望のない人間ほどつまらんものもない。だが腐った蜜柑は、箱の中の全ての蜜柑を腐らせる」

 前世の俺が言われた台詞のなかで、一番嫌いなやつだ。

 真理だからこそ、音に出した瞬間から自分自身も腐っていく気がする。

「貴様は俺に、何を望む?」

 傲慢な言い草に口が歪む。臓腑の腐る音がする。

 過去に何人もの男たちが俺に願いを、望みを託していった。今も家臣たちが、民が、俺に期待を寄せる。そんな大層な人間じゃないっていうのに、他に頼る者がないから俺が輝いて見える。

 最初は、小さな村を救っただけだった。

 俺の故郷だから、豊かにしたかった。

 因果によって戦火に巻き込んだから、積極的に技術提供をして支援を惜しまなかった。ようやく美濃にも特産品と呼べるものができて、商人が足を運んでくれるようになった。

「俺は臨済宗の坊主に、学問を習った。貴様は真宗の坊主だ。宗派が違うからと態度を変えるつもりはねえが、坊主に関わるのは貴様で最後にしたい」

「忝し」

 顕如が深々と頭を下げる。

 同情はしない。こいつもある意味、大国の主だ。治めきれなかった尻拭いを他人にやらせようという他力本願な考え方は、全く以て受け入れがたい。それでも本願寺を味方に引き入れることができれば、多くの民が大人しくなる。

 というか、顕如と敵対した時点で織田領のあちこちで一揆発生だ。

 そういう脅しもできるだろうに。俺が近くへ来たからって走ってくるかよ、普通。そういう馬鹿な男が嫌いじゃないから、俺は顕如と並んで座っているのかもしれない。

「ところで顕如」

「何であるか?」

「腐ってると思われる奴らの名簿あるか」

「…………」

「そこで考え込むなよ! 多すぎて分からんのか、そもそも検討すらついてねえのか心配になんだろっ。何とかしてくれって頼むなら、そこ外しちゃダメっ」

「後日送るのである」

「……そうしてくれ」

 収まらない頭痛の気休めに、こめかみを揉む揉む。

「既に聞き及んでおるかもしれぬが」

「おう」

「北の地にて、真宗の国が生まれた」

「いやあ、さすがに蝦夷まで遠征するのは現状無理だから諦め」

「加賀のことである。もう百年ほどになる」

「蓮如の代に始まった加賀一向一揆に始まる動乱のことか。一通りの知識はあるが、朝倉と遊佐に上杉に囲まれているんだよな。ついでに三木辺りも入れとくか」

「越前、越後とは何度となく」

 パワフルな民だな、オイ。

 僧兵は槍や刀の扱いを心得ているから、武家とも戦える。真宗の門徒全てに武術を教えるのは現実的じゃない。どうしたって農具で戦うことになるだろう。あるいは原始的な方法で軍勢を撃退したとか、朝倉や上杉方の陣頭指揮やっていた人間が間抜けだったかだ。

「顕如」

「何であるか」

「金くれ」

「…………」

「タダ働きは嫌いだ。厄介事の種を片付けるんだから、相応の報酬をもらう。下々の民はともかく、貴様らはそれなりの生活してんだろう? 貴様の嫁は公家の姫だってのも知ってんだぞ。それこそ腐った奴らが、お布施と称して金を巻き上げてんじゃねえのか」

 顕如がじっと、俺を見る。

 できるだけ下賤な奴に見えるように、顔を歪めた。どう思われようとも、俺は坊主と仲良くしたくないのだ。好意なんかいらない。政教分離を進めるには、俺が顕如と親しくなったらダメなのだ。

「金くれよ、顕如。その代わり、腐った蜜柑はキッチリ処理してやるから」

 長い長い沈黙の後、顕如は「承知した」と呟いた。

 ふと奈江から聞いた願証寺住職の話が脳裏をかすめていく。

 証意へ「俺に会いたい」とこぼした時、どんな評判を聞いていたのか想像に難くない。民からの評価はうなぎ登りだ。武家はこき使っても、農民には手厚い信長様である。商人にはちょっと嫌われているとはいえ、何よりも現実主義な彼らは美味しい話で機嫌を直す。

 蜂蜜飴を市場に卸すいい機会だ。

 なんだかんだで織田家は金に困っていない。家臣どもは知らないが、清貧が板についているので贈り物で城内を飾れば十分だ。レイアウトは美の伝道師・長康の担当である。

 いらないものは売り払うし、開発費は完成品の売値で何とか釣り合う。

 戦に出たけりゃ自己負担が織田家のモットーだ。

「……織田殿」

「何だよ」

「いつか寝首をかかれぬよう、気を付けたまえ」

「それが天命であれば、受け入れるさ」

 予想していた答えと違っていたらしい。

 軽く目を瞠る顕如に、俺はほろ苦い気持ちで笑った。

アラーキーこと荒木村重はこの時は池田家臣として投降。伊丹親興の伊丹城は改修されて有岡城となり、説得に来た小寺孝隆(後の黒田官兵衛孝高)が土牢監禁された……ということをノブナガは知らない。



本願寺顕如...本願寺第十一世。諱は光佐。妻は三条公頼さんじょうきみより・三女の如春尼。

 一向一揆の掌握は先代から続く難題で、畿内の真宗本願寺派の浸透も積極的に行っている。ノブナガのことは早い段階から情報を得ており、どちらかといえば好意的な評価を持っていた。

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