153. 再上洛へ(3)
二度目の京は、なんだか静かすぎて不気味だった。
何が悲しくてクソ寒い時期に上洛なんぞしなければならないのか。え、俺のせい? まさかご当主様が城から逃げ出すとは思わんだろ。ちなみに逃亡先である甲賀の里は近江国甲賀郡のことだ。伊賀衆にとって宿敵の関係にあると思いきや、単なる商売仇のようなものらしい。
長老たちがいがみ合っているだけというからガッカリした。
織田VS六角の名を借りた忍術大決戦やったら面白いのに。
「やりますか?」
「やりません」
伊賀衆には目下、情報収集のために各地へ飛んでもらっている。
織田に友好的な者たちに限るとはいえ、相当な規模が動員されていた。落ちぶれたとはいえ、名門六角氏の名前は担ぐ御輿に相応しいだろう。甲賀に野心ある者がいたら、必ず利用しようと考えるに違いない。
「……そういや、長島も独立地域になっちまったな」
「尾張の河内郡みたいなものですか」
「嫌なことを思い出させるなよ、恒興」
「伊賀との取引材料になったのですから、長く放置しておいて正解だったのでは?」
本当に嫌味な奴だな。
あれか、放っておかれて拗ねているのか。奥様情報網によると、池田夫婦の仲はあんまり良くないらしい。男児が生まれたし、用は済んだとばかりに顔も見せなくなったとか。俺からそれとなく言っても、同じ部屋で過ごしているだけ。会話は皆無。なんだそりゃ。
性癖はノーマルらしいんだがなあ。
「恒興」
「妻のことならお構いなく。仮にも殿より祝福をいただいた身で、おかしな噂をお耳に入れたことを深くお詫びいたします」
「……荒尾は可愛い女じゃねえか」
「お気に召したのであれば」
「それ以上言ったら、側近から外す」
黙りこくった乳兄弟を見やり、内心でふかーい溜息を吐く。
思った以上に深刻そうだ。子供の頃から頭が固くて、思い込みが激しく、ちっとやそっとのことで考えを改めない。一途といえば一途だ。むしろ夫婦仲が冷え込みそうなのは成政の方だと思っていただけに、恒興と荒尾御前の不仲は気になった。
そう、その成政は子が生まれた途端に親馬鹿へクラスチェンジした。
「うちの松千代の方が可愛い!」
「いや、犬千代のが絶対ぇにかあいい!!」
「はん! 犬の子は犬っころか」
「そっちこそ犬千代に、松ぼっくりって呼ばれても知らねえからな」
「んだとぉ?」
「やんのか、あぁん?」
「止めい!!」
今回は勝家が制裁を下した。
互いに潰れた声を上げて落ちるのを、従者が引きずっていく。すっかり手慣れたものだ。自分たちのことは自分でやるしかなかった昔に比べると、肩書だけは立派になったと思う。中身が全く変わらないのは喜ぶべきか、嘆くべきか。
「知っているか、恒興? あいつら、二人目か三人目が腹にいるから遠征行きたくないって騒いでたんだぜ」
「主に似ると言いますから」
恒興はにこりともしない。
これ以上は無駄かと諦めたものの、後日になって驚くべきことが発覚した。恒興は嫁ラブすぎて、嫁の話題を極端に嫌がる。奥様戦隊の会合にも出したがらず、岐阜城下の池田屋敷も彼女のためだけに用意したと専らの噂だ。ついでに二人の男児はすぐ乳母へ預けられ、ろくに会わせてもらえないという徹底ぶりである。
一途すぎて、誰にも会わせたくないヤンデレになっていた。
あ、危ねえ~。冗談でもOKしたら、悲劇が起きていたかもしれん。
伊予が成長するまで待てなかった長秀といい勝負だ。いやまあ、早く結婚しろってせっついたのは俺だけどさ。おまつよりも年下の伊予が懐妊するっておかしくないか。嫁にデレッデレの長秀を見る日が来るとは思わなかったが、表面上は取り繕えているので何も言わない。言いたくない。
そして最近、秀吉のテンションがおかしい。
「おい、猿。出番がないからって、そう落ち込むなよ」
「べ、別に落ち込んどるわけじゃあ……!」
「子らに嫁をとられて落ち込んでいるのは確かだろう。貴様のような者にまで心配してくださる殿のお気持ちをありがたく思うどころか、見苦しく言い訳をするとは。恥を知れ!」
「子供?」
「ち、違うんじゃ! そのう、最近はお鍋の方様についていっては父無し子を拾って、うちで育てるっちゅうて」
続きはモゴモゴと口の中で、俺の耳には届かない。
父無し子は戦や病で父を亡くした子のことだ。母がいるので、厳密には孤児とは呼ばれない。夫を亡くした女は親戚や、村ぐるみで囲われる。豪農以上の身分なら再婚もありうるが、それ以外では子供の養育費代わりに体を差し出すのだ。
子供がある程度育てば引き取られ、老いた女は放っておかれる。
必ずしもそういう運命をたどるとは限らない。だが今の時代、女の地位はとても低い。女がいなければ子が生まれることもないのに、女を見下す男は身分を問わず珍しくなかった。
「屋敷を増築するか?」
「へえっ?!」
「殿、それではまた猿めを贔屓しすぎと不満が出ますぞ」
「木下屋敷で世話をするから手狭になるんだろ。それなら託児所を作ればいい。若くても年をとっても手に職があれば、何とか生きていけるものだ」
「た、たくじしょ?」
「一時的に子供を預ける場所……まあ、勉強しない織田塾みたいなもんだ。女同士が交代で面倒を見ることにすりゃあ、何とかなるんじゃないか? 下手に男を混ぜると厄介なことになるだろ」
「それは、そうですね。託児所ですか。岐阜へ伝令を出しておきましょう」
「戻ってからでも遅くないと思うが」
「いえ、こういうのは早い方がいいのです」
失礼します、と恒興が去っていく。
ぽかんと見送っていた俺たちだが、将軍家の使いがやってきて御所へ向かうことになった。いよいよ、畿内の動乱へ介入することになる。
一通りの挨拶を終えた後、義昭は苦笑いをした。
「不本意そうだな」
「イエ。全ク、ソノヨウナコトハ」
「棒読みだぞ、三郎」
横から耳打ちをする義輝。
白頭巾に替えたものの、あくまでも織田側にいたいらしい。側近たちと一緒に御所入りして、奇異の視線をものとせずに臣下の礼をとっている。
この中のどれくらいが義昭に対して、敬意を払っているのか。
俺はどうかと問われれば、五分五分と答える。義昭が「幕府を潰す」と言ったことを疑うわけじゃない。前世知識としていくつかの情報を持ち合わせているが、実際にその通りになるかは正直どうでもいい。
俺の敵になるか、否か。重要なのはそれだけだ。
死にたくないし、死ねない。心のどこかで歴史通りに動いていくから、俺は特に何もしなくていいと思っているのは否定しない。知識を有効に使わないのはもったいない、と半兵衛辺りが文句を言うかもしれないが。
「大和国で起きている戦に介入し、松永弾正に手助けをする。その言葉に偽りはございません」
「口では何とでも言えます」
「横から嘴突っ込んでくるんじゃねえよ、金柑頭」
「んな……!?」
光秀は顔を真っ赤にさせて、口をパクパクさせる。
それこそ将来的なことを考えるなら、こいつの謀反ゲージを極力上げないようにするべきだ。ちゃんと分かっている。だが媚びたところで、余計に警戒心を煽るだけ。そもそも光秀は、義輝を臣従させた挙句におかしな格好をさせているのが気に食わないのだ。
俺が嫌いだから織田家臣になりたくない、と言ってくれれば幸い。
身内の裏切りよりも、敵方の将として攻め込んでくれた方がやりやすいからな。むしろ予想外の展開がいくつも起きて、俺は光秀の相手をしている余裕がない。
「俺は義昭様と話している。貴様は黙っとけ」
「……っ」
「十兵衛殿、尾張守殿の言う通りですぞ」
「弾正、あなたまでそのようなことを!」
「十兵衛」
どこまでも光秀は忠犬だ。
義昭の言葉にぐっと堪え、そのまま後ろに下がった。俺にも似たような馬鹿どもがいるから、何となく気持ちは分かる。義昭がそこまでの器かどうかは、まだ判別がつかない。
将軍家の血筋というだけで妄信している可能性もあった。
本当にあやういんだよなあ、光秀って奴は。
それはそうと将軍義昭様である。疲れたような溜息を吐きつつ、俺に視線を合わせてくる辺りは切り替えができるようだ。ちょっと焦点がズレて義輝に向かっていても気にしない。義昭と仲良くする気は、これっぽっちもないからなあ。面倒だし。
「其方のおかげで、余は無事に御所へ戻ることができた。礼を言う」
「勿体なきお言葉にございます」
「岐阜での日々も、なかなかに悪くなかった。立政寺での生活は、特に」
「住職であった頃を思い出しましたか」
「相変わらずはっきりと言ってくれるな。まあ、その通りだ」
「それでも今の貴方は、征夷大将軍です。どうぞ、ご指示を」
「……いいのか?」
「今更でしょう」
「そう、だな。確かにそうだ」
まだ若いのに、何度も溜息を吐いている。
余裕ある行程を選んだはずだが、疲労が溜まっているのだろうか。あるいは俺みたいな奴に気を遣うのが嫌なだけか。岐阜城下で過ごした日々が癒しになったのなら、それはそれでいいと思う。以後は将軍として相応しく行動してくれればいい。
俺のことは棚上げである。当然だ。
「まず一つ目、六角義治の首を討ち取れ」
「お断りします」
「尾張守殿!!」
「よいのだ、十兵衛。……断る理由を聞かせてくれぬか?」
「はい。近江は既に義弟・浅井長政に主権を譲りました。近江国のことは長政にご命令ください。因縁ある者同士、決着をつけさせたく存じます」
「ふむ」
「それは無責任と言うものだ」
「黙れって言ってんだろ、明智十兵衛。ぴーちくぱーちく騒いでんじゃねえよ。てめえ一人で踊ってんのか分からねえのか?! それとも土岐氏の怨念に憑りつかれてんのか!」
「ち、違……わ、わた、私はっ」
マズい、地雷踏んだ。
青ざめて首を振る光秀から目をそらす。義昭に先を促せば、話し始める前に錯乱する光秀を連れ出すように指示していた。妥当な判断ではある。知らぬこととはいえ、俺の存在そのものが奴の精神を刺激するのだろう。
奇妙丸には近づけたくないな。何するか分からん。
「近江国のことは分かった。浅井新九郎にはそのように伝えおこう」
「感謝いたします」
「次に畿内のことだが」
「大和国だけですよね?」
「いや、三好の勢力圏は畿内の」
「大和国だけですよね?」
「う……」
困った義昭が松永弾正を見る。
助けを求められた方に首を振られ、がっくりと項垂れた。そうかいそうかい、情報通りってことかい。畿内の勢力はみーんな将軍家の敵か。そりゃあ大変だなあ、うんうん(他人事)。
朝廷があり、寺社が集まり、歴代幕府が本拠と定めた地域だ。
ここを統一して支配下に収めたら天下人、という考えが根付いている。どう考えてもおかしいのだが、千年以上も日本の中心地として扱われているせいだ。
『信長様、天下とっちゃおうよ』
最近は半兵衛だけでなく、信盛たちもこんなことを言い出した。
まるで棚の上の牡丹餅を掴むかのような軽さで、俺を唆そうとする。俺の理想を「絵に描いた餅」だと嗤った秀貞の生きていた時代が懐かしい。
安定の老後を得るためには、確かに畿内統一は必要だ。
奇妙丸には美濃一国で収まらない大きなものを託すハメになりそうだが、俺はとっくに腹をくくった。天下統一と畿内統一は同義じゃない。
それにしても細川様はどこいった? 姿が見えんぞ。
「三郎、あまり苛めてやるな」
「虐めてねえよ。手前の覚悟はその程度かってガッカリしただけで」
「よく言う」
「そもそも、ちっちゃい島国のちっちゃい領土をせこせこ奪い合って、お山の大将気取ってた奴らが姻戚同士で殺し合って貴重な文化遺産ぶっ壊したんだろうが。確かに仏像なんざ拝んでも腹の足しにもならねえが、溺れて死ぬ奴らの救いにはなるんだよ」
あ、イイコト思いついた。
今後はキレそうになったら仏像彫ろう。せっかくだから帰蝶似の観音像がいいかもしれない。出来が悪くても大量に掘れば、ご利益がありそうだ。少なくとも気晴らしにはなる。
座禅していると、寝ていると間違えられるからダメだ。
「尾張守殿」
「あん?」
「今日の謁見はこれにて終了、と」
「そうだな」
松永弾正の言葉に頷く。
何故か真っ白に燃え尽きている将軍を一瞥し、俺たちは御所を後にした。
丁寧な言葉遣いを思い出したのに、結局本音を隠せないノブナガ