13. 飢饉の村(前)
「どういうことだ」
俺の声は少し震えていた。
テレビでしか見たことのなかった光景が、そこにある。いや、もっと酷い。カメラに視線をやるくらいの余裕があった彼らとは違い、ぼんやりと座り込んだ人々の目に光はない。
村のあちこちに、死体が転がっているようなものだ。
「どういうことなんだ、これは!」
「飢饉です、若様」
沈痛な面持ちで、五郎左が言う。
知っている、そんなことは。
どうにかしろと無理難題を押し付けられて、できなかったら廃嫡だと脅されたのだ。それともあれは、脅しでも何でもなかったのか。親父殿は本気で、俺を殺しにかかっている。
とりあえず殴り殺されなくてよかった。
顔の腫れがひくのに数日かかったとはいえ、まだ俺は生きている。さんざん痛い目に遭ってきたが、目の前の光景には比べようもない。きちんと服を着て、しっかり食べてから城を出てきた。馬に乗ってきたので尻は痛いが、ほとんど疲れていない。
どうしてもついていくと言い張った恒興が、後ろから無言の訴えを続けている。
帰りましょう、若様。こんな所にいても仕方ないです。
弱弱しく怯えの含んだ、そんな声が聞こえてくる。
「三郎さまー!」
「遅い」
「すんませんっ。あの、水……ダメでした」
殴ろうとした手が止まる。
利家のことは、今も「犬」と呼んでいた。
生まれつきなのか、この男は嗅覚・視覚がとても敏感なのだ。刺激の強すぎるものでは感覚が狂うという犬の特徴が通じるのか試したくもあるが、本当にダメになったら困るので実行には移していない。
「又左衛門、どうダメなのかを報告するのだ」
「あっ、そうっすね! もう何日も前に枯れたっぽいです」
「村の者はどうやって、水を」
「飲んでないそうっす」
ぐらりと視界が傾ぐ。
「若様!!」
誰かが支えてくれた。
こんなに大声で騒いでいるのに、村人たちは見向きもしない。
地面に転がった者、壁によりかかった者、そして呆然と立ち尽くして空を見つめている者――。老いも若きも男女の区別すらなく、着物と呼べない端切れを巻きつけた体は骨と皮のみ。髪の長いものはほとんどおらず、一様にぼさぼさで不揃いだ。
ここから見えない影の部分にも、似たような姿が見つけられるのだろう。
「帰りましょう」
腕を掴んで、涙声の恒興が訴えた。
「廃嫡されたって、いいじゃないですか。私はどこまでも、ついていきます。母上も分かってくれます。だから、城に帰りましょう。村は手遅れで、全員死にましたと報告すれば……」
「死んでねえっ」
それは、咽喉を引きちぎるような叫びだった。
ひび割れた声からして老人のように思えたが、ここにいる老人はほとんど死にかけている。生きる気力も、その糧も失ってしまっている。
だが俺は探した。
のろのろと首を動かして、声の主を求めた。舎弟どもも、怪訝そうに辺りを見回している。そうして突然、利家がどこかへ走っていった。
「ぎゃああああっ」
身の毛のよだつ悲鳴に、全員がびくっとする。
「も、もう嫌だ。こんなの…………はは、嫌だ。ははうえ、ははうえぇ……」
「黙れ、勝三郎! それでも武士の子かっ」
「そっとしといてやれ、五郎左。我慢する方が危険だ」
誰かが騒いでいると冷静になれるもんだな。
恒興のおかげで、俺は俺でいられる。物言いたげな長秀には悪いが、この状況では面子がどうのと言っていられない。ここは、まさしく地獄だ。
俺たちは生きながら、死の淵を覗きこんでいる。
「犬、遅いな」
「そうですね。さっきのは化生の声でしょうか」
「さらっと言うなよ、五郎左。そういうネタ好きなのか?」
「好きも何も、いるものはいるとしか」
「あああああいい。別にいい。それ以上は言わなくていい。ああ、犬も大事な仲間だしなー! 様子を見に行ってやるかっ」
ちなみに成政と猿は別行動だ。
あれ、猿の名前ってなんだっけな。名乗ってもらったか、俺。将来的に利家とマブダチになるみたいだから、セットで行動するのかと思ったら違っていたしなあ。よくわからん。
錯乱状態の恒興を長秀に任せ、声が聞こえてきた小屋に近づく。
いや、これも立派な家なのか。見れば見るほどに、今にも崩れそうな廃屋にしか見えない。傾いているし、隙間だらけで、風雨を凌ぐ目的すら果たせなさそうだ。
引き戸は触ると外れそうなので、空いている部分に首をねじ込む。
「おーい、犬。サボるとはいい度胸だ、な」
「あ」
「ひ、い」
犬が発情していた。
何を言っているのか分からないかもしれないが、そうとしか見えない。
男か女か分からない骨皮人間の上にのしかかって、両手を掴んでいるのだ。枯れ木のような足は犬の尻に敷かれている。そのまま動かしたらポキリと折れそうだから、動かないでいてほしい。
めきめきと引き戸を破壊しつつ、中へ踏み込む。許せ、非常事態だ。
「てめえ……何してやがる。十文字以内で答えろ。さもなくば絶縁する」
「ぜ、ぜつえん?」
「縁を切るってことだよ。二度と顔を見せるなってこ――」
「うわああああ、だってコイツ暴れるから仕方なく」
「うん、犯罪者によくある言い訳だな。有罪」
「引っかいたりして危ないから、とりあえず大人しくさせとこうと」
「ほほう? 大人しくさせて一体、何する気だったんだ。この発情犬」
「三郎様、こういうのが欲しかったんすよね」
スパアァンと小気味良い音が響き渡った。
うむ、小型でも十分な働きをする。俺もいい仕事をした。どうやっても綺麗に折り目が揃わないんだが、ハリセンとして使う時には具合がいい。
仰け反るように叩いたおかげで、組み敷かれていた人間が逃げ出した。
「あっ」
それは俺の横をすり抜けて、五郎左にしがみつく。
まるで巨木にしがみつく子猿だ。まあ、人間の子供には違いない。
「恒興を見ていろと言っただろう」
「気絶させ、このように背負っておりますので問題ありません」
あ、ホントだ。
視線を上に移動させていくと、ぐったりしている少年が担がれていた。涙と鼻水でぐちょぐちょなのが憐れを誘う。さすがに汚いから、俺は背負いたくないな。
とりあえず拭くものを、と体のあちこちを探る。
「ん~、ん。ん~? おっ、飴があった」
以前に小姓へプレゼントしたものよりも小さいやつだ。
元々は商人から買った。その商人も食べ物だとは知らなかったらしい。琥珀の玉だと言っていたが、本物の琥珀は虫入りの石だぞ。この時代にべっこう飴があるとは知らなかったので、何も言わずに金を払ったわけだ。
もちろん後で平手の爺に見つかり、めっちゃ怒られた。
騙されたけど、騙されたわけじゃないのになあ。
そんなことはさておき、べっこう飴を子供の前にちらつかせた。
「食うか?」
問うまでもなく、奪い取られた。
がりがりがりがりと猛烈に齧っている。そういう食べ方をするモノじゃないんだが、別にいいか。外の連中同様ぼんやりしていた目に、光が戻っている。
それだけでも、今の俺には十分だった。
「いてて……。三郎様、そいつがさっき叫んでたガキっすよ」
「ふうん」
両手をべたべたにしながら、飴を貪り食う子供。
黒く変色した指先まで大事そうに舐めて、飴の甘さにうっとりしている。かなりの飢餓状態にあったことを考えれば、小さな飴玉一つでは腹も膨れない。それでも何日ぶりの食べ物なのか、と苦い気持ちがせり上がってきた。
「おい、子供」
びくっと体が跳ねる。
俺たちに囲まれていることに、今更気付いたようだ。
利家から逃げる時にしがみついた五郎左からも、俺からも距離を取ろうと後ずさる。手をもにょもにょと動かしているのは、まだ足りないからだ。おどおどと視線を彷徨わせ、更に後退する。
捕獲しようと動いた利家には、目で制止をかけた。
手振りでも危険だ。子供がどんな勘違いをするか分からない。
「返事をしろ」
「……っ」
「ちゃんと聞こえているな?」
こくこく頷く。
「俺たちは、この村を救いに来た」