143. 奇妙丸出奔
今年ラストの投稿になります。
往路の半分以下の日程で岐阜城に帰還した俺は、とんでもない報せを受けた。
『旅に出ます。探さないでください。 奇妙丸』
これ見よがしに城門へ打ち付けられた紙をむしり取り、次に芋虫状態の我が子――お五徳と三七――を発見した気持ちをどう表現すればいいのか。笑えばいいのか、笑えば!?
「フ、フハハ、はははははは!!」
元服延期でかなり拗ねていたのは知っている。
何かやらかすかもなー、とも思っていた。
「はーっはっはっは!」
「あーあ、信長様が壊れた」
「ううっ、お労しい……」
面倒臭いを隠そうともしない成政と、さめざめと泣く恒興を見やった。
当然ながら、近江帰りの俺たちは旅装を解いていない。留守を頼んだはずの長秀は切腹しようとしたので、勝介に見張られている。馬鹿犬と猿の姿は見えない。
「殿、此度は誠に申し訳ございません」
うちの愚息が、と可成が頭を垂れる。
「ついていったのは甚九郎と勝三、平八の三人か?」
「それから新五殿、半兵衛殿です」
利治は奇妙丸の叔父にあたるので、積極的に話をさせていた。
もしかしなくても半兵衛の入れ知恵だろう。甚九郎は信盛の息子、勝三は可成の息子で、平八は梶原一門の子供だ。最近になって小姓に上がった梶原松千代の父・源左衛門尉景久が、実子同然に育てている。三人とも、奇妙丸の遊び相手だ。
「ち、父上」
情けない声に振り向いた俺は、じろりと子供たちを見下した。
期待に満ちた顔が一気に青ざめていくのは、ちょっぴり罪悪感に苛まれる。だが縛られているということは、そうされるだけのことをしでかしたからだ。
さて誰に話を聞こうかと思っていると、書物を抱えた次男がやってきた。
「お帰りなさい、父上。出迎えられなくて申し訳ありません」
「茶筅、説明しろ」
「はい」
弟妹を見やる目がとても冷たいのは、気のせいじゃないな。
「だから言ったのに」
「茶筅」
「あ、えっと……兄上が『松姫の父上に会う』って言って、甲斐に向かいました。一忠と伊賀衆が護衛しているので、よほどのことがない限りは大丈夫だと思います。あ、お冬は寝てます」
「分かりやすくて、大変よろしい」
「ありがとうございます」
ぱあっと顔を輝かせる次男の頭を撫で、三男と長女を再び見下す。
こちらは俺の叱責を予想して、びくっと体を震わせた。仮にも織田家直系を縄にかけるなんてありえない話なのだが、信包の初陣騒動で前例を作ってしまった。そうじゃなくても織田の血筋は口と手と足が出る系統だ。長秀と勝介がひっかき傷だらけなので、かなり抵抗されたらしい。
強く逞しく育っているな、我が子らよ。
「殿、大変です!!」
「今度はどうしたっ」
思わず怒鳴れば、小姓らしき子供が飛び上がった。
「も、もももうしわけ……っ」
「父上は『どうした』と聞いておられる。謝るよりも、報告した方がいい」
「はっはい、茶筅丸様。その、朝廷から論旨が」
しどろもどろの説明より見た方が早い、と書状を奪い取る。
内容は正親町天皇より、尾張・美濃国にある皇室領の回復を命じるものだった。御料地とも呼ばれるが、両国の守護職を担ってきた公家がいなくなって「忘れられた土地」も同然だ。こっちがせっせと耕して、まともな収穫できるようになった田畑を召し上げる、と。
「こんな紙切れ一枚で、素直に応じると思ってんのか」
「かといって、朝廷の意志を無視するわけにも参りますまい」
勝介の言葉に軽く頷く。
ふと気になって確かめてみると、花嫁行列が出てすぐに朝廷からの使者が到着。俺の留守を理由に、返事を保留して使者を返したらしい。勝介らしい判断だ。朝廷の使者は俺が階級に弱いことも知っているだろう。権威を振りかざして強硬な態度に出れば、俺が「窮鼠猫を噛む状態」になりかねない。
「保留の返事じゃ納得できんから、改めて書状で念押しってか」
「おそらくは」
しかし細川様に始まって、上流階級との付き合うことになるとは思わなかった。
まだ二国しか統治下に収めていないのになー。不思議だなー。
「とりあえず優先順位が上のやつから片付ける」
「上洛ですか」
「うむ。俺の所へ論旨が届いたということは朝廷がこの俺、織田信長を尾張・美濃両国の主として認めたということになる」
「だからって今更、御料地のことを持ち出されても困りますよ」
「そこはそれ、上手くやるしかないな。朝廷から管理者が派遣されるまで、しばらくの時間がかかるはずだ。朝廷と幕府って仲いいのか?」
「さあ?」
皆が首を傾げる。
俺も言えた義理じゃないが、これってあまり良い兆候じゃないな。誰かに探らせたとして、細川様に妙な警戒心を抱かれても面倒だ。状況がはっきりしないうちは、下手に触らない方がいいかもしれない。
「じゃあ、そっちは横に置いとくぞ。三好はともかく、細川様を敵に回したくないからな。雨墨が先走って辻斬りをやらかしても面倒だ。……新しい街道のルートを検討するついでに、観音寺城を見に行くか」
「火中の栗を拾うどころじゃないですよ。何を考えているんですか」
「楽市を見に行きたい」
「思いっきり物見遊山じゃねえかよ! あだっ」
成政の指摘に、勝介の制裁が続いた。
「茶筅、理由を述べよ」
「えっと、経済の発展には活気ある市場が必要だからです」
「息子に代弁させ痛!」
「うんうん、茶筅はちゃんと勉強しているな。その知識で、奇妙丸をしっかり補佐するんだぞ」
「はい、父上」
「あたしもー!」
「ぼくもー!」
「お前らはしばらく反省してろっ。月が替わるまで、お八つ抜きだ」
「ええーっ」
二人の声がシンクロしている。
うるさそうに耳栓をしていた茶筅に、芋虫兄妹を二の丸へ運ぶように言いつけた。とっても嫌そうにしながらも、しっかり頷く素直さは母親譲りか。お五徳も吉乃が生んだ子供のはずだが、どうにも織田の血が強く出てしまったらしい。
ぎゃあぎゃあ騒ぐ声には構わず、側近たちを連れて執務室へ向かう。
松千代は途中で景久に連行されていったが、奇妙丸出奔の手助けをしたのかもしれない。青ざめた顔をして俺に助けを求められも困るなあ、はっはっは。……はあ。
「前代未聞の醜聞だぞ、これ。どうするんだ、これ」
おそるべし、今孔明の罠。
知らぬところで息子を篭絡するとは、沢彦よりも油断ならない相手だ。というか、秀吉は何をやっているのだろう。さっさと三顧の礼をすませて、与力にでも何でもすればいいものを。城持ちだからと遠慮していたら、太閤の夢と化すじゃないか。
「で、捜索隊はどうするの?」
「……又六郎、わざと見逃しただろ」
信純は城代となって、通常業務をこなしていた。
城にいながら、今川軍の動きを詳細に予測してみせた男だ。奇妙丸たちの計画に気付かないわけがない。そう指摘する俺に、信純は悪びれる風もなく肩を竦めてみせた。
「だって『父上のようになりたい』が口癖の奇妙丸様だよ? 三郎殿だって濃姫様との縁談を聞いて、道三殿の庵まで行ったらしいじゃないか」
「うぐ」
「あー、あの頃は俺たち縁切られてたんですよね。一時的に」
「先代様がそれはもう心配されて、大変であった」
「心配? 親父が? まさか」
俺は鼻で笑う。
勝介は不満そうにしているが、親父殿の性格くらい知っている。
血縁よりも家臣との関係を大事にする、いかにも統治者らしい人間だ。俺を心配するのも叱るのも「嫡男」だからであって、それ以上でもそれ以下でもない。信行がもっと流されにくい性格だったら、俺はとっくの前に廃嫡されていた。
成政が頬杖をついて、俺を見やる。
「そんなことより! 殿は、若様が心配じゃないんですか?」
「護衛がついているし、新五と半兵衛もいる。大人枠は必要だと思っていたから、ちょうどいいんじゃないか。甲斐国は同盟相手だ。……先触れだけでも出しておくか」
「出しておいたよ。さすがに私の時みたいに、捕縛することはないと信じたいな」
「捕縛!?」
「……勝介、昔の話だ」
同盟の使者を捕縛する。
通常なら考えられないことだろう。信純は織田家に連なる者だ。猛抗議する代わりに、甲斐国からの要求を半分ほど突っぱねた。松姫との婚約が成立したので、当面は同盟関係を維持できると考えてもいいだろう。
信玄の気が変わらないうちは。
「奇妙丸のおねだりに負けて元服しなかったのは正解だったな」
「どういうこと?」
「万が一、奇妙丸が死んでも茶筅丸がいる」
「殿!!」
「親父殿には、俺を廃嫡する意思があった。それに倣うだけだ」
その場がしん、と静まり返った。
俺は何となく持ったままだった朝廷からの書状を投げ捨てる。天皇をないがしろにする気はないし、幕府を潰すからには朝廷が残っていないと面倒なことになる。乱世の只中にある日本で民主主義は早すぎる。たとえ二発の原爆が投下されることになっても、俺の知る歴史通りに進めてもらわないと困る。
日本が発展しすぎて、もっと悲惨な世界大戦が起きるかもしれない。
絶対大丈夫、なんて言葉ほど信用ならないものはないのだ。俺は長生きしても百年が限界だろうし、近代戦争の責任はその時代を生きた人間が負う。未来は未来、今は今と人は言うだろう。だが俺は臆病だから、現代日本で生きた記憶がまだ残っているから。
「俺は、天下に武を布く」
「武を」
「天下……って、本当に目指すつもりなの?」
「ああ」
まずは南近江の六角だ。
大きい方の地図を持ってこさせて、軍議用の小道具箱も出す。凸型ブロック以外にも旗や丸石などが増え、視覚的にも分かりやすく説明できるようになった。戦の勝敗は軍議で決まる。そこでもたついていれば、ただ時間を浪費する。
「既に義秋様は京につき、15代将軍として立ったはずだ。そこで各地の守護大名に対して、上洛命令を出すことになっている」
「新しい将軍に挨拶しろ、ってことですか」
「そうだ。当然、従わない者も出てくるだろう。近いところだと、上杉と武田は睨み合いが続いている。細川様が織田を頼ってきたのも、上杉が動けないせいかもしれない。上杉輝虎は、元管領・上杉憲政から上杉姓を譲られている。大昔に宮司やっていたとはいえ、庶流からのし上がった俺とは違う」
三好に対抗するなら、六角義賢も候補に入っていたはずだ。
しかし義治の代になってから、観音寺騒動などで国内が揺らいでいる。そんな危うい土地に、大事な将軍家の血筋を預けられまい。一向宗との動きが不透明になってきた朝倉家は、厄介な荷物を背負いたくないと断ったのか。
とにかく俺に白羽の矢が立ったのは義輝を救出しただけじゃない。
周囲の微妙な関係も影響している。それは間違いない。
「あとは北畠に畠山、若狭武田……」
「今回の上洛命令に応じるか否かで、俺たちの対応も変わるぞ」
「攻めるんですか? 幕府の尖兵となって」
「いや、篩分けだ。俺が義秋様の味方をすることは、細川様から周囲へ情報が行き渡っていると思う。つまり将軍家、あるいは織田と事を構えたい奴らかどうか、だ」
少なくとも義治は上洛命令に応じない確信があった。
将軍暗殺という危ない橋を渡ってまで傀儡政治を行おうとした三好家と手を組む可能性は考えたくないが、浅井と同盟を結んだ織田と友達になりたいと考えるだろうか。
「割り切れるなら、それもよし」
「割り切れないなら?」
真意を探ろうというより、信純は心配しているらしい。
その気持ちがありがたく、俺は笑みを浮かべる。笑いながら戦の話をできるようになった。
「六角を潰す。とはいえ、近江統一は長政に任せたい」
「ならば伊勢国、北畠ですな」
「六角家臣の神戸具盛はもともと北畠氏に属していた。それが何故、六角家の宿老の娘を娶ってまで鞍替えしたのかは知らん。が、うちの海賊は北畠具教に貸しがある。この具教の嫁は六角定頼の娘だ。承禎とは義兄弟だな」
「成程。神戸具盛を引き込めば、南近江と北伊勢の双方に楔を打ち込める」
「そして俺たちが狙うのは北伊勢」
「そういうことだ」
長益のことも気になるし、いつまでも伊勢国を放置できない。
「一向宗の出方を見るという意味でも、北伊勢を狙うのはいいかもしれないね。でも三郎殿の真意は特産品じゃないの? 随分と伊勢の茶を気に入っているみたいだし」
「ああ、その方が殿らしくて安心するかも」
「おいコラ、内蔵助」
思わず睨んでもどこ吹く風だ。
それどころか勝介までも納得した様子で何度も頷き、長秀は茶畑を拡張する策を信純と話し始める。分かっているのか? 俺たちは戦をするんだぞ、戦。
捕らぬ狸の皮算用って言葉、知ってるか。
「負ける戦はしない主義なんでしょ?」
ごもっとも。
勝三&平八...奇妙丸の遊び相手。後の森長可、団忠正
団忠正の生年不詳ですが、この作品では長可と同じ永禄元年(1558年)とします。今は永禄10年なので、甚九郎(14)→奇妙丸(13)→勝三&平八(10)になります。滝川一忠は甚九郎よりも二つ上。
三年ほど旅をするので、奇妙丸が元服するのは16、7歳になります(史実通り)