142. 覚悟を決める
婚儀はノブナガがキレそうになるのでカットしました
やけに大きな月を見上げ、盃を傾ける。
「お市もこれで、人妻か」
目的地の小谷城へ着いたのが三日前のこと。
わらわら集まってきた見物人がすごい列をなしていたので、城門の前で小さな餅をばらまいた。さすがに生餅じゃないから当たると痛い。だが紅白の薄い和紙に包んだのが幸いし、ものすごい取り合いになった。
巨大なイソギンチャクと言えば分かるだろうか。
大衆が一塊になって手をユラユラさせているのが、そう見えたのだ。あっという間にばらまき終えて、即席パフォーマンスは終わった。報せを聞いたらしい長政が顔を紅潮させて褒めちぎってくれたが、娘たちの悪戯を有効利用しただけだ。
正月にあんだけ餅をついたのに、どこいったと思っていたらコレだよ。
指先程度のミニ団子を大量に作る意欲は、もっと別のところに向けてほしかった。浅井領の民が大喜びしてくれたから良しとしよう。花嫁行列の点検中、荷物に混ざっていたのを発見した時には責任者出てこいと叫びそうになったものだ。
もちろん、婚儀の間は大人しくしていた。
噂の大うつけが「また」何かやらかさないかと注視されていたから、というのもある。特に遠藤の視線が痛いのなんのって、見かねた長政が何度か注意するぐらいの警戒度だった。友好度はマイナス値を更新中である。俺の家臣じゃないし、嫌われても気にしないぞ。
三日も逗留することになったのは、お市(と長政)に強く請われたからだ。
せっかくなので長政には、美濃からの近道を新しく整備する提案をしてみた。浅井家臣の中には難色を示す者もいたが、軍事目的しか思いつかないのは駄目だろう。どんだけ脳筋なんだよ。物流の重要性を説いて、ようやく納得してもらえた。
どうしても美濃以西は、近江国の協力なしでは不可能だからな。
「さて。ここから……どう、動くか」
着実にタイムリミットは近づいている。
明智光秀の俺に対する第一印象は最悪だっただろう。今後のためにフォローするのも考えたが、かえって警戒されるかもしれないと思い直した。結局、あれから一度も話をしていない。用がある時は義輝が来る。
元公方を顎で使うなよ、金柑頭。
今までの経験からして大きな流れは変えられなくても、小さな変化は起こせる。信行は今も生きているが、織田家からはいなくなったようなものだ。つまり光秀に謀反を起こさせて、本能寺からコッソリ脱出すればいい。
歴史の表舞台から消えてしまえば、史実上は「死んだ」も同然だ。
「ふふ、ふふふ」
ニンマリと笑う。
平手の爺のような悲劇を避けるため、俺は前世のことを誰にも話していない。帰蝶にだけはいずれ、全て打ち明けるつもりでいる。側室の二人は理解が追いつかなくて知恵熱出しそうだからな、仕方ない。
側室として俺を支えてくれる女たち、奈江と吉乃。
帰蝶は地獄まで付き合ってくれるだろうが、彼女たちは最期まで連れていけない。吉乃は実家に預けるとしても、奈江はどうしたものだろうか。証意とかいう坊主に後事を託すか。そうだ、仏僧は糞坊主ばかりじゃない。まともな坊主もいれば、そうじゃないのも――。
ぐしゃり、と前髪を握りつぶした。
「…………沢彦……」
人の名前が呪詛の代わりになるなら、今すぐ効果を発揮しろ。
あいつだけは、あの糞坊主だけは絶対に許さない。今まで生かしてやった理由を知りながら、なおも暗躍を続ける小賢しさが憎い。子供時代に抱いていた敬意など、とっくに消えた。
『是非、信長様に使っていただきたく。謹んで献上いたします』
そう言って出された「天下布武」の旗印に、ぞくりと体が震えた。
家族を岐阜城に移すための最終チェックに駆け回っていた時、何も知らない小姓が沢彦を奥へ通してしまったのだ。出禁にしておくべきだった、と後悔しても遅い。久しぶりの師弟再会に水を差してはならぬ、と余計な気を回してくれた。
おかげで俺は、俺がどんな顔をしていたのかを知らない。
沢彦は転生者かもしれない。だが証拠がない。転生者なら前世知識で歴史改変を目論んでもおかしくはないのに、そういう兆候は見当たらない。俺のためだと嘯くのが気に入らない。昔と変わらない飄々とした態度、隙のない仕草、威圧とも違う圧倒的な空気、それらの全てに俺は抗う。
飲まれてしまうから。
ずっと押し込んできた黒い獣が目を覚ますから。
『思うままに駆けなさい。それが、信長様の大切な者たちを守るでしょう』
フフ、フフフと俺は笑う。
俺を脅すか、沢彦宗恩。小賢しい策を弄して、影から時代を操る黒幕を気取るつもりか。思い通りに動かなければ、また誰かが死ぬかもしれないと囁く底意地の悪さに眩暈がする。怒りと憎しみで、目の前が真っ赤に染まる。
やってやろうじゃないか。天下で武を布くは、織田信長の所業だ。
俺にもきっと、できる。
「誰か、誰かいないか」
ここは小谷城だ。岐阜城じゃない。
いつの間にか、こうして誰かを呼びつける癖がついていた。前世の記憶はかなり曖昧になっている。度々知識を引き出そうとする分、かろうじて残っている程度だ。俺だと認識している俺は、どこまで俺なのかが判別できない。
ざあっと木の葉を揺らして、風が吹き抜ける。
「呼ばれて飛び出てジャ」
思わず盃を投げた。
突然現れたモデル立ちの男は、上半身を軽く反らして避ける。姿勢を戻した時には、片手に盃を持っていた。忍衣装や野袴じゃない。全身黒タイツの変態が、恭しく盃を差し出す。
「どうぞ」
「貴様、何者だ!?」
「あなたの忍です」
盃を差し出すポーズのまま、ちょっと首を傾げる。
今は夜だから黒タイツでも目立たない。いや、この時代にタイツは存在しない。よくよく見れば、黒晒でグルグル巻きにしているのだ。目を残して顔もしっかり覆われている。口がモゴモゴ動いて、たまに中の赤が見え隠れするのが不気味だ。呼吸はどうしているのだろう。
いや、そうじゃない。
咄嗟に脳内検索をかけたが、該当者不明。つまり俺の知らない奴だ。変態に知り合いはいないと断言できないのがちょっと悲しい。いつの時代にも変態は確かに、生息している。
「伊賀者、といえば……もうお分かりですね?」
「分かんねえよ!! 分かりたくねえっ」
「はてな」
不審者の男は盃をこねくり回し、大きく頷いた。
「波天奈の盃」
「ハウス」
「それはちょっと」
「チェンジで」
「それはちょっと」
「意味分かってんのかよ」
「いいえ、全く」
なんなんだ、コイツは。
伊賀者といえば分かる? 確かに伊賀衆は協力体制を約束してくれた。服部党を全滅に追い込むまでに至らなかったが、長利の師・下山甲斐守からは「契約成立」と言われている。
ならば百地の一族か、あるいは下山の遣わした者か。
いつもの俺なら一蹴して終わりにするが、変態のおかげでさっきまでの陰鬱な思考が吹き飛んだ。さっきから微動だにしない盃に酒を注いだ。
「飲め」
「ぐびぐびぐび」
「黙って飲めねえのかよ!?」
「ぷはー、美酒であります」
忍コントだ。忍芸だ。
全ての台詞が抑揚のない呟きであるのに、はっきり聞こえる。
俺は面白くなってきて、近江・伊勢両国の内情を調べられる限り調べてこい、と命じてみた。お市のためにも、長政には早く周辺を固めてもらいたい。畿内が安定すれば、ひとまず落ち着くことができるだろう。
「ふむふむ、六角を攻めるなら神戸具盛がオススメです」
「蒲生じゃなく?」
「具盛は蒲生定秀の娘婿。神戸氏は北畠に属していましたが、今は六角家臣です。勢力拡大に余念がない身内とは違って、本家筋の関氏や六角氏との関係修復に努める穏健派。具盛を誑しこむことに成功すれば、蒲生が釣れる。蒲生が釣れれば、六角氏滅亡。近江はあなたのもの!」
ビシッと突き出された指を叩き落した。
いちいちポージングしないと話せないのか、この忍は。
「北は浅井領だからな? 分かってんのか?」
「お前のモノは俺のモノ」
「ジャイアニズムは俺の主義じゃないから却下」
「えー」
蒲生定秀は六角家の宿老だ。
四年前の観音寺騒動を収めたのも定秀だったと聞いている。信任厚い重臣を殺した六角義治にどういう意図があったか分からないが、結果的に六角氏の権威はガタ落ちした。家臣を大事にしないとこうなる、っていう良い見本である。
俺は家臣を大事にしているぞ?
成果に見合った褒美は身分問わずがモットーだ。
働いていないのに、働いている奴が贔屓されていると不満を漏らせば処罰対象になりうる。今はさすがに減ったが、桶狭間以前はひどいものだった。といっても、大半の采配を家臣任せにしていた俺が言えたことでもないか。
「やれやれ、岐阜に戻ったら忙しくなるな」
数日間の家族サービスをしてから、上洛準備をすることになるだろう。
一足先に義輝たちは京に着いているはずだ。途中までは花嫁行列と一緒だったので、美濃国を出たのは気付かれていないと思う。命を狙われているのに、本人たちだけでノコノコ戻ってくるとは思うまい。
俺を利用する気満々の細川様が、吃驚仰天すればシメシメである。
さあ、織田の戦を始めよう。
懲りずに新キャラ登場。
どうしても伴家の人(本能寺の変で一緒に死んだ、くらいしか分からない)を出したかったんです! 名乗ってないけど!! なんかすっごくおかしなキャラになったけど!!! 本当に、どうしてでしょうね。オリキャラを考えると、こんな感じに突然変異するんですよ。不思議です。