12. 尾張の虎、激怒する
ご指摘を受けまして、村への距離を修正しました。
戦国時代の単位は国によって大きな誤差がありますので、本作では一里=36町(約4km)として統一します。
帰ってきたら、仁王像が門前に立っていた。
「よくものこのこ顔を出せたものだな、この大うつけめが!」
「へぶっ」
なにか大きくて熱いものが顔にクリティカルヒットした。
そして空飛ぶ俺、アイキャンフライ。
なんだかな、人間って羽がなくても空を飛べるらしい。利家じゃないが、一つ賢くなった気がする。いや、違うだろ。脳に悪い刺激ばかり与えて、これ以上馬鹿になったらどうするんだ。
ちなみに落下したところに一益がいた。
広げた腕に、ちょこんと収まるもやしっ子三郎。
ああん、ときめいちゃう! って思うか阿呆。礼を言うのも忘れ、思いっきり暴れて下ろしてもらった。ふう、嫌な汗をかいちまったぜ。
「それほど城は窮屈か! 縁談が嫌ならば、そう言え。わしの前でばかり従順なふりをしおって、馬鹿にするのも大概にせよ」
「親父殿、何を仰ってるか分かりません」
父として尊敬はしていないが、分家の当主として接しているつもりだ。
「昨日、貴様の部屋を訪ねたらコレがあった」
「げ」
「病で伏せているなどとわしに嘘を吐いたな、三郎?」
地を這うような声は、俺の脳内を素通りする。
夜なべして作った抱き枕ちゃん一号が、見るも無残な姿になってしまったのが悲しくて仕方ない。綿入りの布団一枚を贅沢に使った一品だというのに。
俺は、これがないと眠れないのだ。
夜に忍び込む暗殺者の凶刃も防いでくれるスグレモノである。
前世を通じて、俺に手芸の嗜みなんてあるわけもない。慣れない手作業で縫い目はガタガタ、度重なる襲撃であちこち穴だらけ。なあんだ、地面に転がされて汚れているだけだった。
いや、待て。なんだこれ。
「……顔が書いてある」
「若様の代わりに床で伏せている影武者がいなかったので」
「恒興いいいぃ!!」
「八つ当たりは止めてください。発案は一益ですっ」
「一益ううううぅ!!」
「茶番はもうよいっ」
はい、ごめんなさい。
親父殿の顔が赤黒くなっていて、浮き出た青筋がぴくぴくしている。あれって血管だよな。ぷちって切れたら、大変なことになるんじゃないのか。
それだけ怒らせたのは俺だということに、やっと気付いた。
『国境とはいえ、往復に何日もかかりますよ?』
『よし、明日から流行り病で寝込むぞ』
『死にますよ!?』
『悪運が強いから死なない。ちゅーわけで、寝床の偽装ヨロ!』
臣下の失態は主の責任だ。
軽い気持ちで偽装依頼した俺もだが、まさか親父殿が見舞いにくるなんて思わなかった。ここに五郎左がいたら「硯事件」を思い出したかもしれない。
奴は元服以来、疎遠になっている設定だ。
ここにひょっこり現れたら不自然になってしまう。
「申し訳ありません」
「謝って済む問題か! このわしを謀った罪、どう償うつもりだ」
「……っ、俺にできることなら何でも致します」
「言ったな、三郎」
声の調子がガラッと変わり、俺は生唾を飲み込んだ。
また何か飛んでくるかと身構えているのだが、親父殿は素手だ。後ろに控えているおっさん連中も何か手にしている様子はない。ものすごく見下した視線がちょっと腹立つな。
「三郎」
「はっ。い、言いました!」
「ならば、申し付ける。ここから数里先の村が飢饉であえいでおるそうだ。こちらとしても年貢を納めてもらわねば困る。三郎、織田家嫡男としてこの問題を解決せよ」
「……へ」
「期限は翌年の秋とする。失敗すれば廃嫡である。よいな?」
「しょ、承知いたしましたあっ」
修羅の国の人怖い。視線で殺せる。
ジャンピング土下座する俺の後ろで、一益と恒興が慌てて土下座している。地面に額をこすりつけ、這いつくばる姿はさぞ滑稽でおかしなものだったのだろう。頭上から嘲笑がいくつも降り注いでくる。
「うつけ殿も、大殿には敵いませぬなあ」
「左様。さすがに廃嫡は怖いのでしょう」
「最近は特に目に余る行動ばかり……。苦言を呈しても聞いていただけず、ほとほと困っていたところです。さすがは大殿。償いの方法も、理に適っておられる」
「いっそ信行様に次期当主の座を譲られては」
「ははは、気の早いことを。大殿は未だ壮健であられる。慌てることはあるまい」
「それもそうですな、ははは」
耳障りな笑い声が遠のいていくのを待って、俺はようやく顔を上げた。
もう、そこには誰もいない。
門前の騒ぎを聞きつけてか、警備の兵士や小作人たちがそこかしこに見える。俺が首を巡らせると、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
「あの調子だと、今日中に噂が広まっているな」
「止める?」
「いや、放置。信行には悪いが、浮足立ってくれた方がやりやすい。手筈はいつも通りに」
「御意」
軽く頭を垂れた一益がその場から消えると、耐えきれなくなった恒興が叫んだ。
「若様!! 何故、そのように落ち着いておられるのですかっ」
「まあ、腹は立つよな。好き放題に言ってくれたし」
「仮にも嫡男に対する言葉ではございませぬ!! あろうことか、廃嫡まで決定事項のように話すなど。不忠者の誹りを受けてもおかしくない所業でございますぞ」
「しくじったら廃嫡決定。何も間違っちゃいない」
「若様っ」
ほとんど悲鳴である。
恒興は声変わりがまだ終わっていないため、声がキンキン響く。
伝令にはちょうどいいかもしれないが、二日酔いの日には拷問でしかない。そういえば、この時代に未成年は酒を飲んではいけないっていう風習はない。
酒か。
前世で唯一の愉しみだったからな。与えられた任務達成の暁には、祝い酒として皆で飲み明かすのもいいかもしれない。そう思うと、俄然やる気が出てきた。
「よーし、やるぞ!」
「若様」
「んだよ、恒興。気合いを入れるのに付き合え」
「いえ、飢饉の村を救う方法にアテがあるのかと思いまして」
「………………」
「………………」
「あるわけないだろ、そんなの」
「はああぁ!? ど、どうするんですか。廃嫡されますよ。廃嫡されたら、嫡男じゃなくなってしまうんですよ。若様が若様じゃなくなったら、これからどう生きればいいんですかっ」
「まあ、落ち着け」
懐を探ったが、空振りだった。
あのハリセンは、国境の草庵で蝮にプレゼントしたんだった。
嬉々として臣下に使い倒すか、存在すら忘れていくかのどちらかだろう。あげたものを返せというのもおかしいし、また作ろう。今度は色々なサイズで研究してみるのもいい。
仕方ないので、べしっと額を叩く。
俺ばかり頭にダメージを追うのは不公平だからな。
「痛いですよ、若様……」
「あいつらに招集をかけろ。まずは情報を集める。あと猿を城に呼べ」
「さ、猿? 芸でも仕込むんですか」
芸は芸でも腹芸だ。
人たらしで有名な奴なら、役に立つに違いない。
年貢関連のことで考えていたこともある。飢饉で苦しんでいるという村は、農村のモデルケースとして生まれ変わらせようじゃないか。あくまでも俺の計画が上手くいけば、だが。
「転生者としての底力、見せてやんぜ……」
クククと笑う。
この時の俺は、まだ何も知らなかったのだ。
この時代の飢饉がどんなものか、貧しい農村がどれほど悲惨なことになっているのか。たかが城の周辺を見廻っただけで、俺は農村の実態を詳しく知っているつもりになっていた。
すぐにでも向かおうとした腕を、恒興が掴む。
「お待ちください」
「なんだよ?」
「すごく言いにくいのですが、お顔が倍ぐらいに膨らんでおります」
「なるほど」
俺は頷いた。
確かにさっきから顔がおかしい。そっと触ろうとして、止めた。そうして誘導されるままに井戸まで歩いていき、桶に映った顔を見て思わず叫んだ。
「ア○パン○ンは、お前だ!!」
「ううっ、若様……認めたくないんですね、おいたわしい」
恒興の声が震えている。
だが、さっきから目を合わせない理由を言ってみろ。怒らないから言ってみろ。首を振ってちゃあ分からんじゃないか。さあ言え。ぱんぱんに膨らんだ顔がおかしすぎて腹がよじれるってな!!
ちくしょう、泣きたいのはこっちだ。