139. ボチボチでんなあ
堺の町を堪能した俺たちは、とりあえず津島へ進路をとった。
だって、なあ? 織田家にとってはどっちも大事な取引相手だが、津島をナイガシロにしたと文句言われるのも困る。昔からの付き合いがあるし、軋轢を生んでいる原因も分かった。
「高級品よりも日用品……」
「そりゃあ田舎モン言われても、仕方ねえよな」
遠い目をする織田兄弟+α。
国を豊かにするぜと意気込んだはいいが、やってきたことは一次産業から始まる根本的な改革だ。美濃国よりマシというだけで、食べ物以外にはあんまり興味がない。有田焼だろうが素焼きだろうが、皿は皿なのだ。重要なのは、皿に乗った食べ物が上手いかどうか。
「殿の責任でもありますよね」
「美味い物は正義!!」
「だからって食い物ばっか買ってくんじゃねェよ!」
「与四郎オススメの品ばかりだぞ。日持ちするものを選んだから文句言うなよ。あ、恒興。そろそろ積み荷番している五郎と交代してやれ」
「……はい」
渋々ながら船倉へ戻っていく恒興と入れ替わりに、奇妙丸が駆けてきた。
本当に元気だな、こいつ。
「父上、船酔いが治ってよかったですね!」
「よく効く薬があったからなー」
「毎日船に乗ってりゃァ、そんなもん勝手に治るっつーのに」
「家臣に海の果てまで追いかけ回されたいか?」
「俺が悪かったよ、大将」
あっさり折れる海賊は、少々覇気に欠ける。
というのも、待ち疲れで気力を消耗しすぎたのだ。鉄甲船が港に来たことで大騒ぎになった辺りは割愛するが、幽霊船か何かと思われて誰も近寄らなかった。嘉隆の方はむしろ、襲撃に期待していたので肩透かしを食らった形になったようだ。
「各地に情報が回ってしまいますが、本当によろしかったのですか?」
「真似しようと思っても、そうそう真似できるもんでもないからな。我先にと建造して、各地で貿易が活発になったら面白いだろ。陸路と違って、海路は海の機嫌次第で危険度が変わる。戦利用だけ考えてても、時代が変わればそうもいかんさ」
「いつも思うが、大将はどれだけ先を見据えてるんだ?」
「四百年、いや……五百年先だな」
前世の俺が生きていた時代は、太平洋戦争を最後に大きな戦がない。
それは本当に、平和だといえるのだろうか? 最近はそう思うようになった。紛争は絶えず起きているし、犯罪や政治の暗部に関わる様々な出来事はメディアを賑わせる。あまりにも日常的になりすぎて、感覚が鈍ってしまうくらいだ。
俺もいつしか、人を殺すことに抵抗がなくなった。
殺す相手は選んでいる。必要があるから殺すし、生かすべきだと判断したら殺さない。戦国時代、乱世と呼ばれる今のご時世で正しいかどうかなんて分からない。親父殿のいた世代の人間が一人ずつ消えていって、俺たちも親と呼ばれる年頃になった。
「時代は、変わる。必ず」
「俺が変えてやる、と言わない辺りが我が君らしいですねえ」
「たかが二国を統治下に置いただけの俺に、何ができるよ? 天下は欲しい奴にくれてやる。だが自国の民を大事にできねえ奴に、俺の国は渡さん」
「大将がやろうと思えば、やれると思うぜ。天下統一」
「やめろ、半兵衛みたいなことを言うな」
長康と嘉隆が揃って首を竦める。
俺の真意を理解している信包や、まだ国内のこともよく分かっていない奇妙丸は何も言わない。野心がどうとか、覇道がどうとか、そんなことはどうでもいいのだ。俺は、俺の大事な奴らとのんびり暮らせればいい。
できるなら戦なんかしたくない。
田畑を耕して、染物に使えそうな草木を見つけたり、薬の研究をしたりしながら、美味い物を食べて、嫁たちとイチャイチャしながら寝る。朝起きたら軽く運動して、子供たちと遊ぶ。
そんな日々を死ぬまで続けられたら最高だ。
俺は本気で、そう思っている。
「おや?」
「どうした、長康」
「町の雰囲気がどこか、いつもと違うような……」
「嘉隆」
「おう、俺ァ戻るぜ。色々手を加えたいところもできたしよ。大将! 船が必要になったら、いつでも呼びな」
頼もしい言葉を別れの挨拶に代えて、海の男が本拠地へ帰っていった。
船員として働いていた男たちもガタイのいい奴らばかりだ。あれが全て水軍の兵士だとするなら、陸地でもかなり活躍できるんじゃないだろうか。今度会う時は、海賊船のリーダーに相応しい武器を用意してやろう。
きっと似合うはずだ。
「父上、誰か来ます」
「津島の商工会の者ですね」
従来の閉鎖的な商人組合に職人を巻き込んだのが商工会だ。
最初はかなり渋られたが、津島翁の説得でなんとか実現したのが三年前のこと。互いのプライドが邪魔して衝突も数えきれず、誰も組合長をやりたがらない。見かねた俺が愚痴を含めた陳情を全て城へ持ってこいと言って、その場を凌いだ過去がある。
織田と津島商人を繋いだ津島翁も、二年前に亡くなった。
「佐兵衛」
「ああっ、上総介様!」
津島翁の後を継いだ男が走ってくるので、さっと避ける。
男に抱き着かれる趣味はない。後ろにいた奇妙丸は長康が庇い、信包も右に倣ったので佐兵衛は顔から突っ込んだ。ずざーっと滑って、土埃が立つ。
「うう、ひどい……」
「大丈夫?」
「若様、ありがとうございます。大丈夫です、いつものことですので」
「転びまくっているから鼻が低いのか」
「違いますよ! じゃなくて、上総介様。ちょうどいいところにいらっしゃいました。上総介様を探して、尾張中を歩き回った堺商人がそこで暴れているんですよぅ」
「商人って、暴れるのか?」
「私に聞かないでいただけますか」
「お前が一番商人たちと付き合いが長いんだよ」
「否定はしませんが、それとこれとは違います。暴れるなど、いやしい獣と変わらないじゃないですか。美しくないものは嫌いです」
長康は裾で口元を隠し、ぷいっと横を向く。
しなを作る腰つきが気になる奇妙丸が真似をするから止めてほしい。背伸びしたいお年頃なのか、勉学や鍛錬よりも外見的なものを特に模倣したがる傾向が強いのだ。俺の後継者っぽく派手物を纏ってみたり、季節問わず片袖抜いてみたり、俺の拳銃――弾は未だない――を腰に差してみたり、やたらとガニ股で闊歩してみたりetc…
どうしてこうなった。
悪影響を与えた原因として、帰蝶たちに冷たい目を向けられる俺の身にもなってほしい。かといって、奇妙丸の気持ちも分からんでもない。俺も同じ年頃には色々やってみたくて仕方がなかった。そして親父殿に何度も叱られ、最終的に空を飛んだ。
うん? 親父殿に叱られた回数はそう多くないか。
年に数回顔を合わせたくらいだな。俺は新年の宴に出ないこともあったから。
よし、話を戻そう。
「境商人が、俺を探しているんだな?」
「はい」
「で、暴れている」
「そうです」
改めて状況を整理しても、全く意味が分からん。
「商人の風上にも置けませんね。放置しましょう」
「いや、津島の者に迷惑をかけるのは見過ごせない。即刻追い出すべきです、殿」
「なんやて!?」
ちょうど隣が飯屋だったらしく、引き戸が勢いよく開いた。
どかどかと大股で接近してくる商人風の男に、恒興と長康が前へ出る。信包が奇妙丸を引き寄せるのを確認して、明らかに機嫌の悪そうな相手を見やった。
「酒くさっ」
「仕方ないやろ。飲まんとやっとれんわ! やたら美味い酒をめちゃめちゃ安く提供するとか、ここの者は頭おかしいやん。儲ける気あるんかいっ」
「安くて美味い、のどこが悪い?」
「ああん? お侍さんもそっち系かいな。ったく、何も分かっとらんのやな。ええか!?」
「……落ち着け」
「ぐえっ」
連れらしい男が襟首を引っ張り、酔っ払いが後ろへ引っくり返った。
よくよく見れば、二人とも仕立てのいい羽織を纏っている。どこか魚屋与四郎を思い出させる佇まいに、堺商人だろうとアタリをつけた。津島は人の出入りが激しい町とはいえ、外から来た人間は何となく分かる。
「おい、佐兵衛。いつまで隠れているんだ」
「だ、だって怖いじゃないですか。堺商人ですよ。気が付いたら一文無しになっているどころか、褌までむしられているっていう噂の」
「褌なんかいらんわ! 妙な噂を広めんといてや」
「いえ、広めているのは手前じゃなくてですね」
「鬱陶しい! じれったい。なんやの、あんたは。それでも津島の男かいな」
「怖いものは怖いじゃないですか!」
「はあん?」
駄目だ、こいつら。悪い意味で相性が良すぎる。
どこかでこういう低レベルな喧嘩を見たことがあったな。ああ、信純と虎綱だ。虎綱は信玄のお気に入りで、忠誠心とプライドがすこぶる高い。たぶん、M属性持ちなのだろう。お艶以外にはS属性を発揮する信純と相性がいい。
ぎゃあぎゃあ騒ぐ商人たちは放っておくことにして、もう一人を見た。
眼光鋭く、いかにも一筋縄でいかなさそうな険しい面構えでも堺商人なのだろうか。酔っ払いの知り合いなら、その可能性は高そうだ。
「堺商人、納屋彦右衛門」
「織田上総介信長だ。ちょうど堺から戻ったばかりでな。行き違いになったとはいえ、ここで会えて幸いだった。要件を聞こう」
彦右衛門はちょっと目を瞠り、一人頷いた。
「成程」
「いや、そこで納得されても困るんだが」
「これまた噂通りの御仁やなあ。挨拶どころか、名乗りだけで済ますとか……ほんま、短気な殿様やで」
「……天王寺屋」
「はいはい。せっかくやし、うちも名乗とこか。天王寺屋助五郎。堺はええ町やったろ? こないな田舎の港よか、ずっと賑やかで繁盛しとるで。今後は仲良うしてや」
「おい」
「ええやん、本音で付き合いたい相手に言葉を尽くしても時間の無駄や。どうせ堺じゃ、魚屋がちゃっかり儲けとるはず。これ以上損してたまるかい!」
アルコールで点火した気炎を吐く助五郎を宥め、適当な宿に入った。
佐兵衛が管理している宿の一つだ。あれ以上路上で騒いでいても迷惑になるだけだし、疲れて眠くなってきた奇妙丸のこともある。長康は佐兵衛の代わりに津島商工会へ話をしに、恒興は小牧山城へ向かわせたので、傍には信包と久秀が残った。
腰を落ち着けると、ようやく助五郎も酔いがさめてきたらしい。
商人にあるまじき失態や~、とか何とかぼやきながら頭を抱えている。
まず与四郎から聞いて那古野城を訪ねたら、清州城へ向かったと言われ、小牧山城だと言われ、馬を飛ばして港へ行ったと言われて津島までたどり着いたのに俺、不在。自棄酒をしたくなるというものだ。
「その、なんだ。悪かったな? まさか尾張中を歩き回るハメになるとは思っていなかっただろうし、使った路銀の代わりに何か買い取るぞ」
「あー、それなあ」
「……難しい、な」
「なんでだ?」
かなり有利な条件で交渉ができるというのに、二人は苦い顔をしている。
「仕方ないやん。鉄砲の取引は津島経由で既にお得意様やし、火薬類も硝石から作り始めとるわ、農具は最新のがどんどん作り出されて、むしろ売り出す側。算盤の簡易版も、尾張発祥や」
「じゃあ、天王寺屋にはスコップの専売権をやろう。彦右衛門には藍染と内津茶な」
「須古夫? って何ですの」
「鍬と同じ農具なんだが、てこの原理は同じだから誰でも使える。信包、確か那古野城に小さいスコップがあったよな?」
「ああ、山を掘り返す時に使いましたね。まだ村にあるはずですよ」
「山を……? お二人とも、何をやらかしているんですか」
「タケノコや松茸とかな。根っこが薬になったり、食べて美味しいものだったりするだろ」
「もうすぐ秋ですねえ」
信包が幸せそうな顔になり、久秀が嫌そうな顔になった。
それでも疑問符を飛ばしている商人たちには、俺から軽く説明をする。実物を見せた方が手っ取り早いと言いつつ、スコップを使うモーションをやって見せたら「ドジョウ掬い」だと言われた。
ドジョウかあ、鰻はまだかな。
藍は尾張の専売品らしいので、嫁たちが始めた藍染を売り込む主人公
硝石って硝子の原料だったような気がしますが、正倉院の宝物庫からガラスの製法コピーしてきたら怒られるかな…
津田宗及...天王寺屋宗及とも。名は助五郎。
酒が入った途端に色々吹っ切れてしまうが、素面の時は金銭に厳しく商売上手な堺の茶人。
今井宗久...薙髪(髪を剃る)前は彦右衛門。屋号は納屋。堺商人としては無口にすぎるが、人やモノを問わず目利きの腕が凄いので商人仲間の信頼が厚い。マイペースな与四郎(千利休)、暴走しがちな彦右衛門(津田宗及)と同年代の縁で親しくしている。