137. お茶で友達、略してお茶友
茶ぁしばいて駄弁ってるだけ
※この話から、年号に西暦表記がつくようになります
時は永禄9年(1566年)である。
ずっと気になっていた西暦について、なんと細川様が教えてくれた。
宣教師が京から追い出された以上、彼らに話を聞くことはできない。松永久秀がキリスト教に排他的らしいとも聞いたが、戦国時代でクリスマス休暇を出した武将として後世に伝わっているぞ? どういうことなんだ。
「まあいいか」
考えるのは後にしよう。
正直言って、ちょっと疲れた。
半分くらいは俺自身がやらかしたことだという自覚はある。キッカケをくれた半兵衛に文句を言ってやろうと思っていたら、向こうから来た。
「将軍様って案外、義理堅いんだね」
「何の話だ」
「うん。お礼言われた」
「複雑そうだな」
「そんなことよりさ、松永久秀っていう人のことはどう思う?」
「なんだ、唐突に」
「噂通りの悪党か、理を重んじる忠臣か」
俺は眉をひそめた。
忠臣、という言葉が引っかかったのだ。爆弾正が二度も裏切った相手は織田信長であって、今の松永久秀については伝聞でしか知らない。三好家重臣へ昇り詰めるのは相当苦労したはずだ。蝮の道三と呼ばれた舅殿がそうだったように、松永久秀にも何より重んじるものがあるのだろうか。
だから明智光秀は、あんな風に庇うのだろうか。
悩む俺に、元斎藤家臣の半兵衛は肩を竦めてみせた。
「えっと、おかしな質問をしてごめんなさい」
「気にするな、半兵衛。天才の意図するところは分からんが、奴は使える男だと思うぞ。親がデキるからって、息子がそうだとは限らないしな」
「うーん、そっかあ。信長様はそう考えているんだね」
「何が言いたい」
「あのね、若様の元服は先延ばしにした方がいいと思う」
いつになく深刻そうな顔に、首を傾げる。
話が繋がっていない気もするんだが、問い質しても無駄だろう。俺みたいな凡人には、天才の考えることなんて一部しか理解できない。それでも理解しようと努めなかったら、何も分かり合えない。
「理由は?」
「これからの戦は、今までとは全く違ったものになると思う。織田家の次代として、元服したばかりだからっていう理由は通用しない。信長様と同じやり方を、あるいはそれ以上の成果を求められるよ」
「…………」
「今は、こんな時代だから。元服する前に家督を継いだ人もいれば、初陣ですごい戦果を挙げた人もいる。でも信長様は、若様にそれを求めるの?」
「元服は、延期する」
半兵衛はただ、静かに頷いた。
用はそれだけだと去っていく背を見やり、俺は髪をぐしゃぐしゃにかきむしる。元服することの意味をちゃんと知っていたはずなのに、大事な我が子に何を背負わせるのかを忘れていた。問題を先延ばしにするだけかもしれない。俺は奇妙丸を元服させ、次期当主としての本格的な勉強をさせるつもりでいた。
悠長にしていられる暇、あるのか?
奇妙丸に対する期待は大きく、奇妙丸もよく応えている。このまま元服して、俺の後継として前線に出ることだって可能だろう。まだ幼くとも、奇妙丸だけに従う同年代の子供たちが育ちつつある。
つまり俺と別行動することも増えるわけだ。
「…………親父……」
あんたなら、子離れに悩むこともなかったんだろうな。
**********
なんとなく原点に戻りたい気分だった。
俺は美濃から尾張に戻って、那古野城の茶室に来ている。
ここは四畳半ほどの狭い部屋なのに、すごく落ち着くんだよなあ。久しぶりの茶室なのに馴染みっぷりがハンパない。清州城には茶室を作らなかったが、小牧山城か岐阜城のどっちかに茶室を作ろう。そうしよう。
長益が長島にいるため、長らく主のいなかった部屋に痩せた男が茶を点てている。
「どうぞ」
「うむ」
ざらりとする肌を撫で、一回し。
刀の銘を気にするようになった今も、名物に関して興味が引かれないままだ。物も人も使えるかどうかが重要なのであって、付けられた値段は常に変動する。高ければいいってもんでもないし、安ければいいってもんでもない。安いと裏を疑い、高いとボッタクリを疑う。
商売っていうのは、戦時交渉と大して変わらないというのが俺の感想だ。
商人からも軍師からも文句を言われそうだが、偽らない本音である。
「美味いな」
茶道は嗜む程度しか知らない。
身構える必要はないと舅殿も言っていたので、それに甘えているようなものだ。茶室の中では自然と背が伸びる。正座をして、茶をいただく。まろやかな舌触りと苦みは、嫌いじゃない。
渋色の着物をさばいて、男がこちらを向く。
「茶葉がいいのですよ。本当に、織田様は素晴らしい弟君をお持ちですな」
「その言葉、本人に言ってやってくれ」
「何度も申し上げておりますが、なかなか本気にしていただけません」
「それは失礼した」
「お、織田様! お止めください、そのような……っ」
軽く頭を下げただけなのに、すごく恐縮された。
確かに身分的なことを持ち出すなら相手は商人、俺は二国を統治下に置く戦国大名という大きな差がある。茶釜の横で落ち着かなさそうにしている男の名は魚屋の息子、田中与四郎という。魚屋なのに魚を商売にしているんじゃなくて、倉庫業だと聞いて驚いたものだ。
納屋衆というらしい。
なるほどー、と頷いた俺を世間知らずの殿様だと思われても仕方ない。
商売のやり方に関しては津島翁から売り買いの仕組みだけを叩きこまれたので、それ以外の知識に関しては無いに等しい。与四郎がいい人でよかった。
「わざわざ那古野城まで来てもらったのに、会わせてやれなくて悪いな」
「いいえ、この茶葉に出会えただけでも十分すぎるほどでございます」
「堺への土産にするか?」
「えっ」
流れるような動きが、ぴたっと止まる。
それまで柔らかな微笑みを浮かべて雑談に興じていたのに、与四郎は電池が切れたロボットみたいになった。俺よりも一回りは年上であろう男が呆然としている様は、なんだか可笑しい。
「堺の魚屋与兵衛の息子だろう?」
無知のままではいられない。
津島と堺が喧嘩をするなら、織田家当主として津島の味方をするのが筋だろう。しかし自治都市として確立している堺と真っ向から対立するのもマズい。商人を怒らせると厄介なのはいつの時代も変わらない。
糸口を探っていた時、魚屋与四郎の訪問を受けたのだ。
魚屋与四郎はただの商人じゃない。堺の町人衆として、強い影響力を持っている。本来は俺が応対すべき案件じゃないのだが、西から長益を訪ねてきたとあっては他人任せにもできない。今の長益はちょっと、色々と事情があるのだ。
それから細川様より文をもらっていたのもある。
雨墨や覚慶を介するには問題がありすぎるし、織田家と細川家の接近はとっくに三好家にも知られている。いっそ堂々と文通でもするかと言ったら、長益の作った茶がほしいと言ってきた。
なんだそりゃ、である。
茶なら尾張国の特産にすべく、北尾張の内津村で作り始めたばかりだ。あれはまだ茶葉が取れるほどじゃないし、長益は間接的にしか関わっていない。茶畑の状況もついでに報告してもらおうと一豊を呼びつけたら、長島の噂が思ったよりも広がっていると知った。
あそこには龍興も隠れているんだが、大丈夫なのか?
当然ながら、中州だらけの長島では茶畑を作れない。近くの山腹に手を加えて、一つずつ植えていき、何年もかけて育ててきた長益の子供みたいな茶だ。ようやく満足いくものができた、と送ってきたのが去年の冬。
新茶の季節である5月に与四郎が那古野城を訪れたのも、何かの縁だ。
いつの間にか長益は茶人の一人として知名度を上げていたらしい。
「堺商人だからっって土産も渡さずに帰したら、源五郎に怒られる」
「……それでは、こちらを」
すっと出された茶碗に、俺は目を見開いた。
茶を飲む時に使った茶碗とは、明らかに輝きが違う。こう、なんていうのか、すごく高そうな茶碗だというのは理解した。懐かしい値段査定の前フリが脳内で始まっている。いや、俺が判断すべきものじゃあないだろう。
驚きは一過性のもので、すぐに冷えた。
じろりと与四郎を見やる。
「等価交換としては、釣り合わんと思うが?」
「織田家は実力主義にして、身分や出自を問わぬと聞いております。これなる茶碗は確かに素晴らしいものではございますが、織田様にとっては大して価値のあるものではないでしょう」
「馬鹿にするな。物の良し悪しくらいは分かる」
「これは失礼いたしました。……織田様の判断基準は使えるか、使えないか」
でございましょう、と続ける男の目は鋭い。
商人の顔だ。与四郎め、茶室で商売の交渉を始める気か。
「この茶碗を、割るも使うも織田様次第」
「その茶碗はお前の気持ちであり、今後の付き合い方を俺に預けると言いたいのか」
「はい」
「堺の総意と取ってもいいか?」
「……いえ、それは」
「冗談だ」
俺はそう言って笑ったが、与四郎の表情は固い。
商人に武力の脅しなんて意味がないと思っていたんだが、違うのだろうか。堺公方というのがいたくらいだし、堺の町は特殊な位置にあるのは間違いない。やっぱり実際に見てみないと判断できなさそうだ。かといって去年の今頃は落城直後に暴走したせいで、側近たちの目も厳しい。
見てみたいんだよなあ、この時代の堺。
鉄材やら何やら積んだ船が尾張国の海まで来ないのも、ほとんど堺で卸してしまうからだ。どうせ尾張国は田舎だよ。見てろ、必ず天下一の国にしてやるからな! ……じっくり時間をかけて。
嘉隆に任せている船が完成すれば、試運転も兼ねて堺まで行けるか?
陸路より海路の方が警戒されにくいはずだ、たぶん。関所通過が面倒だとか言わない。あれはあれで役に立っている。全て取っ払えば流通の活発化を後押しするだろうが、悪さをする奴らも増えるだろうから頭が痛い。
職がないから悪事を働く系は、まだかわいいもんだ。
悪いことが大好きで、盗賊業に命を賭けている系が一番厄介なのである。マジで釜茹でするぞ馬鹿野郎。五右衛門風呂の由来となった石川五右衛門さーん。いるなら出て来いよ、殺さないから。コキ使ってやるから。
とか何とか俺が考えている間も、沈黙は続いている。
「与四郎」
「はい」
「俺、そんなに怖いか?」
「いえっ、そのようなことはありません。ただ」
「ここには俺とお前だけだ。遠慮なく吐け」
「……っ、かしこまりました。堺では、三好様にお味方しようとする風潮が強いのでございます。畿内はいくつもの勢力がせめぎ合っている状態でして」
「戦争はなるべく長引いた方が得をする、か」
「申し訳ございません」
本当にすまなさそうな顔をしているが、内心はどうだか分からない。
額面通りに受け止められるほど素直な性格もしていない。相手が商人だと思っているから、普段は読まない裏を探ろうとする。長益の茶を求めるなら、長島に向かうのが普通だ。たまたま用があって尾張国へ来ていたからいいものを、よりによって那古野城を選ぶ判断力は侮れない。
あるいは商人の情報収集能力。
下手をすれば忍よりも早く、正確に情報を集める。それが金になると分かっているからだ。与四郎が儲け話に敏感な男かどうかはともかく、生まれついての商人であるのは間違いない。
「茶、美味かった。礼を言う」
「勿体ないお言葉でございます」
「堺との取引は、これから結論を出す。三好と事を構えたいとは思っちゃいないが、あちらさんがどう考えているかも分からんからな。美濃の復興が終わるまで待て、とも言えんし」
「美濃国はそれほどまでに酷い状況なのですか?」
「ん? いや、一定水準には上げたいだろ。民が飢えて、職にありつけない状況が当たり前だと思わないようにするのが、第一段階だ」
「そう、ですか」
与四郎は何か考えているようだ。
暇をもてあました俺は、くれると言われた名物茶碗を手に取る。これってまさか『光悦』とか言わないよなあ。高級茶碗の銘なんて、それくらいしか知らんぞ。
「織田様」
「何だ」
「また、この茶室に招いていただけますでしょうか」
「ふはっ」
いっそ潔く思える、図々しい要求に思わず噴き出した。
「おう。今度は長益も呼んでやろうな。口切りの茶がいいか」
「楽しみにしております」
にこりと微笑む与四郎は、茶人の顔に戻っている。
俺としても、そっちの顔の方がいい。こまけーことは考えず、美味い茶を飲んで世間話に興じる。この時間が止まったような四畳半の狭苦しい異空間で、のんびりするのも悪くない。
そう思った。
田中与四郎...魚屋与四郎とも。出家して宗易、またの名を千利休と号す。
十代の頃から茶の湯に親しみ、師と共に茶の湯の改革に取り組んだ。のちに信長が堺へ進出した際、茶頭の一人に任命される。
っていう前世知識はもちろん、ナイ。
「光悦」で知られる本阿弥光悦は永禄元年生まれでした。
追記:口切りの茶...初夏(5月頃)に摘んだ新芽を茶壷に詰め、旨みを増した立冬(11月)の頃に開封(口切り)する。茶人の正月とも呼ばれ、茶道において「口切りの茶事」は特別なものとされる