133. 始まりの尾張
到着したのは美濃国
オッス! 俺、ノブナガ。
さすがに今生でも三十路を越えてくると、この挨拶は少し恥ずかしくなってくるな。人生のタイムリミットは確実に近づいているので、そろそろ覚悟を決めるべきかと思うわけである。
え、遅すぎるって? 天下なんていらねえんだよ、本当は!!
平手の爺には勢いでデカいこと言っちまったが、あれも全ては史実通りに進むって言う大前提があった。いつだって俺の最大の敵は「歴史」という大河だった。知らないうちに俺自身に枷をかけ、暴走しすぎないストッパーの役割を果たしていたのだろう。
今なら、分かる。
伊賀の皆さん、マジで助かりました。
皆さんの助力がなかったら、全員死んでました。もう一生、頭が上がらない。まさか家康が将来的にやるであろう「伊賀越え」を俺がやるとは思わなかったよ!!
「ありがとな、又十郎のお師さん」
「我が身に受けた恩を返したまでですよ、上総介様。あの子が命を賭けるに値すると断言した相手が、こんなに面白い方だとは知りませんでした」
褒められているのか、俺は。軽く貶されている気もするんだが。
ちらりと後方を見やれば、信包の隣に頭巾男がいる。
一人だけ顔を隠しているので怪しさ満点、疑ってくださいと言わんばかりの佇まいだ。ちょっと崩せと言ったのに、芯に鉄棒が通っているような直立不動っぷりが悪目立ちしていた。言わずもがなの公方様である。もう義輝、って呼び捨てにしていいかな。ブレイモノーって、どこからともなく現れた刀で斬られるかな。剣豪将軍コワイ。
ファンタジーな国・尾張だったら本当に起きそうだから、美濃国へ来たんだ!
「下山甲斐守だったか」
「はい」
「清州に戻るか? それとも伊賀に戻るか」
「上忍の座を奪われてしまったので、伊賀者には戻れません。ですが、百地との繋がりはまだ残っています。自分一人が世話になるよりは、彼らとの仲立ちを務めた方がお役に立てるでしょう」
「え、本当にやってくれんのか?」
「義厚く、民を慈しむ御方ならばこそ」
「ヤメロ」
尻が痒くなるから、本当にヤメテクダサイ。
薄く微笑んでいる下山甲斐守は一見して、くたびれたサラリーマンみたいな普通のおっさんだった。中間管理職で、主な悩みは人間関係と家庭事情ですと言いそうなイメージである。その実態は、上忍同士の内輪揉めに敗北した伊賀忍だ。
負け組と言っていいのかどうかは、これから分かることだろう。
「俺はやると言ったことをやってくれる奴には、相応に報いる」
「ええ、存じております」
長利が師と仰ぎ、俺に助けてくれと願った男だ。無碍にはしないさ。
下山甲斐守は軽く会釈をして、その場から消えた。上に飛ぶか、左右に走るか、気配を完全に断つかで「消える」らしいんだが、原理を聞いてもよく分からん。俺にはどだい無理な芸当だから、理解しても無駄だろうと割り切る。
「さて、美濃へ着いたな」
稲葉山城改め、岐阜城は目前だ。
京の町を抜けて、いったん伊賀に入り、それから北伊勢をコソコソして長良川を渡河。美濃国境に入った途端にホッと息が抜けるのだから、本当に斎藤家は織田家に負けたんだなと思う。
「二国の主かあ」
「おめでとうございます、兄上」
「いや、全然めでたくない。これからデスマーチが待っていると思うだけで、カフェインが欲しくなる。しまった、伊勢を通る時に茶をしこたま買い占めておくんだった」
「そんな金はないよ?」
「物々交換で」
「余は刀しか持っておらぬが」
「同じく」
「デスヨネー」
「信長様って頭いいのに、ときどき馬鹿だよね」
「天才軍師様に言われたくねえわ!」
なんだろう、この団結力。もう一国ぐらい獲れる気がしてきた。
よくよく考えてみれば、楽隠居しても子供たちが心配で落ち着かないかもしれない。やっぱり奇妙丸たちが安心して治政を進められるように、周辺の脅威は黙らせておく必要がある。国が豊かになれば皆が幸せになると思っていたが、外の奴らが指をくわえて眺めているわけがない。
「やれやれ」
「城に入ったら、ゆっくり休みましょう」
「そうだな」
弟の助言には素直に頷きつつ、頭巾男を振り返る。
視線に気づいて首を傾げたらしいが、頭巾がちょっと傾いただけで終わった。今更だが、時の将軍に縄や猿轡を命じたんだよなあ。やっぱりブレイモノーって斬られるんだろうか。
暇さえあれば思考に沈む俺を引きずり、一同は入城を果たす。
それから瞬く間に数日が過ぎ、俺はガッツリ内政に没頭することになった。
「殿」
「あー……なんだー、小一郎」
「殿、お客さまが来ております」
客ぅ? このクソ忙しい時に何だっていうんだ。
あっちもそっちも算盤を弾く音が重なり合って、土木現場さながらのBGMになっている。目を閉じれば、ここが勘定方の部屋だとは思うまい。あ、ダメだ。目を閉じたら落ちる。すぐ落ちる。
頭を振って、紙を睨みつけた。
いつの間にか量産体制が整った紙は、もう両面使いなんていうセコイやり方をしなくてもいい。染みにくく、乾かす手間がいらない木炭ペンが広まってから、分厚い和紙の両面使いが始まった。この時代の紙といったら和紙だ。現代に伝わるものよりも厚みがあって、ゴワゴワしている。品質を求めたら高価になるのは必然であり、無駄遣いできないものの筆頭だった。
木炭ペンに遅れること三年、尾張国内で紙の量産が始まっていた。
またうつけがやらかしたと津島から文句が出たとしても、俺は知らん。
知らないったら知らない。朴訥な尾張民は値切りを知らなければ、ボッタクリも知らない。言われるままに買い取ってもらい、言われるままに支払う。だんだんと津島商人も罪悪感に苛まれて、今では良心価格で取引するようになった。
そんなこんなで堺が、尾張国を狙っているらしい。
守護大名、名門一色氏の次は商人かよ。
「あの、殿? お客様が――」
「追い返せ」
「え!? でも、あの方は…………はい、分かりました。そのように伝えます」
秀吉の図太さを、小一郎にも分けてやりたい。
困った顔で俯き加減にしながら、トボトボと歩いていく背を一瞬だけ見た。すぐに数字の羅列へ意識が占拠される。さあて、続き続き。
「三郎。おい、三郎。三郎!!」
「やかましいわ、糞兄貴! って、あれ?」
人の名前を連呼していたのは怪しい頭巾男だった。
そういえば、客が呼んでいるとか何とか言っていたか。ソレがコレだとしたら、俺は何と言えばいいんだ。小一郎の奴、可哀想にブレイモノーって斬られていないよな?
驚いて途中式も消し飛んだため、俺は算盤を置いた。
どれくらいの時間が無に帰したかは考えたくない。ある程度はメモ書きしているし、逆算中だったから確認作業をしている連中へ回せばいい。そもそも国主としての執務に、勘定方の一員となって計算しまくる仕事は含まれていない。はずだ、きっと。
小一郎に後を頼み、頭巾男と外に出る。
八つ当たりをしようにも、確実に負けると分かっている相手にやらかさない。黙々と歩き続ける俺の半歩後ろを、淡々とついてくる頭巾男の名は足利義輝――室町幕府13代征夷大将軍だった男だ。
「三郎」
「んあ?」
「そちらではないぞ」
「話をするなら、私室の方がいいだろ」
「客は、私ではないのだ。客将扱いを受ける身分ですらなくなったことは、其方が一番よく知っておるはずであろう」
何とも言えない気分で、首の後ろを掻く。
どうやら徹夜続きで思考が鈍っていたらしいな。俺、この面会が終わったらタップリ寝るんだ。疲れた俺を癒すため、三人いる嫁のうちの誰かが抱き枕になってくれると信じている。
「三郎、こちらだ。気持ちは分かるが、寝所は後にしてくれ」
「……チッ」
「世話をかける」
すまぬ、と小さく謝られては俺の方が申し訳ない気持ちになる。
かといって何か言う気にもならないまま、義輝の先導で謁見の間に入った。そこには既に側近と小姓、それから「客」が待っていた。義輝が「客」の隣に座るのを横目で捉えながら、俺は上座へ向かう。
ちょうどいい位置に動いた肘置きに、体重を預けた。
長くなったのでぶったり切り
以下、謝罪文
次の話は、うっかり執筆の合間に読んでしまった某素敵小説の影響を多分に受けています。作品の都合上、異なる状況下で起きている話なんですが、なんとなく某人物のキャラ被りしている気がしたら、申し訳ありません!! 全く違う方向に展開が進んでいくハズなので勘弁してくださいっ