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ノブナガ奇伝  作者: 天野眞亜
飛翔編(永禄2年~)
157/284

【閑話】 一色龍興と斎藤龍興

※龍興視点です。いつものように読み飛ばしても大丈夫な内容です

※全体的に鬱々としていて、下品な表現も多少ありますので注意してください

 いよいよ日が暮れようかという刻限、ぼそぼそと何かの声がする。

「わしは間違っていない。何も間違ってはいない」

 その部屋には一人の男が蹲っていた。

 あまりの不気味さに、誰も近寄ろうとはしない。風通しを良くするために開けっ放しにしていた襖から、昼も夜も同じような声が聞こえてくるのだ。最初の数日は何とか宥めようとしていた側近たちも諦め、小姓や女たちも遠巻きにしている。

 呼ばれれば傍に行く。そうしなければ、怒鳴り散らして手に負えない。

 隣国のうつけ様も血の気が多くて短気だと聞くが、うちの殿様ほどじゃあないだろうと口々に噂をする。もちろん地獄耳の殿様に聞かれては大変なので、用心に用心を重ねてこっそりと。

「何故だ。どうしてだ。わしの何が駄目だというのだ」

 龍興は頭を抱えていた。

 酒も女も欲しくない。何も食べたくないし、誰にも会いたくない。

 頭の中では龍興を嘲笑し、見下し、侮蔑する輩が口々に喚き立てていた。それは美濃三人衆だったり、竹中だったり、祖父の絵姿であったり、様々に変化した。複数でよってたかって虐める時もあれば、大きな影が立ちふさがって延々睨みつけていることもあった。

 龍興自身、それが実体のない幻だと分かっている。

 国主ともあろう者が、そのような紛い物に惑わされている情けなさも理解している。だが、どうしても消えない。何をしていても頭の隅をちらついて忘れられない。一挙一動に震えがきて、誰もが龍興を小馬鹿にしているような気がしてならない。

 身を案じる言葉を言いながら、優しく慰めながら、腹の底では笑っているのだ。

 暗愚め、いい気味だと愉快そうに笑っているのだ。

「くそ、くそう……わしは一色氏の末裔ぞ。一色龍興ぞ」

 下賤な家柄の斎藤家ではない。由緒正しい一色氏の血を引く者なのだ。

 先代当主である父・義龍はそう言って、誇らしげにしていた。幕府からのお墨付きをもらい、将軍の御伴衆にも加えてもらった。一色刑部大輔は、美濃国で一番偉いはずだった。

 元服して間もなく家督を継いだのも、龍興が優秀だからだ。

「いや、本当にそうか?」

 ふと疑問がわいた。

 父は忙しい人だったが、激務の合間に龍興のための教材を揃えてくれた。よく学び、日々の鍛錬を怠らないことが武家の嗜みだと言われた。だが家臣たちは違う。生まれついての尊い御方は、あれこれ慌ただしく動き回るものではない。

 それは家臣たちの仕事を奪い取る、独善的な行いである。

 道三や義龍は独裁者だったので、家臣たちはいつも辛い目に遭ってきた。せめて龍興には家臣を労わる気持ちを忘れないでほしい。龍興が望むままに何でも与えるから、当主の座に泰然と構えていてほしい。そう切々と訴えてきた。

「そうだ。だから、わしは――」

 僕、というのは幼くて当主らしくない。

 俺、というのは独裁的で強権を振りかざす暴君に思われるから止めてほしい。龍興はまだ若いので、家老衆から舐められることもあるだろう。だから、年寄り衆と同じような口調になればいい。

 龍興は物覚えがよい方だったので、すぐに己の物とした。

 斎藤家に代々仕える家臣たちは驚いたものの、当主らしくあろうとする龍興の努力を褒めた。執務について色々教えてくれるし、自分の考えも積極的に述べてくれるようになった。

 それも最初の内だけで、次第に口煩くなっていった。

 やはり道三の代から仕えてきた者は、龍興が気に入らないのだ。

 道三派といわれる家老衆は、父殺しの義龍と仲が悪かった。その子供である龍興のことも、やっぱり面白くない。何故なら道三は、尾張のうつけを大変気に入っていたから。あろうことか、美濃の後継を信長に任せようと考えたものだから、仕方なく義龍が愚かな父を討ったのだ。

 殺すつもりはなかった。

 義龍の大きな悔いが、出家へと導いた。

「わしは、悪くない。そうだ、やっぱり悪くない。何一つとして、非がないではないか」

 義龍が家臣たちの諍いをまとめきれぬまま病死したのが悪い。

 道三派の家老衆は、時代が変わることについていけないのが悪い。

 義龍のため、美濃のためだと言いながら、溜まった不満をぶつけてくるのが悪い。龍興はちゃんと当主らしくあろうと頑張っていたのに、褒めてくれたのは最初だけではないか。ひたすら叱られ続け、貶され続け、呆れはてた溜息まで吐かれて、それでも奮起する奴がいたら見てみたい。

 そもそも庶流の次男坊と比べる方が間違っている。

 龍興は一色氏の正統なる末裔だが、信長は織田の分家の次男だ。

 それに義龍は才気の衰えた道三を諫めようとしたが、信長は同族を次々と倒していった。先代の葬式に参列するどころか、位牌に悪態を吐いていったというではないか。龍興は、父の葬儀をしっかり執り行った。四十九日は喪に服すはずが、恥知らずな織田軍のせいで台無しになった。

「そ、そうだ。全部奴が悪い。あのうつけのせいだ。わしは何もしていないのに、うつけが美濃を欲しがるから戦になった。何度も追い返してやったのに、家臣どもは理解しようとしない」

 酒を嗜んで、何が悪い。女を抱いて、何がおかしい。

 一色氏の血を引く者は誰もが欲しがるだろう。そうやって他家との繋がりを作っていくのだ。誰もがやっていることを、龍興だけが責められる謂れはない。子を生めないのは女のせいだ。尻がでかくて、乳がよく出る女がいい。柔らかくて、いい匂いがして、抱いていると安心する。

「呼ぶか、女を……?」

 いや、ダメだ。女は駄目だ。

 消えない不安をどうにかしたくて浮かんだ考えを、龍興はすぐさま振り払った。女はどうにも頭が悪くて困る。ちょっと優しくすれば、たちまちつけ上がる。ちょっと怒れば、鬼か何かのように怖がって逃げていく。龍興の前では愛想よく振舞っておきながら、影では悪い噂を流そうとする。

「飛騨、飛騨。ああ、どうして」

 龍興は呻いて、頭を抱えた。

 こんなにも龍興が苦しんでいるのに誰も来ないのは、稲葉山城の外だからだ。どんな大軍が押し寄せても、どんな巧妙な策を弄しても、絶対に落ちない難攻不落の城から出てきたからだ。

 斎藤飛騨守は死んだ。

 竹中重治が私怨によって、殺してしまった。

「飛騨のやったことなど、ただのかわいい嫉妬ではないか。何故、それが許せない? わしとて、半兵衛をどうこうする気はなかった。美濃を支えてきた竹中家を見捨てるわけがなかろう」

 家臣どもが、龍興を見捨てていくのだ。

 稲葉山城と一色氏ほど素晴らしいものはないのに、隣の芝が青いという。離反していった愚か者どもの末路は知らない。知りたいとも思わない。龍興を大切にしてくれる真なる忠臣たちは、何もかも任せよと言ってくれた。

 龍興は、それを信じただけだ。

「――…の、殿! 龍興様っ」

「何用か」

 返事をするのも億劫だったが、いつまでも呼ばれ続けるのも面倒だ。

 ゆるゆると顔を向ければ、どこかで見たような見ていないような顔があった。片膝をつき、なんだか嬉しそうに口元を緩めている。そうか、龍興がこんなに落ちぶれた姿を見て喜んでいるのか。

「馬鹿馬鹿しい」

「何を仰います!? 長井殿は心から、龍興様のことを案じておられるのです。ここは長井殿の策に乗るべきかと存じます」

「策?」

「はい! この城は織田軍の手によって、間もなく落ちます。ですが、ご安心ください。長井殿がきっちり、龍興様の御身をお守りいたします。どうぞこちらへ」

「城が、落ちる……? 織田、うつけが来ているのか」

「龍興様!!」

「お早く!」

 ぞろぞろと人がやってきて、龍興の手を引っ張る。重い腰を押す。

 うんせよいせと馬に乗せられ、悠々とした流れが見える川岸までやってきた。ここから身を投げて死ね、ということだろうか。いつしか人数が増え、龍興と同じように騎馬もそこそこ見受けられる。彼らは死の際まで思い詰めているというよりは、どこか希望の光が見えた。

 もしかしたら、本当に守ってくれるのかもしれない。

 時の将軍、足利義輝も何度となく敗北を喫しながらも諦めず、再起を誓って屈辱の日々を耐え抜き、とうとう将軍に返り咲いた。龍興にも「かくありき」と家臣たちは言いたいのだろう。

「よし」

「龍興様?」

「皆、参ろうぞ。わしは必ず、美濃に戻ってくる。一色龍興に相応しい場所は、稲葉山城の当主の間以外にはないのだ」

「おお、さすがは龍興様。素晴らしい御覚悟でございますな」

「当然である」

 皆が歓喜に沸く中、一人だけ不満そうにしている輩がいる。

 図々しく前に出てきて、龍興を睨みながら「そんなことよりも」と言った。

「早く川を渡らねば、織田軍が押し寄せてきます」

「そうであった。皆の者、ついてまいれ」

「皆、龍興様に続くのじゃ」

「急げ、急げ」

 わいわいと船に乗って、川を下っていく。

 船頭をつとめる者はひどく不愛想だが、可哀想に生まれつきなのだろう。龍興は寛大なので、態度が悪いと文句を言う家臣を諫めてやった。うっかり船頭の手が狂って船が転覆しようものなら、それこそ川で死ぬことになる。

 水死体はぶくぶくと膨らんで、それは醜いものだという。

 醜いものは嫌いだ。竹中半兵衛は見目良い若者だったが、それゆえに斎藤飛騨守の嫉妬を一身に集めてしまった。家臣の不仲をとりなすため、竹中半兵衛に辛く当たったこともある。

 気の迷いで主君から城を奪った彼は、織田軍に攻め込まれて死んだかもしれない。

 稲葉山城が難攻不落なのは、正しい主君がそこにいるからなのである。

「龍興様? いかがなされましたか」

「美濃のことを、思っていた」

「なんと、おいたわしや……心中お察しいたします」

「わしはこの悔しさを糧とし、必ず本懐を遂げてみせる。これから苦労させると思うが、皆もよく耐えてくれ。わしはきっと、その忠義に報いてやるぞ」

「ははあっ」

 その時、船頭がぼそりと何か言った。

 だが龍興は気にも留めなかった。何故なら、この先で何が起きるか心配で仕方なかったからだ。城を出て川を渡るなら、長良川しかない。長良川を下っていけば、伊勢国に着いてしまう。美濃国が織田のうつけに奪われるのは憤懣やるかたないが、今の龍興には無理だということも分かっている。

「龍興様、あれが迎えの者でしょうか?」

「きっとそうであろう」

「おかしいですな、一人しかおりませぬ」

「うむ」

 怪訝そうな家臣たちにも見えていた。

 川岸にぽつん、と一人の若者が立っている。竹中半兵衛でないのは、その美しい顔立ちからして明白だった。女のようにも見えるが、確かに男である。あんなに綺麗な男が何故という疑問は、龍興と目が合った彼がにっこり微笑んだことで消え去った。

「よいではないか。織田軍を警戒し、たった一人で危険を冒して迎えに来てくれたのやもしれぬ。健気な若者よ。実に感心なことだ」

「は、はあ、龍興様がそう仰るのでしたら」

 不安げな家臣たちと同じくらいに、龍興も不安だった。

 もしかしたら勘違いだという可能性は捨てきれない。船頭はやっぱり何も言わないので、ますます不安になってしまう。なんとか川岸に船が寄せられ、美しい若者が近寄ってくるまで確信を持てなかった。更に言えば、その若者が喋るまで心の臓が落ち着かなかった。

「ようこそ、長島の地へ」

「長島?」

「北伊勢でございます」

 そんなことは知っている。

 長島といえば、特に名の知れた武家もいない萎びた土地だ。城と寺が一つずつあるくらいで、他には何もない川に挟まれた中州だらけの辺鄙な場所だ。そこに上品で礼儀正しい若者が存在している。

「泥の中の蓮だ」

「は?」

 龍興が呆然と呟けば、彼はことりと首を傾げた。

「褒め言葉としていただくには、ちょっと芸がないですね。次はもう少し、ヒネリをきかせた言葉を聞かせてください。楽しみにしています」

「あ、ああ。期待しているがいい」

「それでは、こちらへどうぞ。長島の主が皆様の到着をお待ちです」

 声はまるで、春風のような爽やかさだ。

 しなやかな腕が誘うように動き、龍興についてきた者たちがフラフラと歩き出す。まるで夢を見ているような頼りない感覚も、不思議と不安に思わなかった。それまで囚われていたドロドロした感情は、清流に溶けていったような心地だ。

 一行にやや遅れながら歩いていく龍興は気付かなかった。

 船頭と青年が何やら頷き合い、鋭い視線を交わしていたことを――。

船頭?「源五郎様、絶対目ェつけられましたよ」

美青年?「だよね。……はあ、兄上も厄介な仕事を押し付けてくれるなあ」

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