130. 鬼才と奇才
時、来たれり。
思わず格好つけて、そんな台詞を言ってみたくなる永禄8年の春。
また出陣することになると聞きつけた子供たちが、全力で父引き留め隊を結成した。いや、即断決行した。両足に息子、両手に娘がガッツリしがみついて離れない。茶筅丸と三七は「新しい遊び」だと思って上機嫌、お五徳とお冬は「離したら死ぬ」と思って涙目である。
「どうですか、父上。新しい具足の感覚は」
「動けん!!」
「そうでしょう? 我ながら、なかなか妙案だと思います」
「きみょーまるううぅ」
「一忠も十で元服したんですから、僕だって元服してもいいですよね。元服したら、初陣に出るのが武家の通例です。元服は十三になるまで待てというのなら、稲葉山に向かうのも三年待ってください」
すごい無茶ぶりキター。
俺は呆気にとられて返事ができない。弟妹をよく可愛がる出来た長男だと思っていたが、この策士っぽいヤンデレ風漂う思考回路はどこで培われたんだ。真っすぐに俺を慕ってくれていたはずなのに、帰蝶そっくりの黒雲を背負っている気がするのは何故だ。
いや、帰蝶が生んだ子供なんだから似ていて当然か。
「やっぱり無理ですよ。若様、諦めましょうよ」
「い、や、だ」
甚九郎の涙の訴えにも、奇妙丸はプイッとそっぽを向く。
よし、早めに傍仕えを増員しよう。信盛の息子だからイケると思ったが、荷が重すぎたらしい。子供のうちからストレス性胃炎に悩まされるなんて可哀想すぎる。
「殿! そろそろご準備を、……うわあ」
「助けろ、内蔵助」
「え、無理ですよ。お五徳様に泣かれたら、大変なことになります」
「ひっう」
「五徳! 大丈夫だから、父は元気だから。ここにいるから、な?!」
「いるの」
「おう、いるとも!!」
「いるのー」
「うん、お冬は全然意味分かってないな。可愛いから許すっ」
「えへへ」
「父上は女好き」
「女に弱いよね、父上は」
「茶筅、三七! 激しく誤解を招きそうな台詞で頷き合うんじゃないっ」
「でも本当のことですよね」
「きみょおおまるううぅ」
「…………出立は先送りにする、って通達してきますんで」
じゃっと片手を上げた瞬間を、俺は見逃さない。
「お前たち、内蔵助が遊んでくれるそうだぞ。今行かないと、置いてかれるかもしれん。俺も昔は、そうやって内蔵助に置いてかれては寂しい思いをしたもんだ」
「はあ?! な、にを」
「くらー!」
「くら、あそんでー!!」
「うわああああ」
成政よ、お前の尊い犠牲は忘れない。
四人の子供が次々としがみつくのを待たず、俺は奇妙丸にタックルを仕掛けた。まさかそうくると思わなかったのだろう。あっさりと捕獲された長男を脇に抱えて、そのまま走る。
二の丸から本丸まで一気に抜けた。
そして、俺たちは出会った。
「へ?」
「あ、人攫い発見」
「違うっつの!」
見知らぬ青年が俺を示して、すこぶる失礼なことを言う。
反射的に人差し指ごと叩き落したが、俺の知っている誰かの面影にも重ならなかった。若い文官は大体顔見知りなので、単に思い出せないだけかもしれない。どこか猫っぽい印象の、十代後半の優男だ。
俺を前にして堂々とした立ち振る舞いに、まじまじと顔を見つめてしまう。
「あ。僕、そっちのケはないんで」
「俺にもねえよ」
「父上、お知り合いですか?」
「名前が出てこん」
昔は利家を名簿代わりにしていたが、その利家も忙しくて城にいない。
むしろ忙しくない側近なんていないのが、最近のデフォルトになりつつあった。女たちの陳情を受けた帰蝶からもどうにかしろと言われている。俺だって仕事を減らしてやりたい。皆が休むためならば、と執務の合間に雑用もこなしている。
こんなに真面目に働く国主なんて、滅多にいないぞ!?
龍興の奴に、俺の爪の垢を煎じて飲ませてやりたいくらいだ。
全く、さっさと稲葉山へ行かねばならんというのに子供たちの訴えが胸に刺さる。最近、まともに家族サービスしていなかったもんなあ。美濃攻略終われば、ちょっとはノンビリできるだろうか。
「ちょっと、ちょっと自分の世界に入らないでくださいよ」
「父上は考え事が趣味なのです」
「違うからな!?」
「竹中殿!! 勝手に城内を歩き回っては困ると、先程申したはずっ」
大音量で怒鳴りながら、足早にやってきたのは恒興だ。
国境線の見張りにつくために犬山城へ置いてきたはずだが、仕事をほっぽり出して何をやっているんだか。ここは主君として叱ってやらねばと気を引き締め、ようやく気付いた。
「竹中、半兵衛」
「なんだ、知っているんじゃないですか。良かったですね、名前が出てきて」
「今孔明! ほんものっ」
奇妙丸が目を輝かせている。
劉備が大好きで、三国志ごっこをする時は必ず劉備役をするくらいだ。うっかり竹中半兵衛という人物が「今孔明」と呼ばれるほどの凄い軍師だと教えてしまった。まあ、要するにだ。奇妙丸が稲葉山に行きたがっていたのは、竹中半兵衛に会いたいがゆえであった。
腕の中でジタバタ暴れ始めたので、仕方なく降ろしてやる。
「織田上総介信長が嫡男、奇妙丸です! お初にお目にかかりますっ」
「おやおや、これはご丁寧にどうも。竹中半兵衛重治です、よろしく」
「よろしくお願いしますっ」
「奇妙丸」
「はい、父上!」
「まず俺が竹中殿と話をする。いいな?」
「……あ、はい。分かりました」
茶筅丸か三七なら、ここで「えーっ」と不満そうにする。
子供たちの中で一番聞き分けがいい奇妙丸は、しょんぼりと肩を落として頷いた。さすがに可哀想ではある。憧れの存在に会えたようなものだ。興奮するなという方が無理である。
トボトボと来た道を戻ろうとする背に、竹中半兵衛が声をかけた。
「若様、後でお話しようね」
「……っ、はい!!」
それは久しぶりに見た奇妙丸の眩しい笑顔だった。
スキップしそうな勢いで去っていく背を、何とも言えない気持ちで見送る。赤ん坊の頃から父が大好きで、乳母を振り回していた息子が急に遠くなったように感じた。
これを寂しさと呼ぶのか何なのか。
「素直でいい子ですねえ」
「俺の子供だからな」
「龍興様にも、あんな時代があったんですよ」
しんみりと呟く斎藤家臣を見やり、俺は鼻で笑った。
「だから?」
「ここは、表面的にも同調すべき場面だと思いますが」
「竹中殿!」
「ああ、忘れていた。池田殿、探していた人に会えたのでもういいですよ。お忙しい中、ありがとうございます。とても助かりました」
「礼には及びません。美濃から寝返ってくる者がいれば、すぐ知らせろと命じられております」
「なるほど?」
微妙に語尾を上げて、竹中半兵衛は口元も引き上げた。
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仕切り直して、謁見の間にて俺たちは向かい合った。
城主の座は少し高くなっているので、平伏する竹中半兵衛の脳天がよく見える。美濃側は半兵衛以外に三人、尾張側は小姓衆と恒興が警戒心を隠さないまま所定の位置に着いた。美濃側の三人のうち、一人に見覚えがある。
「久しいな、安藤日向守。那古野城で会った以来か」
「の、信長様におかれましては、ますますご健勝のことと」
「それで美濃三人衆と斎藤家の軍師が、この信長に何の用だ? 首を差し出すというのなら、望み通りにしてやるぞ」
挨拶をぶった切り、ニヤニヤ笑いながら下種の台詞を吐く。
話が違うといった様子でざわつく三人衆の視線は、半兵衛に集まった。このことからして、尾張の地にやってきたのは半兵衛の決断と察せられる。汗を拭きふき喋りかけていた安藤守就も、完全に固まっていた。
命乞いに来たのは明白だ。
俺は今まで、投降してきた者は全て赦している。将兵問わず、織田軍に取り込んだ。逆に、明確な敵対意志を示してきた者はほぼ死んでいる。同族だろうと、長く仕えてきた家臣だろうと関係ない。死ねば、皆等しく無価値。その理念は、いつしか俺の中に定着していた。
「それにしても可笑しな話だ」
「何がですか?」
案の定、半兵衛が食いついてきた。
「美濃三人衆は、半兵衛と親子ほども年の差がある。十代の若造に言われるまま国境を越えるとは、余程切羽詰まった事情でもあるのか」
「それこそおかしな話ですね」
「どこがだ?」
「浅井新九郎殿――今は長政殿でしたか――によれば、信長様は類稀なる才をお持ちであるがゆえに、回りくどい言葉を嫌う。嘘偽りは直感で見抜くからだ。信長様の信頼を得たくば、小細工を弄せずに真っ向勝負でいくべし」
「……あいつめ」
「その時は半信半疑だったんですけど、小牧山城に来るまでに確信しました。どうして義龍様が勝てなかったのか。今川義元の首を討ち取るほどの実力がありながら、未だに龍興様が健在なのは何故か」
「お前の答えを聞こう」
半ば予想出来ていたが、俺はセオリーに従って先を促す。
すると半兵衛はニコリと笑って、こう言った。
「優しすぎるんですよ、信長様は」
「甘っちょろい考えだと笑ってくれてもかまわんぞ」
「そうですか? 僕はいいと思いますよ。少なくとも民が幸せな国は豊かになる。これは天下太平への絶対条件だと考えています。信長様は天下、欲しくないですか?」
俺は笑おうとして、失敗してしまった。
なんとまあ、どこかで聞いたような台詞じゃないか。野心ある戦国大名なら、ここで「欲しい」と断言すべきシーンかもしれない。本物の織田信長なら、迷わなかったかもしれない。
しかし俺が、信長だ。
秀吉の人柄に惚れて、軍師としての才を発揮するはずの竹中半兵衛が尾張国に来た。言葉の通りに受け取るなら、美濃三人衆ともども織田軍に入れてほしいと言っている。
「お前を軍師として迎え入れれば、天下が取れる。ははっ、今年一番の冗談だなあ」
「うーん、冗談なんかじゃないんですけど。九鬼水軍を得た信長様なら」
困ったように半兵衛が言うので、俺は笑みを収めた。
「信長様ならきっと、天下が」
「黙れ」
「…………意外に、小心者なんですね。信長様は」
「小心者じゃない。臆病と言え」
「殿っ」
「口を挟んでくるんじゃねえよ、恒興。なあ、半兵衛よぉ? てめえが大口を叩くのは勝手だが、公方様をないがしろにするような物言いは見過ごせん。あの方は俺に、尾張守護職を与えてくださった。今も無用な争いを起こさぬように尽力しておられる」
言葉の矛盾は俺自身が一番よく分かっている。
小競り合いを含め、斎藤軍との戦は両手でも足りない数にのぼる。だが公方様は何も言わないどころか、激励文を送ってきてくれた。
たった一通の文が、どれほど嬉しかったか。
「臆病者だから慎重になる。自分を守る兵が足りなくなるのが怖いから、兵を温存する。国力を高めないと攻め込まれるから、国を豊かにする。ただ、それだけだ」
「ああ、今分かりました。皆が言う『尾張の大うつけ』って褒め言葉だったんですね。僕、勘違いしちゃってたな。すみません、信長様」
「分かりゃあいいんだよ。で? 美濃に帰るんなら国境まで送るが、どうする」
「わ、私は織田軍に降ります!」
「わしも織田軍の末席に加えていただきたくっ」
「この氏家直元、信長様に生涯の忠誠を誓う覚悟で参りました!」
半兵衛以外の三人ともが床に頭を擦りつける。
そんなに斎藤軍が嫌なのか。龍興に疎まれ、遠ざけられただけじゃなさそうだ。単なる命乞いなら適当に流して終了の予定だったのに、急展開の兆しが見える。
「半兵衛」
「はいはーい」
「……奪取した稲葉山城はどうなった?」
「えっと、そのままですよ。でも僕たちが出てきちゃったので、龍興様が戻っているかもしれないですね。今考えると、勿体ないことしたなあ。僕だけでも城に残って、信長様をお迎えすればよかった」
「本当にな」
軽い頭痛と眩暈に、俺は小さく呻いた。
天才とナントカは紙一重だというが、まさにそうだと思う。十代の若者だから理解できないんじゃなくて、半兵衛の思考回路が常人と違いすぎるのだ。そうに違いない。
(西)美濃三人衆と今孔明が 仲間になりたそうな目で こちらを見ている...
竹中重治...通称は半兵衛。まだ「今孔明」と呼ばれていない無名の軍師。というのも織田軍を何度か退けた功績を認めず、龍興自身も評判を広めようとしなかったため。稲葉山城を一時的に奪取した後、浅井長政から(信長教)の誘いを受ける
氏家直元...西美濃三人衆の一人。織田軍参入を許された後、卜全と号す。
稲葉良通、安藤守就の中で最も広い土地を所有する。道三の代から斎藤家に仕えていたが、龍興に疎まれるようになって半兵衛の策に乗った
稲葉良通...西美濃三人衆の一人で、三人衆の筆頭とも。のちに出家し、一鉄と号す。
道三の代から斎藤家に仕えていたが、龍興に疎まれるようになって半兵衛の策に乗った