129. ぽじてぃぶしんきん・ナガマサ
とうとう永禄8年になった。
じっくり攻めると決めたものの、さすがに三年経つとイライラしてくる。おかしいな、余裕たっぷり強者の風格を見せつつある織田信長様はどこいった。堂洞城の陥落後、関城の長井軍が押し寄せてきても焦らなかったのに。
残った数百程度の兵力で、三千の兵とやり合うのは無謀である。
それだけ岸軍の抵抗が激しかったということだが、無傷の長井軍に潰されてはかなわない。秀吉の機転で負傷者を優先して逃がし、血の気が余っている若衆の騎馬隊で撹乱してやった。
敵前逃亡上等。後日に相手してやるから、首を洗って待ってろ。
いや、文字通りに首貰うから。首オイテケー。
「信長殿?」
「……何でもない」
怪訝そうな問いかけには、わざとらしい咳払いで誤魔化した。
全然誤魔化せてないよね! 本当にね、なんでコイツいるんだろうね!! 帰れって言ったのに、年明けた途端に再訪問してくるとか頭おかしいんじゃねえの!?
頬杖をついて黙り込む俺、ノブナガ。
半眼で睨む先にいるのは浅井新九郎改め、長政。
信長の一文字もらっちゃった、と言っていた。ああ、信純もこんな感じで勝手に「偏諱」していたよな。許可した覚えも、頼まれた覚えもないんだが。
ちゃんと先触れを寄越して、手順を踏んだ上での面会だから断れなかったんだ。
お市のことを除けば、長政は爽やか好青年なのである。
礼儀作法もしっかりしているし、相手の意見をきちんと聞くだけの頭がある。だから先代を追い出してまで、長政を当主に据えることができたんだろう。また例の家臣が後ろから、俺を睨んでいる。本当に友好な関係を築く気があるのか? あるんだろうな、長政には。
「あのな、長政」
「何でしょう?」
「俺は同盟を結ぶなんて、一言も言っていないぞ」
「はい。願いを一つだけ聞いてくださると仰っていました。私の願いは織田との同盟ですので、聞き届けてくださって感謝しています」
「……っ、…………っ」
「若君様たちが見ていらっしゃいますぞ」
堪えろ、俺。耐えるんだ。
ぐぐっと肘置きを握りつぶす勢いで掴みながら、呼吸を整える。うっかり叫びそうになったが、罵声を無理矢理呑み込んだ。奇妙丸はともかく、茶筅丸たちは俺の怒鳴り声に慣れていない。お五徳みたいに、会えば泣きわめく現象は勘弁してほしい。
今は二人の娘はニコニコ笑顔で会ってくれるぞ。ああ、娘って最高に可愛い。
生駒屋敷に戻っている吉乃の容体も回復したという。いいことづくめだ。
いいことばかりなのに。なんだ、この感情は!?
「うぐぅ、ふぬぅ」
「六角氏から完全に独立していないのに、いい度胸である。よもや織田の精鋭を頼みにしているのではあるまいな、と殿が問いかけておられます」
「心配してくださるとは! 慈愛に満ちたお言葉、感無量です」
違う、と言いたい。が、言えない。
ひたすら唸っている俺に、家臣たちの生温い視線が刺さる。
「六角氏との戦いには、信長殿の手を借りぬと誓います。それが同盟の条件になるなら!」
「ぎぐるる」
「同盟を組むのは構わんが、朝倉のことはどうする? と、殿が仰せです」
そんなことは言ってない。言っていないが、浅井側の返答も気になる。
本日の謁見には織田側にも側近が控えていた。犬山城主を恒興に変更したため、代わりに小牧山城へ戻ってきた信純である。小姓衆も四人に増員する指示を出したのは長秀らしい。
その長秀は瞑目し、信純の好きなようにさせている。
「義景殿のことは私が説得してみせます。信長殿ならば、美濃国を悪いようにはしません。私はそう信じています」
「うぬぬほ」
「斎藤家は長らく因縁ある相手だ。手出しは無用ぞ、と殿が仰せです」
「えっ、よろしいのですか? 信長殿の要請があれば、いくらでも援軍として」
「新九郎様、そのようなことは聞いておりませんぞっ」
「よいではないか、喜右衛門。同盟を結んだのだから、それくらいは当然のことだ」
だから結んでないっつの。
条約を書いた紙に署名もしていないのに、どうして成立したことになっているんだ。それとも俺が契約書にこだわっているだけで、本当はそういう調印式みたいなものは必要ないのか? なんとなく信純を見やれば、人の悪い笑みが返ってきた。
「浅井殿」
「はい」
「手出しは無用、と言ったはずである。と仰せです」
「えっ」
長政が若干焦った様子で俺を見る。
台詞自体は信純しか発言していないので、長政は信じられないようだ。俺としても喋りたくないんじゃなくて、口を開けば罵詈雑言が飛び出しそうなので耐えているだけである。我ながらちょっと……いや、かなり情けない。
どうしても、どうしてもお市の夫になる予定だと思うだけで憎悪が膨らむ。
嫁にやらーん、と叫びたい。
ポジティブな長政のことだから、見事に曲解して政略結婚にお市と長政の縁談を考えている、と受け取るだろう。そうに違いない。そして大いに喜ぶのだ。けしからん。実にけしからん。万が一喜ばなかったら、長政切り捨てる。
いずれ裏切りの果てに殺す相手だ。今、殺してもかまわんのだろう?
「殿、殿っ」
「すごい顔で笑っています。とても怖いです!」
うむ、外野がうるさい。
おもむろに懐へ手を突っ込めば、遠藤が反応した。
しかし長政は後方を見ずに、片手で止める。気配の察し方は武術の達人並みだな。痩せて見えるが、筋肉がつきにくい方なのかもしれない。俺もそのことで長年悩んできたから、ちょっと親近感がわいた。
スパアァン、とハリセンの音が響く。俺の、頭上で。
「ふう」
「……何やってんの、三郎殿」
「文明開化の音がした」
「は?」
この場にいた全員の間抜け顔を堪能し、俺は居住まいを正す。
「朝倉を抑えてみせる、と言ったか」
「はい、お任せください」
「ならば、俺は美濃が越前を脅かさないようにすると誓おう。簒奪者の子・龍興は城主の座を追われる。それまでの辛抱だ。そう長くはかからん」
この宣言に、長秀と信純が揃って俺を見つめた。
いよいよかと二人の目が語っている。
つい先日、ダメ君主にしびれを切らした竹中半兵衛が稲葉山城を一時的に占拠した、という報せが入ってきたのだ。思わずガッツポーズをしたら変な目で見られたが、別に気にしない。そこで龍興追い出しちゃえYOと思ったが、野心も覚悟もない奴には無理だろう。
覚悟というのは、人の上に立って領地を管理する覚悟だ。
そんな面倒くさいことを進んでやる奴の気が知れない。俺は面倒だから丸投げしている――つもりで、ときどき事務方面に強制連行されるが。あれだ、前世でやっていた仕事に比べれば小学校レベルの計算なんぞ、屁の河童よ! そう、量が多いだけなんだ。問題はそれだけなんだ。
西の浅井が朝倉を抑え、武田が東の抑えにまわる。
無理だろうと思っていた龍興包囲網が完成しつつあった。
「信長殿の考えは、よく分かりました。……それにしても」
長政がじっくりと内装を見回しながら、口を開く。
「この小牧山城は素晴らしいですね。城下町も清潔で、徹底的な環境管理がされていると聞きました。それも原点は那古野城での様々な試行錯誤があったからだとか」
「その話、有名なのか?」
「尾張の民なら、子供でも知っている話ですよ」
しれっと言ってのけたのは信純だ。
知らなかったのは俺だけか。
側近たちや、加藤のおっちゃんをはじめとする技術者の努力がなせる業だと、誰か説明してやってくれ。俺はざっくりとしたイメージを語っただけにすぎない。VR世界でもないのに、妄想が実現するファンタジーな国なんだ。
「確かにこの小牧山城を作るにあたって、ある程度の指示はしたけどな。ちゃんとした城が欲しかったら、それに見合った経済水準は必要だ」
「なるほど、参考になります。信長殿の熱意が、皆に伝わったのですね」
「長政様、そろそろお暇いたしませんと」
「もう少し話がしたい」
「いけません。長く国を空けるのは、当主としてあるまじきことです」
チラリと俺を見ながら、遠藤が言う。
家督を継ぐ前はともかく、総大将出陣で不在にする以外はほとんど城から出ない。という言い訳は通じないんだろうな。小腹がすくと城下町へ下りる癖がついた俺は、すっかり皆に顔が知れ渡っている。
いやいや、経済効果をこの目で確かめるという立派な目的がある。
美味い物探しはついでだ、ついで。
「そいつの言う通りだぞ、長政。忠臣のアドバイス……助言はちゃんと聞いておけ」
思わぬ援護射撃に、遠藤が嫌そうな顔をする。
わざとだよな、これは。だんだんわかってきたぞ。俺を不快にさせて、織田側から決別させようっていう魂胆だ。そこまでして、大事な主君に関わらせたくないのか。
悪い大人に変な影響を受けたら、って心配になる気持ちはチョット分かる。
「長政、忘れるなよ? 正式な盟約を結んだわけじゃない。あまり親しい素振りを見せると、面倒な奴らに目をつけられる。浅井家が独り立ちするまでは、なるべく隙を見せるな」
「はい、肝に銘じます」
返事だけは立派なんだよ、返事は。
「早く正式な同盟関係を結びたいものですね。三河では早くも、米と大豆の生産が盛んになっていると聞きます。他にも様々な尾張技術が優先的に習得できるとか。とても羨ましいです」
「デアルカ」
信純がほら見たことか、という顔をしている。
うるせえよ、もう嫌ってほど自覚しているっつの。貞勝にもさんざん言われたし、信玄からも新技術についてしつこく聞かれている。やっちまった感に膝を折りたくても、既に流通させてしまったものは戻らない。
気が付いたら、十年前とは比べ物にならない進歩を遂げていた。
いやあ、尾張の民は凄いね! さすがはうちの領民。おかげで三食しっかり美味い飯が食えるし、新作の衣類がどんどん入ってくるし、建築物の完成速度が早い。衣食住が満ち足りて、余は満足じゃ。
尾張国が天下一になるのも夢じゃないかもしれない。
「……それにしても、つかれた」
「随分懐かれたねえ」
「優しくしていないのに何故だ。解せぬ」
家臣に引きずられる形で、浅井家当主は近江国へ帰っていった。
「そんなに歓迎したくないなら、謁見の間じゃないところに招けばいいのに。そうしたら、気分を害して尾張国へ来なくなるかもしれないよ?」
「お市と鉢合わせしたら困る」
「ああ、信包様たちの縁談もまだだっけ。お市様は甲斐へやるつもりなの?」
「やるわけねえだろ!! 何度も断ってんのに、あの色ボケ爺め。しつこく娘、娘と」
お五徳もお冬も嫁に出したくない。
そりゃあ結婚して、可愛い子供を生むのも幸せの形だ。お市が帰蝶たちの様子を羨ましがっているのは知っている。行かず後家に決まりつつあったお艶も結婚して、お市よりも年下のおまつや伊予が夫自慢をしているせいもある。
「だがっ、お市はダメだ。長政は特にダメだ!!」
「という風に、特定の名前ばかり叫んでいるからさ」
「んあ?」
「三郎殿はお市様を近江にやるつもりだって、巷でもちきりだよ?」
「ば、ばかなあああああぁ!?」
おそろしい。これが歴史の補正力というものか。
外堀から埋められていくなどと、誰が想像できただろう。
「ハッ。まさか、長政本人が足繁く尾張国に来るのは、お市を見たいがための……っ」
「尾張の三大美姫って評判だからねえ」
「三大?」
「帰蝶姫、お艶の方、お市様」
こっそりと三人の絵姿が市井で売られているらしい。
ファンクラブもあるらしい。
俺の知らないところで、俺の知らない組織が生まれ、俺の知らない間に俺自身が名誉会長として君臨していた。すぐさま仕掛け人を調べ上げ、そいつから最高の出来とされる絵姿を押収した。
誰か、カメラを発明してくれ。俺は構造すら分からんので無理だ。
三河国に新技術が導入されやすいのは、長政が帰った後に元康(と戦国最強)が乱入してくるから。
いじけて拗ねる子分を甘やかすノブナガ(ちょろい…)
甲斐の虎とは、すっかり文通友達になりました(周辺情報が満載なので断れない)