124. 裸のお付き合い
今回もねつ造設定が(以下略)
小牧山城に居城を移してから、半年後のこと。
子供たちはすくすくと成長し、長男の奇妙丸に待望の馬と鷹を与える。俺の馬が葦毛の雌に対して、奇妙丸には黒毛の雄馬だ。気位の高いうちの愛馬が何頭もの雄を振りきって、ようやく見つけた相手との仔馬である。
なんというか、生まれた時から一緒だったので必然としか言いようがない。
甲斐甲斐しく世話をするのは弟妹も馬も同じだったようで、あれやこれやと尽くしまくった果てに奇妙丸にしか懐かない馬へ成長してしまった。気に入らない奴は容赦なく蹴る。俺も蹴られそうになった。
奇妙丸に言わせると、父子の絆に嫉妬しているようだ。
でも仕方ない。父上が大好きだから、と笑顔で断言する息子が眩しい。間違いなく将来的にハーレム形成するRPG主人公である。独り立ちしたら魔王を倒しに行くのかね?
それはそうと、周辺諸国の状況も少しずつ変わってきている。
「殿、我が力至らず……面目次第もございません」
「気にするな、久六。少なくとも浅井・朝倉に、織田の意向が伝わっただけでも十分だ」
「勿体ないお言葉です」
越前から戻ってきた盛次は、すっかり意気消沈していた。
それこそ大事な局面に不在だったことを悔やんでいるのだろう。自分がいれば、と考えていそうだ。俺に言わせれば、盛次がいても結果は変わらなかったと断言できる。あの勝家と可成タッグでも、一時は押し返されたくらいだ。
俺はもう焦らない。じっくり攻める。
今孔明がナンボのもんじゃい。先代からの報恩があるにしろ、暗愚に仕えている時点で器が知れるっていうものだ。それでも西美濃の一部から、そろそろ離反者が出てこないかなあとは思っている。主君裏切ってもいいのよ? 優しくするから。
ちなみに、民レベルの移動は既に起きている。
尾張国の豊かさはじわじわと広まっていて、今川義元を討ち取った功績もデカい。戦仕掛けてでも奪い取りたいのは武将か大名クラスであって、土地に愛着がない者はさっさと移動する。
「というわけで、今日も今日とて文官たちは寝不足なう」
「信長様もクマがひどいですよ」
「うるせー」
猿の弟のくせに、人語話しやがって。
おっと、いかんいかん。しばらく寝ていないから理性が飛んだ。いやいや、寝ているぞ。俺が休まないと家臣たちも休めないからな。問答無用で勘定方へ連れ込んだ貞勝が悪い。小牧山城下町の拡張工事を計画した俺が悪い。
だって住みよい町づくりって大事だろっ。
どうせなら、那古野よりも清州よりもスンバラシイのにしたいじゃないか。
「あ、又六郎の幻が見える。ヤッホー」
「しばらく見ないうちに、すごい顔になっているねえ。先代様かと思った」
「よく言われる」
何を今更と思いながら言い返して、何かおかしいと気付いた。
手が止まったのは一瞬のこと。まだまだ先が見えない数字を計算し続ける。
「又六郎?」
「うん、ただいま」
「お帰り」
「すぐに甲斐へ戻らなきゃいけないんだけどね。付き合ってくれるかい?」
「んなの見りゃ分かるだろ。多忙を極めてる」
「分かるけど、城主の仕事じゃないよねえ。頼まれたら断れない性格、誰に似たんだか」
「ほっとけ」
久しぶりの信純だ。
懐かしさも感じながら、何かが引っかかった。さすがに暗算しながら別のことは考えられないので、完全に手を止める。他の奴らは一心不乱に算盤を弾いていた。邪魔をしたら悪い。
途中式をメモ書きすると、信純と一緒に部屋を出た。
まだ新しい木の匂いが新築だということを実感させる。すぐに馴染んで分からなくなるだろう。その日がなんとなく待ち遠しい。
「又六郎。甲斐に戻るって、どういうことだ?」
「うん、三郎殿も一緒だよ」
「話が見えんぞ」
「お艶の方様を人質にとられちゃってねえ。返してほしくば、尾張のうつけを連れて来いってさ。申し訳ないけど、甲斐まで付き合ってくれると嬉しいなあ」
「ああ、いいぞ」
俺があっさり頷くとは思わなかったのだろう。
え、と呟いた信純がそのまま固まる。廊下で立ち止まると障害物になってしまうので、肩を押して壁際に寄せてやった。いつも飄々として掴みどころのない奴が、不安そうに俺を見る。
「叔母上が心配だからな。さっさと行って、さっさと帰ってこよう」
「あ、うん。そうしたいけど、……三郎殿はいいの?」
「甲斐の虎が寄越した挑戦状だ。乗ってやるのが筋ってもんだろ」
はあっと溜息を吐く。
幸か不幸か、美濃との戦いは膠着状態に陥っていた。相手が弱いと思っているから腹が立つわけで、手ごわい相手だと思えば焦る気持ちも消えていく。いつだったか盛次が進言したように、確実に兵力を削いでいく方を優先したい。
まずは西美濃だ。
国境からじわじわと圧力をかけている。移民は留まるところを知らない。豪族クラスなら、そろそろ根を上げる頃合だ。そいつらの交渉くらい、側近たちでも事足りる。
二人の娘はまだ小さいし、吉乃のことも心配だ。
だが、俺にしかできないことがあるのなら――迷わない。
すぐさま旅支度を整え、城の留守の間は長康たちに任せた。清州城の管理は信治に委譲することになった。信包に兼任させることも考えたが、まだ那古野城下でやりたいことがあるらしい。何を企んでいるか知らないが、楽しみなことだ。
尾張国を東へ進み、三河国から北へ進路をとった。
先を急ぎたいので寄り道はしない。ひたすら黙々と馬を駆る。
「叔母上は犬山城で生活していたな」
「うん」
「攫われたのか」
「……たぶん。武田の忍が尾張国を自由に歩き回れる証明にもなった。厄介な相手とは言ったけど、とんでもない男だよ。武田信玄という人物は」
べた褒めする信純に、小さくない不安がよぎる。
甲斐に「戻る」と言ったのだ。ひょっとしたら信玄に軍師として誘われたんじゃなかろうか。そうなると、供連れもなく城を飛び出した俺は大将首プレゼント・リターンズ。いやいや、武田とは険悪な仲でも、友好関係でもない。だからこそ交渉役に信純を選んで、はるばる甲斐国まで足を運ばせたのだ。
使者同士のやり取りが普通なんだろうが、人伝というのはあまり信用できない。
伝言ゲームは内容が変わるもんだっていう認識が、俺の中にはある。だから大事なことは紙に書いて持たせるし、本当に大丈夫だと思える奴にしか伝令役を頼まない。
「ごめんね、三郎殿」
臆病者の俺は、その謝罪を聞かなかったことにした。
不安が現実になるなんて、想像だけで十分だった。
**********
かぽーん、と気の抜けた音が聞こえてきそうな湯煙がもうもうと立ち込める。
「はああぁ」
まさに至福の時。
ちょっと臭いのは硫黄臭だから仕方ない。むしろ硫黄臭のする温泉こそ、本物の温泉である。生まれて初めての温泉は格別だった。ヒノキ風呂やゴエモン風呂もなかなかオツなものだが、天然温泉には敵わない。ああ、最高だ。
「はっはっは、随分と気に入ったようだのう」
「おっさん、この温泉くれ」
「ダメじゃ」
「ケチケチすんなよ、虎のおっさん」
「そうさな。うつけ殿の側室はお鍋の方、といったか。あれをくれたら、考えなくもない」
「…………」
「おお、怖い。信純、うつけが儂を睨んでおるぞ」
「知りませんよ。こっちに振らないでください」
「やれやれ、最近の若い者は」
この色ボケ爺め。
人妻でボンキュッボンが大好物だと知ったのは数日前のこと。
お艶が標的にされたのも、信純の妻になったからだそうだ。前々から狙っていたとか言われて、俺はどんな顔になったのか覚えていない。隣で信純もすごい顔になっていたので、そこまで酷くないと思う。
ほんのりとろみがある湯をすくい、顔をごしごし擦った。
美人の湯と呼ばれる温泉がどこかにあるらしい。帰蝶たちを温泉に連れてきたら、さぞ喜ぶだろう。いつもより開放的になって、この世の天国を味わえるかもしれない。吉乃を一人残すのは可哀想なので、彼女の快気祝いが妥当かな。
ホントにもう、スーパードクターどこにいるんだ。ずっと探してる。
「ときに、うつけ殿」
「んあ?」
「娘は可愛いか」
「目に入れても痛くないね」
「ならば、その娘をもらおう。もちろん、儂ではないから安心しろ。そう睨むな」
「娘はやらんぞ」
「同盟の条件でもか?」
ひゅっと息を呑む。
温泉で茹で上がっていた頭が一気に冷めた。
そう、俺たちが甲斐国の温泉に浸かっているのは信玄に会うためだった。じゃなくて、攫われたお艶を取り返すために甲斐国へ向かったら、赤い虎が満面の笑みで待ち構えていたのだ。そのまま温泉に誘われて、真っ先に飛び込んだ俺に信純が続いて、信玄と三人で温泉満喫なう。
信純にとっても賭けだった。
俺が一人で来なければ、お艶は殺される。生まれた時から大事に守ってきた存在をみすみす奪われ、挙句の果てに死なせるなんてできなかったに違いない。道中で信純があまり喋らなかったのも、人質のお艶が心配だっただけじゃない。武田の忍たちが見張っていたからだ。
彼らに言わせれば、滝川一族は里のはぐれ者である。
古くから秘伝を引き継いできた生粋の忍一族に勝てるわけがない。どこか誇らしげに宣言した忍隊長を睨みつけるしかできなかった。くそったれが。尾張国に帰ったら、伊賀の里との交渉も考えなければ。
犬山城まで侵入できるとあっては、武田軍はいつでも尾張国に攻め込める。
途中に美濃国があっても、三河国があっても変わらないだろう。進路に障害物があれば、踏みつぶしていくだけだ。武田信玄という戦国大名は、見た目以上に大きな存在だった。
中身は単なるエロ爺だけどな。
「織田家は美人揃いと聞く。市姫も、そろそろ婚期を」
「やらんって言ってんだろ!」
「三郎殿、落ち着いて」
「娘も妹も誰にもやらーーーん! 政略結婚でしか成り立たない同盟が堅固なものかよ。お手軽同盟の間違いだろ。とりあえず男児を生めば用済み。状況が変わっただの言って、同盟を破棄することだってあるだろうが」
ばしゃんと水を叩いて、俺は吠える。
政略結婚による両家の結びつきは、この時代の常識だ。身分に関係なく、条件が揃えば成立する。政略結婚自体が悪い、とは言わない。恋愛結婚でも、愛が冷めれば離婚する。むしろ政略結婚の方が諦めもつくし、離婚できない理由が存在している限りは続くだろう。
俺が嫌いなのは同盟条件に関わる婚姻だ。
「随分と嫌悪しておるようじゃが、うつけ殿と帰蝶姫も同盟による政略結婚であろう」
「お濃と俺はラブラブだからいいの! おっさんの方こそ、正室との仲はどうなってんだよ。人の恋愛に口出しするつもりはねえが、嫁と子供は大事にしろ。これ、俺のモットー」
「……三郎殿、興奮しすぎだから」
「尾張のうつけは、不可思議な言葉を使うという。確かに意味が分からぬな。どこの言葉か聞いてもよいか?」
「ノブナガ語」
だって他に表現しようがない。
英語は宣教師が、中国語は明貿易の相手が教えてくれるだろう。現代日本で使われているカタカナ表記の言葉は原形をとどめていないものも多く、若者文化で変遷していった単語もある。要するに全部が「日本語」なのだ。
それで通じるわけがないから、俺は「ノブナガ語」としている。
おお? 甲斐の虎がぽかん、としている顔なんてレア中のレアだな。写メとりたい。尾張国に持ち帰ったら、虎の間抜け面っていう画題で売れそうだ。
「はっはっはっは!!」
「やかましーわっ」
「存外、面白い男だのう。うつけ殿、気に入ったわ」
「それってさ、俺の評価がすげえダメだったことになるんじゃね?」
「ダメどころか底辺じゃな」
ざっくり来た。
室町時代末期、戦国時代の黎明期を代表する戦国大名からのダメ出し。家臣たちはみーんな俺を褒め称えるけど、やっぱり大したことないんじゃねえかよ。信長ageは秀吉の策略だったのだ。後世の皆は騙されているっ。
いや、違うか。
中身がダメなんだ。そうだよな、ダメ人間が転生したんだからダメで当たり前だ。器がチート属性でもカバーできないほどダメだっていうことだ。ああ、凹んできた。このまま温泉に沈みそう。
「三郎殿、三郎殿!」
「いやはや、本当に面白い男じゃ。側室も娘も妹もダメなら、うつけ殿が儂のところへ来るかの? 可愛がってやるぞ」
「だが断る!!」
ザバアッと湯を跳ね飛ばして立ち上がった。
「いやいやいや、ダメだろ。それこそダメだろ! 俺はノーマルだから。衆道知ってるけど、言葉で知ってるだけだから。俺の小姓衆はそんなのしてる暇もないくらいデスマーチ三昧だし、文官武官問わず身も心もブラック織田軍まっしぐらだし、俺は三人の嫁に搾られてるから無理!」
「三郎殿……、何をぶっちゃけてるの」
「事実だ」
キリッと宣言。俺、ノブナガ。
そろそろ家臣が裏切ってもおかしくないんだけどなー。誰が裏切るのかなー。オー人事に電話してたりするのかなー。電話なんかこの時代に存在しない、というツッコミは聞かない。
ぶるっと来たので、温泉に入る。
「…………おっさんが返事しない」
「まさしく赤い虎だね」
「トシだからなー。俺たちも人生の後半戦迎えたら、気を付けようぜ」
「そうだね」
「話も済んだし、帰るか」
「うん。お艶の方も連れ帰らないと」
「あ、忘れてた」
「まあね。自分の嫁は自分で守るべきだって、今回痛感した」
「普通に責めてくれた方がマシ」
「ヤだよ」
こうして、俺たちは尾張国へ帰った。
後に武田信玄暗殺未遂事件として伝わらなかったのは、温泉でのぼせて死にかけた最高に恥ずかしい事実を隠蔽するためだと俺は思う。
武田信玄、温泉にて笑死(寸前)
温泉は特に長風呂には注意しましょう。薬効が高い水質の場合、かえって肌荒れのもとになったりもします
【お知らせ】本日から1月3日まで午前・午後10時の二回投稿します