122. 清州同盟
従兄弟とスーパー事務員を失った俺は、ひたすら美濃国のことばかり考えていた。
「龍興自身は大したことねえ。将もそこそこ討ち取った。なんで落ちない?!」
イライラばかりが募る。
こういう時いつも砕けた口調で笑い飛ばしてくれた信純は甲斐国に着いた、と報告が届いたばかりだ。信盛は墨俣に残ると言い張って、清州城には戻らなかった。手痛い敗北の責任を感じているのだろう。盛次を近江方面に向かわせるのは、時期尚早だったかもしれない。
利家と成政は、母衣衆の統率に勤しんでいる。
新編成に対応できる指揮系統の見直しに、少々手間取っているようだ。各隊長なんぞ自分で選ばずとも、人気投票か何かで意見を募ればいい。俺のアドバイスに目から鱗が落ちた、と早速採用された。そういえば、桶狭間でやったジャンケンが密かなブームになっている。
くじ引きは不正が起きやすく、ジャンケンは後出しする奴が出てくる。
たびたび喧嘩の元になって騒ぎが起きていた。いや、俺は知らん。勝手にしろ。
「半兵衛か、半兵衛が最大の敵なのかっ」
ギリギリと歯ぎしりをした。
帰蝶謹製の藍染手ぬぐいを噛んだらバチが当たる。ちなみにデザインを奈江が考案し、病床をおして吉乃が刺繍を施した帰蝶監修の品である。たまたまもらえたのが誕生日だったので特別感が半端なかったのだが、側近たちもプレゼントされていた。奥様戦隊の仕業である。
風の噂で、幸が那古野支部を作りたがっていると聞いた。勝手にしてくれ。
ニヤけた弥五郎の顔を想像するだけで、左文字を抜きたくなる。
おっちゃんが本当に、イイ仕事をしてくれた。
信包がわざわざ清州へ届けに来たのだが、まさしく桶狭間記念というべき刻印が入っていたのだ。俺は喜びのあまりに、ちょうどあやしていたお五徳を掲げてクルクル回った。茶筅たちも順番にクルクルした。目が回った。
「辻斬りは犯罪。ダメ絶対」
「……殿」
「何だ、弥三郎」
そういえば、弥三郎は重休の娘婿にあたる。
岩室姓になっても、変わらず小姓として務めてくれていた。事務仕事は信定たちと分担して、何とか回している。重休の代わりは、誰もできないのだ。
「三河の松平様、水野様がお着きになりました」
「あ」
「広間にご案内してもよろしいですか」
「お、おう」
いかん、忘れてた。
他の小姓衆たちに支度を整えさせ、俺も広間へと急いだ。そろそろ使用目的に合わせた広間を複数用意したい。那古野城から移った時には、清州城の大きさに驚いたものだ。手狭に感じる日が来るなんて思いもしなかった。
「それだけのことが、起きたんだよな」
しみじみと呟く。
歴史として知るのと、体験するのは違う。
奇妙丸が大好きな三国志も読み物として面白いが、相当に酷い時代だったのだろう。特に劉備なんか逃げて、逃げて、逃げまくって、戦に出ないから脂肪が増えたなどと愚痴っている。曹操に英雄の一人と呼ばれた日には、驚いて箸を落っことす。劉備が英雄じゃないとは言わないが、うちの長男があんなに気に入る理由が分からない。弟たちがもう少し大きくなったら三君主ごっこをすると言っていた。
いやまあ、別にいいけどな? 軍師役は誰がやるんだよ。君主同士で喧嘩するのか。
年齢の割に賢い奇妙丸も、まだまだ小さな子供ということだ。
「あ……っ、三郎兄上!」
「これ、元康殿」
「家康です」
小さな竹坊は、すっかり大人になっていた。
広間に入ってきた俺を見た途端、ぱあっと顔を輝かせる。
横から信元に窘められると、元康改め家康は慌てて居住まいを正した。新緑の衣がとても似合っているのに、なんだか地味だと思うのは何故だろう。俺は派手好みじゃなかったはずなんだが。
「し、失礼しました。三河の松平家当主・次郎三郎家康でございます。信長様にはますますご健勝のことと、この家康! 謹んで、お慶び申し上げます」
「藤四郎信元、こうして再び信長様に拝謁できましたこと、望外の喜びでございます」
「あーあー、堅苦しい挨拶はもういいから。二人とも顔を上げろ」
「はっ」
「ははあっ」
いつもの信元はさておき、家康は織田家に従属するつもりか?
清州城の主である俺が上座にいるのは当然として、客人として招かれたはずの二人がすごい低姿勢だ。顔を上げろって言っているのに、頭が下がっている。目が合わない。
どうしよう。どうするんだ、これ。
一応、同盟を結ぶための会見のはずだ。筆記担当の小姓衆と、見届け役の勝介と側近たちも横に控えている。元康たちは供連れが外にいるため、孤立無援といってもいい。いや、殺さないから。何もしていないのに殺すとかありえないから。
十年の年月は、長かった。
俺はゆるく頭を振って苦い感傷を追い出す。今は同盟の話を進めなければ。
「ときに家康? いつの間に名前を変えたんだよ」
「今日です! もう今川家臣ではないということを主張したくて、名前を変えてみました」
ようやく顔を上げてくれたが、何かを期待している目で見つめられる。
「いや、その……なんだ。気まぐれに衣装チェンジしたノリで言われてもな」
「驚きましたか? 驚かせようと思って黙っていたんです」
「これ、家康殿」
「気にするな、信元。ちょっとしたお茶目だろう」
「さすがは信長様! 寛大なお言葉にございますっ」
信元のこれはもう治らないんだろうか。
成政と勝介がプルプル震えているのはどうでもいい。利家、泣くの早すぎだ。ここに信盛と信純がいたら、爆笑寸前で死にかけているだろう。そして仁王像のごとき長秀、無我の境地に至るんじゃない。賢者モードかよ。
「話が進みませぬな」
「そうだな、って吉兵衛は呼んでねえ」
「呼ばれて飛び出て」
「真顔で言うな! あと最後まで言ったら何が起きるか分からんから止めろっ」
「承知しました」
慇懃無礼な貞勝は、おもむろに木製ファイルを開いた。
くるくる巻物にキレた俺が考案したアイテムで、二つの穴をあけた紙を木材で挟んで紐で通しただけだ。しかも貞勝のは改良版だ。穴からの破損防止と開きやすくする目的で、幅の違う二枚の板を組み合わせている。ちょっとした思い付きを実用段階に持っていく家臣たちの能力には、いつもながら驚かされる。
俺がいなくても、こいつらだけで天下とれるよな。織田軍コワイ。
「――ということでよろしいですか」
「ん? ああ、よきにはからへ」
「信長様、また自分の世界に入ってイダッ」
「黙っていろっ」
戻ってきた長秀が成政を折檻している。
別にいいじゃねえかよ。貞勝が読み上げたのは、同盟を結ぶにあたっての条件と今後に影響するであろう可能性だ。信純と事前に打ち合わせし、貞勝チェックを通過した内容である。
だから何も問題ないはずなのに、同盟相手の様子がおかしい。
「何か不満でもあるか? 対等な同盟関係でありたいから、何でも言えよ」
「い、いえ、そんな!! お互いの救援に駆けつけるというのは、同盟を結んだ者同士なら当然のことです。そうじゃなくて、農法や計算技術の習熟というのは……」
「ああ、必要だろう?」
「三河は独立したばかりで、何も返せませんよっ」
「じゃあ、特産品を頼む」
「は!?」
「三河は何が美味いかなあ。信元、何か知らないか? 最近知ったんだが、土地によって作物の出来や味も変わってくるんだ。同じように作っているより、土地に合ったやり方を模索した方が効率はよくなる。米と赤みその地域別食べ比べ大会とか面白そうだよな。ソムリエ選んで品評会を開催したら、品質向上に貢献できるかもしれないぞ。そうそう、三河国で貨幣の流通はどうなっているんだ? 物々交換の方が一般的なら、貨幣の認知度が上がるまでは対応するし」
「信長様、信長様っ」
「なんだよ、内蔵助。今、ノッてきたところなのに」
「竹坊……じゃなかった、家康様が魂飛ばしてるっつの。急ぎすぎですよ、馬鹿殿」
すかさず五郎左パンチが飛んだ。成政が転がった。
指を差して笑う利家には勝介ツッコミが入った。前言撤回、もうダメだ織田軍。
色々あったが、一度も破棄されなかったという清州同盟が結べたのは喜ばしい。
後は若い者たちでごゆっくり、と信元が一足先に帰っていった。同盟締結後の雑談でも如何と城の中庭までついてきたくせに、奴は何を考えているんだ。
「仲人気取りのやり手ババアかよ」
「伯父も肩の荷が下りた気分なんだと思います」
「ん?」
どういうことだと首を傾げれば、家康が情けない顔している。
この中庭には側近たちも滅多に入ってこないから構わないとはいえ、見るからに気の弱そうな青年は狸や狐の格好の餌だな。幼少期から苦労し続けているはずだが、まだまだ苦労が足りないらしい。古狸覚醒は遠い。
「本当はもっと早い段階で、信長さ――」
「三郎」
「さ、三郎兄上との同盟を結びたかったんです。ぼ、……私が元服してからも伯父は何かと気にかけてくれて、治部様からの解放を目指して家臣たちの説得を続けていました。ただ、その、三郎兄上の父上と」
「親父殿と広忠の仲は最悪だったもんなあ」
「ええ」
松平広忠は家康の実父だ。
今川軍に負けて、三河国ごと従属することになったきっかけでもある。国と家を守るための人質が、家臣の裏切りで隣国へ攫われたのだ。義元への言い訳はもちろん、親父殿に対する恨みは深かっただろう。
そんなわけで、広忠の代から仕えている三河武士は反織田意識が強い。
「可愛がってやったのに」
「すみません」
「兄貴なんか、戻ってきてしばらく使い物にならなかったんだぞ」
「本当にすみません……」
「お前が悪くないとは言わんが、すぐ謝るんじゃねえ。一国の主になったんだろ」
「あ、はい。そうでした」
調子が狂う。
家康のほけっとした間抜け面を見ていると、美濃国との戦いで俺の心がどれだけ荒んでいたか自覚できる。焦っても仕方ない。攻めてきたら迎え撃つのは、これまでも変わらないスタイルだ。もっとしっかり準備して、万全の態勢で臨まなければ勝利は掴めない。
大将首の龍興は稲葉山から出てこないし、斎藤家臣は猛者揃い。
海道一の弓取りを首級に挙げたのも、運が良かっただけだ。全ての条件が揃い、初めて勝利がつかめる。尾張国は知名度の低い田舎だということを忘れていた。
東の三河国はどうなんだろうなあ。特産品とか知らないんだが。
「あ、そういえば」
「うなぎパイ」
「鰻なんか生臭くて食べられたものじゃないですよ、毒もありますし。三郎兄上はお好きなんですか?」
俺は衝撃を受けた。
パイを知らなくても当然だが、鰻の評価が低すぎるだろう。夏の栄養食、スタミナ弁当といえばコレ! 特上うなぎ重は庶民どころか、富裕層でも予約しなければ食べられない。国産うなぎが絶滅危惧種に認定され、養殖ですらお高くて手が届かない。輸入うなぎでも年に一度のお楽しみ、という大人気のうなぎ様が「生臭くて食べられない」だとぅ!?
いや、毒があるのは初耳だ。フグみたいに調理免許が必要って聞いたことない。
「どうかしたんですか、兄上」
「どうもこうもあるかああぁ!!」
「すみません、すみません。気安く兄上なんて呼んですみませんっ」
「そっちじゃねええぇ!! 鰻だ、鰻。鰻が食いたい。でっかい奴! それで許してやろう」
「大きいのがいいんですか? はい、分かりました」
「一番でっかいのを獲った奴には褒美を取らす」
「ええっ」
のけ反るほど驚いた家康は次の瞬間、目つきが変わった。
褒美は何でもいいのかと問うから、俺にできることならという条件付きで応じる。織田家臣を一人くれとか、尾張の一部を寄越せとか言われても困るので、指定可能範囲の指定は大事だ。どちらも俺の権限では何ともならないからなあ。
うーん、家臣どもに丸投げしてきてよかった!
ノブナガ発明品その5「木製ファイル」...表紙に薄い木製の板を使用した紐で綴じるタイプのファイル。
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